第2話 地獄の入り口
生きて帰る、そう決心したのは良いが問題は山積みだ。
ここはどこで、誰が、何の目的で俺はここに連れて来たのか。最低でもここが何処なのかを知らなければ、帰るに帰れないだろう。
それに加えてあの化け物……さっきは直接危害を加えてこなかったが、次がそうとも限らない。あの肉塊を食べるとどうなるのかも不明だ。なんにせよ見つからないに越したことはない。
そして魔術。俺はさっき確かに牢屋から外に瞬間移動した。俺は理解している。あの移動が魔術なるモノによる移動で、その魔術の名も、使い方も、全てをあの紙を読んだ瞬間に理解させられた。故に今の俺はいつでもどこでも瞬間移動できる様になった訳だが……。
頭で理解していても、まだ内心では信じられていない自分がいる。当然だ、魔術などあまりにも現実的でなく、それは仮想世界の産物である筈のものだから。
それでも受け入れなければならない、現に俺は今牢から出てここに居るのだから。
……とは言え、魔術で移動できる範囲はたった一歩分。どこで使うんだよ、牢屋抜ける以外で使い道あんのか?
通路を進む。通路は薄暗くどこまでも続いていた。左右には同じような牢屋が続き中は全て空っぽ。人がいた形跡もなくそれがまた不気味さを醸し出している。
ふと脚を止める。前方から誰かの声が聞こえた。
「――て、――たす」
女の声だ。ゆっくりと近づくとその声はやがて鮮明になってくる。
「助けて! 誰か、ここから出してよ!」
俺はその声に覚えがあった。
「川崎……か?」
「――ッ。だ、誰っ!?」
声の主は驚きと共にその場から飛び退く。
「落ち着け。俺だ、去年同じクラスだったろ」
「……朝日奈、君?」
俺が姿を現すと、彼女は怯えながらもゆっくりと格子へと近づいてくる。そして確認する。間違いない、彼女は俺の知る川崎香織その人であった。
そして川崎は俺の事を確認すると唐突に泣き始め。鉄格子に縋りながら声を震わせた。
「さ、朝日奈君、助けて! 私、気づいたらここに居て……」
話を聞くところによると川崎も俺同じ状況であった。授業中だった筈なのに目を覚ましたら牢屋の中。それ以外何も覚えていないと。
「そんな事より早くここから出してよ! 朝日奈君は出れたんでしょ? なら私も早く!! じゃないとまたあの化け物が――」
唐突に言葉が途切れる。それと同時に川崎は目を上転させてその場に倒れた。そしてその場で体をびくりと震わし痙攣し始める。
「おい! 川崎っ、しっかりしろ!」
「――無駄だよ。……彼女はもう助からない」
不意に隣から声が聞こえた。声の出処は川崎のいる牢屋の一つ隣。
「誰だっ!」
そこには見知らぬ女がいた。白藍の髪に濁った空色の瞳。色素が薄く、人形の様な少女だった。歳は俺と同じか少し上に見え、制服ではなくボロボロの布を上からかぶっただけの格好をしている。
……声を掛けられるまで人がいるなんて全く気が付かなかった。今も意識しなければ目の前から消えていなくなりそうな、そんな不気味な雰囲気を纏っている。
「早く離れた方がいいよ」
「何を言って――」
目の前の女の発言に気を取られたその時、背後からパンッと風船が弾けるような音が響き渡った。振り返る。
「――ゔっ」
思わず口を押えた。そこには、頭部のない川崎が転がっていた。
間違いない……死んでいる。だが奇妙なことに、川崎の死体はまるでまだ生きているかのようにその場でのたうち回っていた。そして次第に川崎の肉が音をミシミシと音を立てて膨張し始める。川崎だったそれは既に人の形をしていない。
唐突な人の死に、俺は立ち尽くすことしか出来なかった。
やがて肉は細長く管の様に変貌し、その場でトグロを巻いた。その姿はさながら先程見た化け物の縮小版。
――ずるり。肉が蠢いた。
「ッ――!【渡りの一歩】!」
咄嗟だった。その場から後ろに大きく飛び退き、視界に入ったのは一つ隣の牢屋。つまりは得体の知れない女のいる場所。それでもアレから逃げれるなら、そんな事は今はどうでも良かった。
肉の這いずる音が隣から聞こえる。それは通路へと飛び出し、その音は少しずつ遠のいて行く。
「はぁ、はあっ……!」
息が乱れ、汗が止まらない。
川崎が死んだ。それほど親しい仲では無かったが、それでも去年は同じ教室で授業を受けていた筈の人が、こうも呆気なく死んでしまった。
それにただ死んだだけじゃ無い、死んだ筈の川崎が化け物へと姿を変えた。この二つの現実を目の当たりにして、俺はたまらずその場で嘔吐する。
そんな俺を白藍髪の少女は無感情な瞳で見下ろしている。
「……懐かしい感じだ。やっぱり、よそ者の君たちはまだ月に狂ってないんだね」
「よそ、もの?」
「余所者でしょ? 今、意思疎通が出来ているその事自体がその証拠」
「…………」
目の前の少女は何かを知っている。川崎が死ぬ事を分かっているかの様な発言、俺の移動を見ても驚いた様子もなく、俺をよそ者と言ってのけた。問題はこいつが敵なのか、味方なのか。少なくともあの化け物の味方ではないと思いたい。
「でも不思議だね……何でよそ者であるはずの君が魔術を使えるの?」
「――っ」
一歩少女が距離を詰める。俺は気圧されて後ろに下がろうとして、背後の壁にぶつかった。俺は言葉に詰まりながら答える。
「……紙を、拾ったんだ。それを読んだら使える様になったんだよ」
「紙……なるほど、スクロール。それなら……でも何でそんなモノがここに――」
俺の言葉を聞いた途端、少女は顔を伏せてぶつぶつと呟きながら動かなくなる。俺はそれを遮るようにして叫んだ。
「おい、質問には答えたぞ! 今度はこっちの質問に答えろ。オマエは何者で、ここは何処だ?……あのバケモノは一体何なんだよ!」
一度口からこぼれ出した疑問は止めどどなく。俺は矢継ぎ早に目の前の少女に問いかける。しかし、必死な俺に対して帰ってきた返答は拍子抜けなものだった。
「……それを知ってどうするの?」
少女は首を傾げ、不思議そうな顔をしていた。
「はぁ? どうするって……元居た場所に帰るんだよ」
少女は相変わらず無表情であったが、僅かに目を見開いた気がする。
静寂がその場を支配した。少女は口を開かない、ただ俺を見つめるのみであった。静寂に耐え切れなくなった俺は思わず口を開く。
「……おい。何か言えよ」
そう言うと彼女は暫くしてようやくその重い口を開く。
「…………イト。僕たちは皆、イトと呼ばれていた」
イトと名乗った少女は続けてこう言った。
「ここは過食のグラトニスが支配している食糧庫」
「グラトニス……? それが化け物の名前か。いや、待て食糧庫? 牢獄とか収容所の間違いじゃないのか」
可笑しいだろ。牢屋が並ぶこの通路を見て食糧庫と言うのにはかなり無理がある。しかしイトは俺の言葉を首を小さく振って否定する。
「間違ってないよ。かつては人の、今はグラトニスの食糧庫として。……でも牢獄と言うのも間違ってない。ここは陽の民が月人を収容するのに使っていたから」
陽の民、月人? また知らない単語が出てきた。だが今はそれよりも先に知るべきことがある。
「ここから出る方法は?」
「……知らない。でもここは地下だから上に向かえば地上に出れると思う」
なるほど目指すべきは上。階段か、あるいはエレベーターの様な何か、上へ向かう事ができる手段を見つければ良い訳だ。
「でも行かない方がいいよ……地上は危険が一杯だから」
俺は彼女の言ってる意味が分からなかった。化け物が徘徊し、食えば死ぬ肉の塊が存在する、この場所より危険な場所など無いはずだ。
――だけど、彼女の言葉を汲み取るならば。
「何だよそれ……地上はここよりもやばいって事かよ」
ここはまだ地獄の入り口に過ぎなかった。どうやら俺はとんでもない世界に迷い込んでしまった様だ。
月光に狂った世界に明日は来るのか ミチシルベ @Miti3162
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