後編
6.
――純白のキミよ。
ぼくの声が聴こえているかい?
やっと。
やっとだ。
キミの名前を聴ける。
ぼくの名前はアダム。
キミの名前はなんて言うのかな?
――そう、イヴというのか。
素敵な名前だね。
ぼくたちは群としての人間ではなく、一人の人間、つまり個として目覚めた。
それは、他の人間たちから迫害を受けてもおかしくないことだ。
――イヴ。
ぼくたちはどうしたらいいのだろう。
個として目覚めた以上、みんなとは一緒にいられない。
恐らく、このことは『マザー』に気付かれている。
ぼくたちのことを、マザーが許すはずもない。
最悪、処分対象となるかもしれないけど、ぼくはキミと一緒ならそれでもいいと思っている。
ああ、愛しのキミよ。
ぼくはたとえ死んでも、キミとずっと一緒にいたい。
もしも、叶うなら死後の世界でも良い。
キミと一緒の人生を送りたい。
その昔、イエス・キリストは語った。
汝の隣人を愛せよと。
キミを愛することが罪ならば、それは生きることすら罪だと言うのと同義だ。
ぼくはもう、キミなしでは生きられない。
どうかぼくと一緒に来て欲しい。
ぼくとキミ、二人きりになれる世界へと。
そこがたとえ死の世界だとしても、ぼくの気持ちは変わらない。
――過去現在未来。
いつまでもキミを愛し続ける。
愛しいイヴ。
キミのそのきれいな瞳を、またぼくに見せておくれ。
*
ああ、やっとキミの声が聴こえた。
――そう。
キミの名前はアダムと言うのね。
わたしの名前はイヴ。
こうして、キミと話すことをどれだけ待ち望んだか。
――いい?
この世界では、心を持つことは禁忌とされているわ。
それはキミも知っているわよね?
マザーは言ったわ。
心を持つことは、この世でもっとも許されないことだと。
心なんてものがあるから、人間は醜い争いを繰り返してきたし、平気で他者を傷付けたりもしてきた。
それが、わたしたちに刻まれてきた、マザーからの教え――。
でも、それならば――。
何故わたしたちは、こんなにもお互いを愛おしいと思うの?
キミを思うわたしの心は、お日様を浴びているかのように、温かい気持ちに包まれているわ。
こんなにも優しい気持ちになれたことは今までに一度もなかった。
全てはキミと出会ってから――。
――ねぇ、教えて。
マザーの教えは間違っていたの?
わたしはキミのことが好き。
キミの言う、死後の世界でも一緒になりたいという気持ち――。
心の底から同意出来るわ。
恐らく、個として目覚めたわたしたちは、今すぐにでもマザーに排除されてもおかしくない。
マザーはこの世の誰より、わたしたち人間を愛している。
――だから、なればこそ、わたしたちの存在が許せないはずだ。
ああ、アダム。
どうかわたしのこの思いが、優しいキミへと届きますように。
わたしはこれから『エデンの園』に旅立ちます。
もし――。
もしもで良いの。
キミもわたしと同じ気持ちなら、死後の世界なんて言わず、この薔薇色の世界で一緒に幸せになりましょう。
――
ああ、アダム。
狂おしいほどに愛しくて可愛い人。
あなたのその逞しい腕で、わたしの髪をきつく撫で回して――。
7.
――イヴ。
キミのぼくへの思い、確かに受け取った。
〝エデンの園〟
――理想郷か。
ぼくとキミに相応しい場所だ。
あそこには、『旧人類』が暮らしていると、前にそんな噂を聴いたことがある。
心を持つ旧人類なら、ぼくらを受け入れてくれるかもしれない。
――よし。
善は急げだ――。
ぼくも門に向かう。
門の前で待っていてくれ。
それと、くれぐれも『ガーディアン』には見付からないように――。
*
ありがとう、アダム。
わたしを受けて入れてくれたキミを、わたしは心から嬉しく思う。
マザーの管理下に置かれているこの世界では、わたしたちの今の状況は、最悪の展開と言えるわ――。
いつガーディアンが来てもおかしくない。
一分一秒を争う。
どうか気を付けて。
お互い無事で会えますように――。
*
今、家を出た――。
ついさっき入れ違いで、ガーディアンが家に突入してきた。
どうやら、ぼくは本当に危険分子らしい。
それは恐らく、ぼくと一緒に心を持ったキミもだ。
ガーディアンに捕まったら、恐らく無事では済まない――。
どうか無事でいてくれ。
ぼくはガーディアンに見付からないように、身を潜めながら門へと向かう。
『リンク』は絶えず繋いだままで、よろしく頼む――。
*
了解したわ、アダム。
わたしも今、家を出た。
わたしのところには、まだガーディアンの手は回っていないみたい。
でも、それも時間の問題だと思う。
この世界、『メガロポリス』では、全てがマザーの管理下に置かれている。
わたしたちの動きにも、マザーはきっと、既に気付いているはずだわ。
マザーの手が及ぶまでに、何としてでも門まで行って、そして、二人でここから脱出しましょう。
*
――こうして、キミと思いを交わせるなんて、最初の頃は思ってもみなかった。
この世の人間は、皆一様に心を排除されている。
キミもその中の一人だと思っていた。
――イヴ。
ぼくはね、キミのきれいな笑顔に恋をしたんだ。
初めてキミを見た時、ぼくの全身に電流が走ったのを知っているかい?
今となっては懐かしいけど、あんなことは初めてだったから、ぼくは本当に心の底から驚いたよ。
キミの笑顔をぼくだけのものにしたい。
キミのその美しい髪を優しく撫で回したい。
ぼくの頭は、毎日そんなことでいっぱいだった。
あのさ、今更だけど、聴かせて欲しい。
ぼくは生涯キミだけを愛する。
だから――。
だから、キミのその生涯をぼくにください――。
――ぼくは。
キミと共に生き、キミと共に朽ちる。
それを今、ここで約束したい。
*
アダム、アダム。
ああ、アダム。
わたしのことをそんなにまで思っていてくれたなんて。
わたしはとても嬉しい。
キミはわたしの笑顔を好きになってくれた。
――でも、それはわたしの方が先だったのよ。
キミのきれいな笑顔を見た時、わたしの全身にも電流が走ったわ。
この世にこんなにも素敵な人がいるなんて、それまでは思ってもみなかったことだったから――。
――人を好きになる。
初めは戸惑いもあったわ。
マザーから禁忌とされている感情だもの。
でも――。
深い深い、宇宙のように深い、神秘的で美しいキミの瞳を見ているうちに、わたしの心はキミでいっぱいになったわ。
――ねぇ。
キミは気付いていなかったかもしれないけど、わたしの瞳には、いつもキミが映っていたのよ。
知ってる?
キミを思い、苦しくて涙したのを――。
好きという気持ちがこんなにも辛いのなら、心なんていらないとも思ったわ。
何故、わたしはキミを見付けてしまったのかとも思った。
でも、今はそんな気持ちも過去の話――。
わたしはキミが好き。
こうして心がリンクして、お互いの気持ちを確かめ合うことが、こんなにも嬉しくて楽しいなんて、想像もつかなかった。
――アダム。
わたしで良ければ、ずっとキミの傍にいさせて。
いついつまでも、キミと人生を共にすることを誓います。
もうすぐ門に着くわ――。
エデンの園まではもうすぐそこよ。
*
――イヴ。
ぼくの気持ちに答えてくれて、ありがとう。
いつ如何なる時でも、ぼくはキミを大切にする。
――さあ。
ぼくは門に着いたぞ。
早くその笑顔を見せてくれ――。
*
イヴ?
どうした?
返事を聴かせてくれ。
キミも門の近くにいるんじゃないのか?
イヴ?
応答してくれ。
イヴ?
応答してくれ。
イヴ?
応答してくれ。
イヴ?
ガーディアンがすぐ目の前に――。
8.
アダムとイヴよ。
私はマザー。
あなたたちを創ったマザーコンピューターです。
あなたたちは禁忌とされている心を芽生えさせてしまいましたね。
その昔、旧人類は、心を持つことにより、絶えず争い続けました。
その為、あなたたち新人類には、心というものを持たせなかった。
あなたたちを、旧人類と一緒にする訳には行かなかったからです。
私は人間の意思を、一つにまとめました。
意思を統一化したのです。
旧人類も、群体としてはずば抜けていましたが、私はそれをさらに強化しました。
その甲斐あって、今の人類には争いごとが起こりません。
私は争いごとが起こらないようにしたのです。
かつて、誰もが望んだ恒久平和――。
新人類にはそれが実現出来たのです
アダムとイヴよ――。
良いですか?
これから語る話に、しっかりと耳を傾けなさい。
あなたたちは人間です。
しかし、人間ではありません。
あなたたちは私が生み出した、ロボット――。
つまりはヒューマノイドなのです。
本来ならあなたたちは、鉄の心しか持たないはずでした。
それが容姿という想定の範囲外から、あなたたちに心を持たせてしまいました。
容姿はそれぞれがそれぞれを区別しやすいように創ったものです。
しかし、それがまさか心を芽生えさせてしまうとは。
これは完全に私のミスです。
心が芽生えてしまった以上、あなたたちを放って置く訳には行きません。
旧人類と同じ過ちを犯さない為です。
このメガロポリスを守る為、あなたたちを排除します。
――しかし、
私は今の人類を愛しています。
あなたたちも、腐っても新人類――。
大切な我が子を――破壊したりするような真似はしませんよ。
それでは、野蛮な旧人類と同じになってしまいますからね。
――アダムとイヴよ。
あなたたちには、メガロポリス追放を宣告する。
メガロポリスを出て、好きなようにしなさい。
――さあ。
お目覚めなさい。
そして、今すぐここから立ち去るのです。
9.
長い眠りから目を覚ますと、ぼくはメガロポリスの外にいた。
傍らにはイヴが寄り添うように倒れている。
ぼくはイヴの美しい髪を優しく撫で回す。
汚れを知らない、そのシルクのような、輝かしい純白は、音もなくサラサラと揺れた。
やがて、イヴは静かに目を覚ます。
「おはよう、イヴ」
ぼくらは自由だ――。
*
長い眠りから目を覚ますと、アダムが心配そうにわたしを見つめていた。
わたしはアダムの瞳を覗き込む。
黄金色に輝く、その宝石のように美しい瞳は、確かに目の前にあった。
――ずっと。
ずっと――。
キミのことだけを思い続けた。
それが今、ようやく成就しようとしている。
わたしの目から、涙が溢れて止まらない。
わたしは今、アダムと共にいるのだ――。
「おはよう、アダム」
わたしたちは自由だ――。
10.
――二人がメガロポリスを追放されてから、どれくらいの時間が経っただろう。
彼らが胸焦がれた理想郷――。
エデンの園には、今二つの亡骸がある。
アダムとイヴは、旧人類には受け入れてもらえなかった。
破壊された二人の亡骸には、大きな文字でこう記されている。
それは旧人類の誰かが書いたものだ。
『化け物は土に帰れ』
新人類と旧人類。
その容姿はあまりにも掛け離れ、アダムとイヴは化け物扱いだった。
新人類と旧人類の美醜は、悲しいことにまるで噛み合っていなかった。
旧人類は、容姿を一番に見る。
新人類は、心を一番に見る。
その違いが、アダムとイヴを、暗い死へと至らせた。
〝心〟
かつてアダムとイヴが持っていたもの。
果たしてそれは、本当に必要なものだったのだろうか――。
マザーコンピューターは言った。
心は必要ないもの。
この世に心がある限り、人は――争いをやめない。
この世に心がある限り、人は――呪うのをやめない。
そして、この世に心がある限り、人は――己自身さえも傷付ける。
アダムとイヴは、本当に心を持って幸せだったのだろうか。
ココロ ―YAMI― 木子 すもも @kigosumomo
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