イスタロスの円環

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第1話 この世界

無限に広がる雲の海。その中心に聳え立つ、巨大という言葉すら小さく思えるほど大きな樹。

その樹から生える枝葉には、七つの大陸が出来上がっていた。一つ上の大陸から流れ落ちた水が、その次の大陸を潤すように、七つの大陸がらせん状にその樹の周りに生えている。

イスタロス大陸はそんな世界の螺旋の最上。


その樹が司る「自然の摂理」に支配された世界で、あらゆる生命はその生を謳歌していた。

ある時イスタロス大陸に、二人の男女が生まれた。彼らはやがて愛し合い、多くの子を生した。これが現代まで連綿と続く、人類の祖である。


男は自らの娘と関係を持ち、それを知った女は嫉妬し激怒した。その結果、女は感情に任せ男を殺害した。

この時、世界で初めて生を終えた者と、世界で初めて死を与えた者が生まれた。

かくてこの二人は生と死の二柱の神となり、また生が死に抗えぬこともこの時定められた。


彼らの子らからも多くの神が生まれた。初めて火を起こした火の神や、初めて大海を渡った水の神などが良い例である。

世界には多くの神が生まれ、それらを信仰する民に力を与えた。


神自ら見初めた者には「加護」を。こいねがってきた相手には「祝福」を。そして試練を与えんとする者には「呪い」を。


人々はそれら「摂理せつり」を用いて、自らの摂理に起因する力を用いた。それこそが今日で呼ばれる「魔法」である。

—よくわかる創世神話 序文—


バタン、という大きな音が玄関口から聞こえる。

音をたてないように気を付けながら、少年は何度も読みかえした本を閉じる。そして玄関の様子を窺うため自分の部屋の入口へと忍び足で近寄った。

鎧を纏った男が二人が家に押し入って来ており、父がそれに応対していた。

「お、お止めください兵隊さん!うちには価値のあるものなんてございませんで…」

玄関口で父が情けない声で叫ぶ。それに対し、鎧をまとった男は鼻を鳴らしながら応える。

理外りがいの民め、黙っていろ!何が価値あるものかはこちらが決めるのだ!」

そう言い父を突き飛ばすと、兵隊たちは室内を物色し始める。倒れた父と目が合った。父は顎で窓を示し、逃げろと伝えてくる。

「なんだ、女がいるではないか!」

こことは別の部屋で息を潜めていた母が見つかる。二人の兵隊の意識が母に向いた隙をついて、少年は窓から外へと逃げ出した。


神から加護や呪いどころか、願っても祝福すら与えられなかった人々である理外の民。一定数存在する明確な弱者は、世界から迫害を受けていた。

ここはそんな理外の民が寄り集まって、細々と暮らしていた集落だったが、兵隊たちに見つかって略奪を受けている。

彼らは愛と豊穣の女神「イドリス」を信奉する一団の兵士たちだ。イドリスを信奉する者たちの中でも派閥が多数あるらしく、その覇権をめぐって同じ神の民同士で争っているのだ。

物資が少なくなってきたところにちょうどよくこの村を見つけ、略奪に及んだのだろう。

少年は有事の際にと近くの森に作ってあった地下壕に逃げ込み、保管していた手作りの武器の数々を手に取った。

そのまま地下壕を出ようとして、少年は足を止める。

理外の民が魔法を使える者に真正面から挑んでも、勝ち目などない。村の人々にたしなめられたこと、先ほど恐怖に逃げるしかなかった自分を思い出し、結局武器を置いて時間が経つのを待った。


どれくらいの時間が経ったか、辺りも暗くなり村から略奪の音が聞こえなくなったころ。少年は自分の家に戻った。

そこには虚ろな目をした母と、物言わぬ血だるまと化した父がいた。そこら中の家から、すすり泣きと敗北の音が響いてくる。

少年は己の内に、酷く熱い衝動が湧き上がってくるのを感じた。逃げ延びた村の若者を集め、兵隊たちが駐留している平野の場所を目指した。彼が作ってきたの数々を手にして。


駐留地に着き、少年の号令で若者たちは平野近くの森に展開する。

若者の中で最も足の速かった少年は駐留地の中へと走っていき、手にしたボウガンで宴会中の兵士一人の頭を撃ちぬいた。

怒り狂った兵隊たちは少年を追いかけ、森の中へと進んでくる。

「あの子供、生かして捕らえるのだ!ちょうど収穫も足りなかったところだ、気のすむまでいたぶってやる!」

そう叫ぶ隊長格の男は、何かに蹴躓く。

「なんだ…?」

そう言いながら下を向くと、ちょうど自身の頭目掛けて飛んでくる矢を放った小人と目が合った。

「隊長がやられたぞ!あの子供、何をしやがった!」

そこらでイドリスの兵隊の悲鳴が聞こえる。


少年が作っていた武器というのは、簡単な仕組みで動くからくりであった。小さな人型の、弓を撃つからくり。魔法の使えぬ理外の民が、魔法を使える者を倒すには、多数で正確に、意表をついた攻撃をしなければならない。

そう考えた少年は、少しずつ改良を重ねこの小さな射手たちを完成させた。

魔力を感知して敵の位置を把握する魔法使いたちには、小さな射手たちの居場所はわからない。

その夜、諦めた兵隊たちが撤退するまで20人もの酔った魔法使いたちが命を落とした。理外の民の被害はなく、小さな射手が二体ほど壊れただけであった。


少年は学んだ。からくりの力があれば、自分たちを不当に支配する魔法使いたちに反旗を翻すことが出来る。母のようにすべてを諦めることも、父のように遜った挙句殺されることもない真の自由。自分にはその力があるのだと。

村に帰った少年は、若者たちと研究・試作を重ねた。やがて人と同じ大きさの機械の兵士や、人よりも大きな兵器、人が乗り込んで操縦する機械など様々な機械を作るに至る。

理外の民も少しずつ集まり、大きなコミュニティが形成されていった。


しかし、周辺の魔法を使える民は気にも留めなかった。どうせ理外の民のすることである。何にせよ徒労に終わるだろう。捨ておいても問題はなかろうと。

それこそが大きな間違いであった。最早魔法使いと渡り合えるだけの能力を持った機械を大量に生み出した少年たちは、解放戦争と称して周辺国への侵攻を開始したのだ。


刃を研ぎ続けてきた弱者と、与えられた力に胡坐をかいていた者たち。戦況は火を見るよりも明らかであった。かくて一代にて巨大国家を築いた少年——機械王。

その影響力を止めるため、魔法使いたちは彼の妻に暗示をかけ暗殺させた。

しかし時は既に遅く、理外の民の治める機械の国は魔法使いの手におえぬほど強大なものとなっていた…


死したはずの機械王は、巨大な樹の前に立っていた。足元には雲海が広がり、樹の上からは黄金の光が降り注いでいる。

『大義を為したものよ。機械の父よ。其方の名を教え給え。』

どこからともなく声が聞こえる。その声に、かの男はこう答えた。

「我が名をガギア。遍く世界に跋扈せし神を滅ぼさんとする者なり。」

これこそが、今の機械神「ガギア」誕生の瞬間であった。

—仮題:機械の神「ガギア」について 第一章—


「…い、如何でしょうかミュラー先生?」

巨大な本棚で量の壁が埋め尽くされ、巨大な窓をたたえた古臭い部屋。その部屋の中心に置かれた執務机を挟んで、青年と壮年が向かい合っていた。

ミュラー先生と呼ばれたのは、紺の制服に身を包んだつり目の壮年。椅子に腰掛けて青年に相対している、いかにも重箱の隅をつつくのが好きそうな見た目の男だ。

「ふむ、クレイドル君…いつも言っているがね。小説が書きたいのなら他国にでも渡って小説家になるといい。

実際、話の展開や心象表現などは小説のそれだ。他国の低俗な民たちからすれば目を引くものであるやも知れない、だがね!」

ミュラー先生は大声の早口でまくし立てると、胸元のワッペンを指差す。ここ、知識院のシンボルである「羽ペンと目」の意匠だ。

「我々知識院は歴史の看視者、記録者たれと智慧の神「セファロン」に見いだされた存在なのだよ。世界中から知識を求め訪ねてくるものも少なくない。

故にこそ記録は純粋にあるべきだ。事実に即さぬ、憶測の心象描写や補足はいらんのだよ。知識院を追い出されたくなければ、”事実のみ”を書いて出直してきなさい。」

そう言うと先生はこちらに背を向けて椅子に深く座った。もう出て行けということだろう。

クレイドルは特に引き下がることもなく、ミュラー先生の部屋を後にした。


塔の中、螺旋階段の中腹に位置する先生の部屋は、外に出るとすぐに窓がある。クレイドルは大きく息を吐き出しながら、窓から外を眺めた。

智慧の神セファロンの祝福を受けた人々が築いた始まりの「教室棟」。その建物を中心に、知恵の集積に必要な設備を建て続けはや数百年。

今もなお拡大を続けるこの"建物"は、1つの国家の体を為している。遠目からは巨大な城に見えるその建物を、人々はいつしか「知識院」と呼び、またそこに暮らす者たちもそれを自称した。


ここ、第八教授塔はセファロンの信徒の中でも「加護」を与えられた、教授の位にある者のみが居住を許される建物の八つ目である。

各教授はそれぞれに自身の「教室」を持っており、そこに集うセファロンの祝福を受けた「学徒」と共に活動する。

活動とは主に知識の集積であり、「この世の全てを記録すること」こそセファロンの民である知識院の至上命題である。


そしてかの先生は、神話を専門に記録している。この世界における神話とは史実であり、各摂理の成り立ちを示す重大な情報である。それこそ、知識院の記録の仕方如何によっては、同じ神の民同士で争いが起こるほどに。

クレイドルはかの師を尊敬していた。そんな重責があってなお、未だに神話を研究しその智を世界に記録し続けているのだから。まとめ方も簡潔でわかりやすい。神話を研究する者にとって、ミュラー教授は一つの到達点であった。


クレイドルはそこまで思案し、また1つ大きな溜息をつく。だからこそ、ミュラー先生の言うこともわかるのだ。自分の脚色1つで多くの人が命を落としたなんて事があれば、あまりにも笑えない。


しかし、自分たちの集積した知識を、より多くの人に興味深く読んでもらうためには...多少の脚色は必要だとも思うのだ。

それに、セファロンが誕生したのはほんの数百年前。それより以前に誕生した神の歴史を、知識院は伝聞でしか持ち合わせていない。であれば逆に、争いが怒らぬように脚色を加えることも、知識院の仕事なのではないか。


...まぁ、知識院の学徒である以上師事する教授の意向には逆らえない訳だが。クレイドルは最後にもう1つ溜息をついて、その場を後にする。


クレイドルが向かったのは第八学徒寮。その名の通り、第八教授塔におわす教授に師事する学徒が住む寮である。

その食堂にて、クレイドルは考え事をしながら食事を摂っていた。


「よう、その様子じゃ今回の選定会議も溢れたな、クレイドル?」

そんな彼に気さくに話しかけてくる学徒が1人。

揃いも揃って不摂生で眼鏡をかけた知識院の学徒にあって、珍しく身なりに気を遣っている好青年。逆に周りからは非効率だと言われるが、そんな事を気にしない我の強さもある。


「やあノーマン...今日も元気そうだね」

その学徒の名はノーマン。第八学徒寮随一の好青年であり、クレイドルの数少ない友人であった。

「それに比べて我が友人の小説家は随分と気落ちしているようだ。」

食事をしながらこちらも見ずに答える友人に対し、ノーマンはふざけた様子で返す。負けじとクレイドルも視線を上げ、冗談を返した。


「まぁ、ミュラー先生の元で学べているというだけでありがたいし、先生の言うことももっともなんだけどね…。

優男はいつも通りなようで何よりだよ。」

小説家、優男というのは、周りの学徒達がクレイドルとノーマンを揶揄する時の侮蔑を込めたあだ名だ。だがこの通り、二人の間で冗談として使うほどになんとも思っていないのであった。


「そうでもないさ。教授がこの間変わってな。最近加護を受けた新しい教授らしいんだけど、俺が色々知識院のこと教えてるんだ。」

そう言うノーマンは本当に大変そうな様子だ。

「なんと言うか…知識院の事どころか、ここの学徒以上に世間知らずでさ。子供に色々教えてる気分だ。」

溜息をつくノーマンに、どことなく共感を覚えるクレイドル。

「...どこの教室も大変だな...」

クレイドルの諦観の念すら籠った一言に、男たちは揃って溜息をつくのだった。



数刻後、始まりの教室棟。知識院に所属する全教授が集まり、セファロンの摂理により生まれし形なき図書館「コーデックス」に所蔵する本の選定会議が行われていた。

コーデックスはセファロンの摂理に属する者であれば誰でもアクセス可能な知識の保管庫である。そのものに実体はなく、智慧の摂理がある限り消失もしない。

そしてこの選定会議は、各教授陣が学徒と共に作成、編集、編纂した書物を、コーデックスに所蔵する誉れを得られるかを決める会議である。


年に二度開かれるこの会議のために、知識院の面々は日夜しのぎを削っているのだ。

『諸君、今回も実に有意義な会議となった。それでは、此度の選定会議はこれまでにしようか。』

参加している教授陣の頭の中に、直接女性の声が響き渡る。外部からは聞こえないその声を皮切りに、教授陣は続々と立ち去っていく。

この声こそは、コーデックスの司書にして初代かつ現知識院学長のソフィア学長である。その司る図書館と同じく、もはや実体を持たぬ彼女であるが、その権威は今もなお健在であった。


『ミュラー、今回も君の教室は提出した冊数が少なかったね?』

そんな彼女に、ミュラー教授は呼び止められる。別にコーデックスを介していつでも話しかけられるのだから、今でなくとも良かろうに。そんなミュラー教授の思考はもちろん彼女にも伝わっていた。


『いやいや、選定会議にあれだけの数を提出する多忙な君を引き留めるのは心苦しいのだがね?学長としては教授陣の管理も仕事のうちゆえ仕方なくね?』

皮肉たっぷりなソフィア学長の言い草に、ミュラーは不機嫌そうな顔になりながら席に着く。

「我が教室では量より質を重視しておりましてね。実際、選定された数自体は周りの教授と大差ないはずです。」


ミュラー教授の厳しい指導ゆえ、彼の教室から提出された本の数は少ない。しかし、コーデックスへの登録数は、提出された本の内の割合で言えば、知識院トップクラスなのである。


『もちろんもちろん、把握しているとも。だからこそ、より多くの本を提出してくれればより嬉しいのだがね?

例えばほら、君のところに来てまだ日の浅い…クレイドル君だったか?彼の書く本は、知識院においては非常に興味深いものに思えるのだが。』


その言葉を聞いたミュラー教授は、より一層不機嫌そうな顔になる。

「彼の作風は…いささか不安定に過ぎます。事実を記録することこそが我々の務めであり、コーデックスには事実のみを記録すべきです。」

ソフィア学長はまるで初めて歩かんとする赤子を見ているかのような、慈愛の顔でミュラー教授を眺めている。

そんな二人——ミュラー教授の元に、訪ねてくるものが一人。


「あの…学長、この方でしょうか?」

不意に聞こえたその弱弱しげな声に、ミュラー教授は振り返る。すると、立っているのに座っている彼と同じくらいの高さの、小柄な女性が立っていた。


「貴女は確か…つい最近配属された、新任の教授ですね。お名前は確か…」

ミュラー教授が名前を思い出そうとすると、それには及ばぬと言った様子で女性が慌てて名乗る。

「リーリカです!研究のテーマは…教育、です。」

リーリカ女史の自己紹介を聞き、ミュラー教授はハッとしたような顔をする。


「教育、ですか…。イスタリス大陸における教育水準の低さは、知識院としても憂慮していた事態です。知識を集積しても、それを読む者がいなければ意味がありませんから…。

お若いのに大局が見えていらっしゃる。いやはや、ご立派なことだ。」

言いながら、椅子を引きリーリカ女史に座るよう勧めるミュラー教授。リーリカ女史は促されるまま椅子に座り、ミュラー教授に相対する。


「それで、新任の貴女が私にどのような要件でしょうか?」

将来有望な後輩にして同僚を前にし少し浮ついていたミュラー教授だったが、別の人物から継がれた言葉に先ほどの嫌な気持ちを取り戻した。

『君のところのクレイドル君を、リーリカ君に任せてみないかい?』



翌日、ミュラー先生の部屋。昨日から全く文を書き換えられていないクレイドルは、酷くおびえながら教授と向かい合っていた。

「あ、あのミュラー先生…言い訳するわけではないんですが、昨日の今日でまだ全然書けてなくですね…

あと一週間いただければそれなりに形にはなると思うのですが…」

口を開いたクレイドルに対し、ミュラー先生は手を挙げてその言葉を制止した。


「…いや、昨日の本の件ではない。むしろとりあえずあれはあのままでいい。

今日は君の意思を確認したくてね。」

いつになくゆっくりと話すミュラー先生の様子に違和感を抱きつつ、クレイドルは頷きを返す。そんなクレイドルの様子を確認し、ため息をつきながら応える。


「別の教授の元で学んでみる気はないか?」

その言葉を聞いた途端、クレイドルは今までにない勢いでミュラー先生に詰め寄る。

「な、なんでですか先生!それは今まで本の一冊も出せていませんけど…!み、三日後!三日後に書いてきますから!」

捨てられそうな幼子のように、縋りつくような様子のクレイドル。ミュラー先生はそんな彼の様子に面食らっていた。


「…驚いたね。まさか君がそんな反応をするとは。てっきり私は嫌われているものとばかり思っていたが。」

クレイドルは心外だと言わんばかりに胸を張り、普段からは想像できぬほど大きな声でまくしたてる。

「そんなわけはありません!先生の書かれた本はどれも非常にわかりやすく、それでいて詳細に書かれています!教室に入ってからだって、意見の合わない部分があっても熱心に指導してくださいました!

神話についての本が書きたい僕にとって先生は、尊敬こそすれ嫌うようなことはありえません!」


わかったから落ち着いて座りなさい、とミュラー先生はなんとかクレイドルを落ち着かせる。一呼吸おいて、先生は詳しく説明し始めた。


「別の教授というのは、新任のリーリカ教授のことでね。彼女は教育をテーマとするらしい。そこで、幼子や学の無いものでも安易に神話を教える方法はないかと問われたのだ。

学長とも相談してね。君の物語のような書き方が適切なのではないかという話になったのだよ。…向こうであれば君の才能は遺憾なく発揮できるだろう。歴史の裏付けとしてではなく、多くの者に神話を伝えるためだとしたら、多少の脚色も問題はあるまい。

内容について疑問があれば相談にも乗ろう。まぁ…史実に基づいた推論にはなるが、出てくる人物の心象も共に考えよう。いかがかな?」


そこまで聞き、少しの間が空く。クレイドルは今の情報を必死に自分の中で消化しているようだった。そして、意を決したように口を開く。

「…一つだけ、質問があります。所属はどこの教室になるのでしょうか?」


祈るようなクレイドルの様子に、思わずミュラー先生の頬が緩む。この青年は、本当に自分のことを尊敬してくれているのだな、と。同時に、彼に伝えていない事実を後ろめたくも感じていたが、今はそんな感情を押しやり回答すべき時だと口を開く。

「もちろん、私の教室のままだ。我が教室所属の学徒には引き続き厳しい指導をするつもりだが、いいかね?」


そこまで聞くと、クレイドルは安心したように大きな息を吐いた。どうやら、腹は決まったようである。

「…でしたら、リーリカ教授の元で本を書いてきます。この世界の神話を、一人でも多くの人に届けるために!」


クレイドルが立ち去った後、一息つくミュラー教授。紅茶を入れ、窓から外を眺めながら嗜んでいると、頭の中に鳴り響く声。

『嫌われていなくて良かったじゃないか、ミュラー君』

「プライバシーの侵害ですよ、学長。」

いつもならもっと不快なはずのその声も、今日ばかりはいくらかマシなのであった。


第1話 -完-

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