第2話 仕事を探します


 アンヌは、とある村で食堂を営む両親のもとに生まれた。

 ここは元々祖母が始めた店で、小さいながらも地元の人たちに愛され繁盛していた。

 看板娘で美人と評判の母と幼なじみの父が結婚しアンヌが生まれたが、祖母はその二年後に亡くなる。

 母もアンヌが七歳のころに亡くなり、それから十年間父娘二人で店を切り盛りしてきた。

 ところが、父も半年前に流行り病であっけなく逝ってしまい、アンヌは一人残されてしまう。


 そんなアンヌに転機が訪れたのは、村長に頼まれて隣町で開催される会合の手伝いに行ったときだ。

 それは、近隣の町や村の商工会会員の懇親会と銘打った立食パーティー。

 大勢の人が参加しており、アンヌは配膳や料理説明などを担当していた。

 片付けも終わり、一緒に手伝いに来ていた村人たちと帰りの支度をしているときに声をかけてきたのは、この町の町長だった。

 「厄介なことになった」開口一番、彼はそう言って頭を抱え、隣にいた村長は「儂のせいだ」と自分を責めている。

 詳しい話をきくと、懇親会に参加していた地方役人がアンヌを所望しているのだという。

 

「君には悪いと思ったが、『彼女は、今回の為に知人を介して雇用契約したで、詳しい身元はこちらではわからない』と説明をしてある。もし、ただの村娘と知られてしまったら、何をされるかわからないからな」


「すまん、アンヌ。儂が手伝いを頼まなければ、こんなことにはならなかったんじゃ」


 自分を責め続ける村長に、アンヌは大きくかぶりを振る。


「村長さんのせいでは、ありません。父が亡くなったあと、お世話になりっぱなしで……少しでも恩返しがしたかったのです」


「それで、君はこれからどうするんだ? 地方役人とはいえ、彼は貴族だから顔も広い。このまま村にいたら、いずれ見つかるかもしれんぞ」


「町長さんもお気遣いいただき、ありがとうございます。これからどうするかは、よく考えてみます」


 村の自宅に戻ったアンヌは、灯りも点けず寝室のベッドに腰掛けじっと考えていた。

 地方役人がアンヌのことをすぐに忘れるか諦めてくれればよいが、万が一捜索されていた場合、毎日不安と恐怖に怯えながら暮らすことになる。

 そして、もし見つかってしまったら……先のことを想像しただけで、寒気がした。

 

 窓の外には、雲の隙間から顔を出した月が見える。今夜はまだ三日月だから、満月になるにはあと十日ほどかかるだろう。

 年に一度の特別な満月の夜には毎年家族でお月見をしてきたが、年を追うごとに一人減り二人減り……今年、アンヌはついに一人になってしまった。

 皆でごちそうを作って食べ、最後に月に見立てた丸い甘いお菓子を食べることがアンヌは大好きだった。

 今年はお月見をするかどうか、まだ決めていない。


 アンヌの手元には、旅人から手渡された書状がある。

 受け取ったものの、興味はまったくなかった。ただ何となく捨てそびれて、ずっと放置したままになっていたものだ。

 父が亡くなったあと、頑張って切り盛りしていた食堂にやって来たのは、一人の中年男性だった。


「ここは、あなたが一人でやっているのかい?」


「はい、近所の方たちに手伝ってもらいながらですけど……」


「そうか、それは大変だね」


 昼前に来た男性は、注文した定食を時間をかけてゆっくりと食べていた。

 他の客が帰るとようやく腰を上げ、アンヌに代金と共に書状を差し出したのだ。


「これは『紹介状』だ。王都にある飲食店での接客の仕事だけど、待遇は私が保証するよ。もし興味があれば、あなたならいつでも歓迎する」



 ◇



 王都へ行けば、アンヌより綺麗な女性が大勢いることだろう。何より人口が多いから、まず見つかることはない。

 住み慣れた家や故郷を離れることは辛い。ほとぼりが冷めるまでの数年の辛抱だと自分自身に言い聞かせるが、涙が溢れて止まらない。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうと何度も思う。

 アンヌは、ただ静かに暮らしたいだけなのに……


 どうか私をお守りくださいと、服の上から形見のペンダントを握りしめる。

 父が亡くなってから心の拠り所を失ってしまったアンヌは、神に祈りを捧げることが多くなった。

 もし私が……と、考えても意味のないことをすぐに頭の隅に追いやる。

 これまで貯めてきたお金と紹介状と身の回り品を鞄へ詰めると、急いで村長や近所の人、友人たちへ手紙を書く。

 これまでの感謝と別れも告げず急に村を出ることを詫びた上で、自分の意思で数年間身を隠すことにしたと締めくくった。



 ◇◇◇



「───それで、家に手紙を置いてこっそり村を出て行こうとしたら皆に見つかって、その服や帽子を渡されたのか」


「はい。息子さんが若いころに着ていた服とか、弁当代わりの果物とか、他にもいろいろな物をいただきました。服の丈は少々大きめですが、これのおかげで誰にも女だと気付かれませんでした」


「彼らなりの、せめてもの餞別か……」と呟いた店主ことビリーは、オムレツをまたパクっと口に入れると味わうように咀嚼し、「うん、うまい」と頷いた。 

 

 ビリーへ昔話を始めたアンヌだったが、すぐに「グー」とまぬけな空腹音が店内に鳴り響く。

 宿で朝食も取らずに来てしまったため、ついにお腹が悲鳴を上げたらしい。

 恥ずかしさで顔が真っ赤になったアンヌを見て、ビリーが「俺も腹が減ったし、飯を食ってからにするか」と立ち上がる。

 大したものはできないぞと言いつつ朝食を作り始めたビリーへ、「私が作らせていただきます!」と慌てて申し出た。

 材料は卵しかなかったためオムレツを作ることにしたが、彩りがさみしい。

 目についた薬草を使ってもいいですか?と尋ねたところ許可が出たので、数種類を少々いただいて微塵切りにし混ぜてみた。

 味見をしたところ、格段に風味が良くなっている。

 そこそこ美味しい物ができたのではないだろうか。

 ドキドキしながらビリーの前に出すと、彼はまず最初に皿を手に取りじっと観察。

 それからクンクンと匂いをかぎ、最後に小さく切ったオムレツをおもむろに口に入れた。


「味は、いかがですか?」


「……普通のオムレツより、うまい!」


「良かった!」


 思えば、父が亡くなったあと自分以外の誰かに朝食を作ることなどなかった。

 今度は大きく切ったオムレツを美味しそうに食べるビリーの姿に亡き父の面影が重なり、思わず涙がこぼれた。


「どうした? 腹が痛くなったのか? 俺は、今のところ何ともないが」


「ちょっと父のことを思い出してしまって……それより、『やっぱり』ってどういう意味ですか?」


「いやな、卵がいつ買ったやつなのか、ずっと考えていたんだが思い出せなくてな……」


「えっ!? 嘘……」


「大丈夫だ。俺は何ともないし、それに腹をこわしても腹痛の薬は腐るほどあるから、心配するな!」


 唖然とするアンヌの肩を満面の笑顔でバシバシと叩くビリーは、まるで無邪気な少年のように見えた。



 ◇



「話を聞いていただき、ありがとうございました」


 朝食の片付けを終えたアンヌは鞄を肩にかけると、ビリーへ深々と頭をさげた。


「これから、おまえはどうするんだ?」


「ビリーさんに話をしたら気持ちがスッキリしてしまって、このまま男として生きていくのも悪くはないかなと思い始めました。だから、予定通り王都へ行って別の仕事を探そうかと」


 父が亡くなって、改めて自分は大切に守られてきたのだと思い知る。

 亡き祖母は、女手一つで母を育てたと聞く。「多くの人に迷惑をかけて、いろいろと助けてもらったのよ」と笑い話のように話をしていたと母は言っていたが、相当な苦労があったのだろうと今のアンヌならわかる。

 

「見た目は男ですが中身は非力な女なので、力仕事の多い料理人は難しいかもしれません。それでも、接客とか配膳とか、飲食に関係する仕事ができればと思っています」


 大きな鍋を運んだり、ひたすらかき混ぜて煮込んだりと、料理人は力仕事も多い。

 そんな力を必要とする部分をこれまでは父が担ってくれていたから、アンヌ一人になってからは仕込む量を減らさざるを得なかったのだ。

 それでも、食堂の娘に生まれたのだから、接客でも配膳でも簡単な調理でもいい。

 これからも飲食に関係した仕事に従事できればと思う。


「意気込んでいるおまえに水をさすつもりはないが……俺には、おまえが騙される未来しか見えん」


「な、何でですか?」


「田舎からポッと出てきた美少年に優しい言葉をささやき、言葉巧みに仕事を紹介する中年女性。連れてこられた先は、上流階級のご婦人たち相手の接客の仕事。つまり、男女が入れ替わっても、やらされる仕事は結局同じってことだ」


「王都には、そんな仕事もあるんですか!?」


 驚きすぎて、声が裏返る。

 女性相手の接客の仕事なんて、これまで見たことも聞いたこともない。


「ああ、似たような店ならいくらでもあるぞ。それこそ、星の数ほどな。俺はそっち関係の店は全く知らんから、さっきみたいにこの店は……と説明も助言もしてやれないが」


「説明も助言もいりません! もう、私はそういう店で働く気はありませんから!!」


 王都とは、なんと恐ろしいところなのだろうか。怖すぎて、ガタガタと体の震えが止まらない。

 ビリーの話を聞けば聞くほど王都で働く気が削がれ、意気込みがしぼんでいく。


「やっぱり、私は田舎でおとなしくしていろということですか?」


「そんなことは言っていない。もう少し、世間慣れしろと言っているだけだ。いきなり王都へ行かずに、徐々に慣れてからにしたらどうだ? たとえば、この村で働いてみるとかな」


「こんな私を雇ってくれるようなところって、あるのでしょうか?」


 世間知らずの田舎娘(見た目は息子だが)を雇用してくれるような奇特な仕事場があるのなら、ぜひ紹介してほしいとアンヌがお願いをすると、ビリーはニヤリと笑って「あるぞ。そんながいる店がな」と言った。


「それは、どこですか?」


「ここ『コンフリー薬房』だ」


「!?」


 ビリーから、まさかの勧誘を受けてしまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旅先で、突然異性になりました gari @zakizakkie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画