第32話 十階層のボス
夏休み五日目。
一鷗とメアエルは朝からダンジョンに潜り、九層でレベル上げを行った。
ヌスラットのコロニーを二つほど壊滅させ、道中のモンスターも積極的に狩っていった。
おかげさまで昼頃には一鷗が25レベル、メアエルが24レベルとなり、おおよそ目標値に達していた。
「私は今のままでも十分戦えるわ。むしろレベルを上げ過ぎたくらいだわ」
「そういう油断が命取りになるんだ。せめてお前も25レベルに──」
「嫌っ!」
ブルシートの上で昼食を囲みながら話し合いをしていると、レベル上げの件で再びメアエルと一鷗の意見が割れた。
一鷗の忠告を突っぱねたメアエルは顔を俯かせて、ぽつぽつと語る。
「……カモメさまの戦い方だとそういう考えになるのも分かるわ。でも、私は遠距離タイプの魔法使いなのよ。カモメさまとは戦い方が全然違うし、求められるステータスも違ってくる。今更レベルをひとつ上げたところで大して変わらないわよ」
「確かにステータスの上昇は微々たるものかもしれない。けど、レベルが上がればスキルを覚えられるかもしれないだろ?」
「確かにスキルを習得出来れば戦力は大幅に上がるでしょうね。でも、分かるのよ。今の私がレベルをいくら上げようともスキルは覚えられないって」
「そんなこと──」
「スキルを覚えるには試練を越えなきゃいけないのよ。安全ばかりを追い求めていたらスキルは一生手に入らない。スキルを手に入れるためにも私は挑戦がしたいの。──お願い、カモメさま。私に試練に挑むチャンスを頂戴」
顔を上げたメアエルの瞳には確かな覚悟が宿っていた。
彼女の言葉が生き急ぎの言い訳ではないとその覚悟が物語る。
そんな熱い覚悟を見せられた一鷗は、それ以上なにもいうことが出来なかった。
「はあ、分かった。そういうことならレベル上げはこれでお終いだ。この昼休憩が終わったら十層に下りる。そして──ボス戦だ」
「ええ!」
一鷗がそう決定すると、メアエルは気合いの入った気持ちの良い返事を返した。
それから二人はぱぱっと昼食を食べ終えるとブルーシートを片付け、探索の準備をした。
準備が終わると、移動を始める。
向かう先は昨日の探索中に見つけた十層へ続く階段である。
▼
狭く暗く角度のキツイ階段を下ると、正面に大きな扉が現れた。
意匠の無いシンプルな造りの扉であるが、大きさが通常ではない。
身長が五メートルある巨人用に造られたのではと疑うほどの大きさだ。
しかし、取っ手は一鷗の目線と同じ位置に取り付けられており、全体から見ると大分下の位置にある。
なんだかとてもアンバランスな扉であるが、メアエルに言わせるとこれが普通とのことなので、気にしないのが一番だろう。
「この先にボスがいるんだな……」
ごくりと唾を呑みこみながら一鷗が呟く。
道中までは平気だったはずなのに、ここに来て途端に緊張が胸中を満たす。大きな扉に威圧されたせいだろうか。
一鷗が大きな扉を見て固まっていると、不意に背中に衝撃が走る。
「いッ……!?」
一鷗は左腕にガントレット、胸部に胸当てと比較的重厚な装備をしているが、背中は無防備なのである。
そこに打撃を見舞われた一鷗は涙目になって振り返ると、片腕を振り抜いた状態でどこか気持ちよさそうな表情をするメアエルを睨んだ。
「なにすんだよ!」
「カモメさまがビビってるみたいだから活を入れてあげたのよ。感謝しなさいよね」
「それは……ありがとうございます。──って、だからっていきなり引っ叩くこたねえだろ!」
「叩きたくなるような背中をしてるほうが悪い!」
「えぇ……」
なんとも理不尽なことを言うメアエルに一鷗はジト目を向けた。
とはいえ、彼女の気遣いのおかげで緊張がほぐれたのは事実である。
そこは本当に感謝しつつ、一鷗は改めて気合いを入れ直した。
ぱちんと頬を両手で挟み、頬に紅葉マークを刻む。
それからもう一度、今度は呑み込まれないように意識しつつ、扉を睨んだ。
「よしッ! そんじゃあ、初ボス戦と行こうか!」
「ええ! 絶対に勝つわよ!」
一鷗とメアエルが互いに気合いを入れると、それぞれ装備を整えて扉の前に立つ。
手を扉に当て、一鷗とメアエルは目を見合わせる。お互いに頷き合った。
「「せーのッ」」
二人で同時にそう叫ぶと、扉に当てた手を奥へと押した。
大きな扉を全身の力で奥へ押して、開いていく。
中から禍々しい光と独特な色をした煙が手前に流れ込んでくる。
ある程度扉が開くと、二人は押すのを止め、開いた幅に身を滑り込んだ。
二人が中に入ると、後ろ手に扉が勝手に閉まる。
しかし、二人はそれに気づかない。
なぜなら二人の注意はすでに部屋の中央に鎮座する一体のモンスターに注がれていたからである。
「────」
等間隔に松明を照らす岩壁に囲まれたドーム状の空間に鎮座するモンスターはゴブリンだ。
ただし、通常のゴブリンともホブ・ゴブリンとも様相は異なる。
ホブ・ゴブリンよりも大きな体躯をし、筋骨は隆々。
全身にはおどろおどろしい赤い墨が入れられて、胸元にもうひとつの顔があるようである。
キャヴァンウルフの毛皮から作られたと思しき布を腰に巻き付け、首元や手首にはモンスターの骨から作られたアクセサリーが飾られている。
傍らに置かれた大剣は一鷗の背丈と同等か、それ以上。刃は鋭く研ぎ澄まされ、松明の赤い光を反射していた。
『気を付けられよ。あれはゴブリンセイバーだ』
ドランがボスモンスターの正体を明かす。
だが、やはり二人にはその言葉は届かなかった。
件のモンスター──ゴブリンセイバーがおもむろに大剣を掴み、立ち上がったせいである。
「ギグオオオオオオオ!!」
次の瞬間、ゴブリンセイバーが洞窟を揺らす程の雄叫びを轟かせた。
身の竦むような圧倒的なプレッシャーが一鷗とメアエルに襲い掛かる。
二人は反射的に後方へ飛び退ると、背中を扉に触れさせ、ハッと我に返る。
「はは、マジかよ。これがボスの迫力か。これまでのモンスターの比じゃねえな……」
「でも、バグベアみたいな
「ああ、そうだな!」
一鷗とメアエルは互いに目を合わせて頷き合うと、武器を構えて視線をゴブリンセイバーへと向けた。
「行くぞッ!」
一鷗がひと声吠え、ゴブリンセイバーへと突っ込んでいく。
「ギギャ」
スキルもなにも使わずにただ真っ直ぐに突っ込んでくる一鷗に対し、ゴブリンセイバーは冷ややかな目を向けた。
愚直には愚直をと言わんばかりに大剣を天高く振り上げる。
一鷗相手には技もなにもないただの振り下ろしだけで事足りると判断したのだろう。
だが──
「甘いわね! 【フレアカノン】!」
一鷗の後方でメアエルがいきなり最高火力の魔法を唱える。
手のひらの正面で膨れ上がった炎の塊は大砲の如く射出される。
炎の砲丸はそのまままっすぐに飛来すると、無防備に晒されたゴブリンセイバーの胸を打った。
「グギャッ!?」
さすがのボスとは言え【フレアカノン】は痛かったようで、ゴブリンセイバーのヘイトがメアエルへと向かう。
しかし、ゴブリンセイバーの視線が外れたところで、胸元で爆ぜた爆炎の中から鉄剣を構えた少年が飛び出した。
「注意を逸らすにはちと早いぜ!」
ゴブリンセイバーの胸元を一鷗がばっさり斬りつける。
紫色の血が噴き出し、見るからに致命傷であった。
ゴブリンセイバーは一鷗の追撃を警戒し、大剣を強引に振り払うと、後方へ大きく飛び退いた。
一鷗は深追いはせずに立ち止まると、メアエルの元まで引き返す。
「いい具合に入ったと思ったんだけどな……」
『否。カモメ殿の攻撃が不発だったのではない。ヤツの防御力と、回復力が異常なのだ。あれを見るがよい』
未だに息があるゴブリンセイバーに対し一鷗が愚痴を吐くと、ドランが真面目な考察を述べた。
ドランに言われ、ゴブリンセイバーに目を向けると、先刻与えたダメージがみるみると回復していき、瞬く間に傷が癒えてしまった。
「うっそ! あいつも【超速回復】持ち!?」
ゴブリンセイバーの回復速度を見て、かつて同様のスキルを持ったホブ・ゴブリンに苦戦を強いられたメアエルが当時の苦労を思い出して疲れた顔で叫ぶ。
彼女の反応から手強い相手だと再認識した一鷗がメアエルに尋ねる。
「【超速回復】だっけ? 強いのか?」
「強いというか面倒くさいわ。簡単にいうと即死じゃない限り死なないスキルだもの」
「なるほど、それは確かに面倒くさいな。でも無敵ってわけじゃない……だろ?」
「ええ、そうね」
「だったら、やりようはいくらでもある!」
一鷗はそう言って不敵に笑うと、こしょこしょとメアエルに作戦を話した。
すると、メアエルが苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「あんたってほんとに腹立たしいわね。私がやっとの思いで見つけた糸口をこうも易々と……」
「そうなのか? なんか、すまん。けど、いい作戦だろ?」
「そっちの負担が大きいようだけど、平気?」
「おう! 問題ない」
「そ。なら文句は無いわ」
「よしっ。んじゃ、そういうことで」
メアエルに文句を言われたが無事に作戦を共有することに成功した。
ゴブリンセイバーへと視線を戻す。
「待ってくれてありがとな。ようやくお前の倒し方が決まったよ」
「ギギャ!」
一鷗が軽く挑発をすると、プッツンキレたゴブリンセイバーが大剣を構えて突進してくる。
メアエルに攻撃が行かないように一鷗も前に出て応戦すると、中間のところで剣が交わった。
ゴブリンセイバーが重い連撃を浴びせてきて、一鷗がそれを技量で受け流す。
「ハアアッ!」
連撃の隙をついて剣を跳ね上げると、一鷗は後方へ向けて叫ぶ。
「メアエル!」
「【火蝶】!!」
一鷗の合図にメアエルは火の蝶を二体生成すると、それをゴブリンセイバー目掛けて放った。
二体の火蝶はまっすぐ飛来すると、無防備な胸に重ねて文様を刻み込んだ──かに思われた。
「ギャギャギャ!」
本能から危険を察知したゴブリンセイバーが大剣を手放して、両手で火蝶を掴み取った。
予想外の反応にギョッとする一鷗に、ゴブリンセイバーの回し蹴りが炸裂する。
防御が間に合わずに胸を蹴りぬかれた一鷗が勢い余って扉に激突した。
「カモメさま!」
メアエルが心配そうな声を上げて慌てて駆け寄る。
すると、扉にぶつかった一鷗は頭から血を流しながらも存外平気そうに起き上がった。
けほけほと咳き込みながら、立ち上がる。
「カモメさま、起き上がって平気なの? 結構しっかり攻撃受けてたみたいだけど……」
「ああ、意外と平気だ。この胸当てのおかげかな」
一鷗はそういって黒革の胸当てを優しく撫でつけた。
次の瞬間、一鷗の視界に影が落ちる。
ハッとして正面に目を向けると、そこには大剣を振りかぶったゴブリンセイバーがいた。
「メアエル!」
「きゃっ!」
一鷗は咄嗟の判断でメアエルを蹴り飛ばすと、自分は剣の腹を横にしてゴブリンセイバーの振り下ろしを受け止めた。
ずしんと重たい一撃に腕と足の骨が悲鳴を上げる。
それでもなんとか踏ん張って持ちこたえた。
「ぐ、おおおお……ッ!」
「ギギギギ」
「カモメさま……ッ!」
一鷗が歯を食いしばって剣を押し返すと、負けじとゴブリンセイバーも腕に力を込める。
一進一退のその攻防をメアエルが遠くから心配そうに見守った。
それを横目に見た一鷗は、ふとゴブリンセイバーの両腕についた赤く燃える蝶の模様に気が付いた。
直後、雷が落ちたような衝撃と共に天啓が閃く。
「メアエル! 作戦続行だ!」
「え!? でも、火蝶は……」
「いいから! 作戦通りに続けてくれ!」
「……分かったわ!」
一鷗の言葉にメアエルは逡巡すると、大きく頷いた。
直後の彼女の行動は早かった。
ゴブリンセイバーの死角に回り、魔法の詠唱を開始する。
ひとつの魔法の詠唱が終わると、それをあらぬ方向へ打ち出し、もう一度詠唱を。
そして、あらぬ方向へ打ち出した魔法が軌道を変えて戻って来るタイミングに合わせてもうひとつの魔法を撃ち出した。
「【フレアカノン】──【フレアカノン】!」
残存する魔力を全て費やした彼女の最高火力魔法。
二つの極大な炎の塊がゴブリンセイバーの死角をついて飛来する。
「ギギャ!?」
巨大な魔力を感知したゴブリンセイバーが迫る炎の砲丸を回避しようと試みる。
しかし、炎の塊は吸い込まれるようにゴブリンセイバーの両肘に向かうと、そこに刻まれた火蝶の模様を焼いた。
激しい爆発がゴブリンセイバーを両側から挟み込む。
続いて、ぼとぼとと関節から分断された両腕が力無く地面に落ち、カラン──と力の抜けた腕から大剣が地面に転がり落ちた。
「よくやったメアエル。あとは俺に任せろ」
両腕がなくなり、呆然と佇むゴブリンセイバーの目の前で剣の重みから解放された一鷗が天高く跳躍する。
彼はゴブリンセイバーの目線と同じ高さに並ぶと、鉄剣を大きく引き絞り、標準を胸に刻まれた赤鬼の眉間に定めた。
「終わりだ!!」
トドメの一言を叫び、鉄剣を前に突き出す。
深々と肉を貫く感覚が剣を伝い。
滴る血の音が耳朶をついた。
そして──ゴブリンセイバーの不敵な笑みが眼前に広がった。
「ギギャギャ……!」
不敵な笑みを浮かべるゴブリンセイバー。
ヤツから少し視線を外した一鷗は自身の剣に目を落とす。
鉄剣は確かにゴブリンセイバーの胸を貫いている。
ただしそれは【超速再生】によって新たに生えたゴブリンセイバーの左腕を間に挟み、目標とは少しばかりズレた位置を穿っていた。
致命傷ではあるものの、即死ではない傷が【超速再生】によってみるみるうちに回復していく。
突き刺さる一鷗の鉄剣を押し返されるが、一鷗はそれに反発するように力を込めて剣を前に押し出した。
「ギギャギャ」
ゴブリンセイバーが降参を促すように嘲た調子で一鷗の耳元で囁く。
しかし、一鷗は剣を押し出すことはやめない。
代わりににやりと、口の端を吊り上げた。
「ばーか。なに勝ち誇った気でいやがる。お前は負けたんだぜ。勝ったのは俺たちだ」
「……ギギャ?」
「──【
ぽつりと一鷗が呟くと、剣の鍔から赤い炎が噴き出した。
炎は銀色に輝く刃を走り、剣先にまで伝わると、そのまま貫く緑の肉を内側から燃やし尽くした。
あまりに一瞬の出来事でゴブリンセイバーは悲鳴を上げる前に喉を焼かれる。
そのまま傷口に近い心臓にまで炎が伝播し、内側から爆発するようにゴブリンセイバーは散り散りになった。
黒い靄が四散して、地面に大きめの紫色の魔石が落ちる。
ゴブリンセイバーに剣を突き立て、ぶらさがるように立っていた一鷗は魔石とともに地面に着地する。
「カモメさま!」
遠くから笑みを浮かべたメアエルがぱたぱたと駆け寄って来る。
彼女は一鷗の目の前で急ブレーキをかけると、無言で片手を顔の横に持ち上げた。
一鷗は一瞬なにかと思案したがすぐにその意図に気づく。
くすりと苦笑して同じように片手を上げると、メアエルのほうから勢いよくハイタッチが交わされた。
瞬間──一鷗の胸中にボスに勝ったという実感がふつふつと湧き上がった。
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