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男は小早川秀行、レコード会社「サニー・エンターテインメント」の音楽プロデューサーだと自己紹介した。
四十を少し過ぎたぐらい、小柄で痩せぎす、金髪のボブヘア、真っ直ぐな毛先が顎下で切り揃えられている。子供の頃に読んだ絵本に出てきたファンタジー世界の魔術師と同じ髪型だ。うさんくさいと感じた印象まで同じだ。
「スタジオまで案内します」
「スタジオ?」
「インタビューはスタジオで行いますので」
小早川は、顔にかかってくる髪を鬱陶しそうにかきあげながら、明神に告げた。スパイスのような香り――整髪料だろう――が鼻をつく。
「ここは2hilの自宅ですが、地下にレコーディングスタジオがあります。一歩も外に出ないで音楽制作に専念できるというわけです」
小早川が玄関脇の壁に手をのばした。壁には逆三角形のボタンがあった。小早川が触れるとボタンは白く光った。
カタカタと音がしたかと思うと、壁に長方形の空間が開いた。小早川は素早く壁の向こうにあいた空間にもぐりこみ、明神と川島を手招いた。
「自宅にエレベーターですか」
驚いている川島の目の前でドアが閉まり、エレベーターは下降し始めた。
「地下二階もあるんですね」
小早川が押したのは地下一階のボタンだったが、その下に地下二階があると明神は気付いた。
「地下二階にはジムとプールがあります。スタジオにこもってばかりいると体力が衰えてしまいますからね。2hilは毎日二時間はジムやプールで体を鍛えていますよ」
「へえ。うちの社の地下にもジムやプールがあるといいんだけどなあ。ねえ、明神さん」
川島がうらやましげな声を出し、腹のあたりに視線をやった。三十手前だが、すでに腹の肉が気になるらしい。
明神もまた気づかれないよう、そっと手を腹にやった。三十を迎えた去年から贅肉が落ちにくくなった。妻の紀子は運動不足な上にビールの飲み過ぎだと呆れている。社の地下には仮眠室と印刷所がある。プールは無理としても福利厚生、社員の健康を考えればジムの設備ぐらいあってもいいだろう。部署にもよるが、最近の新聞記者は足で記事を書くというよりは机にかじりついて通信社からの送信に耳をそばだだてているだけで運動不足なのだから。
「明神さんだけスタジオの中に入ってもらえますか。カメラマンの方はブースの方で待っていてください。今、2hilを呼んできます」
地下一階のレコーディングスタジオに到着するなり、明神と川島は二手に分けられてしまった。
スイッチやボタンのついたボードの居並ぶ部屋に川島を残し、明神はガラスで隔てられた隣の個室に入っていった。
広さは六畳ぐらいだろうか、部屋の中央に背の高いツール椅子とマイクがあった。マイクの前には丸いフィルターのようなものがあり、マイクスタンドにはヘッドフォンが掛けられてあった。
明神はよじ登るようにしてツール椅子に腰かけた。座面が高い位置にあるため、足が床から浮いてしまった。椅子の足下をぐるりと取り囲んでいる輪につま先をひっかけ、どうにかバランスを取る。
スタジオ内はしんとしていた。余計な音が入らないような防音設備がなされているのだろうか。不自然なまでの静けさが薄気味悪い。
「川島くん、聞こえるか」
たまらずに明神は口を開いた。自分の声を聞くだけでも気分が紛れる。
ガラスの仕切りの向こうにいる川島が首を振った。明神が何か言ったと口の動きでわかったらしいが、何と言ったのかはわからないといった風だ。明神の方でも川島が口を動かして反応しているとは見てとれたが、声は聞こえなかった。
口を動かしている川島の背後でドアが開いた。小早川が姿を現した。その背後に背の高い白髪の男が続いた。
2hilだ。
小早川と川島、2hilは二言、三言、言葉を交わしていた。「よろしくお願いします」といったところだろう。
川島がカメラを取り出し、撮影が始まった。インタビュー中の撮影は気が散るからと写真撮影はインタビュー前にのみ行うことと事前に取り決められてあった。
カメラを構えている川島の目の前で、2hillが椅子に昇った。座ったのではない。膝から昇ったのだ、まるで猫のように。座面の心地いい位置を探り当てると、2hillは正面に向き直り、両ひざを立てて座った。肘掛を利用して頬杖をつき、ポーズをつくってみせる。川島は2hilとスイッチだのボタンだのがたくさんついたボードとを同じ画角に入れようとカメラを構えて狭いブース内をうろついている。
明神の側からはガラス越しに2hilの横顔が見えた。
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