旅先で、突然異性になりました

gari

第1話 なぜか、男性になってしまった


 朝、旅先の宿で目が覚めたら、アンヌは男性になっていた。


「……えっ? ええええ~!?」


 鏡の前での大絶叫のあと、「なんで?」「どうして?」を繰り返すこと数十回。

 赤くなるほど頬をつねること数回。

 パニック状態の頭を落ち着かせるのに掛かった時間と神に祈りを捧げた時間、合わせて約一時間。


 そしてアンヌは、ようやく現実を受け入れた。



 ◇



「……おはようございます」


「あら、さんかい? おはよう! 昨夜は、よく眠れたようだね」


 宿屋の女将カミラが、丸っこい体を揺らしコロコロと笑っている。

 女であるはずのアンヌが男になっているのに、彼女が不思議に思わないのには理由があった。

 アンヌが故郷を旅立ってから十日。

 王都を目指し旅をしているアンヌは女の一人旅ということもあり、背中まであった長い髪を肩先まで短くして帽子を被り、さらに男物の服を着て男装をしていたのだ。


「はい、おかげさまでよく眠れたのですが、少々体の具合が……この村に、お医者さまはいますか?」


「残念だけど、こんな田舎の村に来てくれるような酔狂な医者はいなくてね……でも、お薦めの薬屋ならあるよ」


「それって、もしかして……『コンフリー薬房』ってところですか?」


「おや、よく知っているね。店主は若いけど、薬がよく効くと評判なのよ。ただ、彼はちょっと愛想がねえ……」


 わらにもすがりたいほど切羽詰まっているアンヌには、『なんじ、この店に行け』という神の啓示としか思えなかった。

 

 昨日、乗り合い馬車に乗っていたアンヌは、急に喉の調子が悪くなった。

 声が出にくくなり「ん゛ん゛ん゛~」と唸っていたアンヌを見兼ねて、乗客の上品な中年女性が「ちょっと苦いけど、喉に良く効くから」とくれたのがこの店の薬だ。

 厚意からとはいえ、見知らぬ者からの貰い物を口にするのは抵抗がある。

 そんなアンヌに、「変な物は入っていないから」と同じ薬を目の前で飲んで見せてくれたので安心して飲んだ。

 たしかに薬は良く効き、喉の違和感はすぐに無くなったのだった。

 

(これは、行くしかない!)


 すぐさまカミラから店の場所を聞き、アンヌは朝食も取らずに向かった。



 ◇


 

「ここか……」


 アンヌの目の前には、ツタに覆われた古びた一軒家がある。

 ここは元々空き家だったが、一年前くらいに突然ふらっと村にやって来た店主が外観を一目見て気に入り、建物を修繕して薬屋を開業したと聞いた。

 宿屋の女将カミラによると、「店主は、店が開いていても朝は店内に居ないことが多いから、大声で呼びかけて」とのこと。


「ごめんください」


 扉を開けて声を掛けたが、薄暗い店内に人影はない。

 至る所に吊るされた薬草の匂いが、辺り一帯にたちこめている。


「あの! どなたか、いませんかー?」


 教えられた通り大声を張り上げると、しばらくしてトントンと階段を降りてくる物音が聞こえた。


「……そんな大きな声を出さなくても、聞こえているよ」


 欠伸をしながらやって来たのは、眼鏡をかけたひょろりと背の高い男。

 手に持っていた布で外した眼鏡を拭きながら、チラッとアンヌのほうを見た。


「……で、どこ?」


「はい?」


「頭、目、肩、腰、腹、足……どこか調子が悪いから来たんだろう?」


 店主は起き抜けなのだろうか。

 声がくぐもっていて少々聞き取りにくいが、アンヌに不調の場所を尋ねてくれたようだ。


「えっと、どこかが痛いとかではなく、実は───」


「ただの冷やかしなら、とっとと帰ってくれ」


 店主はもう一度欠伸をすると、「もうひと眠りするか……」と言いながら店の奥へと戻っていく。

 何とも愛想もやる気もない人物。しかし、今アンヌが頼れるのは彼しかいない。


「待ってください! 私は冷やかしじゃありません!! 急に男になってしまって、困っています。助けてもらえませんか?」


「…………はあ?」


 振り返った店主はすっかり目が覚めたようで、今日一番というくらいの大きな声を出した。



 ◇



「───で、朝起きたら男になっていたから、俺のところに来たと」


 店のカウンター席に座り頬杖をつきながらアンヌの話を聞いていた店主は、「ふ~ん」と呟いた。


「この姿のままでは、王都へは行けません。どうか、元に戻れる薬を作ってもらえないでしょうか?」


 隣に座っているアンヌは、神へ祈るように必死にお願いをする。

 ここへ来たのは神のお導きだから、彼ならきっと解決方法を見つけてくれるはず。

 根拠のない期待だけがアンヌを突き動かしていた。


「まず、大事なことを先に言っておく。俺はそんな薬を作ったことはないし、そもそも作り方も知らん。以上!」


「そ、そんな……」


 実にあっさりと、アンヌの期待は裏切られた。

 もちろん、彼が悪いわけではない。けれど、受けた心の衝撃タメージは大きい。


「まあ、おまえが本当に女だったと仮定して……元に戻る必要があるのか?」


「どういうことですか?」


「男装するくらい用心しているのなら、このまま男の姿のほうが都合が良いと俺は思うけどな。これから、王都へ仕事を探しに行くんだろう?」


「それは、そうなのですが……」


 店主の言うことは正論だった。

 女の一人旅より、男のほうが道中の面倒ごとを避けられるのはわかっている……が、男ではダメな理由があるのだ。


「でも、それでは困るのです! 紹介してもらった仕事ができなくなりますので」


「その仕事って、女じゃないと出来ないことなのか?」


「飲食店での接客です。待遇は保証すると言われました」


 故郷で知り合った旅人の中年男性に、『待遇を保証した王都での接客の仕事』とアンヌは紹介状を手渡された。

 そんな旨い仕事があるわけないとは、わかっている。でも、事情がありどうしても村から出たかった。

 アンヌは悩んだ末に、これまで貯めたお金と身の回りの荷物だけを持って故郷を飛び出してきたのだ。


「待遇を保証した接客の仕事……」


 眉間に皺を寄せ急に険しい表情になった店主は、アンヌへ視線を向ける。


「店の名前はわかるのか?」


「紹介状に、店名と場所が載っています」


 鞄から取り出し見せると、店主は「やっぱり……」と言ったあと笑みを深くした。


「たしかにここなら、待遇は良いだろうな」


「この店をご存じなのですか?」


「ああ、昔一度だけ知人に無理やり連れて行かれたからな。綺麗な服を着た女性がたくさんいて、男に酌をするような店……つまり、飲み屋だ」


「飲み屋、ですか」


 なんとなく予想していたこととはいえ、いざ現実となってしまうと戸惑いしかない。

 もし元の姿に戻れたとしても、酒を飲んだこともないアンヌに務まる仕事なのだろうか。


「それにしても……この紹介状が本物だとすれば、おまえは『男』ではなく本当に『女』で、それも、かなりの『美人』ということになる」


「えっ?」


「男になった今でさえ、『金髪の美少年』だもんな……ただし、恐ろしいくらい世間知らずだが」


 真顔でまじまじと顔を見つめてくる店主の視線に居たたまれず、アンヌはそっと目を伏せる。

 わかっていながら、のこのこと故郷を出てきてしまった自分が恥ずかしくなった。


「紹介状を渡したのは、おそらく店の関係者だろう。あと、ついでに教えてやるが、ここは町によくある店とは違うぞ。会員制の高級店で酌はするが、あとは客の話し相手になるだけだ。客層は上流階級の者たちばかりで、金持ちが多い。接客しているのは、美貌と知性と教養を兼ね備えた女性たちだ」


「私はただの田舎者なのに、どうして勧誘なんて……」


「見込みがあると思われたんだろう。おまえは世間知らずの田舎娘?だが、話をした感じでは最低限の知性と常識はあるようだし、教養は後からいくらでも教え込めるからな。それに、おまえと同じように田舎から働きに来ていた子も店にはいたぞ。給金から家族へ仕送りをしたり、上客を捕まえて結婚をした子もいたようだ」


「そうなのですね」


 そんな話を聞いたら、少しは希望が見えてきた。

 もっと知性も常識も教養も身につけなければならないが、頑張ったら王都で最低限の生活くらいはできるかもしれない。


(それにしても、お店へは一回行っただけなのに、この人は店事情にやけに詳しい気がする……)


「ゴホン……言っておくが、俺からは女性へ何も尋ねてはいない。知人からも『店で働いている子に、余計な詮索はするなよ!』と釘を刺されていたしな。俺はただ、彼女たちの話相手になってやっただけだ」


 アンヌの表情を読んだのか、店主は腕を組みふてくされたようにそっぽを向いた。

 子供っぽい態度に、思わず笑ってしまう。

 女性たちの気持ちは、今のアンヌならば理解できる。

 決して愛想の良い人ではないけど、彼はどことなく話しやすい雰囲気を持っているから、ついつい話をしてしまうのだ。


 日が高くなってきたのか、窓から差し込む朝日が眩しい。

 薄暗かった部屋の中はいつの間にか明るくなっていて、隣に座る彼の姿がよく見える。

 先ほどまでアンヌは自分自身のことでいっぱいいっぱいだったから、真っ黒だと思っていた彼の髪色が本当は栗色で、眼鏡の奥の瞳は落ち着いた緋色であることに今はじめて気付く。

 少し長めの髪が、寝ぐせでボサボサなことにも。


「ところで、さっきから気になっていたが、おまえの瞳の色って……」


「えっ、瞳の色?」


 店主の顔が、ふいに間近にきた。

 先ほどアンヌのことを『美少年』だと言ってくれたが、そういう彼も涼やかな目元と薄い唇のなかなか整った顔立ちをしている。

 もっと身だしなみに気を遣えば、格好良くなるのにな……なんて、アンヌは余計なことまで思ってしまった。


「瞳の色が、どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」


 アンヌの瞳は、紺碧の海を思わせる『青』と、深緑の草木を思わせる『緑』を併せ持つ色だと父からは言われてきた。幼いころに亡くなった母の形見のペンダントに付いている色石と同じ色だと。

 光の加減によって青だったり緑に見える不思議な瞳だそうだが、鏡で見ても自分ではよくわからない。



「まあでも、王都へ行く前に店の正体がわかって良かったな。その体が戻るかどうかはわからんが、女に戻れたら故郷で以前の仕事を続ければ───」


「……故郷には、すぐには帰れません。さっきは出てきたと言いましたが、本当は……逃げ出してきたのです」


「おまえ、いろいろと訳アリか」


「あの……私の話を、聞いてもらえませんか?」


「……俺が嫌だと言っても、どうせおまえは話をするんだろう?」


 アンヌが迷わずコクリと頷くと、「さっきの話の流れで、嫌な予感はしていたんだよな……」とため息を吐きながらうなだれる店主の姿が見えた。



 ◇



 今さらではあるが、二人はお互いに自己紹介をした。

 店主の名は『ビリー』で、年はアンヌより四歳年上の二十一歳とのこと。

 自分の本当の名は『アンヌ』で、男装しているときは『アンリ』と名乗っていたと説明をすると、「普通は、もう少しかけ離れた名を付けないか?」と呆れたように言われてしまったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る