感動に善悪があるのか?


 大きな反響を生んだ漫画作品「ルックバック」。

 どこが優れていたのか、そしてなぜ個人的に受け入れられなかったのかを示していく。

 さまざまな含蓄を含んだ評論。



 三浦雅士著「幻のもうひとり」にこのような記載がある。


 悲惨とは距離の問題である。悲惨な目に遭っている当人……例えば事故や病気などに遭った当人は、意識が朦朧としていたり、恐慌状態にあってそれどころではない。悲惨……何かを「可哀想だ」と感じる人物とは、悲惨本体から距離のある人物なのである。


 三浦氏はここから、写真を例に出しながら、悲惨の第三者性を述べている。語弊を恐れず言うのなら、安全圏から眺めることで初めて成立するということだ。

 プロのカメラマンはその場の雰囲気、臨場感をそのまま切り取ることが出来るという。それは写真を通じて見るものに語りかけ、大きな感動を生む。
 それが如何に悲惨な現場であっても。

 良い写真を撮るためにわざと事件を引き起こすなどせずとも、悲惨を撮るカメラマンにはカルマがある。その場を前にしても、あくまで第三者(赤の他人)的にカメラを構えること。
 その行いは使命なのかもしれず、または見る者の要望なのかもしれない。


「事件」を含んだ創作物もまた、同じ重荷を背負う。

 優れているほどに、英雄的であるほどに、その被写体が抱える悲惨は、見る者の感動に……熱狂に繋がるのだ。

 心を打ち震えさせることの是非を、一読し考えていただきたい。