あなたに包まれて

ダイダライオン

プロローグ





 私の家は、父、母、二つ離れた兄、そして私という四人家族だった。



 朝起きたら皆んなで食卓を囲んで、普通に学校へ行き、変わり映えもなく一日を過ごす。



 見渡せば何処にでもあるような普通の家族。







 ……のはずだった。

 





 いつからだったかは覚えてない。


 

 気づけば、父と母は敵を見るような目でお互いを見ているようになっていて、夜になれば家中に二人の怒号が鳴り響いてた。



 元々繊細な性格の兄は、日々家庭で溜まっていくストレスを私の体を触る事によって発散していた。


 

 両親の仲が悪い理由も、兄が私を触ってくる理由も分からないまま、私はただ心を殺すしかなかった。



 家族を元に戻す方法なんて、頭の悪い私には分からなかったから。






 私が二人の間に入って、父と母の話を聞いてあげていれば良かったのかな。



 兄に、「触らないで」の一言でも言っていれば、やめてくれていたのかな。



 もう少しだけ、父と母の間に日々募っていく違和感に気付けるような、そんな勘の鋭さが私にあれば良かったのかな。



 私が、嫌な事を嫌だとはっきり言えるような人間だったら良かったのかな。





 日が経つにつれ、私の心が壊れていくのと比例するように、私の家族の〝普通〟は音を立てて崩れていった。




 父はほとんど家に帰って来なくなり、母も突然キレて喚いたりと、情緒がおかしくなっていた。

 


 兄は、母や父がいないタイミングを見計らい、私にハグしたり、胸を触ってきたりしていた。



 母にも、父にも頼れず、私はただただ穢れて壊れていく自分の体と心を嫌いになっていった。



 




 そんな家庭環境だろうが、私は高校生だったし、学校に行かない訳には行かなかった。



 ……というよりも、勉強することで、少しでも胸の内を満たしている不快感から気を紛らわしたかった。



 当然だったけど、自分の気持ちを保たせるので精一杯な私なんかに友達なんて出来なかった。



 元々根暗で陰気な雰囲気を放つような私だったからかもしれない。




 そんな私に何故か一人、花羽はなわあかねという子だけは頻繁に話しかけて来てくれていた。



 暇があれば私の席に来て、他愛もない話をして去っていく。

 


 クラスの人気者で美人なあかねさんと正反対な私になんで話しかけてくるのか、本当に分からなかった。



 だけど、毎回話すたびに黒い髪から覗かせる笑顔は、ヘドロのような私を照らしてくれているような気がしていた。




 そんな誰にでも向けていると分かってる優しい笑顔は、私の心を惹くには十分過ぎた。



 あかねちゃんと目が合うたびに、話しかけられるたびに、胸がドキドキと高鳴って顔が熱くなる。



 これが恋だと気づいた時に、この気持ちを伝えたい。そう思った。



 


 引かれても、振られてもいいから、今日、伝えよう。




 そう決心した日の出来事だった。





 私の兄とあかねちゃんが付き合った、という情報が耳に入ったのは。



 それを聞いた途端、私の中でぐしゃぐしゃと大きい音を立てながら、何かが壊れていく消失感に包まれた。



 美人なあかねちゃんだから、誰かと付き合ってるだとか何とかの噂は前から流れていた。



 でも、仮に誰かと既に付き合っていたとしても、この気持ちを伝えるだけで、それだけで、良かったのに。


 

 なぜ、よりにもよって今日なのか。



 なぜ、兄なのか。


 

 兄は、顔が良かったし背も高く、優しい雰囲気の人で学校内でも〝紳士〟とか〝王子様〟とか言われていたのは知っていた。



 いわゆる、世渡り上手ってやつだった。


 

 そんな兄も、私にとっては妹の胸を触ってくるような、変態で気持ち悪い人間にしか見えなかった。



 実は、あかねちゃんにその事を話そうかと思ったけど、言葉がつっかえて言えなかった。



 




 どうして、あかねちゃんを想像する度に苦しくなるんだろう。




 どうして、私は咽び泣いているの。




 どうして、私は今ですら、あなたの事を考えているんだっけ。




 いや、本当は分かってる。


 



 言い訳して逃げようとしてるだけだ。




 

 私は、





 この私、石原小羽は、





 あなたの事が、




 あかねちゃんの事が、どうしようもなく好きなんです。




 何処まで行っても自己中で弱虫な私で、ごめんなさい、あかねちゃん。





 でも、最後に、これだけは、






「好きとだけは、言わせてよ」

 

 



 あかねちゃん本人のいない虚空に、私はスクールバッグを握りしめながらぼそっと呟いていた。

 



 こうして、私の、高校での初恋は終わりを告げた。







 今思えば、あかねさんに直接聞けば良かったのに、と思う。



 でも、私にとっては辛すぎる噂だった。あかねちゃんの口から本当の事を聴きたくなかった。知りたくなかった。



 その噂を聞いた後で、私は普通にあかねちゃんと接する事なんてとてもじゃないが出来なかった。



 あかねちゃんを見る度に胸が締め付けられ、苦しくなっていく。



 そしてあかねちゃんが話してる内容も、気づけば耳に入らなって、私は段々とあかねちゃんと距離を置いて行った。



 幸い、あかねちゃんが無理に私と関わってくることは、無かった。


 




 私に向ける笑顔は、優しさは、誰にでも向けているものだとしても、それで良かった。

 


 それでも、それでもいいから、ただあかねちゃんの笑顔に照らされてるだけで良かった。



 私のちっぽけな恋が実らなくても、それで良かったのに。



 そこからの高校生活は何をやっても楽しくなくて、どうやって過ごしていたか覚えてない。





 ただ、もう、人を好きになんかなりたくない。そう思っていた事だけは覚えている。








***






 色の無い高校生活を終え、私は今年で18歳になる。



 とにかく家に居たくなくて、少し家から離れた女子大に入る事にした。



 一応、親に仕送りしてもらいながらも、今は大学近くにあるボロいけど安めのアパートに住んでいる。



 物が少ないから部屋は殺風景だけど、実家に居る時よりも落ち着くし、この狭い感じは結構気に入ってたりする。


 

 新しい環境で、また一から頑張るんだ。



 窓から入った春の暖かい風に吹かれ、臆病で弱虫な私一人での大学生活が始まった。

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あなたに包まれて ダイダライオン @daidalion99

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