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「……意外にも、面白かったです」

 驚きと笑顔の混ざった顔で、燻離学生は言った。こんな顔もできるのだな、と私は暢気のんきに思っていた。

「AIの技術的な話から、倫理的な話にまで繋がってて、興味深かったです」

「それは何よりだ」

 次の授業がないため、すっかり空っぽとなった講義室。そこで、私と燻離学生のみが残って会話をしていた。『面白かった』『興味深かった』とはよく聞く社交辞令だが、表情からは少なくとも完全なおべっかではないということが悟れた。

 准教授の私にとってこれ以上の喜びはない。

 燻離学生が、少しだけ良い人間に見えてしまうほどに、私の心は満たされる。

 しかし。

「興味が出たなら、どうだ、AI研究の道に進む気はあったりするか?」

「遠慮しておきます。どうせ私、死にますので」

 私の頭の中の理性が語りかける――彼女は自殺志願者であり、私の秘密をネタに脅し、倫理的に問題があると言える自律AIのVアイドルを、私に作成させようとしている――そんな、厳然たる事実を。

 気を引き締め直さなければ。

 頬を緩めてる場合ではない。

「しかし」

 燻離学生は、もう誰も座っていない講義室を見回す。

「どうして結構な数の人が、どうでも良いみたいな感じで貴方の授業を聴くのでしょうね」

「単位の取りやすさだよ」私は諦め気味にそう言った。「そんなに評点を厳しく付けたりはしないから、皆集まってくるに過ぎない」

 だが。

「……舐められてるってことですか」

 燻離学生にとっては、何か引っかかることがあるのか、挑むような口調でそう言った。

「まあ、そうなるな」

 だが、私は思う。舐められても仕方ない。舐められない様にする努力をしていないし、また努力をする意思もないのだから――だからこの状況は、所謂いわゆる自業自得というヤツだ。

 私はそう打ち明けた。どうせ私の最大の秘密も知られていることだし、胸襟を開けば更に信頼は増すだろう、という意図もある。その効果が最大化するように、成り行きで思わず打ち明けた体を装う。

 だが、燻離学生の反応は。

「……何ですか、それは」

 嘲り――でさえなく。

 、だった。

 どう見ても、彼女は怒っていた。

「なんで、舐められたまま、何もしようとしないんですか。そんなの、ただただ屈辱でしかないのに――あの、、しないんですか」

「……」

 実際に死を選んでしまう君に言われてもな。

 喉まで出かかったその言葉を、辛うじて呑み込む。

 ……しかし、まあ、確かに。

 舐められたまま何もしていないことに、燻離学生が怒りを覚えるのは分かる――何せ、自身のVアイドルアバターにスパイプログラムを組み込み、誹謗中傷者に復讐するなどと考える剛気(いや、狂気)の持ち主だ。余程、私が意気地なしに見えたのかもしれない。

 それに、だ。実際屈辱を味わうと、それがたとえであっても、人間は死にたくなる。慈愛リツ関連で、私はその気分を味わった。

 それでも、私は踏み止まった。この人生という道から外れることなく、歩き続けてしまった。どこまで行っても、私には怖くて、自ら死ぬことなどできなかった。(念のため断るが、死への恐怖に打ち勝ち自殺を決断しているなどと、燻離学生を賛美している訳ではない。)

 だからそんな私にできるのは「……勿論、屈辱的ではある」とあくまで歩調を合わせることくらいだ。死への覚悟を決めた者に、私から何かができる筈もない。

 但し、ただ足踏みするだけではない。

 彼女をどうにか説得できないか、道筋を探しながら、言葉を継ぐ。

「しかし、死にたくはならないな」……あくまで、生徒に『楽単授業』だと舐められていることに関しては。「やり返そうとも思わない。大体、彼らは私に実害を及ぼしている訳ではないからな」

 誹謗中傷を受けている訳ではない。

 とても、幸運なことに。

「実害を直接被っていなくても、裏じゃ何言われてるか分からないじゃないですか」燻離学生は反論する。「とんでもないあだ名で呼ばれたり、変な噂まで流れたりしていたら――」

「それはあるかもしれない。その噂で実害を被ったら法的措置など検討の余地はあるが、今のところは精々、『単位配りおじさん』程度だろう。それくらいなら、別に誰に何を言われようと構わない」

 そう。無害である内なら、それで良い。

 だから極端な話、先ほど燻離学生が私にしたように、公開してはならない情報を公にされそうになったら対応はするだろう(まあ、実際にはできていないし、脅され圧倒されているばかりだが)。或いは、燻離学生がそうであるように、誹謗中傷で死にたくなるまで追い込まれたら――勢いで言いかけ、口をつぐみ、咳払いする。

「……良いか燻離学生。死にたくなることはあるかもしれない。取り返しのつかないことになったことなど、生きていれば何回かあるものだ。だが――綺麗事と思うかもしれないが――死んだら、全て終わりだ。生きてこそ、幾らでも対抗できるし、挽回のしようもある。いつか輝けるのだと思って、腐らず、立ち止まらず――いや、腐ったり立ち止まったりしてもなお、努力を続けることが、大事なのだ。君は、まだ若いのだから」

 私と違って、いくらでも前途があるのだから。

「……」

 燻離学生は、説教臭くなった私の発言に。

 ただ、溜息をついた。

「……そうでしょうね。ええ、そうだと思います」

 でも、と。

 燻離学生は、真っ直ぐ目を向けた。

「本当に取り返しがつかなくなったら――抵抗や挽回のしようがなくなったら、終わりなんです」

 ……。

 だからこそ――

「自分は自殺をするのか? 永遠の命たるVアイドルに後を託して」

「そうです」

 真っ直ぐとした目のまま、私にそう返し、

「だって――」

 と言いかけた。この場の雰囲気と勢いに任せてしまったのだろうか。

 ハッと、彼女は口を閉じた。

「……『だって』、何だ?」

 気になる私が聞くと、少し黙ってから、答えた。

「……もう取り返しがつかないとこまで来ているんですから」

 同語反復トートロジーだった。明らかに引っ掛かるところはあったが、「録画アーカイブでも見てみて下さいよ、分かりますから」と素早く言い放たれ、発言の機会を失ってしまう。

「ともかく」燻離学生は鞄を持つ。「貴方の開発状況は逐一、確認させて貰いますので。また来ます。その時までに開発がちっとも進んでいなかったら――分かっていますよね?」

 告発。

 たった2文字の言葉が私の頭の中に浮かび上がり、頭の中で渦巻いた動揺が汗となって額に滲み出るのを感じる。

「……ああ」

 この場で今、私にとれるのは、頷くという行為だけだった。あの講義(という形をとった迂遠な説得)で何か変わってくれればとは思っていたが、無駄足に終わったようだ。


 ――この後は連絡先を交換し、「あとで音夢崎すやりの2D、3Dモデル等々を送っておきます。何か質問があればこのメールまで」とだけ言って、彼女は颯爽と帰って行った。

 彼女の鳴らす靴音が遠ざかるにつれ、私の心の中で安堵がじわじわ広がってゆく。

 しかし、問題は何も解決していない。結局私は、音夢崎すやりの自律AIを作ることになってしまったし、それを被害なく中止させる方策は何も浮かばない。

 あくまで、猶予をもらったに過ぎない。

 開発をしながら、どうにか方策を考えなくてはならない。


 ――そうして考えている間。

 私は、かつて慈愛リツの放った、あの言葉たちを思い出した。


『誹謗中傷は、人を殺すのです』

『動きもせず、裏方で文を推敲するばかりの人の言葉ですか、それが』

『私は、間違ってない』

『正しい行いをしなかったのは、そっちのくせに』



『…………この、



 ……。

 私は、研究室に戻ることにした。

 雑念を振り払うため、机に向かって研究に戻ろう――そう、決心した。




(Verse END.)


(Seg.)

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