中編
「さっきのチビは?」って、車を運転してたお兄さんがやってくる。
「ん、ここ」と、お姉さんがぼくを指さす。
「こいつ、自分がここに連れてこられた意味わかってんのか?」
「さあ? もしかしたらわかってないかも」
お兄さんはいまいましそうに舌打ちして、「ほんとにこいつか?」って吐き捨てるように言う。
「見せたほうが早いかも」ってお姉さんが言って、頭をのけぞらせるようにしたかと思うと、お姉さんの鼻のあたりが盛り上がってきてマズルができあがる。
変わったのはそれだけじゃなくて、髪のあいだからは三角に尖った耳が生え、口のなかには牙が、指先には爪が伸びて、皮膚は青色が混じった毛におおわれていく。
それはどこかで見たことのある狼みたいだった。狼と違うのは、人間みたいに二本足で立ってることと、服を纏ってること、ことばをしゃべっていること……
「ルー・ガルーって、言ってわかるかな」
お姉さんがぼくに訊くが、ぼくは驚いて声が出ない。
「狼男って言ったほうがわかんだろ」
声がした方をみるとお兄さんもおなじような姿に変わっている。
「わたし"男"じゃないし〜」ってお姉さんのブーイングを、お兄さんは「呼び方はなんでもいい」と切り捨て、ぼくのほうを見おろして言う。
「見てのとおりおれたちはふつうの人間じゃない そしておまえもな」
(おまえもな……?)
ぽかんとしているぼくを、お兄さんは怪訝そうな顔でみる。
「おまえ、まさかその擬態、自覚してないのか?」
よくわからない言葉だった。
「ぎたい、って……?」と、やっと絞り出すような声で訊くと、お兄さんは「マジか……」と驚き、「人間の格好になることだよ」と教えてくれる。
「よくこれまで生きてこれたな」と心底呆れてるって感じで言われた。
「ぼくも、その、狼みたいになるの……?」
恐る恐る訊いてみると、
「いや、それはおまえが知らなけりゃおれたちにもわからん おれとこいつはたまたまおなじ狼だってだけだ」と、お姉さんを親指で指しながら言う。
「そそ、ここにはいろんな子がいるからね」とお姉さんが相づちをうつ。
そういえば、と思い出して「さっき通ってくるときにみた子たち、もですか?」と訊くと、「彼女たちはふつうの人間で、われわれ〈獣人〉の協力者だ」「だから彼女たちは〈表の部屋〉に住んでいる」とのこと。
目の前で起こってることも、言われてることも、何もかもわからない。頭を抱えたくなるってこういうぐるぐるした感じなんだ……
「あ、ちょうどいいや」
遠くをみて、お姉さんが「おーい」と声をあげる。
二人の人影(もうそう言っていいのかわからないけど)が近づいてくるのが見える。
背が高く痩せた髪の毛の長い男の人と、そちらとは対照的にずんぐりした体つきのよい男の人。
お姉さんは、「ねね、今日からいっしょに暮らす子」とどこかでも聞いたふうにぼくを紹介して、「こっちの背の高いひとはボルゾイでぇ、あ、ボルゾイわかる? 毛の長い大型のワンちゃんね で、こっちのガタイいいほうのひとがニシローランドゴリラのヒガシくんだよ ウケる」と二人を紹介してくれる。
ぼくはごにょごにょ「はじめまして」ってあいさつをする。
ボルゾイはやさしげな茶色の瞳でぼくを見つめながら「よろしく」と声をかけてくれ、ヒガシくんは哲学者(?)のような風貌で静かに頷き、二人の狼をみて、「巡回にいってくる」と告げる。
「ああ、頼む」「ごくろうさま」と声をかけられ出かけてゆくボルゾイとヒガシくんを見送る。
ぼくが「じゅんかいってなに?」と訊ねるまえにお兄さんが話し出す。
――〈獣人〉は世の中にけっこういて、本人がうまく適応している場合は問題ないが、なかには〈獣人〉の力を悪用するやつもいるし、自分が〈獣人〉であることを受け入れられず自分や他のやつに危害を加えるものもいる。おまえがそうだったように 大半の人は〈獣人〉の存在を知らないまま暮らしている。知られないようになってるからな。〈獣人〉は「不都合な真実」らしい。厚生労働省は保健所に特務機関を設置して、暗暗裏に〈獣人〉の処分を遂行している。自分たちは〈獣人〉を守り、人間と共存できるようにするための活動をしている。ここは、どこにも居場所がなくなったり、もとの場所で生きていく自信がなくなった〈獣人〉たちが安心して暮らせるようにつくったハイダウェイだ。巡回はここが必要な〈獣人〉を見つけるために行なっている。おまえも巡回で見つけたんだ――
ぼくは、お兄さんが言った「おまえがそうだったように」が「自分や他のやつに危害を加えるものもいる」の方を指しているように聞こえた気がしたけど、聞きまちがいだよね、と深く考えないようにする。
そうやってぼくの〈隠れ家〉での生活ははじまった。
何かにつけあれこれかまってくれる青い狼のお姉さんに、ぼくはよく懐いた。
ぼくが獣の姿に変わることはまだなかったけど、他人(?)との触れ合いはあたたかく、ほんとうの家族ってこんなかなって思えて、すべてが平和だった。
そう、あのどすぐろい〈悪意〉が浸蝕してくるまでは――
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