第3話 森の国への道

 氷の門を越えたセリオンとリュミアの前には、雪原が広がっていた。冷たい風が吹き抜け、周囲には森の影が遠くに見えるだけだった。ここからザイレンの森の国までの道のりは、それほど長くはないはずだった。しかし、この地帯は安全とは言い難い。門を越えた瞬間から、未知の脅威が彼らを待ち受けていた。


「ねえセリオン、私たち、ちゃんと通行許可なんて取れると思う?」

 リュミアが歩きながら問いかける。その表情はどこか楽しげだが、口元には少しだけ不安の色もあった。


「正直、分からないな。」

 セリオンは剣の柄に手をかけながら答えた。「俺たちの身元を証明できるものは何もない。関所を突破する方法を考えないといけないが、今はとにかく近づいてみるしかない。」


「まあ、もし何かあったら私に任せてよ! 頼りになるでしょ?」

 リュミアは胸を張ってみせるが、セリオンは軽くため息をついた。


「お前の“頼り”が、どれだけ役に立つかだな。」

 皮肉っぽく言いながらも、その口調はどこか柔らかい。二人の間には、軽口をたたき合えるほどの信頼があった。


 森に近づくにつれて、木々が少しずつ視界を覆い始めた。その時――


「助けてくれ!」

 突然、遠くから声が響いた。セリオンとリュミアは即座に足を止め、声の方向に目を向ける。


「どうする?」

 リュミアがセリオンを見上げながら尋ねる。その表情は真剣だ。


「行くしかない。」

 セリオンは即答すると、剣を抜き放ち、声のする方へ駆け出した。リュミアもその後を追う。


 木々の間を抜けて進むと、開けた場所に出た。そこには、一台の荷馬車が倒れ、数人の商人と護衛らしき者たちが狼のような獣型の魔物に囲まれていた。魔物は体毛が黒く、目は赤く光り、その牙は鋭く獲物を求めていた。


「見ろよ、セリオン! あいつら、結構ヤバそうね。」

 リュミアが興奮混じりに言う。


「余裕そうに見えるのはお前くらいだ。」

 セリオンは短く返すと、即座に行動に移った。「リュミア、援護しろ!」


「了解!」

 リュミアは手にした短剣を握りしめ、素早く木陰に回り込む。


 セリオンは剣を構え、魔物の一匹に向かって一直線に駆け込んだ。その動きは迷いがなく、一直線に魔物の側面を狙う。刃が一閃し、魔物の黒い体毛を切り裂く。


「ぐるる…!」

 魔物がうなり声を上げ、鋭い爪を振り下ろしてきたが、セリオンは一瞬で身を引き、その攻撃をかわした。


 その隙にリュミアが動く。木陰から跳び出し、魔物の背後に回り込むと、短剣を突き立てた。「ほら、こっちを見なさいよ!」

 魔物が振り返った瞬間、リュミアは素早く距離を取る。


「油断するな!」

 セリオンが声をかけ、再び剣を振り抜いた。二匹目の魔物も彼の攻撃に倒れる。


 残った魔物たちは、襲撃者の強さに警戒し始めたのか、低く唸り声を上げながら後退を始めた。


「どうする? 追い払うだけでいいんじゃない?」

 リュミアが息を切らせながら提案する。


「そうだな。無駄な殺しは避けよう。」

 セリオンは剣を収め、じっと魔物たちを見つめた。

 魔物たちは最後に一声吠えると、森の奥へ逃げ去っていった。




「助かった…本当にありがとう!」

 倒れた荷馬車の近くで、商人の一人が礼を述べた。彼は中年の男性で、多少の傷を負っているものの命に別状はなさそうだった。


「怪我人はいるか?」

 セリオンが簡潔に尋ねる。


「いや、大丈夫だ。だが、馬車が壊れてしまった。このままではザイレンの森まで行けない…」


 リュミアが手を振りながら言う。「ねえ、ちょっと待って。その荷物ってザイレンの森の関所に向かうもの?」


「そうだ。森の関所で納品する予定だった。だが、このままでは…」


 セリオンは少し考え込み、リュミアの方を見た。「俺たちもザイレンの森に向かう予定だ。もし必要なら、関所まで同行する。」


「それは助かる! 君たちがいれば、魔物に襲われても安心だ。」

 商人は安堵の表情を浮かべた。


 森の近くまで商人たちと共に進んだセリオンとリュミアは、荷馬車の周りで一息つくことにした。商人たちは荷物の状態を確認しながら、互いに安堵の声を漏らしている。


「改めて、助けてくれてありがとう。本当に危なかったよ。」

 商人の一人、中年の男性がセリオンに礼を言った。顔には疲れが見えるが、命拾いした喜びが感じられる。


「問題ない。俺たちもザイレンの森を目指しているだけだ。」

 セリオンは簡潔に答え、剣をそっと鞘に収めた。


「そうなのか? あんたたち、旅の者か?」

 商人は少し興味深そうに尋ねる。


 セリオンは一瞬間を置き、落ち着いた声で答えた。「ああ。ただの旅人だ。」


 リュミアもすぐに話に加わった。「私たち、特に大した目的があるわけじゃないの。ただ、ここら辺の情勢を知りたくてね。何か最近変わったことはある?」


 商人は少し警戒する様子を見せたが、セリオンとリュミアの親しげな態度に安心したのか、ぽつりぽつりと話し始めた。



「ザイレンの森の国は、アルティネス大陸でも特別な場所だ。寒い北端の地域にあるが、交易が盛んで人が多い。それもこれも、森で採れる魔導芯のおかげだよ。」

 商人はそう言いながら、荷馬車の中から一つの小さな結晶のような物体を取り出して見せた。


「それが魔導芯か?」

 セリオンが興味深そうに尋ねる。


「ああ。これは魔導士たちにとって欠かせない資源だ。これを使えば、魔力を増幅させたり、持続力を強化できる。ザイレンの森の芯は特に質が良く、世界中の魔導士たちが求めている。」


 リュミアが覗き込むようにして言った。「でも、そんなに価値があるなら、誰かが狙ったりしないの?」


 商人は少し困ったような顔をして、声を潜めた。「そうなんだよ。近年、周辺の情勢が悪化してきていてな…。特に最近の問題はドゥマール高地連盟のドワーフたちだ。」


「ドゥマール高地連盟?」

 セリオンが眉をひそめる。


「ザイレンの森から少し南に行ったところにある、山岳地帯の連邦だ。ドワーフたちの国で、昔から鍛冶や鉱山で生計を立てているんだが、どうやら森の芯の利権を奪おうとしているらしい。ザイレンの森は芯の採取で成り立っている国だから、これを失えば大きな打撃を受ける。」


「なるほど…でも、どうして今になってそんなことを?」

 リュミアが疑問を口にする。


 商人は首を振った。「分からない。ただ、芯の需要が高まっているのは事実だ。最近、周辺国で戦争が起き始めていて、魔導士の需要が増えているんだろう。それに乗じてドワーフたちが利権を奪おうと動き出したのかもしれない。」


 セリオンはその言葉にじっと耳を傾けながら、静かに考え込んでいた。ザイレンの森の芯が重要な資源であるなら、それを巡る争いが大きな火種になり得る。




「それで、ザイレンの森の国は何か手を打っているのか?」

 セリオンが問いかけると、商人は肩をすくめた。


「聞いた話だが、森の中では警備が厳しくなっているらしい。それでも、ドワーフたちがどこまで本気で動くか分からない以上、森の国も手を出しにくいのかもしれないな。」


 リュミアは腕を組みながら、「ねえセリオン、これって私たちの旅に関係してくると思う?」と小声で聞いた。


 セリオンは少し間を置いて答えた。「分からない。ただ、この地域が不安定になるのは避けられないかもしれない。森を無事に抜けるためにも、この情報は覚えておくべきだ。」




 商人たちは話を終え、再び荷物を整え始めた。セリオンとリュミアも彼らと共に関所に向かって歩き出す。森の入り口には、見張りの兵士たちが立っているのが遠目に見えてきた。


「セリオン、うまく通れるのかな。」

 リュミアが少し不安そうに言う。


「まずは落ち着いて話をすることだな。」

 セリオンは冷静に答えながら、一歩ずつ関所に近づいていった。


 ザイレンの森の入り口で何が待っているのか――それを知るには、もう少しだけ時間が必要だった。

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