第1話-①
ランプレーシュ王国の最北端クィエル領は、季節が「雨の冬」と「雪の冬」しかない場所だと言われている。
それほどまでに寒かったため、鉱脈が見つかるまでは罪人の流刑地だった。魔道具のベースとなる魔法石の産出で一時は潤ったものの、そこも枯れた今では領民が細々と作物を作って生きているだけだ。
万年雪が山脈を彩り、人々は雨の冬の間に凍った地面を掘り起こし、雪の冬に備えて作物を作る。もっとも、作れるものは寒さや凍った土に強い品種だけなので、食料のほとんどは他の地域からの輸入に頼っている。引き換えに売れるのは、雪の冬の間に狩った動物の毛皮だ。丈夫で寒さに強いため、貴族を中心に取引されている。
王都では夏の暑さに住民が顔をしかめても、クィエルでは上着が一枚いらなくなった程度の気温なのだ。
人や物を運ぶ馬車も雪道に適したものへ改良されており、いまだ凍る土の上をずんぐりとした馬が悠々と荷馬車を引いて歩いていた。
御者台に座るのは、近隣の村へ物々交換の品を届けて回っていた男だ。かつては妻と三人の子供がいたが、前年の飢饉で彼らを亡くしている。
荷馬車には物々交換で手に入れたものが積んであった。食べ物はないが、カゴや各地の伝統模様が織り込まれた布、それに新しい農具。農具は滅多に手に入らないから、しばらくはみんなで使い心地を確かめることになりそうだ。
あいつらにも見せてやりたかった。亡くした四人の顔が次々と浮かび、男は御者台の上で洟をすする。
雪の冬が終わる頃に領主が代わってから、暮らしも少しは楽になった。数々の重税を取っ払ってくれた領主さまには頭が上がらない。今年の雪の冬の前に行われる献上祭には一番いい野菜を贈ろうと、すでに村長たちとの話し合いで決まっていた。
「ブルルッ」
「おおっ?」
不意に馬が立ち止まり、激しく首を振った。考え事をしていて横道に逸れてしまったのか、名残雪がうっすらと積もっている場所にいた。
「すまん、すまん。行こうか」
だが、鞭を入れてやっても馬は動かない。躊躇うように足踏みをする馬を怪訝そうに見やり、男は御者台から降りた。
Uターンはできないが、このままゆっくりと左へ曲がれば元の道に戻れる。そう思って馬の進む先に足跡を付けようとして、
「ヒェッ」
雪に紛れそうな色の服を着た男女を見つけた。
「あ、あ、あんたら、大丈夫かっ?」
慌てて雪の中から引き上げると、二人とも体が氷のように冷たい。
傍から見てもわかるほど薄い生地で作られた長袖。それを大量に着込んだのだろうか、いびつに膨れた服は、しかし寒さをしのぐにはあまりにも薄すぎた。
その証拠に、二人とも唇の色が青い。かろうじて息はあるが、素人でもわかるくらい呼吸が浅かった。
「あ、あ、た、大変だぁ!!」
男は急いで二人を荷馬車に乗せ、交易品の服やら布やらをありったけ集めて彼らをくるむ。
そして、馬に何度も鞭打って帰郷を急がせた。
荷馬車が過去最高のスピードで帰郷を果たしたのも束の間、遭難者を拾ったとの報告に村は大騒ぎになった。
急いで村長の家に運び込み、湯を沸かして放り込む。風呂があるのは村長の家だけだったのだ。
即席の間仕切りを挟んで二人を温めてやれば、彼らはすぐに息を吹き返した。
ボロボロだった二人が身綺麗になると、急に垢抜けた雰囲気になった。
男の方は赤みがかった茶色のショートヘアに、肥えた大地のような焦げ茶色の目。
女の方は毛先にウェーブをかけた金の長い髪に、澄んだ真昼の空のような青い目。
二人とも
のぼせる寸前まで強制的に入らされた二人は、毛皮の服を借りてリビングに戻る。暖炉の前には食事が並んでいた。氷を溶かして作った水に雪野菜と干し肉を入れたスープ。パンはスープと一緒に茹でて作ったのか、しっとりとしている。質素だけれど温かなそれを、二人は競うように食べた。
「はぐっ、むぐっ、むぐっ、あぐっ」
「はふはふ、んく……あむ」
「そんなに急いで食べなくても、誰も取ったりしないって」
「ゆっくりお食べー」
家の住人たちに苦笑されても、彼らはこくこくと頷くだけで手を止めようとしない。
食べ盛りの二人は二度、さらに少年はもう一度おかわりをして、胃を温かな料理で満たした。
「あーっ、生き返ったぁ」
「ご馳走様でした。急に押しかけてすみません」
ほうと息をつく少年の横で、少女が頭を下げる。
「いいのよぉ。うちのが拾って帰ってきたんだし、若い子たちはいっぱい食べて体力つけなきゃ!」
村長婦人らしき女性がお茶を出しながら笑うが、村の食糧庫の備蓄が減ったのは事実だ。しかも去年の飢饉からまだ回復の途上である。しかしこれ以上、年若い子らが死ぬのを見過ごせなかった。これで村人がそのまま放置していたら、箒や鍬で叩き出していたところである。
「でも……」
「しっかし、なぁーんでまたあんな薄着で倒れてたんだ?」
なお言い募ろうとする少女を遮って村長が訊ねた。
二人が着ていたのは、どちらも長袖の服と軽くて丈夫なブーツだった。王都近郊くらいなら、真夏の今でその装備はだいぶ暑い。秋から冬にかけては快適だろうが、クィエルでは凍死一直線の薄着だ。王都で例えるなら、真冬に下着姿で外にいるくらいの軽装である。馬車が通りかからなければ死んでいた。
「ええっと……ちょっと、急ぎの用でして」
振る舞われた食後のお茶を飲みながら、少女が苦笑いを浮かべて答える。強引な話題転換に思うところはあるが、それが彼らの返答だろうと思って飲み込む。
「正直、ナメてたわ」
同じく口の中をさっぱりさせた少年が言う。
「あらあら。そんなに急いでこっちに来たの?」
「どこから来たの? どんなご用事?」
片付けをしていた女性陣が次々と訊ねる。狭い村だが、村全体が家族と言えるほど濃い付き合いだ。さらにその網は近隣の村にも広がっているから、手掛かりがあればすぐにでも情報を掴める。
「えっと……」
が、よほど遠くから来たのか、あるいは彼女たちの気迫に圧されたのか、少女がたじろいで少年に助けを求める。少年は特に気負うこともなく、軽い調子で答えた。
「王都から来たんだ。人を探している。俺たちと同い年で、黒髪黒目の、ディムって名前なんだけど」
それを聞いた村長たちが顔を見合わせる。
そして目の前の二人に、村長は厳しい表情で訊ねた。
「領主さまに、どんなご用だ?」
「「……………………え?」」
二人の声が綺麗に揃った。
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