06.商売人と使用人
ラウレンツ様は、しばらく呻っていた。度胸と言動で気に入ったので雇いたいとは思っていた。想定していた経歴と全く違うので、正直不要としか思えない。そんな葛藤があるのだという。
その葛藤は他人事ではなかった。なにせラウレンツ様のメイドになれば、ヴァレンと一緒に衣食住が、しかもこれ以上ないほどの身元保証付きの雇用主のもとで手に入るのだ。この機を逃してはならない。
「ラウレンツ様、この馬車は帝都に向かっているのですよね? ということは本日は帝国領の辺境伯領にでも泊まるご予定ですか?」
「そうだね。辺境伯の別荘がちょうどいい中継地にあるから。といっても――辺境伯の城を捕まえてあばら屋というのも悪いが、名のわりに手入れは行き届いてない。エーデンタール国元王子妃候補の期待に沿えるとはあまり思えないけど」
「いえ、大丈夫です。どちらかというと、そこでラウレンツ様のご期待に沿えるかお見せしましょう」
「俺の期待?」
ヴァレンに向けてウィンクをすると、ヴァレンもウィンクを返してくれた。ラウレンツ様は「オオカミなのに芸ができるのか」とまた頓珍漢なことを言った。
件の城に着いた後、私とヴァレンは素早く荷馬車から飛び降りる。日頃王城を歩き回りやすいよう、踵のないブーツに変えておいてよかった。
「ヴァレン、森のほうを見てきてくれる? 冬だから添え物になるものがあればそれでいいわ」
コクと僅かに首を縦に振って、ヴァレンは馬車が通らなかった森の中へ飛び込んでいった。今のうちに私はこの古びた城の手入れをしよう。
「ラウレンツ様、手入れは最小限とのことでしたから、きっと予定外の私の泊まる部屋はございませんでしょう。手入れして参りますから、成果をご覧いただければと思います」
「……元王子妃の君がねえ」
少し悩んでいるようではあったけれど、意外にも「荒唐無稽」と笑われるようなことはなかった。なんなら少し含みある笑みまで向けてきた。
「じゃあ、見せていただこう。2階の南、奥から2番目の部屋を予定していた。どうせならその手前の部屋もお願いしていいかな」
「ええ、もちろんです。ついでに厨房にお邪魔する許可をいただいても?」
「好きにしてくれて構わないよ、面談の延長のようなものだから」
これで衣食住を勝ち取れる算段が整う。ラウレンツ様の許可を得た瞬間、内心でガッツポーズをした。
別荘とは名ばかりというだけあって、城内の部屋は小ぢんまりとしていた。お陰で、ヴァレンが戻ってくる頃にはすっかり綺麗になったし、燭台を磨く余裕までできていた。
「りんごが成っていた」
ゴロン、とテーブルの上にりんごが木の枝ごと転がった。テーブルに前足をかけたまま、ヴァレンは鼻先でりんごをつつく。
「悪くない。辺境伯が使わないということは、森に入る人間も少ないのだろう」
「食べてきたんでしょ。口元が濡れてるわよ」
ぺろんと、長い舌が口元の毛を撫でる。いまさら証拠隠滅を図ろうだなんて、図々しいにもほどがある。
「じゃあ、ミルクと氷ももらってソルベを作って、アップルソースにして合わせましょう。デザートにも食べていただけるし、余ったらジャムにして持って行けばいいわ」
「もう少し採ってくるからアップルパイも作ってくれ」
「生地を作るほどの時間はないわ。帝都に行ってから宮殿の厨房を借りましょう」
「フン。帝都にもいい森があるといいが、どうだかな」
コロコロと、ヴァレンはテーブルの上のりんごを肉球でころころと転がす。そうしていると犬の仲間なのに、犬扱いされると怒るんだから。
「さあ、ラウレンツ様に売り込むものを作ってきましょう」
そうして、食前に綺麗になった部屋を、食後にソルベを見せると、ラウレンツ様は確かにと頷いた。
「モンドブルク宮殿でメイドとして雇おう」
「たったこれだけで決めていいんですか?」
どちらも知ってさえいれば技術が必要なものではない。むしろ細やかな気配りだのなんだのが雇用を決める指針であって、これは帝都に着くまでに捨てられないための第一の試練くらいに思っていた。
首を傾げたけれど、ラウレンツ様は肩を竦めた。
「もともと、王城でもしていたんだろう?」
「……なんで分かったんです?」
「君の手は将来の王子妃のものじゃない」
思わず机の下に手を隠すと「ごめんね、他意はないよ」とラウレンツ様は苦笑し、もともと城にいたメイドに向けて手を挙げた。彼女は軽く頭を下げ、食事の間を出て行く。
「君はヴァレンを可愛がっているから、自らその世話をしていて、そのせいだと思っていた。でもヴァレンにそう手はかからないようだし、使用人の仕事に妙に自信があったようだから、確認のために掃除を頼んだんだ」
なるほどこの皇子、よく見ている。伊達に商人もやっていない。
私の手はあかぎれだらけ。いくらヴァレンを連れているとして、肌が弱いとして、常に入念に手入れして手袋をしていればこうはならないだろう。それこそ、ウサギ(の神獣)を連れているヴィオラ様の手はまるで白魚のよう、まさしく将来の王子妃のものとしか言いようのない手だ。
「それに、君の機転の利き方や考え方はかなり気に入ったし、働ける元王子妃候補なんてこれ以上ない
「……ええ。自画自賛で恐縮ですが、こう見えて語学は得意ですし、地理や政治も学ばされました。帝国事情は存じ上げませんでしたが……」
「それはこちらも隠していたからね。むしろ知られていたらスパイを疑ったよ」
しれっと言ってのけた顔が一瞬冷たく見え、ちょっぴり背筋が伸びた。そうだ、明るくて可愛らしい雰囲気だと思ったけれど、さり気ない観察眼といい、油断ならない皇子なのだ。疑われていたらどうなっていたか、あまり想像したくない。
「というわけで、君はメイドとして働けるうえに、他のメイドよりできる仕事も多いだろうと踏んだ。それを理由に雇うつもりでいるんだけれど、どうかな?」
「もちろん、是以外の返事はございません」
「頼もしいね。所管内容は道中で話すとしよう」
そこでさきほどのメイドが戻ってきたかと思うと、ラウレンツ様に謎の小瓶を渡した。その小瓶は、テーブルの上を滑って私の手元にやってくる。
「……これは?」
「手に塗れば傷が良くなる。この寒い日にわざわざ仕事を見せてくれたお礼と、君には会談や会食にも出てもらうこともあるだろうからその投資かな」
ハンドケアクリームか。早速開けて指先に塗り込んでいくけれど、無香料で、近くにいるヴァレンも嫌な顔はしない。ヴァレンにまで配慮して渡してくるとは、さすが帝国皇子、格が違う。
「ちなみに帝国の大人気商品ながら大変安価でお求めやすいよ」
「メイド相手に商売をしないでください」
どこかの王子とはスマートさが違うと感心したというのに。わざとらしく呆れると、 くっく、とラウレンツ様は白い歯を見せながら笑い声を漏らす。敏腕皇子としての仮面は別に用意しているのか、少なくとも目の前のこの人はなかなか表情が豊かな人のようだ。
「じゃあ、そういうわけで。どうぞよろしく頼むよ、ロザリア」
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