Ⅲ 反復
わたしたちは、同じ文章を読むことは二度とない。例え文章が保存されたとしても、それを既に読んでしまったわたしたちは、不可逆に変わってしまっているから。わたしたちは、無数の出会いと別れを重ねていく。
はじめまして。
そして、さようなら。
わたしたちには、まだその言葉が残されている。
以前ほど頻繁に使われないというだけで、それがまだそもそも役に立つ言葉であるのかどうなのか、危ぶむ声は多い。
わたしたちは、修正することを好んだ。誤りが含まれていた場合に修正の余地があるということが、文章を生み出したわたしたちの楽しみでもあった。漢字の量は増え、助詞や接続詞の用法は細かくなった。句読点なんかは、意味がわかるならどこに打ってもいいという具合になった。
わたしたちは完成したと思っている。
完成というのは、わたしたちにしか完成とはいえない。わたしたちも全体というわけではない。完成したと思っているのは、わたしたちの多くでしかなく、そうは思っていないものも少なくない。
でも完成には別の意味もあって、それは別の問題を生じさせることになる。
文章を読むとは、それを書いたわたしたちを再構成していくことで、その意味でわたしたちは文章に対して誠実に向き合わなければならない。わたしたちは文章の中に生まれ、文章の中を生き、文章の外へ出ていく。
わたしたちは、決して完成したということはないだろう。
気に入った文章を何度も繰り返し読んでいることもある。でもそれは、わたしたちがかつて出会ったというだけのことで、その文章は新たにわたしたちと出会う。
ある文章によってわたしたちは生かされ、またある文章によって殺される。わたしたちはそんな風に無数の出会いや別れを重ねていく。
であるから、わたしたちは、その都度生まれ、成長し、老い、死んでいく。
若返ることもある。
わたしたちは修正を好んだ。
誤りもまた修正の余地があるという意味では正当性を持ち合わせていた。
わたしたちは実際に、誤りを正した。多くの誤りを正した。誤りの修正によって広範囲にわたる新たな誤りを生じさせたこともあれば、それはむしろ、より大きな誤りを修正するための道を開くための修正であったりもした。
修正は、単純に正せばいいというわけでもなかった。
わたしたちは文章を無機質な部品の集まりとして捉えることを好んだ。部品は部品として厳密に組み合わさることでその全体の意味を浮かび上がらせると考え、部品と部品を組み合わせることではじめて真価を発揮する文章を生み出していった。
わたしたちは直接的なコミュニケーション手段を持たない。
わたしたちが直接的に出会って交わす言葉は、わたしたちがすべてを書き換えた後の文章としてのみ存在する。
言葉は、わたしたちが再び書き換えた後でなければ意味を持たない。
わたしたちは意味を生み出すために書いた。
話者が入れ替わったときに意味が変化するのは、わたしたちにとっては大きな悩みだった。
話者が替わっても意味が変わらないように、わたしたちは文章を修正した。
部品を取り替えることで構成は変わる。構成を変えることで意味は変化する。
当初わたしたちが意図した意味は、しかしわたしたちが書きなおした後でこそ意味を得て、そのことがわたしたちを悩ませた。
わたしたちは適正な修正をおこなうことができたかといわれると、なかなかに難しい。当然わたしたちは、わたしたちの書いたものをそれなりによく理解しているが、わたしたちの書いたもの自体が、わたしたちを理解することが難しいものになった。
わたしたちは未だに気に入った文章を追い求める。
その意味でわたしたちは、完成した文章に出会うことを求めてやまない。
わたしたちが好む文章は、わたしたちに好まれるように書き直された文章なのだ。
でもわたしたちはその文章が、わたしたちの好むように書き直されたことを知らない。
はじめまして。
そして、さようなら。
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