ダメ男、アメリカに行く 〜逆境に立たされたボイストレーナーの逆襲〜
十色
第1話 ダメ男、決意をする
2024年 3月 20日
沖縄の気候とは違って、やはり神奈川は肌寒い。ジャケットを羽織るだけでは無理だ。
「くそっ、めっちゃ寒いじゃん……」
そんなことを、一人ごちる。ジャケットのポケットに手を突っ込んみ、寒さで体を丸めながら。
「やっと着いた……」
少ししか日数も経っていないはずなのに、やたらと久し振りに感じる我が城、もといアパート。広いとは決して言い難い、というかかなり狭い。有体に言えばボロアパートである。間取りも1Kだし。
「さすがに沖縄は遠い……駄目だ、疲れた」
どうして沖縄まで行ってきたのかというと、仕事である。俺はボイストレーナーなのだ。今回は沖縄に住む19歳の女性から依頼を受けてのことだった。 彼女は声――歌声の出し方に悩んでいた。遠かろうと、悩んでいる人を放っておくわけにはいかない。仕事であればどこにでも行くというのが俺のポリシー。もちろん出張費はいただいたけれども。
「帰ってきたのはいいけど、さすがに酷い部屋だな。でも片付ける余裕なんてないし」
1Kの狭い一室。希望と絶望が交差する異様な雰囲気に包まれていた。研究資料やタバコの吸殻で埋め尽くされているデスク。部屋中に散らばる公共料金やカード支払いの請求書。いつ着たのか覚えていない、脱ぎ捨てられた洋服の数々。
「クソッタレが」
そう吐き捨てるように呟き、少し目線を上げてみる。壁に貼ってある1枚の紙が視界に入ってきた。その紙には『一年後の自分! 日本全国を飛び回る大人気カリスマボイストレーナーに俺はなる!』と、汚い文字で、しかし力強く刻まれていた。
そう決意してから一年が経とうとしているが、俺は実際にボイストレーナーになることができた。そこは自分を少しだけ褒めてやりたい。しかし、『まだ一年しか経っていないのか』というのが実なところである。
そう決意してから一年が経とうとしているが、その目標は達成した。現在の俺は全国を飛び回るボイストレーナー。北海道から沖縄、大阪、山口、挙げていけばきりがない。一人の無名な男が、ひとつの決意をきっかけに、まるで奇跡の様な一年を駆け抜けてきたのだ。
と、この話だけを聞けば、きっと素晴らしい結果だと言ってもらえるだろう。素晴らしい人間だと思ってもらえるかもしれない。
しかし、現実は決して輝かしいものではなかった。 高い志と、そして熱い情熱を武器に、声に悩む人々に全力で向き合ってきた。その姿勢は認めてもらえるだろう。少なくとも、自分では認めている。
だがしかし、である。二面性というものが人には必ずあるものだ。俺、平良一徳が持ち併せている、もう片側の一面。それは夜な夜な酒に明け暮れるという、だらしのない性格であった。
その一面によって、俺はいつも金に困らされている。 1日に売り上げた金額以上の金額を、その日の内に飲み屋に落としてくる。そんなのは最早、日常茶飯事だ。それが原因で、様々な月々の支払いが滞る始末。我ながらに思う。はっきり言って、クズだ。クズ人間だ。
自業自得なのは十分に理解はしているつもりなのだが、不治の病にでも掛かってしまったかのように、俺はいつだって落ち込んでいた。 沖縄で頂いたレッスン費用も、電気代やガス代、インターネットの通信費を支払えば、すぐに消えて無くなる。 努力を惜しまない“平良一徳”の足を、いつだって、だらしのない“平良一徳”が引っ張っている。理想の姿になることを自分自身で邪魔をする。なんて馬鹿馬鹿しいことなのだろう。
このままでは駄目だと解っている。しかし、抜け出すどころかどんどん深みにはまる。これは泥沼だ。欲望に支配された底無し沼だ。
「はあー、どうするかねえ」
重く深い溜め息をつきながら、煙草に火を着ける。まるでそれが合図のように、デスクの上でスマートフォンの着信音が鳴り響く。友人の大木武志オオキ タケシからの着信だ。
俺はすぐに応答。
「おー平良! お疲れ様! 今さ、仕事で丁度柏に来てるんだけど少し会えないかな?」
「なんだよ、どうかしたのか?」
「いいや、別に。単に暇なんだよ。どうせ平良も暇なんだろ?」
コイツ……勝手に俺を暇人扱いかよ。まあ、その通りなんだけどな。でも大木に言われると認めたくなくなるな。小さなプライドに火がついてしまったじやないか。
「いやー、それが暇じゃないんだよー。さっき沖縄から戻ってレッスン内容をまとめている所でさ。まぁ、あと30分もあれば纏まるんじゃないかな」
本当は飛行機の中で既に纏め終わっているんだけどな。本当に厄介なプライドだよ。
「了解! それじゃー駅前のいつものカフェで待ってるから適当に来てよ! 頼むねー!」
そう言い残して大木は電話を切った。
大木の声はいつも明るく、頑張っているのが伝わってくるイキイキとしている。ファイナンシャルプランナーの資格を武器に、個人事業主という立場から多くの人の人生設計を手伝う仕事をしている。
大木とは長い付き合いになる。友達、いや、親友と言ってもいい。過去には一緒にバンドを組み、その活動に青春を捧げた相棒でもある。
「まあいいか、もう外に出よう」
脱ぎ捨てられて間もないジャケットを羽織り、俺は約束のカフェへと向かった。10分も経たずに到着してしまうものだから、『なぜ、予定があったにも関わらず、こんなに早く到着出来たのか』という言い訳を考えながら。
ダメ男、アメリカに行く 〜逆境に立たされたボイストレーナーの逆襲〜 十色 @toiro_8879
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