友よ

@Sekiden56

第1話 カフェ○○邸で友と待ち合わせる

 満蒙開拓団の本を読んだせいか、一歩間違えてしまうと国策には、あのような残酷な結末が待っているのかと、俺は、後戻りすることのできないその運命、衝撃的な出来事の原因、そして、その責任の所在を考えながら街へと続く一本道を歩いていたのだった。

 この道の先には、高さのまちまちなコンクリート造りの古びた建物が所狭しと続いている。程なくして、ビルとビルとの間に、広い空間が開いている場所が、見えてきた。確か、正面には、カフェ○○邸という飾り文字のある看板が掲げられていたな。―――あれだ。


 右を見ると両サイドに駐車場、中央に芝を配置した洋館がぽつんと佇んでいる。芝を貫く小道の先が、カフェ○○邸である。ようやく着いたようだ。俺は、店のドアを引いた。突然、軽やかな音色が辺りに広がった、と同時に、奥のほうからは「いらっしゃいませ」の甲高い声が響き渡った。天井が高く、随分、古い木造建築だとは思うが、戦中、戦前までは、旧○○邸として使われていたらしい。隣町に住みながらも、友からこの話を聞くまでは、まったく知らなかったことである。

 出入り口を背にするようにして、近くのボックス席に腰を下ろした。あの話が、ふと、浮かんでくる。ここで待ち合わせている友によれば、彼は2人兄弟で、すぐ下に弟がいるという。その弟に、あの鈴の本来の用途を聞いたことがあると話していた。いつだったか、友は、俺にそのことを語ってくれた。


 もともと、この鈴は野生の捕食者から家畜を守るために、とくに牛の首にぶら下げて使うもので、これを付けることによって、放牧した牛の消息がわからなくなったときに重宝するものと言っていた。つまり、牛の安全や持主を特定するのには、なくてはならない道具であるとのことだった。―――「この鈴をカウベルというんだ。この鈴には、他にも利用方法があって、知ってのとおりドアに取り付けたりして使うこともできる。実際、知らないという人は、そんなにいないんではないかな」と続き、旧○○邸が、大正期にロシア人の私邸として建てられたその経緯と共に、俺に説明してくれたのである。しかし、なぜ、友がこの館のいわれについて詳しいのかは、わからなかった。この店がまだできていなかった子どもの頃、この付近まで彼は、時々、母親に連れて来られることがあった、と以前に聞いたのを想い出していた。


 ――― 一通り、話し終わると、得意気に俺の顔を見た友だったが、牛の知識なら、当然、俺のほうが持っているだろうくらいのことは、わかっていた。だが、あまりにも、説明に没入している友の顔が、俺には嬉しくて、気分を壊してはいけないという思いから、何も言わず、ただ、友のしゃべりに耳を傾けていたのだった。

 しかし、この鈴をドアに取り付けて利用するなんてことは、あれから2年になるだろうか、友に誘われ、この店に入る前までは、まったく知る由もなかったことだ。都会に暮らしている以上、都会人だと自負していたつもりだったが、そのとき、改めて、俺は、いつまで経っても都会人にはなり切れない何かを持っているのではないかと思った。多少のショックはあったものの、仮にそれが田舎臭さというものであれば、それはどこかに残るもので、時の経過によって消えて行くものでもない。まして擦ってとれるものでもない。俺の場合は、捨て切れぬ故郷への哀愁と都会人であるという現在との狭間にあって、どこか心の奥底で新しいものを拒絶しようとする思いが、そうさせているのではないか。それゆえ最初に俺を育ててくれた、あの大地に広がる田舎臭さには勝てるわけもないし、そこから発せられる俺の肌に染み付いた頑固な臭いは、俺の強みであるのではないかとも・・・。だとすれば、これは、誰も気づかぬ自分の心の中にある龍涎香のようなものかもしれないと考えた。


 このように頭を巡らせていると、俺のその思いに相槌を打つかのようにして、あの歌が聴こえて来る。吉幾三の《東京へ出だなら銭こあ貯めで東京で牛買うだ》のフレーズが、気づかぬうちにリフレインと化し、頭の中を流れて行くのである。なすがまま、なされるがまま心に香り立つそのフレーズに、あの頃の自分を重ね合わせていた。

 放牧していた牛の心地よいあの鈴の音が聴こえては遠ざかり、遠ざかっては聴こえて来る。しかし、この心に染み入る余韻は、そう長くは続かなかった。何を勘違いしたのか、鈴が、このとき突然、音を増幅させたのである。俺は、音のする方角に目をやった。一人の男が入り口の付近に突っ立って、なにやらキョロキョロ店内を見回しているではないか。俺はすぐに友だとわかった。友も俺を見た。俺は友にわかるように手を挙げた。

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