夏の話



「暇ですねえ、先輩」

「暇だな」

「……こんなに暇で、この店、大丈夫ですかね?」

「知らん」


 潰れたら、また別のバイトを探すだけだ。

 楽そうなやつをな。


「でも大谷、俺は月・水・金の夕方しか入ってないが、たまに土日にヘルプで入ると、そこそこ忙しいぞ」

「知ってますよ。私は水・金の夕方プラス、土曜の昼間ですから」

「ああ、そうだっけ」

「シフト表くらい見てくださいよ」

「見てるさ。自分以外のシフトは覚えてないだけだ」

「一緒! 見てないのと同様!」


 そう言われても、他人のシフトなんて、どうでもいいことだと思うが。


「先輩はいつから、ここで働いているんですか?」

「いつだっけな。高一の夏頃かな。七月頭からだっけか」

「じゃあ、もう一年ですか」

「そして、あと一年だ」

「唐突! 何故!?」

「勉強に集中する為だよ。一年後って言えば、高三の夏だぞ? バイトなんてしてる暇はない」

「先輩って、進学志望だったんですね。意外」

「……さてはお前、俺のこと、馬鹿だと思ってたな?」


 これでも成績は良い方なんだ。


「お前は進学するのか?」

「するつもりですねえ」

「できるのか?」

「辛辣! できますよ、大学進学!!」


 大谷は、頭一つ以上低い位置から、茶色く大きな目で俺を見て言った。


「私がバイトをしてる理由って話しましたっけ?」

「聞いてないが、同時に興味もない」

「大学生になったら、一人暮らしをするつもりなんです。その時の為にお金を貯めてるんですよ」

「聞いてないんだが……」

「ちなみに私の高校、バイト禁止です」

「……俺はお前の話を聞いてないが、お前は俺の返答を聞いてないな?」


 ディスコミュニケーション極まれりって感じだ。


「先輩の学校はバイト、OKなんですか?」

「NGと言われたことはないから、OKなんじゃないのか」

「でも、その理屈だと、殺人もOKになりません? 少なくとも私は『人を殺すことはいけないことだ』と教えられた経験がないですよ?」

「急に物騒な話になったな」


 俺、そんな物騒なこと言う奴と働きたくねーよ。

 シフトの確認って大事だと分かったわ。


「そういう犯罪行為に関しては、『人の嫌がることをしてはいけません』っていう、保育園で習う内容に内包されているだけだろ。高校で習う内容で言えば、部分集合ってやつ」

「ぶぶんしゅーごー……?」

「今の発音、めっちゃ平仮名だったな」


 まだ習ってなかったか?

 それとも、コイツが忘れてるだけか?


「馬鹿にしないでくださいよ! 私、これでも数学部に所属しているんですから!」

「なんだよ、その変な部活」


 数独でもするのか?


「数学部というのはですね、美人の先輩が私に数学を教えてくれる、なんとも素敵な部活なんです」

「じゃあ大谷は数学が得意なんだな」

「いえ全然」

「だと思ったよ」


 予想を裏切らない女だ。


「聞いた限りだと、その美人な先輩とやらは、お前に自分の勉強の時間を奪われてるんだな」

「表現! ……う、でも確かに、そうとも言えるかもしれません……」

「……悪い言い方をしちゃったが、それが数学部の活動なら、いいんじゃないのか? 後輩を指導するのは先輩の役目だろ」

「そうですよね。そう言ってくれて、安心しました」

「そりゃ良かった」

「これからもテスト前だけは部室に行こうと思います!」

「その体たらくで幽霊部員なのかよ、お前」


 いや、幽霊部員だからこそ、数学が苦手なままなのか?


「そう言えば先輩、最近は何も教えてくれませんね」

「何の話だ?」

「私がここに来たばかりの頃は、仕事のこと、色々と教えてくれたじゃないですか。あの時期、私の好感度は急上昇してましたよ? 優しい先輩だなあ、って」

「優しくはなかったと思うがな。普通だよ、普通。今は、もう教えるような内容がなくなっただけだ」

「仕事以外のことも教えてくれていいんですよ? ほら、勉強とか。もし勉強を見てくれたら、私の好感度が10……、いや、20は楽に上がりますね!」

「お前の勉強を見ることで俺の偏差値が上がるなら、それも考えるんだけどな」

「私の好感度より自分の偏差値ですか!?」

「そりゃそうだろ」


 お前の好感度を上げたところで何があるって言うんだよ。


「俺は俺の成績で手一杯で、お前に勉強を教えてる暇はない」

「残念ですねえ。ところで、先輩はどうしてバイトを?」

「ああ、うちの家、決まった小遣いがないんだよ。遊びに行く時や欲しいものがある時に、その都度、貰う方式なんだ。でも不便だろ? だからだ」

「なるほど、遊ぶ金欲しさですか」

「その通りだが、なんでわざわざ悪い言い方をした?」


 さっきのお返しです、と大谷は小さく舌を出してみせた。


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