Case 2. 風邪の少女と水の牢獄

 ここにひとりの男がいるだろ?

 ちっぽけな診療所の前、ほうきで落ち葉を拾い集めているこの男だよ。


 名前は芯出しんで息郎いきろう

 ファンタジー丸出しなこの異世界に転移してきた、スーパーエリート医師だ。今日も始業前の掃除に余念がない。


 終始不機嫌そうなツラしているくせに、彼は極度の綺麗好きだ。

 ほうきを一振り。また一振り。淡々と、しかし延々と掃除を続ける。


 次第に、診療所を円で囲むように、紙クズすら落ちていない「結界」のような清潔ゾーンが仕上がっていく。


 さっさっさっ。

 さっさっさっ。

 さっさっさっ。


 落ち葉を掃く。

 ゴミを掃く。

 チリと雑念を掃く。


 さっさっさっ。

 さっさっさっ。

 さっさっさっ。


 さっさっ、ぼすんっ。


 ふと、ほうきの先に何かがぶつかった。

 見ると、晴空のように透きとおった青い毛束が絡まっている。さらっさらだ。けっこう長い。

 息郎の歩幅一歩ぶんくらい続いたその毛束の先には、顔があり、首があり、清潔感のある白いローブがあり、ほっそりとした手足、見目麗しいお顔立ち……いや、女の子だ!!


 女の子だぞ、息郎!

 お前が今、ほうきで掃こうとしているのは!

 なんかちょっと美少女の予感すらする女の子だぞ、息郎!


 だから、ほら、掃くのを辞めなさい! ほうきを止めなさい!!



 かくして、倒れていたのは青髪の美少女だった。

 ようやく自分が掃いているのがゴミではなく人間であることに気づいた息郎は、すぐさま診療所の中に彼女を担ぎ込んだ。診察用のベッドに寝かせる。


 歳の頃は……二十歳に届くかどうかって感じか。第一印象と同じく、整った顔立ち。だが、顔色は青白く、唇も乾燥しきっている。


 息郎は手際よく、脈を調べ、血圧を測り、血中酸素飽和度を算出した。


 忘れてもらっちゃ困るが、ここはファンタジー世界。

 血圧計やパルスオキシメーターみたいな現代医療機器は揃っちゃいねえ。


 そう、息郎は血圧も、血の中の酸素量も、なんなら心電図も聴力もピロリ菌も水虫も、すべて視診と触診だけで測ることができるのだ!!

 これもこいつのスーパーエリートな潜在能力と、チートスキル『医の全知パブメド』の成せる技よ……。


「風邪ですね」


 ひと通りの診察を終えて、息郎はそう診断する。


 ……風邪?

 行き倒れるほどにこじらせた風邪、ってのもまた、珍しいもんだな。


「食欲もなかったんですかね。栄養失調を起こしています。一応、点滴しておきましょうか」


 息郎はアミノ酸・糖・電解質・ビタミンがキットになった輸液パックを取り出す。


 え?

 医療機器は無いのになんで薬はあるのか、って?


 そんなもん、息郎が調合したに決まってんだろうが。『医の全知パブメド』ナメんじゃねえぞ。

 ちなみに、見た目は一緒でも成分は現世の100倍増し増しだ。内服効果バフもりもり積み。世の中のあらゆるエナジードリンクと精力剤を混ぜ合わせたような威力を発揮するぜ。


 そんなもん点滴して大丈夫なのかって?

 馬鹿野郎、『医の全知パブメド』ナメんじゃねえぞ。


 ……つまり、チートスキルなしではとっても危険です、ってことだ。息郎が処置するなら、大丈夫。息郎以外がやったら、まあ即死の劇薬だわな。

 用法用量を守って正しくお使いください。


 ほら、見てみ。


 点滴開始したとたん、電撃を流された巨大魚みたいに少女の体がビクンビクン跳ね上がっているだろう? SF映画のショッキングなシーンを彷彿させるだろう?

 あれを見て、「体に良い」とは、とても言えねえわな……。


 おお、チート輸液の効果か、どうやら早くもお目覚めみたいだぞ。


 ビクンビクンしながら、少女が薄目を開ける。

 ビクンビクンしながら、起き上がる。

 ビクンビクンしながら、ぼんやりと息郎を見つめて――。




「結婚してください」

「嫌です」




「……助けていただいて、ありがとうございました。数日前から体調がすぐれず、意識も朦朧としていたのです、ゴホッゴホッ」

「そうでしたか。病状としては風邪の類だと思いますよ。喉は赤いですが、肺は綺麗ですし、胃腸にも大きな問題はありませんでした」

「肺? 胃腸?」

「ああ、こちらではまだ解明されていない臓器か。体の中身のことですよ。見ただけで分かるんです、僕」


 待ちなさい、待ちなさい。

 チートスキルの説明を始める前に!


 ビクンビクンしながらの第一声が逆プロポーズだったこの少女のイカレっぷりに触れなさい。

 そんで一見して目を奪われるような美少女の告白を、返す刀の一太刀で両断したお前の心情も語りなさい。ちゃんと、読者が共感できるように!


「わたし、ウェンディっていいます」

「ご丁寧にどうも。芯出息郎です」


 みんな、諦めよう。息郎の心情描写は期待できないようだ。

 スーパーエリートの考えていることなんて、凡人にはわかりっこないんだ……。


「助けていただきありがとうございます。でも、今手持ちがなくて……」

「そうですか。また次回いらしたときで構いませんよ」

「もしよかったらその……体で!お支払いします」

「いえ、また次回いらしたときで構いませんよ」

「あっ、体で、ってそんな……いやらしい意味じゃないですよ。やだなぁ、もう」

「そうですか。また次回いらしたときで構いませんよ」

「この診療所で、働かせていただきたいんです。今日の診察代は給料から天引ってことで……」

「いえ、また次回いらしたときで構いませんよ」

「いいんですかっ! やったぁ! ありがとうございます、一生懸命に働きます!!」


 うーん、会話になっていない。ソーシャルスキル、バグっとるんかお前ら。

 定型文2パターン使いまわしの息郎も息郎だが、相手の返答お構いなしに自分の都合を押し付けていくウェンディもウェンディだ。


 すれ違い続ける押し問答の応酬を終えて、結局ウェンディは診療所に、押しかけ女房ならぬ押しかけ労働者として務めることになった。


 これが意外と――うまくハマった。

 受付業務に書類の整理、薬品の補給や診療の補助。看護師とまではいかないまでも、助手兼医療事務として文句のない働きぶりだった。テキパキ動いて、愛嬌のある笑顔まで添えてくるもんだから、患者たちの評判も上々だ。


「意外とやりますね」


 息郎も、素直にその優秀さを認めた。


「い、今さら認めたってもう……遅いんだからねッ」


 ウェンディはもはや、何と戦っているのか不明だ。




 さて、そんな新顔の参入によって新たな色に染まる診療所の平穏は、やはりこの男によって破られる。




 どっかーんっ!!


 突然、大きな波しぶきが起こり、診療所のドアが突き破られた。

 ……と思ったら、大きな水の塊が、うごめくようにして転がり込んでくる。


「ごぼがぼ、がぼがぼごぽ……いぎどう……だずげで……」


 魔王だ! 魔王の全身を包み込むように、水の塊が覆っている。

 一挙一動のたびに彼の体に合わせて水のスーツも動く。


 まるで、水の牢獄だ。


「はい。今日はどうされましたか」


 息郎、冷静。

 溺死しそうな魔王を目の前にして、黒いチェアに深く座り、問診を開始する。

 どうされましたもクソも……一目瞭然じゃねえか。


「がぼっ、ごぼごぽごぼ……」

「はーい、大丈夫ですよぉ。落ち着いてくださいね~。おーきく、深呼吸してみましょ~」

「がぼっ……ずびずぼぼっ、げぼっ、がぼっ、ぼこんっ」


 ウェンディも、冷静。そしてクレイジー。

 水中で深呼吸させて、事態を悪化させている。


「魔王様のご容態については、この私が説明いたしましょう!」


 お前は誰だ。


「申し遅れました、私、魔王様の側近がひとり、ベリアルと申します」


 突然しゃしゃり出てきた悪魔風の青年はベリアルと名乗ると、魔王が水の牢獄にとらわれるに至った原因を説明しはじめた。

 どうやら、これは勇者によって編み出された新種の魔法らしい。


「形なき水の牙は魔王様の体を蝕み続け、嗚呼、なんと残酷か、その呼吸の最後のひと息に至るまで吸い尽くしてしまうというのです」

「ごぼがばごぼ!」

「息郎先生、貴方様は以前に、その2つの奇跡なる手指から舞い散る光の所業によって、同じく勇者の歯牙なる『聖なる炎』の呪痕を平癒に至らせた。こたびもその奇跡を如何なく発揮いただきたく……」

「がぶげぼがぽっ!」


 大仰にポエミーな解説と懇願を織り交ぜるベリアル。

 水の中から必死の形相で叫ぶ魔王。


「排水溝なら簡易シャワー室にありますよ」

「魔王様を下水に流さないでいただきたい!」

「がぶごぼがばっ!」


 ドライな息郎。


「先生!点滴用の生理食塩水200リットル、用意できました!」

「いいですね、ウェンディ。いっそ血液全部、水に置換してみましょうか。一体化できるかもしれません」

「魔王様をスライムにしないでいただきたい!」

「がぶごぼがばばばっ!」


 ……さてさて。おわかりいただけただろうか。

 第2話目にしてこの診療所、カオスの大渋滞である。


「排水溝もスライム化もダメとなると……吹き飛ばすか、全部飲み込むかぐらいしか思いつきませんね」


 全く医療的な解決策ではないぞ、息郎。


「だぶぶっ、だぶぶっ」

「魔王様は、もうすでにお腹タプンタプンだ、と申しております」

「では、吹き飛ばしますか。医療用高圧サーキュレーターがあれば良いんですが……」


 そんなものは、どこの世界にもない。


「あ、わたし、風ならありますよ」


 ウェンディがお行儀よく挙手した。「風」が「ある」とは変てこな文だが、今までとは打って変わって、彼女の顔つきは真剣だ。


「ほう。風をお持ちで?」

「はい、お持ちです」

「吹き飛ばせますか? あの水の塊」

「やってみます」


 ぴょこん、と飛び跳ねて、ウェンディは魔王の目の前に進み出る。胸の前に手を重ねると小さな声で呪文を唱え始めた。


「風霊を統べる偉大なるメテウスよ……乱舞する空の獣を集い寄せ、彼の者を無に帰す時流の渦を巻き起こしたまえ……、メエルシュトレエム!」


 瞬間、魔王の足元に一陣の風が集い、力を貯めるかのようにとどまった後、巨大な竜巻の姿へと爆発的に成長した。竜巻は魔王を巻き込み、診療所の天井を突き破り、はるかなる天空の彼方へと伸びていく。


 魔王は、砂粒のように小さくなりながら「水なくなったあああああ」と歓喜の声を轟かせ、やがて見えなくなった。




「一件落着ですね」

「え、いや魔王様は……?」




 したり顔の息郎に、ベリアルが口をぱくぱくさせている。


「それにしても、素晴らしい風圧でした。医療用高圧サーキュレーターに勝るとも劣らない」

「えへへ、こう見えて私、風の精霊やってたことがあるんです~」

「なるほど、どおりで体捌きが様になっていらっしゃると思いました」


 いや、そんな護身術習ってたことあるんです~みたいなノリで済ませるなよ。

 風の精霊「だった」ってなんだよ。退職とかあんのかよ、精霊に。


「数週間前に精霊クビになって……退職金もすぐ使い尽くしちゃって、そろそろ働かなきゃな~って思ってたとこに風邪ひいちゃって、何も食べれず飲めずで死ぬとこだったんです。だから、息郎先生に拾ってもらえて助かっちゃいました」

「そういう経緯が! いえ、風の精霊経験者ならば申し分ない。よければ正看護師として、このまま診療所で働いていただけませんか?」

「いいんですか! やったー、就活せずに済んだー!」


 あんのかよ、退職。精霊に。

 そんで雇っちゃうのかよ、息郎。

 大丈夫かよ。波乱が幕を開ける予感しかしねえぞ。


「いや、ちょっと! 魔王様は? 魔王様どこ行っちゃったの、ねえ? ねえ!」

「うるさいなぁ。3日くらいしたら落ちてきますよ、多分」

「ですね。たぶんこの辺りに落ちてきますので、お姫様抱っこのポーズで待機しておいてください」


 息郎は竜巻の発生地点から10歩ほど進んだ先に大きくバッテンを書いて、ベリアルを誘導した。

 ベリアル、素直に従ってお姫様ポーズで棒立ちする。


「落ちてきた直後は体力も低下している可能性がありますので、お帰りの際は転倒に気をつけてくださいね。お城の中ではつたい歩きから始めてください。浴室は滑りやすいので、初日の入浴はご家族の方といっしょに入ったほうが良いと思います。お大事に」


 などと、骨折した高齢者への指導めいた助言で締めくくり、息郎はその場を去っていった。



 こうして、元風の精霊・ウェンディが診療所の新たなメンバーに加わった。彼女の笑顔に患者たちは癒やされ、彼女の天然医療ミスに患者たちは阿鼻叫喚するのだが、それはまた別の話。


 ちなみに3日後、落ちてきた魔王はベリアルの両腕でしっかりと抱きとめられた。水の牢獄もきれいさっぱり吹き飛んでいましたとさ。

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