02.


「ん……うまそうな匂いがする」


 レオンが鼻をひくつかせる。

 さすが狼族、人間の百倍はあるという嗅覚が鋭敏にごちそうを嗅ぎつけたらしい。灯蜜果メルティラのひとくちパイはお気に召さなかった彼だが、次は大丈夫。

 紬希はバーカウンターから料理を受け取った。

 大判の白い平皿。左手で二枚、右手で一枚持って来賓席へ運ぶ。


主菜メインディッシュでございます」


 紬希に続き、ほかの披露宴バンケットスタッフたちも颯爽と料理を提供していく。皿を置かれた面々の喉から、ごくりと唾を飲む音がした。


「狼族の方々には天火でじっくり焼きあげた鹿肉のロティを。兎族の方々には朝摘み野菜のサラダを」


 ロティとは肉を休ませながら、天火の余熱で低温加熱を繰り返す調理法のこと。まず常温に戻した肉の筋を取り除き、フライパンで肉汁や脂に浸しつつ焼き色をつける。それから天火で二分加熱、二分休憩を十回ほど。手間はかかるがそのぶん、しっとりやわらかい仕上がりになるのが特徴だ。

 朝摘み野菜のサラダは名の通り、採れたて新鮮な素材だけを使用した一品。アシタバやブロッコリーの蕾、ベビーリーフといった緑に、人参の千切りキャロットラペのオレンジ、トマトやラディッシュの赤と豊かな色彩が目を惹く。裏庭の菜園で育てたオレガノも散らされており、ほろ苦い清涼感がアクセントである。

 鹿肉のロティもサラダもありふれたメニューだが――特筆すべきは、そのソース。


「どちらのお皿にも、菫とブルーベリーのソースがございます。一緒にお召しあがりくださいませ」


 宝石のようにあざやかだったソルベより色濃い、目の覚める紫のソースが皿を彩っていた。

 来賓がそれぞれの料理に手をつける。切り分けたそばから肉汁がにじむ鹿肉は、ほんのりと野生味のある味わい。煮詰めた菫とブルーベリーを中心に、仔牛や香味野菜の出汁、林檎酒シードルを加えた甘酸っぱいソースが淡白な赤身肉にとてもあう。


「なんだこれ……初めて食う味だ」

「サラダもおいしい……」

「そちらのソースは菫とブルーベリーをベースに、はちみつ、檸檬、白ワインビネガー、粒マスタードなどをミキシングしたものになります」


 瑞々しい野菜によく絡む料理長シェフ特製のソースは、それだけでも舐めたくなるほどのおいしさだ。

 菫とブルーベリー――今回、このふたつの素材にこだわったのには理由がある。


「新郎新婦さまも、ぜひ」


 紬希に促され、リオネルが肉を切り分けて食む。

 つられたルネもサラダを口へと運び、涙に濡れた瞳を見ひらいた。


「おいしい……!」

「よかった。このブルーベリーは、クラヴリー家の農園からご提供いただいたものでございます」


 クラヴリーは新郎の姓だ。

 彼の両親は狼族の街ヴィオルで有名なブルーベリー農園を営んでいる。兄弟も手伝っていて、リオネルが後を継ぐとルネから聞いていた。


「新郎さまご家族があらかじめ申し出てくださっていたのです。クラヴリー家のブルーベリーは兎族の方々も好むはず。料理に使ってもらえないか、と」

「え……」

「狼族の皆さまがたは、ルネさまが嫁いでくることに戸惑いながらも、家族としてあたたかく迎えようと考えていらっしゃったのではないでしょうか」


 紬希は思い出す。

 狼との結婚を母親に認めてもらえず、駆け落ちのようなかたちでリオネルと一緒になってしまったと、ルネが嘆いていたこと。

 挨拶すら門前払いされたリオネルが、ルネの親族へのうしろめたさから彼女を実家へ招くことができず、夫婦だけの仮住まいに身を寄せていること。

 異種族のわだかまりをほどく披露宴がしたい、というふたりの願いを受けた紬希が頭を悩ませていたとき――招待状で店の存在を知ったのだろうレオンが、大きな箱をかかえてS’allierサリエを訪ねてきたこと。


「レオンさまは特に、ルネさまを気にかけていましたよ。ブルーベリーの箱をわざわざここまで届けてくださいましたし、あれこれ心配していましたし」

「余計なことをべらべらと……」


 ふいと顔を背けたレオンの耳はほのかに赤い。

 短気な性格と粗暴な言動のせいで誤解されやすいかもしれないが、彼の心根はきっと優しい。


「――……ごめんなさい。言葉が過ぎたわ」


 ぽつりと、ネリーがつぶやいた。


「私、どうしても不安だったの……だって、ルネ、あなたはあの日狼族の男に襲われて、心にも体にも生涯消えない大きな傷を負ったわ」


 ルネはいま、首元から手首までを繊細な総レースが隠すAラインのドレスに包まれている。露出のないデザインだが、着付けに携わった紬希は彼女の胸に走る痛々しい傷の存在を知っていた。

 狼に刻まれた、無惨な爪痕を。


「ふたりがお互いを大切に想っているのはわかってる。それでも、私はこの結婚を許してはいけないと思ったの。最愛の娘が二度も傷つくことがないように……ただひとりの、母として」


 うつむくネリーの隣に夫の姿はない。彼女の伴侶は何年も前に、病でこの世を去っていた。女手ひとつで子どもを育ててきた母だからこそ、厳しく慎重に、そして不安になってしまうのだろう。

 ルネには五人の弟妹がいるのだが、みんな狼族をこわがってこの場を欠席している。異種族の問題は根深い。捕食者と被食者なら、なおのこと。


「……ずっと、言葉を探していました。認めないと言われた立場にもかかわらず、披露宴なら面会も叶うかもしれないと強引に呼び出す結果になったこと、どうかお許しください」


 これまで沈黙を守っていたリオネルが、ネリーに向けて口をひらいた。


「たしかに私は狼族です。あなたがたにはない鋭い牙や爪がある。この腕でルネを抱きしめることさえ、加減を誤らないよう気をつけなくてはいけません」

「そうよ。うまくいくわけがないでしょう。だからこわいの……何かあってからでは遅いのだから」

「私もはじめ、身を引くべきだと考えていました。ほんとうに愛しているのなら、去らなければと」


 でも、と彼は隣に座るルネを見た。

 世界でいちばんのたからものを見つめるような、慈しみに満ちたまなざしで。


「ルネが私の胸に飛びこんでくれました。この命を懸けて愛してる、信じてると……そう言って」


 獲物を捕らえるための鋭い爪を持つ大きな手が、桃色の毛に覆われたちいさな手を握る。


「ほかでもないルネが信じてくれる。私はその信頼に、応えられる男になると決めました。狼族の街ヴィオル兎族の街シェリエの境界線を超えて菫の花畑に踏みこんだ、あの日――私は運命に出会ったんです」


 ルネの頭を飾る、菫の花冠ティアラが陽を反射して輝く。ゆるぎないリオネルの愛にくるまれる彼女はいま、まぎれもなく幸福な花嫁だった。


「見守っていただけませんか。私の生涯をかけて、ルネを幸せにすると誓います。行動で示し続けます――いつかあなたにも、信じてもらえるように」

「……ああ、もう」


 まっすぐな言葉を重ねるリオネルを前に、ついにネリーが呆れたように笑った。


「わかったわ。私の負けよ……」

 

 被食者である兎はほとんどが狼という生きものに恐怖を持っている。ネリーや彼女の家族がリオネルたち狼族とすぐに打ち解けるのは、むずかしい。

 しかし時間をかけてお互いに歩み寄っていけば、手を取りあえる関係にはきっとなれる。

 紬希はそう、信じている。


(だから、もう泣かないで。ルネさま)


 ふたりの運命を象徴する菫と、想いのこめられたブルーベリー。それらをかけあわせた紫のソースはS’allierサリエからの贈り物だ。

 この一皿が種族の架け橋になることを、願って。


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