第2話 老婆の教え、生の重み

「何じゃ?」



 男の存在に驚くこともなく淡々とした様子に男は少し身構えた。



 この老婆、油断できない。



「ここに立ち入る者がいるとは珍しい。お前、面白い血の匂いをしているな」



 老婆はくすくすと笑った。



「何言ってんだ? これはどういうことだ?」



「この死体は人に殺された、これはクマに襲われて、これは妖怪に引き裂かれて殺されたな」



「妖怪⁉ そんなものがいるのか?」



「無論じゃ、この死体を見ろ。巨大な爪痕が残っておる」



 大きく引き裂かれた体、クマでも持っていない大きな爪痕が体に残っている死体があった。



 しかしそんなこと男にはどうでもいい。



「それで、お前は何をやっている?」



「お前と同じことじゃよ」



 男と同じこと、それは死体に対して悪さを働いているということなのか。



「悪さをしてるということか」



「それが『悪』か? 自分が生きるためだとしても? 生き残るために殺すのも悪か?」



「殺すのは悪いだろう」



 今は戦国、殺し合いなど日常茶飯事の世の中で男の発言は甘いと言われるかもしれないが、男の本音だった。



 老婆は鼻で笑う。



「若いな。では訊こう。ここで死んだ者は皆、誰かに殺された。そやつらを殺した者たちは今も生きておる。……その者たちは、善か? 悪か?」



 男は言葉に詰まる。



 老婆の態度に、答えを出せない自分に男は苛立ちを覚える。



 頭の中に何か言いようのないものがこみあげてくる。



 我慢ならない。



「この……!」



 男は老婆を押し倒し、老婆の上に乗った。襟元を掴み、もう片方の手で小刀を抜く。



 これで老婆を黙らせると考えた。



 しかし老婆は少しもうろたえることは無い。



「悔しいか。まだ若いのう。殺せばよい。この老婆を殺してお前の気持ちが晴れるならばな。しかしそれはお前の思いに反するのではないか?」



 男は奥歯をギリリと噛む。



 老婆の言葉は続く。



「感情に任せて殺すな。生きるために殺せ、と言ったらお前は殺せるか?」



「……」



「わしはな、殺せるぞ!」



 老婆の瞳が妖しく輝いたように見えた。



 本気だ、この老婆は本気で言っているのだと男は思った。



 中途半端な自分とは違う、本気でこの老婆は己の人生に向き合っている。「生きている」と思った。



 今老婆が本気になれば、自分は殺されるだろうと思った。力や若さではない、「生にしがみつく力」そのものが違うのだ。



 そんな老婆を怖いと思った。同時に羨ましさがこみ上げてくる。



「俺も、できるか?」



 この問いは老婆に対してか、男自身にか、男にもわからなかった。



「自分が生きるためなら、何でもいいのだ」



 老婆はヒヒヒと笑う。



 その時男の中で何かがはじけた。



 今まで何かと理由をつけて正当化してきたこと、生きるためならそんなものどうでもいいと吹っ切れた。



「そうだな」



 男は大きく笑う。



 生きてやる、どんな手段を使っても。どんなに時分の手を汚したとしても。



 老婆を突き飛ばし、男は蔵を抜けだした。夜の闇へ駆けていった。

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