第36話 未来の可能性

 何のてらいもなく、窓越しに手を振っていた彼女。

 お見舞いだと両手いっぱいの花束を抱えてきてくれた彼女。

 僕のことを心配してくれたのか、とうれしく思っていたら、小さな女の子が遊びに来ただけであっさりとそっちへ行ってしまった彼女。


 その彼女に、それほどの秘密があったなんて。


 『先の話』を一通り話し、お茶を飲んでいるレミアシウスを前にして、リュアティスは、返す言葉を失っていた。


 彼がなぜ「了承しないと話せない」と言ったのかもわかった。

 それはたぶん、僕のためだ。


『このお茶おいしいから、飲んで飲んで』

「…どうも」


 自分でもぎごちないと思ってしまうような所作でカップを手に取った時、彼女の通信が頭の中に飛び込んできた。


『おにいさま! リルちゃんが土に埋まっちゃったの!

 私が助けると花壇全部吹っ飛んじゃうと思うから、おにいさまが助けて!』


 ブーーッ!


 レミアシウスが、飲んでいたお茶を噴いた。


『なんだってーー!』


 どういう状況!?

 というか、レミアシウスさん宛ての通信のようなのに、なぜ僕にも聞こえているんだ?


『あ、リュアティスさん!

 おにいさまがね、内緒話以外はリュアティスさんには聞こえるように話していいって!

 おにいさまばっかりみんなと話してて、私は聞いてるだけでつまんなかったのよねー。

 私も話したかったのにー』

『話したかったら言葉を覚えろ』

『えー! おにいさまだって、覚えてないじゃない!』

『僕は気絶させないから、テレパシーでいいんだよ!』

『私だって気絶させるつもりなんてないよ!』

『なくてもしちゃうから、お前はダメなの!』

『ぶーーー!』

「あの……リルちゃんとやらが、待っているのでは?」


『『はっ! そうだった!!』』


 レミアシウスは部屋から飛び出していった。


 ププッ!


 ついさっきまで真っ白って感じで固まっていたのに思わず吹き出してしまった。

 なんなの、この兄妹……


 ん~~~~~!


 大きく伸びをする。


 僕にはどうにもできないことを、思い悩んでも仕方ない。

 そう思わせてくれるために、彼は僕に『了承しろ』と言ってくれたのだろうし。


 悩む時間があるのなら、できることを探すべきだ。


 ベランダに出てみる。

 なんとなく、彼女の『声』はこっちから聞こえてきたんじゃないかと思うほうへ行って花壇付近に視線を送ると、泥だらけの彼女がこっちに向かって笑顔で手を振っていた。

 その傍に胸の辺りまで土に埋まっている女の子がいて、彼女もこっちに向かって笑いながら両手を振っている。


 どういう状況?


 ――――――


『彼女はたぶん、自力で世界を越えられる。

 でも、それには大量にエネルギーが必要で、それをこの世界から調達する必要がある。

 それだけでもこの世界にどんな影響が及ぼされるのかわからない上に、無理矢理世界を渡る行為は、世界自体を破壊しかねないんだ』


 ……そんな……


『僕には双子の兄がいて、兄は向こうの世界で僕たちがどの世界に行ったのか、探してくれている。

 彼はエリスレルアと違って世界を破壊しないで渡ることができるから、僕たちを見つけたら迎えに来てくれることになっている。

 それまではこっちで暮らすことになるけど、その間、さっき言った理由で、彼女に、向こうへ帰りたいと思わせてはいけないんだ』


 ……それは……


「送り返そうとしないほうがいいということですか?」

『するなら確実に送り返さなければならないってこと』


 失敗したら自力で行こうとするかもしれないってことか。


 僕の表情を読んだのか、レミアシウスさんは目を伏せた。


『エリスレルアはルイエルト星にとってとても大切な存在で、いずれ必ず向こうの世界に帰らなくてはならないけど、それはずっと先でも構わないんだ。

 でももし、その、召喚魔術師の方たちがすぐに送還してくれるのなら、なるべく早く向こうに帰るほうがこの世界のためだと、僕は思う。

 それができないなら、しばらくこっちでおとなしく過ごす必要があるから、僕としては、レステラルスさんの申し出を受けるのも、ありなんじゃないかなって思わなくもないんだ』


 ――――――


 異世界から来た二人は、二人とも凶悪な存在なんかじゃない。

 けど、その行動によってはこの世界にとって凶悪な存在となってしまう。


 その、迎えに来てくれるというおにいさんだって、どこまでこっちの世界に配慮してくれるものなのか……

 普通なら、自分たちにとって大切な人を取り戻すことに全力を尽くすはず。


 そう考えると、レミアシウスさんの発言は、最大限、僕たちの世界に配慮したものだって思える。


「彼女に帰ることを意識させないで、なるべく早く帰す、か」


 しかも、失敗は許されない上に、王城では兄上が待っている。


 難問だ。


 だけど、なぜかうれしくなってくる。


 ―――僕は難問が好きなのだろうか?


 リュアティスがエリスレルアたちに向かって手を振り返していると、駆けつけたレミアシウスがリルテを両手で包むようにして、そっと引っ張り出した。


 !?


 今の、持ち上げたんじゃなかったような……


「レミたん! ありあとー!」


 驚いて目を見張ったリュアティスだが、素直に礼を言っている幼い子供の姿に、彼らの能力については驚く必要はないのかな、と思うのであった。


   ☆

   ☆

   ☆


 午後10時頃、もう夜の通信をする必要がなくなったので風呂に入って寝ようと、リュアティスが準備をしていると、ネスアロフがやってきた。


「殿下、伯爵がお呼びです」


 叔父上が? もうお戻りになられたのか。


 身なりを整え、レステラルスの部屋に行くと、彼は暗い窓の外を眺めていた。


「兄上の知っている召喚魔術師も王城にいるか、既に亡くなっているそうだ」

「そうですか」


 優秀な召喚魔術師は貴重なので、すぐさま登用されてしまうのだろう。


「ただ、一人だけ、今、兄上のところにいる」

「えっ!」


 それは―――


「それは、リンシェルア。お前の母だ」


 !!


「……ですが、母上は……」

「そうだ。

 重い病で、とても送還などできるはずもない。

 つまり、今は誰もいないのと同じだ」


 これはもう、兄上対策を考えるしかない。

 または、彼らのおにいさんを待つか。


 レステラルスの真剣なまなざしがリュアティスを見つめる。


「リュアティス。

 レイテリアスがどうするつもりなのかは俺にはわからんが、彼らをそんなに急いで王城に連れていかなくてもよいのではないか?

 ここにいれば少なくとも生活に困ることはないし、この世界のことなどでわからないことがあれば教えることもできる。

 確かに、この国の身分を与えるとか、俺の養子にとか、先走り過ぎたことは認めるが、ここで時を過ごしているうちにレイテリアスの気も変わるかもしれぬぞ?」


 あの兄上に限って、それはないと思います。


「彼らがどうしても元の世界に戻りたいと言うのならばそれを尊重しなければならぬが、そうでなければほとぼりが冷めるまでここにいるほうがよいと思わぬか?」

「それは……」


 それはそうかもしれないが。


「彼らにとってどちらがよいのか、よく考えてみろ。

 お前は夏季休暇が終われば学園へ戻らなければならないがな」


 !

 なんか……戻りたくない。


「そんな顔をしてもだめだ、リュアティス。

 お前にはその義務がある」


 義務?


「おじいさまからは【早く帰ってこい。勉強などうちでもできる】という内容の手紙が度々来ていますが」

「普通ならばそれでも構わぬが、学園でなければ教われないものがあるだろう?」


 公爵邸で学べないものなどあるのか?

 指導者なんていくらでも呼べそうだが……社会性とか?


「わからないのか?

 学園でしか学べないもの、それは召喚魔法だ」


 っ!!!!


「お前は学園で送還魔法をマスターし、お前が彼らを自力で送り返すのだ。

 それはお前の、義務だろう?」


 ―――はい。

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