みんな変だよ

綿来乙伽|小説と脚本

私以外、みんなが

 家に帰ると、玄関の靴箱の隣で祖母が三転倒立をしていた。祖母は最近腰が曲がって来たようで、十二時の長針のような三転倒立が十二時三分ほどになっていた。


 「おばあちゃん、ただいま」


 祖母は帰宅した人間が挨拶をしたタイミングで器用に背中を畳んで前回りをする。祖母が見事着地して立ち上がった時、私は家の敷居を跨ぐことが出来る。


 「おかえり。今日は区民センターでお茶会があったから、帰りに隣のケーキ屋に寄って来たんだ」

 「え、ケーキあるの?」

 「マキちゃんのもあるよ」

 「やったね」


 祖母は優しい人だ。祖母が小さい頃、優しさは見返りを求めて行なうものではないと祖母の祖母から教わってから、人に優しくする時は慈愛の心を忘れずに行動しているらしい。私はそんな澄んだ心の持ち主である祖母が大好きだ。そんな祖母なのだから、家族分のケーキを買ってくるほど優しい人なのだから、腰が三分程曲がっているのを神様が治してくれたら良いのに、と思った。


 リビングのドアを開けると、父、兄、弟、母、犬の「キショウヨホウシ」がいた。彼らは彼らなりのくつろぎ方をしていた。私がただいま、と伝えると、彼らはおかえり、と返してくれた。私はダイニングチェアに鞄を置き、申し訳程度に身に付けていたカーディガンを脱いだ。


 母は絨毯の下にいた。絨毯の裏にはズレ防止の粘着テープがついている。数年前、母の夢に喋れる絨毯の裏の粘着テープが現れた事があり、君のことをずっと見守っているとお告げを頂いたらしい。それから母は現実の粘着テープに首ったけで、母が毎秒絨毯を剥がし粘着テープに触れるものだから、粘着テープの粘着の部分はどこかに行ってしまった。それに母が絨毯の下に潜り込んでしまうので、絨毯の上にテーブルやソファを置くのを止めた。彼らは絨毯の上ではなく、フローリングに直に置かれている。


 兄はある時から話さなくなった。その代わり、鳴くようになった。「キショウヨホウシ」のように、ワンと鳴く時もあれば、ヒヒーンと馬のように鳴いてみたり、ホーホケキョと鶯のように鳴いてみたりする。私達家族は多くが人間なので、兄が何を話したいか、そしてどうして人間の声で発しなくなったのかなど何も分からない。でも好きなご飯が出てきたらニコニコ笑っているし、弟にゲームで負けたら悲しい顔をしているし、兄には喜怒哀楽しか必要ないと人間で一番最初に気付いたのかもしれない。だから必要最低限の行動で省エネルギーな生活を心掛けているのだろう、という結果になった。今日兄から貰ったお帰りは、モー、だった。これは牛ではなく麒麟である。私達家族は、兄のおかげで動物の鳴き声に詳しくなった。


 父はテレビを観ていた。と思いきや、テレビの前に設置されているポールでダンスをする弟をつまみに酒を呑んでいた。弟は物心ついた時から棒が好きで、階段の手すりや祖母の杖、テーブルの脚に捕まってクルクルと回っていた。それに驚いた父は、リビングの真ん中に金色のポールを建てた。弟が十歳の時だ。弟は喜んで学校から帰った後は毎日回っていた。最初は目が回らないかと心配になったが、弟が定義する「本日の限界」に辿り着けばポールダンスを止めてその足で夕食を口に運ぶ。三半規管が人の八億倍強い。今度の弟の誕生日には、ポールダンス用の衣装を飼ってあげようと思う。


 「マキ、おかえり。ケーキ美味いぞ」


 父は祖母の買って来たケーキを食べていた。だが父の食べていたケーキは私が思っていたものではなかった。大きなボウルに酒と柿の種とイチゴのショートケーキが全て入っていた。それが鮮明に理解出来たのは、父がそれをまだ混ぜていなかったからだ。父は近くに置いていたビニール袋を取り出して、両手を使って捏ね始めた。


 父が捏ねるのにハマったのは、私が小学校を卒業し、母が粘着テープの夢を見て、兄が鳴くことしかしなくなり、祖母が三転倒立を始め、弟がプロのポールダンサーを志すよりずっと前のことだ。会社の慰安旅行で陶芸体験をした時、ろくろに置いて器を作るより、その前に生地を捏ねることの方が楽しくなってしまったのだという。だが陶芸の本目的は陶器を作ることにあるので、慰安旅行では父の楽しみが半減し、「捏ね」への興味関心のみを持って帰って来た。それから父は、生き物以外の全てを捏ねている。しばらく捏ねたショートケーキビール柿の種を父が頬張りながら、父が尋ねた。


 「仕事初めてから一か月だな。慣れて来たか?」

 「あんた高校も大学もバイトしてなかったから、働いてみて疲れたでしょう」

 「お姉ちゃんは友達多いから、すぐ人と仲良くなれるよね」

 「とにかく休みなさい。いっぱい食べて、いっぱい寝たら良いよ」

 「ニャーゴロゴロ」

 「アシタノテンキハ、クモリノチハレ」

 

 私は外に出ている間ずっと、酸素が薄い世界にいた。それは緊張でもなく、疎外感でもなく、変、だったからだ。


 大学を卒業してすぐ、家具メーカーの事務員として働くことになった。初めての仕事でとてもそわそわしていたが、周りの人もとても優しく、また同期の子達も明るく元気だった。だが私が息苦しくなったのは、彼らの日常会話を聞いてからだった。


「最近出来た猫カフェ行ってみない?会社のすぐ近くだから」

「良いね。そういえばこの前教えてもらったピラティス、すごい良かった。また行こうと思って」

「本当?マキも今度一緒に行こうよ。この前は用事で行けなかったもんね」

「あ、うん」

「あー、でも今週無理かも」

「えーまた彼氏?」

「うん。彼が長期休暇取れるから旅行でも行こうって」

「良いなー。付き合って三年でしょ?もうそろそろ…?」

「プロポーズ、来るかもね」

「羨ましい!OJTの三橋さん、子供三人目生まれるんだって。早く結婚して子供欲しいなー」

「係長がいつも言ってる嫁の愚痴ってやつ?あれってよく聞いたら惚気だったよ。やっぱり結婚って良いものなんだよ。ね、マキ?」

「あ、うん」


 私は彼女達の会話についていけなかった。彼女達はおかしい。彼女達の会話は、自宅には無い異色の話題だった。でもよく考えてみれば、彼女達の会話を自宅以外の全てで聞いていた。年代によって現実味は違うけれど、なんとなく形が似ていて、同じ穴に通せるような話題ばかりだ。一方で家族で行なわれる会話とは違った。形も大きさも何も合ってない。学校や会社が世間であるなら、世間が私にとって変で、気持ちが悪くて、少しばかり手が痺れた。彼女達は彼女達の普通を話している。私は家族と世間を乖離して、二つの世界で生きている。地上で美味しい空気が吸えていた家と、眺めが良いと教えられたけど曇っていて何も見えず、むしろ酸素が薄くて息がしづらい山頂の世間。私はそれの行ったり来たりで頭がパンクしそうだった。



 「マキ」


 部屋のベッドに寝転がり、眠れずにいた私に、絨毯の下から抜け出した母が訪ねて来た。


 「仕事大変なの?」

 「仕事というより、人、いや人でも無いんだけど」

 「まだ働いて一か月だもの。戸惑うことも、疑問に思うこともたくさんあるはずだわ。焦らずゆっくり慣れていけば良いの」

 「慣れないと、いけないのかな。私は慣れたいと思わないよ」

 「それなら、慣れたフリで良いんじゃない?どうせ人は、たくさんの顔があるんだから」


 母はそれだけを言い残して扉を閉めた。私は世間にいても家族と過ごしていても、彼らが使う言語が私との共通言語のフリをして過ごしていくのだ。それが私の、普通だ。

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みんな変だよ 綿来乙伽|小説と脚本 @curari21

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