第4話 中国人女性の作文

①「新しい仕事にチャレンジ」○○○

 → 拙著「畏るべし中国人」 夜間中学訪問記 V.5.2 参照


②「一泊校外学習に行って、思い出した」○○○


夜間中学の一泊校外学習で徳島県と香川県へ行かれた話です。

初日は、天理駅に集合しバスで高速道路を走り、明石海峡大橋を通って淡路島へ、そして大鳴門橋で四国へ渡り、うずしお観潮線船で鳴門の渦潮を見た。


 「渦ができては消え、できては消えるのを見ていると、人の気持ちと同じだと思いました。ずっとはありません。」


外国人故、言葉が足りないのは仕方がないとしても、これだけ簡潔に核心をついたことが言えるというのは、やはり中国人ならではでしょう。

「国破れて山河あり(春望)」。大自然(神)に触れることで、自分たち人間のことを想起する(思い起こす)。さすが杜甫や李白と同じ中国人。ゼニカネだけの米韓とはちがいます。

「天気が良くて気持ちも良くて心まできれいに洗った(洗われた)ような気持ちになりました。」

昼食後、阿波踊り会館で阿波踊り体験


「阿波踊りはきれいで、見てるのは楽しかったけれど、自分で踊るのは難しかったです。」

  ストレートで正直な感想だと思います。

  私(平栗)自身、数年前徳島で阿波踊りを見て感じたのは、彼ら(特に女性たち)の阿波踊りとは、技術で踊っているのではない、魂の躍動である、ということでした。青森のねぶた祭の踊りとは、観光客相手の踊り(人に見せるための踊り)であって、駅前とか町の中心地ではおもいっきり踊っているのですが、人がいなくなると途端に元気がなくなってしまう。

ところが、阿波踊りの場合、踊り手自身が楽しんで狂気のように乱舞している。人が見ていようといまいと、狂ったようにして踊りを楽しんでいる、という場面を私は見ました。たまたま出遭ったドイツ人は、これをして「狂気の中の秩序」と踊り手たち日本人を讃えました。

その意味では、中国人のみならず、外国人、或いは私たちよそ者が、見よう見まねで(頭で)踊っても「阿波踊り」にはならない。

阿波踊りとは一人一人の狂気ともいえるほどのパワフルな魂が何百人という塊となり、整然と・秩序だった数学の行列・幾何模様を現出するところに、その醍醐味があるのではないかと思います。



続く

2024年11月27日

平栗雅人

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日本に帰化した中国人(のおばさまたち)で知る中国 V.3.1 @MasatoHiraguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る