第46話 二人の父



 その日の夜。

 俺は、ある人物の部屋を訪れた。


「……どうぞ」


 緊張しながら部屋に入ると、その人物もどこか緊張したように迎えてくれた。

 そう言えば俺がオリヴァーの部屋を訪ねたのは初めてだ。


「まさか私に会いに来られるとは思いませんでした」


 俺はこの部屋の主オリヴァーを見た。

 ふと、オリヴァーの部屋の一番目立つ場所に母が普段使っていたグラスと、半分に減った母の好きだった果実酒の酒瓶が置いてあった。


「オリヴァーも母上に献杯していたのか……」


 オリヴァーは切なそうに言った。


「はい。毎日……もう日課のようなものです」


 そして目を細めて果実酒が注がれたグラスを見た。

 しばらく沈黙した後にオリヴァーが口を開いた。


「本当は……私がきっぱりと身を引いて、レベッカから離れるべきだった。でも……どうしても彼女が好きで……愛していた……彼女のいない世界を生きることなど出来なくて……どんな形でも彼女の隣を歩む道を選んだのです……」


 俺はオリヴァーを見ながら言った。


「オリヴァーは、そんなに母上が好きだったのか?」


 オリヴァーは本当に綺麗な顔で微笑みながら言った。


「はい。世間からどう思われても構わない。そう思うほど、本当に好きでした。愛して……いました」

 

 俺はオリヴァーを見ながら言った。


「息子に一生父だと告げなくといいと思うほどか?」


 オリヴァーは力強く頷いた。


「はい……申し訳ございません」


 俺は小さく息を吐いた。


「俺の両親はかなり情熱的なのだな。好きな人と共にいるために偽装結婚までして、立場と自分たちの想いに折り合いを付けたのか……良い物をとことん追求する母上らしい選択だな。どうせ、オリヴァーは母と別れようとしたのだろう?」


 本当のことなどわからない。

 だが、昼間父から聞いた話や母の性格を考えれば想像が出来た。


「どうしてそれを? 伯爵にお聞きになりましたか?」


 オリヴァーに驚きながら尋ねられたので、俺は首を振った。


「いや、先日お前も一緒に聞いただろう? それ以上のことは聞いていない。でも……母上の性格を考えれば容易に想像がつく。それに今思えば、母のお前への接し方は秘書の範疇を超えていたように思う」


 在りし日の母を思い出すと、母はいつもオリヴァーの名前を一番多く口にしていた。そしてずっと彼の側で……幸せそうに笑っていた。

 信頼しているのだと思っていたが……それだけではなかったようだ。

 オリヴァーは苦笑いをしながら「そうですか……」と言った。

 俺はそんな彼を見ながら言った。


「オリヴァー、私がお前を父だと呼ぶことはないだろう」


 オリヴァーも俺を見ながら頷いた。


「ええ。私も生涯レオナルド様とお呼びいたします。そして私はこれからもあなたにお仕えする秘書です。この関係も変えるつもりはございません」


 俺は「そうか……」と言った後に尋ねた。


「私の名前……つけてくれたのはお前か?」


 オリヴァーは驚きながら「……はい。レベッカが、私につけてほしいと……」と言った。

 刺繍の得意な母はライオンの図柄を好んで刺繍していた。俺の名前のレオナルドの意味『ライオン』にちなんでいるのかと思えば、学生の頃から好きだったようで母の学生の時の作品にもライオンが多い。そしてこの部屋を見て確信した。

 ライオンが好きなのは……オリヴァーだったのだ。

 この部屋にはライオンの置物に、ライオンの壁掛け、ライオンで溢れていた。

 

「この名前は気に入っている」


 そしてオリヴァーに背を向けた。


「ありがとうございます……」


 必死な声が聞こえて、俺は睨むようにオリヴァーを見た。


「オリヴァー、天候が悪くなりそうだと思ったら遠出などするな!! 夜に慌てて屋敷を出なければならないような交渉は捨て置け!! 頼むから、そっちも無事に長生きしてくれ……」


 気が付けば俺は大きな声を上げていた。

 そうこれから約7年後……高等部を卒業間際に俺は同時に2人の父を失い、そして……無知で傲慢だったせいで……アルとマリーさんという愛情深く賢く優しい家族を失った。

 

 俺ははっとして口を閉じた。するとオリヴァーは嬉しそうな顔で俺を見た。


「……わかりました」


 そして俺はオリヴァーの部屋を出た。

 ふと外を見ると、月が出ていた。とても大きくて美しい月だっただが少しだけ欠けているようだった。


(今宵は満月……いや、十六夜か……)


 空を見ていると庭で何かが動いた気がした。


(何だ?)


 目を凝らして動いて影の正体を見つけると目を細めた。そして食堂に行くとガラスの瓶に水を入れて先ほどの人影を見た中庭に向かった。

 少し離れているにもかかわらず、力強くひゅんひゅんと風を切る音が聞こえる。

 俺が姿を見せると風の音が止まった。

 そして剣を振っていた……父が俺を見た。

 

「父上も剣の訓練をされるのですね」


 俺がガラス瓶を差し出すと、父がそれを受け取りながら答えた。


「ああ。私は伯爵家の出身だが、次男で姉も含めて三番目だったからな……ずっと騎士になろうと思っていた。まぁ、騎士にならずとも自分の身を守るために剣は必要だろ?」


 それを聞いて俺は胸が痛んだ。


「騎士になりたかったのですか……母のことを恨んでいたりしますか?」


 俺が尋ねると、父がゴホゴホと水を喉に詰まらせて慌てた。


「な、何を言っている?? レベッカには感謝している。それに私は騎士になれるほどの腕はない。本来なら平民になるものと覚悟していた。ところがノルン伯爵としての充実した生活と、愛する女性と安心して暮らせるようにしてくれた。本当に感謝している」


 俺は父を見ながら尋ねた。


「でも、普通に考えればおかしいこの関係に……踏み切ったのはやはり母の我儘だったのでしょう?」


 父は困ったように言った。


「はは、我儘か……レオナルド、お前の母のレベッカ嬢とオリヴァーは美男美女でな……学園でも有名だった。しかも二人はいつも仲がよく深く愛し合い、見ているこちらが恥ずかしくなるほどの仲だった。ある時、そんな二人が別れるというのだ。二人共憔悴しきってな……見ていられなかった。マリーも『なんとかならないか』といつも二人のことを心配していた。そんな時にレベッカに言われた。『非常識だとは十分にわかっているが、私と偽装結婚してほしい』と。マリーも内容を聞き喜んで頷いた」


 なんとなくそれを提案した時の母の表情が脳裏に浮かぶ気がした。


「それで……父上も承諾したと」


「ああ。二人には変わらず幸せでいて欲しかった。だがまさか……レベッカがこんなに早く亡くなるとは……思わなかった。オリヴァーもさぞつらいだろうと思う」


 葬儀でも涙を見せなかった父は、初めて涙を流した。

 そして父は俺を見ながら言った。


「今のオリヴァーを支えているのは、お前の存在だ。だからレオナルド。悔いのないように生きろ。お前が笑って生きていることがお前の本当の父にとっては何よりの幸福だ」


 毒杯をあおり命を粗末にした俺にはこれほど痛い言葉はなかった。

 俺はゆっくりと頭を下げた。


「はい。俺は精一杯……生きます」


 そして俺は、再び自分を大切にすると決めたのだった。

 


 


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