この感情の名前を私はまだ知らない

七瀬りんね

私はまだ、この鼓動の名称を知らない。

 夏は嫌いだ。あの閃光のように輝く太陽も、何も知らずに鳴いている蝉も全て、あのときを思い出すから。

十四の歳を刻んでいたあの2021年の夏、私は忘れることのできない経験をした。私はあの出来事を数十年は引きずるだろう。

彼女が私に対ししてきた「神隠し」の理由は、あまりにも単純明快で、私をこの神社から離れさせたくないという純粋な思いが詰まっていた。

私はこの事象、いいや出会いに名前をつけるのなら「刹那の恋」と名付けるだろう。

あの時はまるでこの時間が、永遠の時続くと確信していたのに。


 葉月のある日、私は母の実家である福井県の高浜町に居た。北側には海が聳え、南には京の山々が見える。

蝉たちは鳴いており、戦後以来ずっとお店を構えているアイス屋さんは、相変わらず子供たちにアイスを売っていた。最近はようやっとあの婆さんにも時代が追い付いてきたのか、昭和後半のアイスだろうもののほかにも、アイスの実などといった今風のものも売っていた。

時代の移り変わりを感じる、そんな季節だ。

かくゆう私はというと、町から少し外れた所にある神社へ来ていた。名前は不明で、鳥居の朱色模様は剥がれ、そこには苔や野草が侵食しており、肝心の本殿もかつては綺麗だった山吹色の部分の塗装が落ち、柱は少しずつだがバランスを崩して行ってる様子が、もうこの神社には人は訪れていないことを物語っていた。

私の家は年に一度、この高浜町へ来るのだが、私がしたい唯一のことといえばこれだ。この寂れた神社を掃除し、この神社にいる神様をちょっとだけ守る。それが私のしたい唯一であり、私の祖父母から渡された最後のお願いだった。

始まり、なんてものは覚えていないし、思い出す気にもならない。私はただ今手に持っている中津箒を動かし、落ち葉たちを一か所に集めることに集中するべきだ。

「...そう思わない?あなたも」

虚空に話しかける。数秒待ち、当然のように返答が来ないためため息をつく。あまりにも退屈だが、慣れたものだ。

そう思っていたのに、思いがけないことが起きた。

「うん 思うよ。それにしても、随分と私の神社が好きなんだね」

私は驚き、心臓が信じられない大きな音を立てた、私は恐る恐る拝殿の濡縁へ目を向ける。

そこには少女のような何かが足をバタバタさせながら、私の方向へ目を向けていたのだ。彼女の髪色は青空のような空色で、服装は巫女服を少し改造したものを着ていた。

ここみたいな寂れた神社には似つかない、ミステリアスな雰囲気をかもしだした少女が確かにそこに居た。

「っ、しょ...少女?」


「いーや?私はそんな若くないよ」


彼女は恥ずかしそうに頬を搔きながら、そう言う。困惑している私の様子を見ると、ヒョイッという軽やかな音を立てながら彼女は、濡縁から降りる。

私の目の前まで歩き、後ろに手を組んでいる。


「私はこの地の神様だよ」


私は目を疑った。このような可愛らしい少女がこの地の神?そんな筈がない、と言いたかった。だが、彼女から何か普通な感じはしなく、何かしらの特別な存在であろうことは誰が見ても理解できた。

「信じてないって顔 まぁいいや。別に信じなくても変わるものはないからね

彼女は無邪気に笑い、私の周囲を興味深そうにくるくる回りながら私のことを見つめていた。

あまりにも年相応の振る舞いではないだろう。神様というのは本当なんだろうか?。

「君、名前は?」

バツが悪そうな私の様子を察したのか、話題を引っ張ってくれる。

「...下京遥」

私の名前を聞くと、彼女は微笑む。

「遥ね!素敵な名前!私の名前は澪とでも呼んで?」

彼女は私の名前を褒めるないなや、自信の名前を口走る。

みお、ミオ、澪...素敵な名前だ、彼女に合ってると思う。

私の中で彼女の名前を反響させる。少し考えている私の様子を見た澪はもう一度深く微笑み、手を差し出す。

私は思わず彼女と手を合わせる。彼女の手はひんやりとしてて、とても人間とは思えない。

「ねぇ遥!今日からずっと来てくれる?私待ってた!」

「私に!人間の恋を教えてほしいの!」

彼女はそう言い、私のことを抱きしめる。私も抱きしめ返し、互いの体温を分け与えるように深く抱きしめあう。

彼女の身体は全体的に冷たく、それは彼女が人間でないことを示していた。

それとは非対称的に、私は体温が熱くなっている。心臓はドクンドクンと波うち、頬や耳があったかくなる。

私はまだ、この鼓動の名称を知らない。

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