第6話 お呪い 後(に引けない)編
ケイロンの樹海。この国を制するアスクレピオスが住まう神殿(以下略)。しかし今回は難なく神殿にたどり着いた。でも、それも含めて別の意味の不気味さを感じた。
「あれ、なんか違和感がすごいんだけど……」
「同感です。妙に穏やかですね」
ここにくるまでベーススワローどころか、虫一匹もいない。ただただ暗い森と化していた。
「ま、まさか、私の願いが叶っちゃった???」
「そう楽観的になれる話だったら良かったんだけどね」
そう言ってプラタナスは神殿の扉をゆっくりと押す。
「な、なにこれ!?」
以前入ったはずの神殿の中は、鬱蒼と暗い。光が吸い込まれそうなほどに奥の見えないさらに広い空間と化していた。なかったはずの階段が乱雑と建てられてるのが見える。まるで騙し絵で見るような光景だった。壁に乱雑にかけられた松明が、それらを反射している。
「上見ない方がいいよ」
突然プラタナスに耳元で囁かれる。
「えっ? なんで?」
「……少なくとも君たちが苦手すぎて失神しそうなものが、集合体恐怖症が気絶するレベルで張り付いてる」
「ッ!?」
それが何かがすぐにわかってしまい、想像できてしまって鳥肌が立ちまくり、心臓が冷め切った。不意に口と鼻を抑える。
「なんで言うかなそういうこと……」
「知らなかったら好奇心で上見ちゃうだろ?」
「君は好奇心に負けたの?」
「……負けた」
「平気なんだね……」
「ぶっちゃけ死にそう」
「そうなんだ……」
横でマリーは何も躊躇いなく真上を見上げている。
「あ、ホントだー! 天井に蜘蛛とかオオスズメバチとかゴ●ブリとかびっしり! リアルゾンビゲーだね!」
「ご丁寧にどうも!!」
「いやよ……絶対上なんか見ないから……!!」
泣き目になっているアイビーはハイドの後ろに隠れる。
「駆除しましょうか?」
顔色変えずに銃口を上に向けるハイドを僕とプラタナスは制した。
「あーやめて絶対落ちてくるから!」
「……上を見ずにまっすぐ行こう」
「え、もう嫌なんだけど」
「大丈夫そうだよ。奥の方が綺麗みたいだし」
「ほ、ホント? 信じるよ?」
「命をかかってるのにくだらない嘘をつくほど人でなしじゃないって」
◆
乱雑に螺旋する階段を上がる下がる、そして上がる。その繰り返し。謎に魔改造された神殿の中だからか、途中で酸素が薄くなるたびに、引き返して休息を取りながら先を急いだ。途中で、さまざまな魔物に阻まれたが、ハイドのバリアが魔物を綺麗に閉じ込め、先に進みやすくなっていた。ハイドの完璧な誘導により、ようやく、階段から解放された時には、見覚えのある場所に辿り着いていた。
「ここ、アスクレピオスの玉座じゃない!?」
「でも、肝心な本人は?」
辺りを見渡してもその姿は見当たらない。プラタナスの方から息を飲む音が聞こえた。
「どうしたの?」
振り返るとプラタナスは、ある一点をただ真っ直ぐと視線を置いている。
「……十二時の方向、誰かいる」
指さす方向へ目をやると、玉座の横で誰かが座っている。休んでいるようでもあり、眠っているようでもある。少し腹回りがある。少なくとも、その特徴はアスクレピオスではない。僕たちは独自の武器を片手に握る。マリーがそろりそろりと、前に進んで、それと距離を詰める。
「マリー、大丈夫?」
「……」
マリーは珍しく口を閉じたままだ。それだけで、空気が重くなるように緊張する。突然、それにたどり着くその中間辺りで、詰める足を止めた。僕は気になって、つま先立ちになりながら奥を眺めた。
「……アイビー。クソ主人を、見つけたわ。"壺"と、一緒にね」
「!?」
アイビーの言葉の含みを全て理解してしまい、つま先立ちをやめて、筆を取る。
「十二時の方向、敵三体!!」
僕の合図で構えると、その玉座の方からマリーの目の前に跳んで出てきたのは、僕をあられでないことにしようとした三体のベーススワローだった。その壺の淵に赤い液体が付着していた。
「マリー、これって……!!」
「クソ主人、幸い部分欠損はなかったけど、いろいろ傷つけられてた……。コイツらのせいでね」
でも、なんとなくそんな気がしてしまっていた。その主人が僕らを閉じ込めて、何日も経過して、そして探索中姿を一つたりとも見せなかった。その答えが、これか。目が慣れてきた頃には、その顔がはっきりと見えてしまった。
「お、父様……!!」
「……お嬢様、私の後ろに」
「……」
「お嬢様」
「……」
ハイドの呼ぶ声にも応じないアイビーは、ただ何もない虚空を見つめているようだった。
「……約一名、戦力がダウン。援護いたします」
「で、でもアイビーが……!」
「私はマルチタスクを得意としています。どうか、私にお任せを。お嬢様を護衛しながら、後方支援いたします」
心配して何もできないより任せるほうがマシかと考えた僕は、ハイドの提案を頷いた。
ベーススワローは前と同じ、己の尾をこちらに針のように伸ばしてくる。そしてマリーがそれに応対するよう、刃で弾く。その二つを合わせるとハサミになり、その尾を切り落とした。しかし、それは案の定斬られた尾はニョキニョキと伸びて再生した。
「うぃぃ……気持ち悪りぃ……」
他の二体は同時にマリーを集中する。ハイドも威嚇射撃で援護するが、怯む様子もなく、マリーの刃もあまり行き届いていないようだった。僕の魔法で縛ろうとするが、どうしてもマリーを巻き込んでしまう。
「はぁ、なるほど。厄介だね」
「俺らの出番かぁ?」
「頼むよ、アーロン!」
「はいはいっと!」
プラタナスは腕に捕まってるアーロンを、ベーススワローに飛ばし、懐からタクトを取り出した。それを一振りすると眩い光の玉が、一直線に左側のベーススワロー一体を弾き飛ばした。アーロンはそれを追い打つように、翼を真っ直ぐ伸ばして打つ。これのおかげで、だいぶマリーの周囲が空いたため、僕は躊躇わず一筆書きで、残りの二体のうち右側にいる一体を縛りつけた。
「隙だらけ!」
一体だけが残り、マリーの刃も容易くベーススワローを木っ端微塵に斬り刻んだ。流石に全てを再生させる力が行き届かなかったのか、僕が追い討ちで斜め線を引いたら、意図も容易く霧散した。縛りから解放されたベーススワローが尾を伸ばしてきたが、それもハイドの放つ弾に貫かれた。まるで嘘のようにベーススワローの攻撃が無発に終わり、マリーの刃で残りの二体も一掃した。
「ま、ざっとこんなものかな。ただ一匹を振り回しただけなんだけど」
「でもでも、なんかアーロンが出てきた瞬間力湧いてきたよ?」
「天鳥の力かもしれないね。天の使いにはご利益があると言われてるから」
「人権バッファーだぁ!!」
「いつまで引っ張るの……」
ベーススワローは片付いたからいい。しかし、肝心なアスクレピオスが姿を現さない。というか、僕はずっと玉座の方しか見ていない。
じゃあ、後ろは?
「マた断りもナしニ……」
「!?」
アイビーが膝を崩している隣で、さっきからいたかのようにアスクレピオスが立っていた。それだけじゃない、今度はハイドが首を掴まれている。
「ハイド!」
「も、うしわけ、ありません……。気づいていたのですが、予想よりも……っ」
「フン、生キとルのか死ンどるノか、わかラん奴ダ」
「彼女を放すんだ……!」
「そコの小娘」
アスクレピオスはこちらに目をくれることもなく、アイビーに声をかけた。
「……!! ハイド!」
今になって意識が戻ったのか、ハイドの首を掴まれる姿を見て、慌てて手を伸ばしたが、アスクレピオスの杖を向かれて引いた。
「このまマ、第二ノ命が滅されたクなけれバ、そこニいる無礼者共を殺セ」
「えっ……」
「それが神のやること? だとしたらゲスの風上にも置けないわね」
アスクレピオスはマリーの口上に皺寄せして、ハイドを絞める腕を強めた。
「なぁニ、生きたィのダろう? 俺ニ従えバ、貴様ノ望むマまに、自由ナ生を与えヨウ。安心しロ、この女モ還す」
「……」
アイビーの顔が歪む。
「簡単ダ。お前ノ望ム通リニーー」
「誰が望んでるって思ったのよ。見当違いも程々にしなさいよ」
「ムッ?」
真っ直ぐな声を発するアイビーのユラユラ立ち上がる姿は、怒りが湯気を体現しているようだった。
「馬鹿じゃないの? 私が生きたいのは、私だけじゃない。ハイドもそうだけど、私をなんだと思ってるの? ただ、死にたくないってだけで、キツく当たったりするだけの普通の女の子。分かる?」
アイビーは怒りを抑えるように立ち上がる。しかし、ハイドが殺されるリスクが目に見えてないのか止めようとするが、それもマリーによって静止させられた。
「あんたさ、人の父親殺しといて、よくもまぁそんな独り善がりの要求飲み込んでもらえると思ったよね」
「貴様、俺ニ逆ラうか……」
「寂しいんでしょ?」
「なニ?」
「人を守ってたから、一人で守ってたから、自分を守ってくれる人がいなくて、寂しかったんでしょ?」
「何ヲ根拠に……」
「分かるよ。だって、あなたの言葉、どれも死に関するものばかり。私の気を引きたかったんでしょ? 私は死ぬのが怖いから。怖くて怖くてしょうがないから」
「口の減らン娘ダ……ナっ!!」
アイビーはアスクレピオスに頬を蹴られ、壁に打ち付けられる。
「アイビー!!」
「お、嬢様……ッ!」
「何ヲ、い、言い出スかと思えバ、く、下ラん」
「声、震え、てるけど?」
重い身体を持ち上げるようにして立ち上がり、アスクレピオスを真っ直ぐ見つめる。
「でも、それじゃダメだよ。私だけじゃなくて、他の人にも声をかけるべきだよ。ちゃんと、まっすぐな言葉でさ」
アスクレピオスは聞くことを拒絶する子供のように、杖を振って氷の柱をアイビーに向ける。それをアーロンが妨害するように、アスクレピオスの顔面を翼で打つ。氷柱は不発に終わり、いつのまにか猟銃を手にしていたハイドは、その持ち手をアスクレピオスの横腹に強く引きねじ込んだ。
「ガッ!?」
ハイドはその腕から解放されて、アイビーの元に駆け寄った。
「お嬢様……、他にもお怪我は……?」
「大丈夫よ、あなたは?」
「……なんともありません」
「小癪ナ……!!」
ハイドに待てというようにして、アイビーは前に出る。
「あんたが本当に言いたいのは、"死ね"じゃなくて、"助けて"だったんじゃないの?」
「……ッ!」
「あんたは、本当は殺したくない。死んでほしくもない。あんたを取り巻いてるそれが、そうさせてるんだって。でも、私はもう無理」
この時点でアスクレピオスは、自身の足が凍らされていることに気付いたようだった。
「まさカ、俺ニ殴られタ時に……ッ!!」
「ううん、私じゃないよ。見てよ、周りを」
「ナっ!?」
アスクレピオスは背後に目を向け、こちらの存在に気付いた。僕は、アイビーに目を奪われてる間に、アスクレピオスから流れ出てる冷気を利用し、それに自分の万年筆のインクを足下に飛ばすことで、凍結に成功した。これで、瞬間移動もままならない。これは側近でマリーがテレパシーを使って、僕の脳に直接伝えた作戦だった。
「ナイスミント!」
「う、うん!」
僕は高揚のあまり、大きく頷いた。
「もう一度言うけど、もう私は無理なの。それでいいなら、一人になるがいいよ。生きるのに、死ぬのに、神の資格なんかない。人間以下よ。あんたを助けられる人間は、この世にいないんだから」
「ッ!」
その表情が強張った瞬間、僕は追い討ちで輪をかけ、アスクレピオスの胴体を縛る。すると、その胸元から黒い煙が湧き出てきた。
「ミント! 今じゃ! 私が教えた通りに!」
「え、これなの!?」
「早く!」
煙は玉のように丸まっては膨らむ。僕は万年筆を上げ、アスクレピオスの胸元の黒く染まってる部分を、筆先で重ねる。するとその煙は、万年筆の筆先に吸い寄せられる。まるで、吸引力の強いただ一つの掃除機のように、周りを歪ませるほどに吸い寄せられる。
「吸い込めぇ!!」
吸引の勢いが激しくて、僕の身体が引き寄せられる。あと少し、あと少し! その煙の末端が万年筆の筆先に吸われると、周囲の勢いが落ち着く。万年筆の自身の光が収まり、辺りが静まり返っていた。いつの間にか、神殿の様子も最初に見た時より以上に綺麗になっていた。ガーゴイルの像は破壊される前の元の状態になり、暗闇だった空間は柱と柱の間の吹き抜けにより、光が差し込んでいた。これが、本来の神殿だったと語られているようだった。
「これで大丈夫なはず!」
「は、はぁ……!!」
僕は吸い込むのに踏ん張った反動で、力が抜ける。首が少しだけ痛む。踏ん張りすぎて、骨までまた来たようだ。
「アイビー、ありがとう……」
「え、あぁ……、これ私のおかげなの?」
「もっちもちのロンロン!」
「……お嬢様」
ハイドはその主人の近くで脈を計るように、主人の腕に指を当てている。
「いいよ……お父様は、きっと……」
「ご主人様、まだ息があります」
「……え、ホント!?」
アイビーは自分の胸を撫で下ろす。安心のあまり、思わず力が抜けてしまった。
「ええ、わずかにですが、まだ遅くないはずです」
「い、今すぐ屋敷に戻ろう! ミント、マリーも、ほら早く! 帰ろう!」
「ミント、私が背負うから、腰を支えてくれない?」
「わ、分かった! う、おっも……!!」
僕はマリーの抱える主人の腰を手で押し上げる。ふと、僕は後ろに振り返った。玉座に眠るアスクレピオスは、黒のモヤが取り払われたのか、眉間の皺も全て無くなり、穏やかに眠っているようだった。しかし、たまに苦しそうな表情も浮かべながらも。
「これで、良いんだよね……」
◆
「あれ、あの人は……」
僕たちは帰路を辿り、無事屋敷へ着き、主人を休ませようとした。そこにロングコートを着た中年が怪我人たちを手当てして回っていた。すると、屋敷にいた若手執事がこちらを見るなり駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ、お嬢様、メイド長! そして旅の御一行方! 此度のアスクレピオス様のご遠征、お疲れ様です!」
「アスクレピオス様の鎮圧は完了しました」
ハイドは丁寧に業務報告をすると、従者の表情が明るくなる。
「……! ありがとうございます! 流石メイド長とお嬢様です!」
「ううん、私は何もしてないよ。今回はミント達が助けてくれたんだ。賞賛を贈るべきは、この三人だよ」
するとアーロンが不機嫌そうに足と翼をバタつかせる。
「おいおい、鳥一羽抜けてるぞ」
「僕が後で高級な餌買ってあげるから」
プラタナスが宥めると、アーロンは大人しくプラタナスの腕に乗った。
「そうでしたか……! 此度のアスクレピオス様の鎮圧、誠にありがとうございます! この町の危機は免れました!」
「ところで、彼方の方は?」
「あの方は、ミント様の首を治療してくださったんです。名前は確か……」
「エルムだ」
その男がこちらに呼応するように歩み寄ってきた。
「エルム先生、怪我人は……」
「ほぼ全員の治療が終わった。残りの被害者は……丁重に土に還した。あとはそこの主人を奥の部屋に運んで、軽く手当してくれ。普通の消毒と、快癒魔法で安泰だろう」
「は、はい!」
マリーの抱えていた主人は執事たちによって、奥に運ばれていった。そして、そのエルムと名乗る男は、僕を凝視する。
「え、えっと……、は、初めまして、僕は」
「ミント、そしてマリーだろう? 初めまして……で合っているかは分からんが」
「えっ、なんで僕を……」
「従者たちから聞いた」
「あっ、そうか……」
「まぁ、それだけではないがな。コイツに、見覚えはあるかな?」
エルム先生は、僕の目の前に己の握っていた手の内を見せると、突然そこに"あの"かぼちゃ頭の妖精が現れた。
「君は……、町で僕を逃がしてくれた……!!」
かぼちゃ頭の妖精はボロい布を纏い、偉そうな感じで短い腕を組んでいる。
「私も旅をしているのでね、コイツは、私のカラクリ道具、オーラと呼ぶ。ジャックオーランタンから抜いたんだが、私のネーミングセンスがベタだな。あの日、君の友人らしきものが、君の名前を呼んでいたのを聞いた……、その友人がいないのは……」
「……」
僕はあの日のソレルの死に様を思い出し、胸の奥が重々しくなった。それに気づいたのか、エルム先生は罰が悪そうにため息を吐きながら、オーラを仕まう。
「すまない、失言だった。私も空気を読むという行為がどうしても苦手なものでな」
エルム先生は謝罪の言葉を述べながら、こちらに背を向けた。
「いえ、あの、ありがとうございます! 助けてくれて」
「気にするな、これは私の専売特許だ。君たちがいない間、ここの護衛は私が引き継いた。半日という期間であるが故、貢献度も微々たるものだがな」
「そんなご謙遜を! あなたは本当に町を守ってくれた、英雄ですよ!」
近くにいた若手の執事がエルム先生のことを僕たちに嬉々として説明した。今日の朝、僕たちがこの町を離れたあと、スライムの魔物が押し寄せてきたらしく、偶然通りかかったエルム先生が一人で跡形もなく一掃した、ということだった。しかし、エルム先生は眉間にシワを寄せながら苦笑いをする。
「"英雄"、ね。私はただの医者だ。私の可能な範疇だっただけのこと。それに英雄は死んだ時に初めて言われる。今はその時じゃない。それに、私は名を残すつもりもないし、名を残せたとしても、そもそも意味がない」
「あの、お父様は……」
不安の色を浮かせるアイビーに、エルム先生は優しい声で拭った。
「案ずることはない。見たところ、五体に傷があるが、ある程度治療すれば普段通りの日常に戻れるだろう。息もまだあった」
「ホント!? 助かるのね!?」
「……親孝行の優しいお嬢様だ」
エルム先生の褒める言葉を振り切るように、アイビーは首を横に振る。
「違う、私もう、お嬢様じゃ……」
「? どういうことだ」
その問いにアイビーは息を少し吸って、こう言った。
「私、本当は、家出したかったの」
「……ほう」
「酷いよね。いつか、フェクトウェッジ邸が終わること期待してて、それに乗じて、一人で旅がしたいなんて……。結局戦う時も、ハイドがいなかったら何もできなかったし、ううんハイドだけじゃない。皆がいたから……、結局自立できること証明できなかった」
後ろめたさで俯く彼女を、エルム先生は柔らかい声でこう言った。
「……頼ることも自立だ」
「え?」
「一人で抱え込むと自我が崩壊する。それだと、周りに流されてばかりの人間になる。思ったことは、躊躇わず信頼できる人間に言え。家出したいと思ったのも、立派なものだ。それだけで証明を掴んでいるではないか」
「……」
「あとは、どうしたい?」
エルム先生はそう言って、答えを求めるように「ん?」と眉を上げた。
「……家を守らなきゃ」
弱々しいアイビーの答えに、上げた眉を戻して寄せた。
「……なぜ?」
「だって、こんな無責任なの……」
「いいや、意志を述べることは無責任じゃない。外に出て、いろんなものを見るといい。現実を知るのも、辛さを知るのも親からではなく、それからがいい。可愛い子には旅をさせろ、よくある諺だ。子供に家を強いるのは、親のやることじゃない」
「……本当に、いいの?」
アイビーは僕に振り返って、問いかけてきた。
「え、えっと……」
突然こちらに振られると思わなかったから、言葉が詰まる。すると、横からマリーが割り込んだ。
「戦力増えるし、エンドコンテンツの属性別に耐性持つ敵にも、アイビーの回復で耐久すればクリアできそうだよね!!」
「???」
流石に何言ってるかわからなくて僕とマリーは顔をむき合わせていると、エルム先生は鼻息を吐いた。
「……つまり、歓迎されている。そう言いたいのだろう」
「そうとも言うー! おじさん私のことよく分かってるー!」
「分かるとも……。お前自身よりもずっと」
そう言うエルム先生のマリーに向ける目は、何故か悲しそうな気がした。
「? 何言ってるか分かんなーい!」
するとエルム先生は真剣な顔つきで、アイビーに向き直した。
「それを、父親に言えるか?」
優しいながらも硬く強い声の問いに、アイビーは応えた。
「……言う。絶対言う」
◆
「ダメだ」
主人の部屋でアイビーに付き添って、主人を説得しにきた僕たち。回復した主人の開口一番がそれで、僕の腹の中は煮えていて、この状況をじっと堪えるのが苦しい。
「お父様! 私もうお父様に言われて家にいるのうんざり! 勉強だけじゃつまんないし、遊ぶ暇もないのもう嫌!」
「結局は遊びなんだろう! フェクトウェッジ邸の栄光を持たないとならんのだ! 許婚も決めなくては……」
「人の将来勝手に決めないでよ!! そう言う話聞かされる身になってよ、うんざりなの!!」
親子の意見がぶつかり合う様に、思わずアイビーに声援を送りたくなる衝動を抑える。
「お前は何もできんくせに、口だけは大きい。これだけ迷惑かけといて何様だ!!」
こんな綺麗にブーメランを放つ酷い親がいるのかと思うと、よく娘は似なかったなと感心を抱く。しかし、流石にダメ出しされてアイビーは萎縮していた。何か声をかけてやりたいけど、僕が出るのは無粋だろうか……。
「お言葉ですけど、ご主人。あんた弱虫だね」
「なっ???」
いきなり誰かが主人に直接的な言葉を放つ。それはマリーかと思ったら、プラタナスの口から出たものだった。
「執事たちから聞いたけど、あんたが二人を閉じ込めなかったら、助かった命もあったんだからさ。生きてた門番の人、かなり気を病んでたよ。それに比べてあんたは? 娘のこと何一つ考えないで、自ら直接手を下さずにただ眺めるだけ。自分を高貴に語る資格あると思うの?」
「な、なんだお前は!」
「僕はただの鳥使いだよ。"天鳥"使いのね」
主人は目を丸くして、問いただす。
「て、天鳥って、あの天の使いと呼ばれる高価な珍獣の……!?」
「動物を商品扱いするんだ。天鳥は僕の相棒なんだよ。そんなことも……まぁ知らないか」
「無礼なのどっちだっつーの!!」
「こ、コイツ、何を言ってるんだ?」
あ、そっか。アーロンの声、プラタナスと僕以外聞こえないのか。するとプラタナスはクスリと暗黒微笑を浮かべて言い放った。
「"無礼なやつだなこのヘタレ"だって」
「言ってねーよ!! お前実は私怨入ってるだろ!!」
「どうだろうね」
「どいつもこいつもふざけやがってぇ!」
アーロンは怒り散らすように羽ばたくのを無視して、プラタナスは続ける。
「お前みたいな、自分の恥ばかり気にして、子供に押し付けるような大人はわんさか見たよ。うちの母親ですらそんなことしないのにね」
「ふん、どうせ精神年齢がガキ大将で終わってんだろ。邪神となんら変わらんな!」
すると主人が動かせる腕で机に叩きつけた。
「とにかく、娘が旅に出るなど認めん!」
「認めないならいいよ」
そのアイビーの投げやりな言葉に、僕は驚いて問いかける。
「アイビーは、それでいいの?」
「良くないよ。だって、私は何も知らなすぎて、人の事情も安全も守れなかった。私は人を救う器じゃない。でも、お父様の許可がなくたって、私は出て行くから……」
「フン、お前みたいなお転婆に何ができるか」
鼻につくように吐き捨てる主人の言葉に不快感が増していく。
「コイツこの期に及んで……!!」
アーロンが歪んでると、突然アイビーの後ろについていたハイドが前に出て畏まる。
「ご主人様、お嬢様はただ屋敷を抜け出してたわけではありません。怪我をしていた町の方々を、治療して回っていたのです。あなた様がご不在の間ずっと、ずっと」
あの淡白なハイドの発言に、軸の揺れない力強さを感じた。表情は相変わらずないが、その視線はまっすぐ主人に向けられている。
「なんだと……?」
すると、ハイドの口から深いため息が吐き出された。
「……親のくせにそのようなこともご存じでないとは。よほど娘よりも家が大事なのですね。ならば、私はここで切らせていただきます」
ハイドは、主人の前に封筒を差し出した。丁寧に"辞表"という言葉が綴られている。
「こ、これは……!?」
「前々からお渡ししたいと思っていました。もう信用なりません。課せられた業務は今年から三年分ほど済ませたつもりです」
「三年分って、ご飯の調達とかも!?」
「はい、後のことは他の従者に引き継ぎを済ませました。どうぞ、お気に召さないのであれば、解雇して下さいませ。その分の給料をいただきますが」
「元奴隷風情が、こんなのが許されるわけ……!」
「労働基準法を知らないのですか? もうそろそろ見積もりした方がよろしいかと。まぁ、短期間で三年分させてる時点で、もう法令範囲外ですが」
「それはお前が勝手に……!!」
「法的なものも無知とは、話になりませんね」
口論が繰り広げる中、足音が聞こえた。一人だけじゃない、何人も何人も。後ろに振り返ると、執事とメイドが不満そうな顔で並んでいた。
「ご主人様、私たちからもお願いします! お嬢様が外の世界も知らずに寂しがられるの見てられません!」
「お嬢様は私たちのことを、よくお気を使ってくださったのに!!」
「可愛い娘を閉じ込めるなんて悲しいったらありゃしない!」
「お優しいお嬢様にこんな仕打ちあんまりです!!」
「あんたみたいなやつとご婦人からこんな健気な子が生まれたのが奇跡だよ!!」
「皆……」
従者たちの必死の訴えに、アイビーは目を丸くしていた。
「お嬢様が閉じ込められている度に夜泣いては朝起きたらおねしょしていらしたときはなんと可哀想なものだったか……!」
「なんでそれバラすの!?」
急なカミングアウトを挟んでくる老婆メイドに、思わず吹き出しそうになるのを我慢した。しかしながら、執事もメイドもまっすぐな目で見ていることから、アイビーがこんなにも愛されていたということが窺える。彼らの訴えを取り入れるように、マリーは言った。
「……これだけ言っても、まだ認めないの? 従者たちの不満募らせて、後ろ指差されて言うこと聞かれなくても知らないからね。まさか、都合悪くなったら、実の娘を盾にするような酷いやつじゃないよね?」
「そんなことするなら、親じゃなくて人としてドン引きだよ。そう言う人ほど、"何もできないくせに、口だけが大きい"からね」
主人の言葉を投げ返すプラタナスに、主人は顔を赤くして震える。それに僕は少しだけ胸の支えが取れた気がした。
「か、勝手にしろ! もう知らん!!」
その後、一瞬の出来事だった。年不相応にそっぽむく主人に、マリーが机の上に乗った。
「じゃなくて、認めろっつってんの。家柄とかそういうのどうでもいいから」
口調が荒々しくなり、同時に刃を取り出した。主人は肩を振るわせ身を引く。
「ここまであんたの娘が言ってんのよ? 何か言うことは?」
「……」
「簡単でしょ? プライドと自分の命、どっちが大事かくらい」
「……分かった。旅に、出なさい」
「……それだけ?」
「……」
「頑張ってる娘にいろいろ文句言って、ダメだと決めつけて、自信喪失させかけて、何か言うことないの? 早く言いなさいよ」
「……何も知らんで、文句ばかりで……」
「そのすっからかんの頭で、"ご"から始まる六文字の言葉を当てはめてね!」
「ご、ごみどーーッ!!」
主人の口から出る汚い言葉を予想したが、それはマリーの手持ちの武器の矛先を向けられたことで止められた。
「ふざける余裕なんてあるんだ? それだと私が今提示した要件と合わないよね? ベーススワローの餌になりたいの? 南半球だけ喰われてもらおっか?」
主人は冷や汗をかきながら目を泳がせる。従者は一人もマリーを止めようとしない辺り、かなりこの状況が不満のようだ。主人は歯軋りをたてて、唇を振るわせ、貯めに貯めた言葉を述べた。
「……ごめんなさい」
その瞬間、従者の一人が歓喜の色に染まる。
「やった……やった、やった!!! ご主人様が認めたぞー!!」
歓喜の色が爆発するように従者たちは声を上げる。
「やっと、お嬢様が自由の身に……!!」
「わだじだぢの悲願が叶っだぁうぁぁぁ……!!」
大声で喜ぶものもいれば、嬉しさで涙をするものもいた。鼻を噛む音も。
「あれ、アイビー?」
従者たちをぼーっと眺めていたアイビーの目から、大粒の雫が溢れていた。それに気づいた従者たちが顔を青ざめる。
「お、お嬢様!? どうなされたのですか!?」
「まさか、どこかお障に……!?」
「ち、違う、違うの……!」
アイビーは涙を拭いながら、心配する従者を必死に止める。
「違うとは? 悲しい場面など一つもないのですから、泣くこともないと思いますが」
そこにハイドの心無い一言が、この場の者達の歓喜の色が青くなる。
「メイド長、流石にそれはないと思います」
従者たちが目を細める。それにハイドは首を傾げた。
「? 喜ぶところだからこそじゃないのですか? 泣くのはおかしいと思いますが」
「ぞうだげど!!!!!」
マリーはハイドの胸に蹲って、顔を捩じ込む。
「ありがどね!!!」
「……業務に従ったまでです。有給消化して、ここを退職いたします」
「じゃ、じゃあ、一緒に旅に出よ!」
「お嬢様と、私がですか?」
「私、ハイドと一緒がいい! 次の働き先がないなら一緒に探してあげる! その、有休消化っての、前払いで渡せばすぐに行けるよ!」
「……身に余るお言葉。感謝いたします」
そうしてアイビーはハイドの両手を、優しく両手で包む。
「メイド長、お嬢様。私達はあなた方の旅が良いものであることを、心から祈っております!」
「ここまで頑張ったんだ。お嬢様に旅を楽しんでもらわんと話にならんよ!」
「何かあったら、伝書鳥を送ってください。すぐに駆けつけますので!」
「「「行ってらっしゃいませ、お嬢様! メイド長!」」」
従者たちは、嬉しそうに頭を下げ、門出を祝う。そして、それは親に邪魔されることもない。その親が悔しそうに突っ伏しして動く気配はない。一人の優しい令嬢は、親に振り向くことなく、その門出に息を吸い込んで従者たちに返した。
「行ってきます!!」
◆
こうして、従者たちの懇願により、アイビーは旅に出る許可が降りた。メイド長の座を降りたハイドも、アイビーについて行くことにした。しかし、僕たちの旅路はそれぞれ違う方へ進む。
「本当にいいの? 一緒に行った方が」
「ううん、私は自分の力で旅がしたいから」
「私も同行するのですが、それは果たしてお嬢様のお力で……」
「私がハイドのエスコートする番ってこと! 話の腰を折らないでよ良いとこだったのに! プラタナスはミントと一緒だよね」
「うーん、僕はアーロンと旅を続けるよ。僕の趣味にミント達を振り回すとあんまり良くないし」
「残念だね……」
僕が首を傾げていると、アイビーは柔らかな笑顔で言った。
「皆、本当にありがとうね。特にプラタナス」
「ん? 僕何かしたっけ?」
「あんたがお父様の前に出なかったら、私は何もできなかったし。あなたが一番短い期間だったけど、楽しかった。楽しかった……は変だけど」
プラタナスはメガネを整えて言った。
「うーん、思わず言葉が出ただけっていうか。向こう見ずだったから、反省してる。それに……」
その瞳は遠くに見えるフェクトウェッジ邸に向けられ、こう言った。
「きっと、君の主人は愛されてなかったんじゃないかな。だから、プライドだけが募って……」
「大丈夫、言わないで」
アイビーはその言葉を止め、大空を仰ぐ。
「愛されてないのは分かってる。それでも私の親だから、どうか私がいなくなることで、気が楽になれば良いなって……」
「……きっと叶うんじゃない? 娘を手元から失って、何か気づくかもしれないしさ」
「プラタナス、その言いかーー」
プラタナスの無神経な発言を突っ込もうとしたら、唇が重くなる。マリーが人差し指でアイビーを指しているのを見た。そこには、晴れやかで満面の笑みを浮かべながら泣くアイビーの姿が、陽の光に照らされていた。
「そうだね……うん、私もお父様もやっと外に出られるんだ……!!」
まるで雲ひとつない空は、アイビーの門出を祝福しているようだった。
「……次会う時はどうなってるかな」
プラタナスは感涙しそうになる目を、メガネの反射で隠した。
「わからないけど、また会えるよね?」
「お互い生きていればの話だけどね」
「死んじゃダメよ! じゃあ生き延びる御呪いかけるし! 五百年くらい!」
「それじゃ僕ら化け物じゃないか」
冗談混じりの会話に笑みが溢れる。少年漫画の終わりみたいな雰囲気にはぴったりだ。多分ここでお決まりの言葉を言うべきだろう。僕は一息呼吸を入れようとした。
「旅はまだまだこれからだー!!」
「……」
マリーにセリフ横取りされ、やれやれと呆れる様を見せる。そうして、僕たちはそれぞれ違う旅路を歩む。次の再会を信じて。遠くまで姿が見えなくなると、マリーが張り切り出す。
「さて、次の町に行くぞミント氏!」
「切り替え早いなぁ」
「なにごとにも臨機応変に!」
多分、意味違う。
「と言っても、次は寝台列車で行くんだよね? 冒険だから歩いて行くのも……」
「冒険イコール徒歩なんて誰が決めた? ルールは捨てるためにある!!」
「マリーが言うと妙に説得力あるな……」
「伊達に真の神の使いはやってないぞ!」
「絶対関係ないよね……?」
「それに歩いたら国だから凄い時間かかるよ?」
「やっぱやめとく……」
でも悪くない。僕の旅の始まりが、こんなに晴れやかな気分にさせてくれた。この先のことが、少しだけ楽しみに思えたのだから。恐らく、今回のことを"救えた"と実感したから。
「いざ次の国参らむ、あっスガタノオオクニへ〜!」
「う、うん……!!」
僕は帽子を整え、リュックを持ち上げる。マリーと共に再び新たな旅路へと、足を踏み入れた。
◇
とある女子同士のメール
⬛︎⬛︎のやつ、余計なことばっかしてたから怒鳴ったのに、先生にチクって私が怒られたの意味分かんないんだけど\٩(๑`^´๑)۶//
アイツ空気読めないよね。先生大好きだし。どうせポイント稼ぎでしょ。気持ち悪
調子乗んなってのあのクソ野郎。
おまけにテンション高い時と低い時がわざとらしくてウザいし。
国語の岡宮とか⬛︎⬛︎の味方だし、もうダメだよこの学校。
ネガだしキモいし良いとこ何一つない
この前私が悪口言ったって先生にチクられて怒られた泣
アイツがキモいからキモいつったのに。
でも⬛︎⬛︎、この前体育の池崎に怒られたよね。執拗に男子罵ってて、うるさいって言われてたよ
ポイント稼ぎのクズにはいい薬だよ。
マジでこの世で一番いらんwはよ死んだらいいのにね
ねー!!
◇
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