魔王の主治医~冷静すぎるスーパーエリート医師、異世界で魔王を治す~

HAL No. 炎息

Case 1. 診察に来た魔王さま

 ここに、ひとりの男がいるだろ?

 怪我や病気に悩む町民たちの治療を淡々とこなしている、この男だよ。


 ここ、とはご覧の通り、いわゆる異世界なる場所。

 魔物もいる。魔法もある。フィールドもあるし、ダンジョンもある。エンカウントもあるし、セーブポイントだってある。


 そんな異世界で、白衣を着込み、聴診器をあてがい、電子カルテを打ち込む。現代日本観バリバリの医療風景を、さも当然のように行っている、この男。


 何者かって?

 もちろん、転移者に決まってら。

 名前は芯出しんで息郎いきろう

 若干27歳。

 名門トロロ大学を首席で卒業し、研修医時代から数々の伝説を残す全診療科制覇のスーパードクター。息郎は誰もが認めるエリートだった。


 典型的なワーカホリックだった息郎は、日本の法律を軽く超過した夜間勤務の直後、国際学会へ向かう飛行機の機内で意識を失い……気づけば異世界に転移していた!


 たどりついた町で、町長の息子が患った心臓の疾患を一目で見破り、この世界では未知の知識と技術で見事に治療してみせたのがきっかけとなり、こうして町の片隅に診療所をかまえることになった。


 ……だろ?

 いけすかねえだろ。

 元の世界で恵まれてたやつはよ、こっちじゃ落ちぶれなきゃダメなのよ。

「ざまぁ」されなきゃダメなのよ。


 なーんで活躍しちゃってんの!

 なーんで有り難がられちゃってんの!


 腹立つったらねえぜ、まったく。


 唯一の欠点は……、見れば分かるだろ。この鉄面皮。

 典型的な三白眼。つり上がった眉毛に、一瞬たりとも緩まない口元。


 超怖えーよ! 優しいお医者様の風上にもおけねえよ。


 ……これで、イケメンじゃなかったらなぁ。

 目が怖かろうが、無表情だろうが、イケメンだったら許されるって、元世界そっち異世界こっちもやるせねえよなぁ。

 この間も、若い女性の患者が目をハートにして帰ってったし。


 え、ところでお前は何者かって?

 ……まあいいじゃねえか、そんなことは。そのうちわかるさ。


 それよりも、息郎だ。こいつは今日も今日とて、小さな診療所で町民たちを診ている。

 鼻水を垂らしたガキに薬を飲ませてやったり、老婆の腰痛に湿布を貼ってやったり。


 薬も湿布も、処方してやればいいのに、って思ってるだろ?

 残念、ただの医薬品じゃあないんだな。


 信じられるか? こいつ。息郎。

 もともと人間離れしたスーパーエリートのくせして、転移のタイミングでチート能力もらってやがんの。


 その名も、『医の全知パブメド』。

 元世界そっち異世界こっちのすべての病気と治療法の知識が脳内に網羅され、息郎が直接処置した場合には治療効果がうん百倍に跳ね上がるパッシブスキルだ。


 何、よくわかんねぇって?

 ちょっと考えてみてくれよ。ここは、ファンタジーだぜ。

 回復魔法ヒールだって普通に存在する。そこいらの田舎神父でも使える。


 なのにわざわざ、こんな田舎町の隅っこにある小さな診療所のほうを選ぶってんだ。

 どれくらい規格外の治療なのか、一目瞭然ってなもんだろ。巷じゃ死人すら治すって評判だ。


 おっと、治療が終わったみたいだな。


「これでよし。よく水分をとるようにしてくださいね。では、お大事に」


 息郎は相変わらずの無表情で告げる。

 治療も淡々としている。でも、手際はいい。

 無駄話はないが、患者の声に耳を傾けないわけでもない。最低限の会話で、要件を済ませているだけだ。


 患者も、満足そうに帰っていく。

 一瞬の無駄もなく、次の患者を呼ぶ。


「次の方」

「うむ」


 ……うむ?

 どーん、と胸に響く重低音ボイス。なんか違和感。

 待合室へつながる麻布のカーテンが、勢いよく開かれた。


「おや」


 その現れた姿を見て、珍しく息郎も声をあげた。

 そう、珍しく、だ。医の全知パブメドを持つこいつが、患者の姿を見て驚くなんて、めったにないことなんだ。


 なに、リアクションが薄いだって? そりゃ仕方ねえ。息郎だからな。まあ、そこいらの一般人なら卒倒してもおかしくないだろう。

 そのくらい、非常識なことが起こっている。


 患者用の丸椅子には収まりきらない巨体。全身を覆う真っ黒な毛。鋭い牙、爪。そして周囲を巻き込む禍々しいオーラ。そいつは、どこをどう見ても――。


「はじめまして。医師の芯出息郎です」

「うむ、魔王じゃ」


 ――魔王だった。

 世界を恐怖で支配する魔王だった。

 人類の敵、魔族を統べる魔王だった。

 これまでに歴戦の勇者たちが何度も討伐を試み、そのすべてを一蹴してきた魔王だった。


 全身から放たれる、圧倒的な威圧感。診療所の空気が一瞬にして凍りついた。待合室の患者たちの恐怖が、すすり泣きや息遣いから伝わってくる。


「今日はどうされましたか」


 その魔王を相手に、普段どおりの対応をぶちかます息郎。

 いや、普通もうちょっと動じるだろ。

 だって魔王、来てんだよ? 目の前に座ってんだよ? 禍々しいオーラぷんぷんなんだよ?

 もうちょっと動じなきゃだめよ、息郎。


「うむ、右手のやけどが治らんのでな」

「どれどれ……おや、これは珍しい。『聖なる炎』で焼き切られてしまっていますね」

「そうなんじゃ。勇者のやつにやられてな」


 あー、はじまっちゃった。普通の診療はじまっちゃった。

 てか、原因は勇者なんだ。ラストバトル直後のご来院なのね。


「しかもあなた、これ……以前、自分で処置したでしょう? 皮膚の一部がいびつになっている」

「しつこんじゃよ、勇者のやつ。全滅させても全滅させても、蘇って襲ってきおる。いちいち治療していたらキリがない」

「教会で復活できますからね、彼らは。勇者補正ってやつです。でもちゃんと処置しないと固まって指が動かなくなることもありますからね」

「うむ……面目ない」


 ナチュラルに魔王に説教かましている。普通怖いでしょ。口からロングソードみたいな牙が、はみ出ている相手を前にしたら。


「では、治療を開始しましょう」


 そんで治すんかい。

 わかってんのか、こいつ。魔王だぞ? 人類の敵だぞ?

 このまま放っておけば、また勇者がきて今度こそ倒してくれるかもしれないじゃん。治したら、せっかく蓄積させたダメージが無に帰るんだぞ。そんで、世界の暗黒期が延長されちゃうんだぞ。


「薬を塗りますから、じっとしててくださいね」


 だめだ、治す気だ、こいつ。

 スキル使う気まんまんだし。すでに立ち上がって、薬棚に手を伸ばしているし。


「待て。なんだその、怪しげな白い筒は」

「何って……虫刺され用のかゆみ止めですよ。液体タイプ」


 夏の暑い時期、どこのご家庭にも常備してあるヤツね。


「そんなもので治るのか」

「虫刺されみたいなもんですよ、『聖なる炎』なんて」


 絶ーっ対に違う。


 って、素人なら思うところだけど。

 息郎が言うなら、きっとそうなんでしょう。虫刺されみたいなもんなんでしょう。


 訝しがる魔王の患部に、かゆみ止めの容器を近づけた途端――。




 虹色に輝く液体が、レーザービームのように傷口めがけて放出された。




「痛あああっ!?」


 つうこんのいちげき! 

 魔王、めっちゃ痛がっている。


「はい、じっとしてくださいねー」


 対する息郎、冷静。

 かゆみ止めレーザービームを、ぶしゅうううううううっ。


「痛いっ、痛たたたたたたっ、やばいやばい、これやばい。死ぬやつ! 死ぬやつ!」

「死にません」

「いや痛いって! 勇者にやられたときより痛いから!」

「我慢できなかったら右手を挙げてくださいねー」

「右手はさっきからお前が押さえつけておるっ!」


 魔王の動きを完封する息郎。

 そもそも、痛いときに手を挙げるのは歯医者だ。


「……まったく、情けない。それでよく魔王やっていられますね。はい、終わりましたよ」

「何ぃ……む、これは」


 施術が終わって、文句を言いかける魔王。

 しかし、右手を見て、怒りの言葉を飲み込んだ。

 さっきまで巣食っていたじゅくじゅくの火傷が、きれいさっぱり失くなっている。


 魔王、五指をわきわき動かす。

 拳を握る。

 素振りする。


「ふは、ふははははっ、治っておる、治っておるぞ!」

「今夜はお風呂やめておいてくださいね。もしも傷口が開いたら、また来てください。多分、大丈夫ですが」


 おそるべし、医の全知パブメド

 虫刺され薬だけで、『聖なる炎』の火傷を完治させてしまった。しかも、一瞬で。

 超痛そうだったけど。


「息郎とか申したか。人間の治療など、たかが知れておると思っていたが、どうしてなかなか……おぬし、わしの部下にならんか」

「結構です。ここで私の治療を待っている患者が、たくさんいますので」


 息郎は冷たく言い放つ。

 そんな即答で断るなよ。ひやひやすんぜ、お前。


 まあでも、魔王は高笑いしているし、大丈夫そうだ。


「気に入ったぞ、息郎。また何かあったら頼む」

「はい、お大事に」


 あくまで一般の患者と変わらない様子で、魔王をあしらう息郎。

 その淡々とした様子がお気に召したようで、魔王は更に高笑いを重ねながら診療所を去っていった。


 やがて、禍々しいオーラの断片すら感じないほど魔王が遠ざかる。

 息郎は立ち上がって虫刺されのボトルを薬棚に直し、聴診器を首から外した。


 そして、しばらくその場で固まったあとに。


「……魔王、来た。びびった」


 ぼそっと呟いた。

 びびってたのかよ。ポーカーフェイスすぎてわからんわ。

 そんで、びびりながらあんなドS治療してたのかよ。

 どういう感情コントロール能力なんだよ、お前。


 まあでも。

 どんな背景があろうと、善人でも悪人でも、患者は患者。

 そこに医療が必要なら、躊躇はしない。


 息郎らしい信条が、そこに感じられる。

 そりゃ、異世界転移させられるわ。チート能力ももらえるわ。


 本来、勇者のパーティとかに入って人類の危機を救わなきゃいけなさそうな気がするけど。

 ……ま、いいか。


 あんなゲストがたまに来るのも悪くはない。

 息郎の表情も、そんな内心を物語って見えた。



 まさか、翌日から毎日のように魔王が来院することになるだなんて、このときはまだ、考えてもなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る