【第一章最終話】 母への報告
(ああ、いい朝だな……)
ラキーテ公爵との会談を終えた次の日の朝。
俺はベッドから身を起こし、窓の外を見つめた。
空はよく晴れていていい天気だった。
父を失う可能性が消えたわけではない。
だが、あの場所が整備されれば以前のような未来は避けられる確率が高い。
――そろそろ、逃げるのはやめよう。
俺はベッドから出ると身支度を整えて、食堂に向かう途中でアルの部屋に立ち寄った。
「兄さん、おはようございます。どうされたのですか?」
俺はアルを見ながら言った。
「今日は、母の墓参りに行こうかと思っていたのだが……一緒に来ないか? 母上にアルを紹介したい……」
アルは一瞬意味がわからないようだったが、すぐに驚いた顔をした。
「私が一緒に行ってもいいのですか!?」
俺は「ああ」と答えた。
以前の俺なら絶対に母の墓前にアルを連れて行くなど有り得なかっただろう。
だが……俺に特別留学の話が来て、母たちの事情を知った。
俺がこんな風に踏み込めて、将来が大きく変わったのは間違いなくアルのおかげだ。
「ありがとうございます!!」
俺はアルを見ながら言った。
「じゃあ、まずは食事を済ませて、それから……花屋に行くか」
「ああ、そうですね。今はちょうど庭に花がない時期ですからね……行きましょう!!」
母のお墓に行く時は、いつもはムトに庭に植えてある花を包んでもらうように頼むのだが、生憎と今は『蜜の花』に手がかかることと、丁度、庭の花の植え替えの時期で花が極端に少ないのだ。
それからアルと朝食を終えて、一緒に廊下を歩いている時だった。
「お引き取りを!!」
「そこをなんとか!!」
見覚えのある男性が外に締め出された。
俺は慌てて男を締め出したロイドに尋ねた。
「ロイド、今の……ダニエル叔父上だよな? どうかしたのか?」
するとロイドが困ったように言った。
「ああ、ダニエル殿は……時々こうして金を貸してほしいとやって来るのです。レベッカ様が絶縁されて顔を見せていなかったのですが……旦那様に話をしたようですね」
「え!?」
俺は血の気が引くのを感じた。
(母上が絶縁? 俺は、そんな男に領政を任せてしまったのか!?)
前回の自分のダメさが恥ずかしいを通り越して頭が痛くなるレベルだった。
巻き戻って何度も自分は無知だとは痛感していたが、今ほど痛感したことはなかった。
「ご安心を。旦那様も二度と来ないようにと言い渡しましたので心配ありませんよ」
俺が唖然としているとアルが呟くように言った。
「そうか……彼は要注意人物なのか、覚えておきます」
俺はそれを聞いて、以前のアルとマリーさんの真剣な顔を思い出した。
――レオナルド様。お待ちください。ダニエル様にご相談するのはお待ち下さい!! ご安心を、私は父からもしもの時の話を聞いております。
俺はそれを思い出して片手をおでこに当てて動けなくなった。
(そうか……あの時、マリーさんとアルはダニエル叔父上の本性を知っていたんだ。だから真剣に俺を……止めてくれたんだ。それなのに!!)
以前の自分の無知さ、傲慢さ、愚かさに吐き気がした。
大切な人、自分の味方もわからなかったなんて!!
俺は気付けばアルの肩に頭を乗せて呟いた。
「なぁ、アル? 俺が誰かに騙されそうになっていたら、止めてくれるか?」
するとアルは力強く言った。
「もちろんです!!」
「頼もしいな……」
ああ、本当に……頼もしい――弟だ。
俺はアルの肩から顔を上げるとアルを見ながら言った。
「では……行くか」
「はい」
それから俺はアルと一緒に馬で教会まで行くと、そこに馬を繋いで歩いて花屋に向かった。
+++
「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」
花屋の店主に話かけられたが、俺はいつもムトに任せっぱなしだったので、全くわからない。
(おかしいな……社交の時や交渉に向かう時の凛とした母の選んでいた物はわかるのに……)
俺は母が伯爵夫人という鎧を脱いで一人の女性として好きだった花は全くわからなかった。今日はとことん過去の自分がどれだけ鈍感に生ききたのか痛感させられる日だ。
(ダニエル叔父上の悪評や、母とオリヴァーが特別な関係だとも気づけなかったのだもんな……)
母の素顔をこれまで見ていなかった自分に気付いて反省していると、隣でアルが俺の顔を覗き込みながら言った。
「兄さん、お困りですか?」
俺は声をかけられて困ったように言った。
「あ、ああ。情けないが……母がどんな花が好きだったのか、全くわからない。いつもはムトに頼んでいたから……」
するとアルが笑顔で言った。
「もしよければ私が選んでもいいですか?」
「え!? アルが!?」
予想外の提案に目を大きく開けていると、アルが照れたように言った。
「私はよくムトと一緒にいるので、奥様のお話も聞きました。とても優しいけど、芯の強い方でみんなを引っ張っていたと……また花が好きで、お茶会などに行って素敵な花を見つけるとよくムトに『こんな花なの』と絵を描いて、植えるようにお願いしていたとか。ムトから奥様の描いた絵をいくつか見せて下さいました。とてもお上手でした」
「……え?」
俺は思わず言葉を失った。
初めて聞く話だった。
母が花が好きというのはぼんやりと知っていたが、まさか絵を描いてまでムトに花を頼んでいたというのは知らなかった。
俺ははっとしてアルに「選んでくれるか?」と頼んだ。アルはにこやかに「はい」と言って笑うと、店主と話をしながら花を選んでいた。
俺はその姿を見て目を細めた。
(母は俺の想像以上に花が好きで、絵が上手かったのか……知らなかった……な)
以前の俺は26歳まで生きたが、そんなことは知らなかった。
使用人ともほとんど話をしたことがなかったし、財政が傾いた時、給金が払えずに庭師のムトは真っ先に解雇した。
(まさか……亡くなった母の新しい一面を知れるとは……)
俺は思わず目頭を押さえた。
「兄さん、どうですか? きれいでしょう?」
アルに声をかけられて、顔を上げると……
『レオナルド!! 見て、きれいでしょう?』
ほんの一瞬だが、母の幻影が見えた気がした。
そうだ。母はこんな花を好んでいつもエントランスの大階段の前に飾っていた。
(どうして……忘れていたんだ……)
「ああ……きれいだ」
俺が笑うとアルも嬉しそうに笑って店主に「これをお願いします」と言った。
そして俺はアルの選んでくれた花束を持って教会裏の母の眠る地に向かった。
母の墓前には先客がいた。
「オリヴァー!?」
墓前には父の秘書のオリヴァーがいた。
「これはレオナルド様……」
お墓にはアルが選んでくれた花と似た雰囲気の花が飾られていた。
「いつも来てくれているのか?」
俺がオリヴァーに尋ねるとオリヴァーは切なそうに言った。
「いえ、週に1、2回です」
俺はそれを聞いて胸が熱くなった。
(以前の俺は一度だって母の墓前に花を供えたことなどなかったのに!!)
俺は墓前に座って母に花を捧げた。
そして母に向かって言った。
「母上、紹介します。弟のアルフィーです」
アルは緊張した様子で丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、アルフィーです!! レオナルド兄さんにはいつもお世話になっております。今後、兄さんをお支えできるように精一杯努力します!! 兄さんを幸せにできるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!!」
まるで娘を嫁に貰う時のようなあいさつで少しだけおかしくなった。
そして今度は俺が母の墓前に向かって言った。
「ようやく弟を紹介できました……母上も待っていたでしょう?」
俺はそう呟くと、心の中で母に語りかけた。
(母上、俺はずっと母上は絶対的な存在でした。ですが……母上の秘密を知り、あなたも私と同じ、悩み苦しんだ一人の人間なのだと知りました……あなたを言い訳にして皆とかかわりを持たなかった私は、本当に愚かでした。でも、そんな私を支えてくれる人たちと出会えました)
これまで俺は、母は特別な存在だと思っていた。
オリヴァーが父親だと知らなかったので、父親は近くにおらず、別の女性と家族を作って蔑ろにされた被害者だと思っていたので、母だけが唯一心の拠り所だった。そして母もそうだと思っていた。
だが皆の話を聞くと、母も弱い一人の人間で、それでも自分で自分の道を選択してしっかりと自分の人生を歩んでいた。
俺だけが現実から逃げて父が悪い、母が可哀想だと言って言い訳して、空想の両親の幻影に囚われ、自分の道を見失っていた。
そして心の中で呟いた。
(もう、二度と同じ過ちは繰り返しません――見ていて下さい)
俺は顔を上げると、アルを見ながら笑った。
「帰ろうか、そして……ムトに母の描いた絵を見せてもらうかな」
するとアルが嬉しそうに言った。
「はい!! とってもきれいですよ!!」
俺はアルと一緒に歩いた。
そして一瞬だけ振り向いて目を細めて小さな声で呟いた。
「それでは、母上……」
――レオナルド、幸せにね……
幻聴が聞こえた気がしたが、俺は再び前を見るとまた歩き始めたのだった。
【完】
――――――――――――――――
最後までお読みいただきありがとうございました。
何度も迷い修正して大変申し訳ございません。
皆様には本当に支えて頂き、またあたたかなコメントを頂き、考えて、考えぬた結果このようになりました。
本当に皆様のおかげです。
心から感謝いたします。
またどこかで皆様にお会いできることを楽しみにしております!!
藤芽りあ
神様、ありがとう! 2度目の人生は破滅経験者として 藤芽りあ @happa25mai
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