11.契約と博打
「また皇子妃か?」
「ちーがうの、今度は契約妃」
事の次第を聞いたヴァレンは、私の寝台に代わりに伏せたまま「同じではないか?」と首を傾げる。
「相手があの若ハゲ王子からトボけた帝国皇子に代わっただけだろう」
「ちょっと違うのよ。今回は婚約じゃなくて契約」
「婚約も婚姻契約だろう」
「婚約は婚姻予約よ」
「そう言われてみるとそうかもしれん」
ふん、と拗ねたように顎を前足に載せた、その隣に寝転がって抱きしめる。今日は一層寒いせいで、一層抱き心地がいい。
「はあ……ヴァレンは今日もふわふわで温かくて可愛いわねえ。まず顔が可愛いわ。次に耳が可愛い」
「いいから話を進めろ」
「皇子妃どころか婚約者もいないせいで辟易してるって話は前もしたでしょう? 要はそれよ」
顔を上げ、隣に寝転がりながらラウレンツ様のことを思い出す。
『仕事って、今しているものではなくてですか?』
『今手に持っているものを管理するような仕事だ。端的に言う、皇子妃として仕事をしてほしい』
『イヤです』
雷に打たれたような、という顔はああいうものを言うのかもしれない。返事をした瞬間のラウレンツ様の顔は、かなり見ものだった。しかも次の瞬間には椅子を引いた。
『……這いつくばれと、そういう意味か?』
『違います違います! 確かに私は寝言は這いつくばってからと申しましたが、そういう意味ではありません!』
わざわざ膝をつくスペースまで作ったのが本気だったのか冗談だったのか、図りかねるくらいにはその顔は真に迫っていた。いや帝国皇子が膝をつくわけないと思うので、冗談だとは思うのだが、それが本気に見えるほどという話だ。
『ラウレンツ様もおっしゃったとおり、皇子妃になると人生が縛られます。それは……言葉を選ばずにいえば、面倒くさいです』
「そのとおりだ。若ハゲ王子との十年間を繰り返したくはない、というのはラウレンツ皇子も理解していただろう」
ヴァレンは金の目を歪めた。ラウレンツ様がそんなに物分かりが悪かったとは思っていなかったかのような態度だ。やはりお腹を見せたに違いない。
「それが契約妃なら違うというのか?」
「違うの。まず解除の権利が双方にあるわ」
『もちろんそれは書面をしたためよう』
ラウレンツ様は、あくまで契約妃だからということを強調しながらそんな提案をした。
『本物の皇子妃となると、不貞や弑逆がなければ離婚できないし、しかもそれは俺が離婚していい理由にしかならない。しかし、これはあくまで契約。契約に際して、君の指定する条件も解除理由に盛り込む』
「何を理由にやめられるのだ」
「ひとつ、ラウレンツ様が正規の皇子妃を娶ると決めること。ふたつ、ラウレンツ様が私との契約内容に違反すること。みっつ、ラウレンツ様が契約妃を必要としなくなること。他にも色々あるけど、私が申し出てラウレンツ様がこれに同意してもオッケーよ。しかも私に問題ない限り、メイドに戻ることが許されるわ」
「ふん。商人をやっていただけある提案だな。互いにいい選択肢を残しているじゃないか」
そういうヴァレンは商人としての知識知恵まであるものなのか。たまにヴァレンが何を知っていて何を知らないのか不思議な気持ちになる。
「ラウレンツ皇子が皇妃を娶る気になれば後腐れなく別れることができ、逆にロザリアもお役御免になれば問答無用で去ることができるわけだ」
「でしょ。ただ、正直私には皇子妃になるメリットが分からなくって」
モンドハイン宮殿のメイドって、かなり条件の良すぎる職じゃありませんか? そう伝えると、ラウレンツ様は当惑した。
『……使用人なのにか』
『仕事と職場、両面から皇子妃よりも格段に魅力的です。まず仕事内容、ここ数週間での感想ですが、命じられた仕事とそこに気遣いを上乗せすれば十分ご満足いただける成果を提供できます。しかもその気遣いはある程度経験で裏打ちできるので、少なくとも私にとっては慣れると楽です。次に職場ですが、他の皆さんは内面も含めて優れた方ばかりで、余計な諍いがありません。特に私はラウレンツ様のメイドなので、他の面倒くさい官僚に鬱陶しい仕事の振られ方をすることもなく。これほど仕事がしやすい環境は他にありません。それでもって衣食住保障のヴァレン許可ですよ?』
対して、皇子妃になった場合には、仕事は増えて大変になるし、対外的にも積極的に顔を見せなければならなくなる。デメリットしか思いつかない。それなのにメイドをやめて皇子妃になる、その理由がひとつでも思いつくなら教えてほしい。
ヴァレンは、ふぐふぐと、大きな口の中で籠った笑い声を漏らした。
「容赦なく責め立てたな。ラウレンツ皇子は困っていただろう」
「そうね。でも『言われてみればそのとおりだな』って」
「真剣に顎に手を当てる様子が目に浮かぶようだ。それがどうして引き受けた」
『君はどんな未来を思い描いている?』
思いもよらぬ質問に虚を衝かれた。私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思うけれど、打って変わってラウレンツ様はいつもどおりに――商人の顔に戻っていた。
『この宮殿で一生働き続けるつもりでいるか? もちろん俺はそれでも構わないけれど、君はそれで構わないと?』
『え……ええ、まあ……多分、そうかもしれません……』
饒舌な自分にしては言い淀んでしまったのは、それだけは今まで考えたことがなかった――いや考えないようにしていたことだったからだ。
私は、アラリック王子妃として、ゆくゆくは王妃として、王城に閉じ込められたまま生きていくのだと思っていた。王妃としての責務以外に自分に選択肢はないと分かっていたから、自由になる未来を想像すると惨めになりそうで、決して考えないようにしていた。
『俺は無限の可能性という言葉は嫌いなんだ。人生は選択の連続で、選択によって少なくとも既存の可能性は次々と減っていくものだから。でも、だからこそ自分が望む未来を、なにより先に決めなければいけないだろう? その未来に、例えば君の場合、帝国の田舎に家を持ってヴァレンと暮らすとか、そういうものが入ってくる?』
『か……、可能なら、かなり入ってくると思います……』
『では、ここで君が使用人になる選択をするとしよう。帝国の田舎に家を持つという未来は、望めなくはないけれどかなり薄くなる』
『……契約妃ならそれが可能だと』
『俺が皇子妃を必要としなくなることがあるとすれば、継承権を剥奪されるか、正式に妃を娶るかの二択だろうね。前者はともかく、後者のとき、もちろん使用人に戻ることは許容するが……』
『正式な皇子妃にとって、契約とはいえ元皇子妃の存在は邪魔ですね』
『ということは、おそらく俺は、帝国の田舎に家ほか生活の拠点を与えるので宮殿を出て行ってほしいと頼むだろう』
つまり、ラウレンツ様は私に博打を勧めてきたのだ。
使用人でいれば生涯安泰だけれど、代わりにこの宮殿で過ごす以外の選択肢はなくて、可も不可もない未来となる。一方で契約妃になれば、退職金代わりに家と土地を得て、ヴァレンと2人で穏やかに暮らす日々を得る可能性がある、と。
「……それで乗せられたのか」
「乗せられちゃった! だって、ヴァレンと2人で田舎でのんびり不自由なく暮らせるなんて最高じゃない?」
もちろん、その約束を反故にされる可能性だってある。契約書があるって言ったって、皇子の権力があればいくらでも握り潰せるかもしれない。信用に足る人物だと言えるほど、私はラウレンツ様のことも知らない。
でも、アラリック王子の妃として生涯を終えなければならず、日々を追われるように生きてきた私にとって、その提案は、人生で一度くらい賭けに出てもいいかなと思えるくらいに魅力的だった。
「そうでなくとも、皇子妃の日当は使用人の1.5倍、ラウレンツ様に約束を反故されても苦しくないくらいの保険がかけてあるも同義よ。ね、ヴァレン、だから私、ラウレンツ様の契約妃になって、がっつりお金を稼ぎながら、将来はヴァレンも過ごしやすい田舎での生活を手に入れるわ」
ね、と微笑みを向けたけれど、ヴァレンは何か言いたげに尻尾を動かしているだけだった。
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加護を疑われ婚約破棄された後、帝国皇子の契約妃になって隣国を豊かに立て直しました 宵 @Anecdote810
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