1話-3 旅立ちの杏仁豆腐
「ねえ
「とんでもない! とてもお美しいですわ。わたくし、涙が止まりません」
「ご冗談を。てか、この化粧、とっちゃダメ? 呼吸困難になりそうなんですが」
「ご安心ください。すぐに慣れますわ」
「頭のこれも、うっとうしい。高そうだし、落としたらマズいやつだよね?」
「ええ、気をつけて歩いてくださいましね?」
後宮入りの朝、
多少着飾った衣で屋敷を出ると思っていたら、とんでもない。豪華な花嫁衣装が用意されていたのだ。
「え、てか、ほんとうになんで? 入宮の話がでて、五日で用意したの? 梅眠ナニモノ?」
「わたくしは、ただの侍女でございます」
嬉しそうに微笑む
綺麗に結い上げられた、
すらりとした肢体を包む
卵形の整った面も、今日は化粧がされている。
「
頭を掻こうとする凜風の腕をそっと押さえ、
凜風は渋面だ。
「あああああ、この花嫁衣装、売りたい! どっから出したのよー。ほんと、無駄っ」
「なんてことを仰るのですか! いけませんよ、凜風さま。それはお嬢様のお衣装なのですからね?」
「うわ、卑怯……」
ピタリと動きを止めざるを得なかった。
母の娘時代の衣装がまだ手元にあるとは思っていなかった。すべて糸を解いて花硝たちの衣に仕立て直すか、どこかに売ったと思っていたから、今着ているものを粗雑に扱うわけにはいかなくなった。
「そのお衣装はお嬢様の一番のお気に入り。いつか
るんるん、と。紅潮した頬を押さえる
しかし、
「とてもお美しいですが、あまり
「だと思うー。母さまは、月の精霊みたいに綺麗だったから」
「ええ、それこそ月仙が嫉妬するほどにお美しい方でしたが、凜風様もお美しいのですよ? ただ、似合う衣が違うというのでしょうか……?」
「そんな真剣に慰めてくれなくてもいーよー」
ヒラヒラと手を振って、椅子に座った。
中身は包丁だった。
「
布の包みに頬をすり寄せて相棒との別れを惜しんでいると、
足音が遠ざかる。しかしすぐにまた、足音が近づいてきた。なにか忘れたのかもしれない。
「梅眠、どうし……げ」
「おねえさまっ」
入ってきたのは小鳥のような少女だった。
小さくて、色白でそしてとびきり美しい。風が吹けば倒れてしまうのでは、と恐怖させるほどに儚い風情がある。
目が合うなり、少女、
「ああ……ほ、ほんとうに行ってしまうのですね」
「なんの、こと?」
「入宮されると聞きました、
思わず舌打ちをしたくなった凜風である。
後宮入りのことは、
「ああ、ああ。どうして、どうしておねえさまがそんな目に……」
すぐに泣くのである。
これが
「
「いいえ! 後宮は魑魅魍魎うごめく恐ろしいところと聞いております。ああ……どうしておねえさまがそんな!」
透き通った瞳から、涙がはらはらと、はらはらと、こぼれる。
それだけならまだいいが、興奮したせいで呼吸が乱れている。
ほんとただでさえ体が弱いというのに、どうしてこの子はそうすぐに興奮するの!
本当によろしくない。これで
「ま! そういうことだから!!
ボロが出る前に、三十六計逃げるに如かず。
「いかないで!」と悲鳴が追いかけてくる。振り返らない。綺麗な衣装の裾を踏まぬよう指で摘んで走る。走る。
扉を出て回廊、回廊から踊り場、踊り場から前庭。勢い余って俥番と話す梅眠とぶつかりそうになる。
「り、
「出立しよう! わたしは、一刻も早く後宮に行きたい!」
ひらりと
「一体なにごとでございますか?」
「
「なるほど」
有能な、侍女の対応は早かった。
雇った俥引きに指示を飛ばし、さっさと
「荷物は後ほど送りますわ。――では、ご武運を!」
「
俥から顔を出すと、騒ぎを聞きつけた者たちが屋敷から出てくるのが見えた。
その中には叔父もいる。妙に慌てていた。
予定していた出立時刻をぶっちぎったので、怒っているのかもしれない。
「まああとは、梅眠に任せよう」
立つ鳥跡を濁さず。後ろは振り返らない。
そして向かうは国中の美しい女たちが集う後宮。
さて、鬼が出るだろうか、それとも蛇か。
けれど不思議と不安はない。
「わたしは、美味しい料理を作るだけだ」
そうして、後に伝説となる料理妃、
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