第21話 聖教徒教会の戦略
聖教徒法国の聖教徒教会では激震が走っていた。
先ず第一に勇者が殺されたと言う事だ。絶対の強さを誇り魔王を倒し得る勇者が一介の冒険者に殺されたなど信じられるだろうか。
しかも相手は獣人の少女だったと言う。
問題はそれだけではなかった。勇者が他国に入りその国の獣人を大量虐殺をしたと言う事実だ。
こんな事が世間に知れたら国としての信用も勇者の評判も地に落ちてしまう。これはどんな事があっても隠し通さなければならない事だった。
だからこそ隠密裏に殺人を行ったのにどうして公になってしまったのか。それは聖教徒教会とサザンの領主との間の密約だったはずだ。
しかしそこに介入して来た者がいた。それがゼロだった。
教会側の騎士達も勇者達もこのゼロの存在は誰も知らなかった。しかし教皇だけは知っていた。
神のお告げにあった排除すべきこの世のイレギュラーとして。そして神は幾多の戦士をゼロ殲滅に送り続けて来たが全てはゼロの前に敗れ去ってしまった。
ただ唯一最後の「神の聖戦士」の手によって相打ちとなってゼロは死んだとなっていたはずだ。
そのゼロが100年も経った今になって復活したと言う。これは神に取って想像すらしなかった誤算だった。神でも誤算はすると言う事だった。
ただしこの事は教皇しか知らない事だった。
しかももっと悪い事にはゼロのバックにはヘッケン王国の王家がついたと言う事だ。ゼロ個人でも脅威なのにそこに国のバックがついたとなると容易に手を出せなくなる。
まして今回の事はゼロの手に握られている。これ以上突っつけば二国間の戦争もあり得るだろう。
今の所人口比で言えばヘッケン王国の方が遥かに多い。兵士の数にしてもそうだ。もしここで戦えば聖教徒法国の敗戦色が濃くなってしまう。
いくらこちらに勇者が6人、いや5人いようとも向こうにはゼロがいる。そして吉村を殺した獣人もいる。
更にゼロは3人のパーティだったと言う。それなら残ったもう一人も決して飾りと言う事はないだろう。
少なくとも勇者と同等かもしくはそれ以上の力を持った者と考えた方が良いだろう。
それに王都にはあの有名なカラスと言う魔法使いがいる。その魔法はここ聖教徒法国のどの魔法使いよりも上だと言われている。
そんな者達を相手に戦って勝てるのか。答えは否だ。仮に勝てたとしても双方に途方もない被害が及ぶだろう。
そうなると他国からの侵略もあり得るし、また魔王や悪魔軍の進軍も考えられる。どれ一つ取っても良い事はない。
ならここは和睦しかないだろう。
教皇はNo2のバルツ枢機卿を交渉の使者としてヘッケン王国の元に送り事態の鎮静化を図った。
ヘッケン王に取ってこれはゼロから報告を受けるまで寝耳に水の話だった。しかし事が公になった以上裁決は下さないといけない。
王は直ちにサザンの領主の処刑を命じた。ただ家族に関してはお家取り潰しと言う処分にしておいた。家は貴族位没収の上領地から放逐となった。
勿論そんな事で皆殺しとなった獣人達の魂の慰めにはならないだろうが国内的にはこれが今出来る全てだった。
そして没収した領主の金庫からも遺族には援助金が支払われた。
そして後は加害者である聖教徒法国から侵略に対する謝罪と賠償金を取る事だった。
ただ今回だけは聖教徒法国も素直に応じて謝罪と共に賠償金を支払った。
これは獣人地区への復興金となったが、獣人達はもうこのヘッケン国には住まずに南の獣人国カサールに移住した。
その方が可能ならば賢明だろう。所詮一つの国の中に異種族が住めばどうしても軋轢が起こる。
それはこの世界でもゼロのいた現実世界だも同じだ。一方が一方を殲滅しようとする。そこに宗教が加われば事態は更に複雑に悲惨な状態になって行く。
これを本当に完全に解決するには少数派がその国から完全撤退するか、殲滅(ジェノサイド)するしかない。
今回サザンの生き残った獣人達は今後の軋轢を嫌って全員他の獣人国に移住した。ある意味懸命な選択だったと言えるだろう。
聖教徒教会内部でも勇者達が疑問を投げかけていた。まず第一に何故吉村は殺されたのか。そして何をしにヘッケン国のサザンと言う町に行ったのかと言う事だった。
そして勿論誰に殺されたのかと言う事も問題になっていた。少なくとも自分達は神よりギフトを授かった勇者だ。普通の者に倒されるはずがないと思っていた。
実際この聖教徒教会内でももはや勇者達に敵う者は誰もいなかった。
ただ一緒に行った騎士達から漏れ聞こえる話では、吉村はサザンの町で獣人達に対する大量殺戮をやったと言う話だった。
「何故そんな事を」
そう言えば吉村には良からぬ噂もあった。夜な夜な城下に出ては非道な事をやっていると。その中には殺人もあるのではないかと言われていた。
もしそれが事実なら同じ仲間として許す事は出来ない。我々はこの世を魔王から救うために召喚されたんであって、この世の人々を苦しめる為ではないと理解していた。
その事をまず騎士団長に問い詰めた。
すると騎士団長は多少の誤解はあったが吉村がサザンに向かったのはそこで発症した悪魔付きを退治する為だったと答えた。
それならそれでいい。なら何故その地の住人全員を殺すような残虐な真似をやったのかと言う事だった。
騎士団長は悪魔付きは伝染するので仕方なく汚染を回避する為の手段だったと答えた。
それでも疑問は残る。何故伝染の状態を確認しないでいきなり全員の命を奪わなければならなかったか。隔離して感染状態を確認してからでも良かったのではないか。
流石は現代の高校生だ。それなりの医療知識はある様だ。これには騎士団長もたじたじだった。
しかも何故聖教徒法国の我々が他国の地に行かなければならないのか。それは向こうの国の責任だろう。その許可は取ったのかとか聞かれたくない問題に及んで来た。
そこに教会内No2と言われるバルツ枢機卿が現れて、今回の行き違いについては我々は非を認め私がヘッケン国の王に謝罪に行ってきましたとバルツが言った。
何となく質問の答えをはぐらかされた感じだが、ともかく国としての責任は取って来たと言う事だった。
では後は個人的な質問だ。吉村は誰にどのようにして殺されたのかと言う事だった。これは残った彼らに取っても重要な問題だった。
もし自分達がその者と戦う事になったらどうすればいいのかと言う対策を立てなければならない。
騎士団長の話によると相手は3人いたが、吉村を直接殺したのは獣人の少女だったと言う事だった。
それは余りにも信じられない話だった。しかも素手で殴り合って殺されたと言う。
「そんな馬鹿な、あいつは高校でボクシング部にいたんだぞ。しかもこっちの世界に来た時にギフトで強力な魔力を得ている。そんな奴が殴り合いで負けるか。まして殺されるなんてあり得ないだろう」
「そうよね、吉村君は素手で大きな岩を破壊してたわ」
「そうだよ、あいつの拳は爆弾並みだ。俺でもあの拳はよけ切れないと言うのにそんな少女に負ける訳がない」
「いいだろう。ではその証拠を見せよう。こっちに来てくれ」
そう言って騎士団長に連れて行かれたのは冷凍魔法で氷漬けにされていた吉村の死体だった。しかもその腹には大きな穴が空いていた。
「何なのこれ、どうしたらこんな事になるのよ」
「おい、これって漫画かよ」
この戦いを実際に見ていたと言う騎士が状況を説明してくれた。
「そんなにその女の子は強かったのか。信じられんな。しかも獣人だろう」
「種族は別よ。大事なのは技術と実力だと思うわ」
「これって殴っただけでこうなる物なの」
「いいえ、これはきっと魔功を用いた拳闘術かと思われます」
「何だよ、その拳闘術って」
「ある獣人の種族に伝わる戦闘術だと聞いております」
「本当にそんなのがあるのかよ。これってオンラインゲームの世界かよ」
ともかくこれは勇者達を震撼せしめた。今まで自分達は世界一だと思っていた。
しかしそんな自分達をいとも簡単に葬れる者がいたと言う事だ。
そこに現れたバルツ枢機卿はこう言った。
「これが現実です。ですから皆さんには更に修練していただいて本当に魔王を倒せる力を身に付けていただきたいのです。今の皆んさん方ではまだその少女にも後れを取るかも知れません」
その一言に勇者達全員は横っ面を張られたような気がした。
それは自分達の思い上がりだ。恐らくはそれが原因で吉村は負けたんではないかと皆思った。
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