第7話 綾女の様子がいつもと違う


 綾女が部屋に帰ってきたので、俺は綾女の労を労おうと、学習机の袖机の一番下の引き出しに隠してあったちょっと値段の高いチョコレートを取り出した。十五粒のユニークな形の一口大のチョコレートが正方形のマスに小奇麗に並んだチョコレートだ。既に俺が三粒食べたので、残りは十二粒だった。


「世話かけたな。ほら、チョコレート」


「ああ。ありがとう。って、これ有名なブランドだよね?」


「まあな。俺のとっておきの一品だ」


 綾女はベッドに、俺の隣に腰を下ろして、大事そうにハート型のチョコレートを一粒手に取り、ゆっくりと味わうように口に運んだ。


「あまーい。とろけるよー」


 まあ、チョコレートだからな。人肌で温めれば溶けるだろう。


「美味しいよー。……ねえ、太一。もう一つ貰っていい?」


 綾女が例の両手を組んだポーズで頼んできたので、俺はすぐにチョコレートの箱を差し出した。


「ほい。これで最後だぞ」


「ありがとー。こんな高価そうなお菓子食べたの久しぶりだよー」


 ちなみに、元をたどれば綾女の父親が出張で出かけた際のお土産だったりする。自分の娘に還元されていると知れば、おじさんも父親冥利に尽きることだろう。


 しかし、このままでは俺の秘蔵のチョコレートを綾女に食べ尽くされるかもしれないので、俺はそっと引き出しにチョコレートをしまった。


「うーん、チョコレートは美味しかったけど、麦茶には合わないね」


 綾女は俺のベッドに腰を下ろして、麦茶を啜っていた。綾女には悪いが、冷蔵庫には麦茶以外の飲み物はなかった。


「そうだなー。牛乳とかココアとかあればよかったかもなあ」


 我が家は牛乳を常備してはいない。母さんが料理に必要な時にだけ、購入することになっている。そのため、根本家の飲み物と言えば、春夏は麦茶、秋冬は緑茶と決まっていた。ちなみに、綾女の家はいつもジュースがストックされているので、子供の頃は綾女の家に遊びに行くのが楽しみだったりする。


「うん。後は炭酸とかだねー。ああ、そうだ。ねえ、太一……」


 綾女がまた何かを思い出したかのように、俺に声をかける。


「何だ?」


 綾女の目を見る。


 いつになく、綾女の目が大きく開かれ、そして、揺れていた。


 それがとても艶っぽくて、俺は思わず目を逸らしてしまった。


「っ……な、何?」


 俺はぶっきらぼうに綾女に問いかけるが、綾女はまだ熱っぽさの残る声で――。


「脱いで」


 は?


「脱ぐ? 何を? どうして?」


 綾女の言っている意味が分からない。しかし、綾女は強引に俺をベッドから立ち上がらせる。その顔が、先ほど母さんを追いかけた時と同じように赤く染まっていた。しかし、目は口程に物を言うらしく、瞳は強気だった。


「そのハーフパンツを。ここで」


 いや、つい数分前に綾女の前にパンツ姿を晒したが、こんな何も理由のないタイミングで脱ぐのは少し気後れするんだが。


「せめて理由を――」


「いいから。脱いで!」


 綾女の強情が見え隠れしたので、俺は大人しく従うことにする。今更、綾女にパンツを見られるくらい別段恥ずかしくもない。


 俺は納得いかないままハーフパンツの紐を解き、そのまま膝くらいまでハーフパンツを下ろした。再び綾女の目の前でパンツ姿を露わにする。別に勝負パンツというわけではないのだが、今日のパンツはかなり着古してくたびれたパンツだったので、せっかくならもっと新しいパンツの日にして欲しかった。


「ほら。これでいいか?」


「おおう……」


 綾女の口から感嘆の声が漏れる。その視線は、俺の股間を凝視していた。その距離、五十センチメートルと離れていない。綾女の吐息が触れそうな距離だ。


 股間。陰部。局部。大事な場所。またの間。両脚の付け根。そして、俺のコンプレックスの爆心地。


「こら、どこ見ている!」


「どこって、おちん――」


「言わなくていい!」


 我ながら理不尽な物言いだが、こんなやり取りになるのは仕方ないだろう。


 綾女が「ほう」と一息ついて、満足したようなので、俺はハーフパンツを持ち上げ、再びベッドに腰を下ろして、頭を掻きながら事情を問いただす。


「で、どうしたんだ? いきなり脱げって、どういう意図だ?」


「うーん。だってね――」


 綾女は言葉にしにくそうに口を尖らせた。むくれた子供のような仕草だった。その可愛らしさに、少しだけドキリと胸が高鳴った。


「だって、太一さ。目立つよね」


 は? 俺が人知れずコンプレックスに思っている身体的特徴を指して目立っていると?


 俺が渋そうな顔をしていたのが伝わったのか、綾女が慌てて訂正を入れる。


「ち、違うよ? おちん――」


「あん?」


 綾女が再び俺のナニのことを口にしそうだったので、俺が一層睨みを効かせる。


「げふんげふん。こ、股間が――」


 まあ、及第点としよう。ここで言い淀まれても、話が前に進まないからな。


「太一の股間だけじゃなくてさ、太一って勉強もできるし、運動もできるよね? だから、さあ、目立つよね。この前の中間テストだって学年で一番だっておばさんから聞いたよ」


 確かに、今日も男子トイレで噂を耳にしたばかりなので、綾女の言葉は否定できない。それと、やはり俺の中間テストの順位が漏洩したのは母さんが原因のようだ。ちょっと口止めする必要がありそうだな。


 まあ、今は俺のテストの結果のことはどうでもいい。大事なのは、綾女が何を伝えたいか、だ。


「……で、それがどうかしたか?」


 俺がどう思おうが、どう思われようが、綾女にはそれほど関係ないはずだ。ここに、綾女の真意がありそうなので、俺は少しの躊躇いもなく尋ねた。俺と綾女の距離感だ。聞かれて困るなんてことはないはずだ。


「だから、ね。……私も」


 私も? 綾女も勉強や運動ができるようになりたい? 股間の話は?


「だから、私も目立ちたいの!」


 ん? 目立ちたい? 勉強は? 運動は? 股間は?


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