第8話 相原綾女は頑張っていた
「は?」
俺が事態を飲み込めずに間抜け顔で聞き返すと、綾女は真剣に俺の顔を見つめながら答えた。
「だから、私だって目立ちたいの! 人に噂とか称賛とかされたいの! チヤホヤされたいの! 太一みたいに!」
「んんん? どういうこと?」
全く理解できない。
俺が目立つ? これは分かる。俺にその気はないが、勉強も運動も人並み以上にできる自負はある。身体的特徴もある。
綾女が目立ちたい? そんなの勝手にしろよ。
「いいじゃねえか。勝手に目立てば?」
俺は純粋な興味で聞き返すが、それが綾女の琴線に触れたらしい。
「無理ぃ。私だって、目立とうと思って行動してるもん。クラス委員長にだってなったし、家の勉強時間も増やしたし、筋トレもやってるし、美容とか健康とかには気をつけてるもん。それでも、誰も私に注目しないの。私は必死に頑張ってるのに、勉強も運動もイマイチだし、胸も身長も大きくならないの!」
綾女が必死に訴えかける。その双眸が、少しだけ湿っぽくなる。
「誰も、誰も気づいてくれない。私のこと。見てくれない。お母さんもお父さんも。た、太一だって――」
綾女の悔しそうに言葉を絞り出す。だが、その言い方に、俺は口を挟まずにはいられなかった。
「いや、俺は知っているぞ」
俺は知っている。ここ数か月の綾女の変化を。
「えっ?」
綾女が口を半開きにして聞き返す。だから、俺は綾女に伝えてやる。
「綾女がクラス委員長に一人だけ立候補したのは知ってる。誰も手を上げなくても、ただの雑用だと知っていても、綾女だけが率先してクラス委員長に立候補したのは覚えている。それに、宿題も予習も復習もしっかり時間を取ってるのも知ってる。元々綾女には少しレベルの高い授業だったけど、ちゃんと遅れずに勉強についてこれているのを知っている。それに最近、少し筋肉質……ってのは言い過ぎだけど、スリムって言うか、身体つきがしっかりしてきたのも知ってる。まあ、胸も身長もまだまだ成長期だろ? 気にすることないさ。それで、中学まではまだまだ田舎臭さがあったけど、高校に入学して少し垢抜けた感じがしたのもちゃんと気づいてる」
俺が綾女のフォローを入れると、ますます綾女の目に涙が浮かんで、ついには目尻から零れ落ちた。
「ぐすっ」
「ああっー。だから泣くなって。俺が泣かせたみたいじゃねえか」
「ごめん。太一。我慢できない。少し、泣く」
それから、綾女はダムが決壊したみたいに泣き始めた。止めようとしている綾女と、流されようとしている綾女が心の中でせめぎ合っているようで、見ていることしかできない自分の無力さが少しだけ悔しい。だから、俺はせめて少しでも綾女の力になろうと、綾女の頭を軽くポンポンと叩いてやった。
昔、綾女はすぐ泣く子供だった。だから、そんな時はこうしてやると、綾女は安心したようにすぐに泣き止んでいた。
綾女が俺の前で泣いたのは、何年ぶりだろうか。小学校の頃にはもう泣いた記憶がない。ってことは、もう十年近く綾女の泣き顔を見たことがないのかもしれない。
綾女は、この十年分を出し尽くすかのように、静かに泣き続けた。
◇ ◇ ◇
それからたっぷり十分ほどして、綾女はようやく落ち着いたようだ。
「ぐすっ。ごめん。勝手に泣いちゃって」
「いや、いい。ほら、ティッシュ」
俺は腕を伸ばし、学習机の上に置いてあったボックスティッシュを綾女に差し出した。綾女はティッシュを二枚取り、鼻をかんだ。
「ちーん!」
それから綾女はティッシュを折りたたんで、目端の涙を拭った。
「で、楽になったか?」
泣いている間は構わない。感情の濁流に流されたっていい。肝心なのはその後だ。泣いてスッキリしたのか、それとも、もっとモヤモヤしたのか。前者なら問題ないし、後者なら俺が少しでも手助けしてやりたいと思う。
「うん。泣いて、悩んで、泣いて、まだ気持ちがまとまらなくて。でも、ちょっと気持ちが治まった」
支離滅裂な言葉だったが、最後の言葉が真実だろう。綾女が落ち着いたなら、それでよかった。
「だから、ね。……太一」
綾女はやっぱり手を目の前で組んで、お祈りするように俺に告げるのだ。
「……協力して」
俺はその願いを断るなんて選択肢を持ち合わせてはいない。
「分かった。俺でよければ、力なる」
とんだ安請け合いだ。だけど、仕方ないだろう? 家族同然の幼馴染が一人悩んで泣いた願いを、聞き遂げないなんて、男が廃るってものだ。
「うん。私、私ね――」
ギュッと綾女が拳を握った。それは、綾女の決意の表れだった。
「目立ちたい!」
先ほどと同じ言葉を、先ほどとは少しだけ違う思いで、綾女は口にしていた。
俺に詳細は分からない。でも、目の前の幼馴染が決めたことなら、俺が協力しない理由も道理もない。俺はそっと綾女の拳に、自分の拳をつき合わせた。
「おう。どうすっかは後で考えるとして、目立とうぜ」
綾女も俺の気持ちを汲んだのか、俺の拳に自分の拳をコツンとぶつけた。
「うん。……AAPプロジェクトを発足するよー」
綾女が一人で考えていたのだろうか、何か聞きなれないプロジェクトが発足していた。
「お、おう? で、AAPプロジェクトって?」
綾女は自信満々に胸を張った。まだ瞳は濡れていたが、決意と自信に溢れる表情だった。
「相原綾女をプロデュースでAAPプロジェクトだよー。よろしくね。プロデューサー」
いつの間にか、綾女のペースにはまっていた。
でも、それが何だか心地よくて、俺はついつい乗っかってしまう。
「おう。俺が綾女をトップアイドルだろうがマドンナだろうが大御所女優だろうが、何にでもならせてやんよ」
それから、俺と綾女の二人だけのプロジェクトが始まった。
「ちょっと遅めの高校デビューみたいなもんだ。やってやんよ!」
綾女が泣いた分、俺は強気で元気な発言を繰り返した。幼馴染の綾女と俺、二人揃えば怖いものなんてない。
きっと、綾女も同じ気持ちだろう。
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