第三羽


翌日『第100回星心学園高校文化祭』と書かれ装飾された看板が校門にデカデカとかかげられていた。


「んー、つまりアレだな。俺の女を捜して授業をサボってる間に、他の生徒達には結婚の報告をしてたって訳か」


家庭科室でクラスの出し物の準備をしている僕のエプロンのポケットにラスカは隠れていた。


「こんな場所まで付いてこなくていいだろ。放課後にちゃんと彼女捜しするからさ」


「別にいいじゃないか。『ブンカサイ』、『カテイカシツ』っていうのが今までの鳥生じんせいで初めての体験なんだ。彼女が見つかったら来年一緒に連れてきたい」


「言っとくけど今、衛生法でかなりヤバイ状態だからな」


「俺は汚くないぞ。毎日ダ◯のボディーソープで体を隅々まで洗ってる。そこらの鳥と一緒にするな。…………」


ラスカが急に黙り込んだ後、僕に聞いてきた。


「なあ、先生にちゃんと気持ちは伝えるんだろ?」


「……結婚する人にそんな事言える訳ないだろ。」


ボウルに入った水と小麦粉を菜箸さいばしでかき混ぜながら無愛想に答える。


「現にクラスの出し物の手伝いに来てるじゃないか」


「約束、したからな」


「……そうか。ところで、お前のクラスの出し物は何なんだ?」


ラスカがエプロンのポケットからヒョイと顔を覗かせ調理台に並んだ食材を眺める。


「唐揚げ。鶏肉を使った日本のお弁当と夕食の定番料理だよ」


「へー、トリニク…。………」


「あんまり乗り出すなよ…って、どうかしたのか?急に黙り混んで」


「ガーネット!!!!」


「!?」


エプロンから飛び出したラスカが一つのボウルを両羽根で掴みながらいきなり叫んだ。


「ガーネットが、旨味たっぷりの、ニンニク醤油に浸かっている!!」


「ガーネットって彼女の名前だろ!?お前の彼女、赤い羽根をしてて空を飛べるって言ってたじゃないか。それはニワトリの……」


「この引き締まった肉質…間違える訳がない!!ガーネットォォォォーー!!!!!」


全く聞く耳を持っていないようだ。


やめてくれ。


周りはまだ、雑談やら調理をする音でギリギリ気が付いていない。


僕の班のクラスメイトは、さっき揚がったばかりの唐揚げを屋台に出しに行っている。


何とかしてラスカを落ち着かせないと。


「お前、何だそれ?動く鳥のぬいぐるみか?」


ヤバイ!一人に気付かれた。


でも人面鳥ラスカをぬいぐるみだと思い込んでいる。


「穂花先生に見付からないように気を付けろよ。ぬいぐるみでも蕁麻疹出るかもよ」


クラスメイトは、ラスカが抱えていたボウルを手に取った。


そして中の鶏肉を、僕の溶いた小麦粉と、先に溶いてあった卵を手慣れた感じで絡ませ、いい音を立てて油の中に投入する。


それを見たラスカは絶叫した。


「俺の女をこれ以上傷付けるなーーー!!!!!」


半狂乱はんきょうらんになったラスカはクラスメイトに飛び掛かった。


「うわっ!!!?」


クラスメイトは驚いた勢いで油の入った鍋をひっくり返してしまった。


火がカーテンに燃え移り、あっという間に教室の中に炎が広がっていく。


「おい、みんな逃げろ!」


僕はそう叫んだ。


消火器が見当たらないので、手が届く範囲の調理台の蛇口を最大限まで回す。


いくつものボウルや鍋に入った水で消火をこころみるが、炎が納まる気配はない。


驚いて心拍数が上がったせいで羽根も出てしまっているが、そんな事は気にしていられない。


いつの間にかマスクが外れ、煙を直接吸い込んでむせ込んでしまった。


くそっ、こんなんじゃ全然消えない。消防車を待つしかない。僕も早く避難しないと……。


「雪吹くんっ!!」


いきなり聞こえた声の方に目をやると、穂花先生が家庭科室のドアとは反対側の窓際にへたりこんでいた。


「先生っ!!?」


穂花先生は高く燃え上がる炎に囲まれてしまっていた。


「何してんだよ!?早く逃げないと!!!!!」


「足がすくんじゃって……。クラスのみんなは!?」


「無事だよ!全員避難した。だから早く!!」


「良かった……。雪吹くんも早く逃げなさい!」


穂花先生は窓枠に左手を掛け、片膝を付いて立ち上がろうとしている。


「何言ってんだよ、先生も一緒に……」


「きっとすぐに救助が来るよ!先生は大丈夫だから!」


炎と煙で穂花先生の姿がかすんでゆく。


「大丈夫じゃないって!すぐそっちに……」


僕は再び煙を吸い込み咳込んでしまった。


「早く行きなさい!だって雪吹くん、言ってたじゃない。やらなきゃいけない事があるって。解決しないと前に進めないんでしょ?」


だって、それは……。


「きゃあっ!」


立ち上がろうとした穂花先生に炎が襲い掛かった。


穂花先生は空いていた窓枠に咄嗟とっさに手を掛けようとしたが、バランスを崩してしまった。


穂花先生の姿が消えた瞬間、僕は窓の方に向かって炎の中を思い切り走っていた。


先生がいないと意味がないのに!!


全然知らなかった。

ずっと見てたつもりだったのに。

そりゃ美人だから彼氏がいない方が不自然だよな。

何で今まで考えもしなかったんだろう。

その人と結婚して先生は幸せになるんだ。

その人だって先生の事が大好きだから結婚して一生守っていこうって誓ったんだろう。



        だけど今は



         今だけは


      

       僕が先生を守る!





たった数秒間の出来事だったと思う。


窓枠を飛び越え、落下していく穂花先生へと右手を伸ばす。


この羽根で飛ぶ事は出来ないようだが、先に落ちた穂花先生に追い付く事はできそうだ。


穂花先生の右手首を何とか掴む事ができた。


この後の事、何も考えてなかった。どうしよう、どうすれば。


どうか、どうか、先生だけは……。


穂花先生の体を引き寄せ、思い切り抱き締める。




    「彼氏がいたのも嫌だけど!

   


    結婚するのはもっと嫌だけど!



    好きな人が死んじゃうのは、



    もっともっと嫌なんです

    けどーーーー!!!!!」




僕の絶叫告白に驚いた穂花先生の顔を見ている余裕はなかった。


次の瞬間、僕の背中の羽根がブワッとものすごい勢いで増殖した。


そして僕と穂花先生の体を包み込んだらしい。


まるでまゆの中にいるような不思議な感覚だった。


浮いてる……?


僕らには分からなかったが、グラウンドに集まった野次馬達は、フワフワと浮かぶ丸い羽根の塊を不思議そうに眺めていた。


「助かったの……?」


「たぶん…、あ!でもゴメン!今思いっきり先生の嫌いな羽根の中……」


我に返った僕は、穂華先生の背中からパッと両手を離した。


「流石に今は大丈夫みたい……」


助かるとは思ってなかった。抱き締めていた事も、絶叫しながら告白した事も、何かもう、全部無かった事にしたい。


急に恥ずかしさが込み上げてきた。


この閉ざされた空間の中で、一体どうすればいいのか分からない。


「雪吹くんならこの先、誰を好きになっても全力でその子の事を守ってあげられるね」


穂花先生が淋しげな声で言った。


「先生……」


「雪吹くん、ありがとう。……ごめんね」


僕は涙が出そうになるのを必死にこらえた。


そして、僕の潤んだ瞳を隠してくれているだろうこの薄暗い空間にも感謝した。


いつかまた、誰かを好きになる事があるとしたら、その人の幸せを心から喜べるような、大人の男になりたいと思った。


真ん丸い繭のようになった羽根の塊は、グラウンドのちょうど真ん中にフワリと着地した。


羽根の塊はミカンの皮を剥くように開き、僕と穂花先生を外の世界へと解放した。


「怪我はありませんか!!?」


大きな声で聞きながら駆け寄ってくる救急隊員。


「無傷です(ハート以外は)」


僕はそう答えた。


「校舎の方も無事に鎮火しました!幸い大事だいじには至りませんでしたよ!」


安堵あんどする穂花先生の横顔を見て僕もホッとし、そっとその場を離れた。


「何だ何だ、騒がしいな」


振り返るとラスカが校門に片羽根をついてポーズを取っていた。


「一体何の騒ぎだ?」


「黙れ、諸悪の根源」


続いてた僕は、怪訝そうな表情をしながらラスカに訊ねた。


「今までどこに行ってたんだよ」


「いやー実は、女からLINEが来てさー」


悪びれる事なくラスカは言った。


「ケータイ持ってんなら最初から使えよ!」


「ネカフェに寝泊まりしてたらしいわ」


いつの間にかスマホを羽で器用に掴んでいた。


「しかもスマホ!!羽根に反応すんの!?」


「知らないのか?今はナメクジでもスマホに反応できるように作られてるんだぜ?」


「マジか!!」


小雨が降り始めた。


「あーあ、もう!……でも見つかって良かったな、彼女」


「おう」


「早速、ヅカバネルエンザを治しに行こうぜ」


本降りになるだろうか。


でも生憎あいにく、今は傘を持っていない。


「治してもらうついでに、ちゃんと挨拶させてくれよ」


滅茶苦茶な奴に見えるけど、こいつラスカなりに彼女の事を大切に想ってるんだろうな。


「挨拶くらいさせてやるけど、惚れるなよ、超可愛いから。失恋したての男を連れて行くのは気が進まないけどな」 


「……お前、さっきの一部始終をどっかから見てただろ」


「いいから行こうぜ。明日から普通の毎日に戻れるんだ、嬉しいだろ」


小雨の中、昨日より少し成長した男子と、人面鳥の後ろ姿がだんだんと遠ざかっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新型ヅカバネルエンザ 沙里央 @8henge

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ