03-Codeインフラレッド:人類滅亡要素




 青光。

反射で構えた糸剣に、剛力が襲い来る。

柔らかく受け流しつつ、咄嗟に反撃の剣を振るう。

半端に腰の入った剣は、父さんの二の腕を軽く切り裂いた。

血液が飛び交い、視線が交錯する。

僕と同じ黒色の瞳が、僕の愕然とした顔を映した。


「シィィィッ!」


 煌めく、青光の突き。

喉を突く軌道を、体を横にずらしつつ、剣で横に弾く。

そのまま体を入り込ませ、鉄山靠。

肩から突進の物理力を叩きつけ、父さんを弾き飛ばす。

轟音。

トラックが激突したような爆音を響かせながら、父さんは数メートル吹っ飛びつつも、上手く着地し構えを崩さない。


「父さん、何を……」


 間違いなく、殺意の籠った剣。

僕の方が圧倒的に位階が上だからあしらえているが、同格であれば精神的動揺もあり間違いなく殺されていただろう。

どうすればよいのか分からず、父さんに理由を問うが、答えはなく、ただ静かに聖剣を構えなおすのみ。


 僕は、一端混乱を意識の中に無理やり落とし込む。

状況把握。

チセは僕から大きく離れようとはせず、驚きつつも見守る形。

周囲の人々は悲鳴をあげ逃げ出す者、呆然としながら立ち尽くす者、携帯端末を取り出し写真を撮る者など様々だ。

人込みを避けて歩いていたからか、その数が少ない事だけは助かるのだが。

父さんは光波の他遠距離攻撃はなく近距離攻撃主体、辺りの人々に被害は出づらいが、それでも被害ゼロで済ますというのは甘すぎる想定だろう。


 小さく、薄く、呼吸を循環させる。


 瞬時に辺りの地図を思い浮かべる。

近くに大き目の公園、距離はおおよそ2km。

父さんの視線はチセにも行っていた、この場で離れてチセに危害が及ばないと確信は出来ない。

ならば。


「チセ! このまま、ついてきてくれるかい!?」

「は、はい! 大丈夫です!」

「街中だと危ない、ここから近くの相木宮公園に向かう!

 僕が後退しながら向かうから、それを少し先導する形で動いてくれ!」

「了解です!」


 チセの応答を尻目に、父さんの剣先が、僅かに下がる。

真っ直ぐに伸びた剣先が、僕に真っ直ぐに向かっていて。

違和感、怖気。

咄嗟に余計に大きく背後に下がりつつ大きくのけぞると同時、超速度の突きが喉元で止まっていた。


 それは、間合いを殺す対人剣。

相手の視点に切っ先を真っ直ぐに合わせる事で、剣先の長さを読ませなくする殺人剣の一種である。

とは言え、僕の持つ糸剣は、父さんの聖剣を模して作ったものだ。

故に僕は聖剣の間合いを熟知していたが、見れば聖剣を握る父さんの手は、鍔近くを持っていたはずが、柄頭近くまで移動している。

間合いを読ませなくする詐術と、それに知識で対応した瞬間を突く、突きの瞬間持ち手を移動させ間合いを変える詐術。

二重の詐術による殺人剣を、僕は直感で辛うじて回避できていた。


 無理な攻撃と無理な回避、体勢は互いに崩れている。

視線が交錯し、迸る殺意が僕の背筋を凍らせる。

ばらまいた糸の欠片による空間認識が、公園までのルートを確定させる。

周囲の人はまばら、車の往来はなく車道は使えそうか。

それとなくチセに握らせた糸で道を誘導しつつ、父さんが聖剣を持ち直し体勢を整え、僕が糸を使ってのけぞり姿勢から隙を見せずに構えに戻る。


 チセが走り出したのを感覚し、父さんに正対しながら後ろ走りに進む。

追う父さんが、軽く聖剣の切っ先を振り、小型の光波を放った。

一閃、二閃、三閃。

後退しつつの腰の入らない剣で光波を叩き落とし、追うように加速した父さんが追い付く。


 殺意の青光が駆ける。

袈裟の斬撃を受けると同時、聖剣の輝きが増す。

不可視の、物理力とは異なる、いわば運命の重みのようなものが増した。

糸剣に、ヒビが入る。

目を見開きながらも、感じ取った瞬間に手放し体ごと後ろに倒れ込んだ。

糸剣が砕けてゆくのを尻目に、走りながら生成していた二つの糸罠を発動させた。


「む」


 一つは、父さんの足元で発動した足を絡めとる糸罠。

もう一つは、僕の背で発動した糸のトランポリン。

次の一歩が思うように踏み出せず固まる父さんに、倒れ込んだ僕の体が逆再生のように戻ってゆく。

咄嗟に上半身のみで振るわれる聖剣に、強度を上げた糸剣を生成、叩き込んだ。

停滞は一瞬、足を固められた父さんは逃せぬ衝撃に全身を貫かれ、一瞬静止する。

その瞬間を狙って、僕は大きく後退。

一瞬遅れ、足元の糸を破壊した父さんが今一度僕を追う。


 青光、青光、青光、青光、青光。

そのすべての剣戟が、殺意に満ちていた。

致命の一撃、こちらの剣を殺す詐術の剣、こちらの剣を活かし絡めとる技術の剣。

全てが僕への必殺を狙っており、あらゆる一撃に気が抜けなかった。


 それでも、僕は軽傷のみで父さんの剣戟を防ぎ続けていた。

戦闘技術、特に剣に関しては、人魔大戦を戦い抜いた父さんの方がさらに上。

しかし位階の差は圧倒的で、位階差約80は2の8乗……256倍もの出力差に相当する。

街中で、かつ父さんへの殺意がなくこちらからの攻撃はほぼせず、かつ動揺して糸剣の生成が緩むような精神状態。

そこまでの不利条件を背負ってなお、小傷を負う程度の損傷。

それだけの差が、僕と父さんの間には横たわっていた。


 辿り着いた夜の公園に、人気はなかった。

離れたところで肩で息をするチセを内心でいたわりつつ、広場で父さんに剣を向ける。

電灯に照らされながら、互いに青光で染められた姿を見やる。

後退しつつ周囲への被害も気にしていたから勝負が成り立っていたが、ここならその心配もさして必要ない。

やはり位階の差は圧倒的。

何が何だか分からないが、制圧して捕縛する形で勝負を決めよう。

そう決心した瞬間……父さんが、口を開いた。


「流石だ、ユキオ」

「……そう思うなら、ご褒美に何故と教えてもらってもいいかな」

「不利条件を背負わせれば動揺と合わせて仕留められるかもと考えていたが、流石に甘い想定過ぎたか」


 声色は、一本調子。

視線に感情の色は乗せず、淡々と事実を告げるように続ける。


「信じてもらえないかもしれないが……私はユキオ、お前の事を私なりに、愛していた」

「…………」


 困惑。

戸惑う僕の前、父さんは、ポロリと涙を零した。

表情一つ変えずに、ポロポロとその涙だけが瞳から溢れ零れてゆく。

顎から粒となって落ちた涙滴が、スーツのズボンの膝を汚す。


「最も大切なものは、ヒカリだったが……。その次に、お前の事を大切にしていた。

 この世界を守り続けるのは、ヒカリとの約束だ。

 だからこそ私は……、お前の事よりヒカリとの約束を優先してきた」


 聖剣の青光が、その強さを増してゆく。

困惑していた僕の思考と同時に、その裏側の冷たい部分が警戒を促す。


「だからユキオ、お前がナギを殺さねばならなかった時……私は切り札を温存した」

「お前がミーシャを殺さねばならなかった時も、私は切り札を温存した」

「本来切る想定だった薬師寺アキラ相手には、タイミングを逃して切り時を失い」

「お前がリリを助けようとしたときは……あの娘を助けるためにはむしろ余分と考え、切らなかった」

「……その切り札を、今ここで、切る」


 それが、白くなり始めた。

青白い濡れたような光が、完全に真っ白な、光そのものの塊に変化してゆく。

不思議とそれは見つめても眩しくない、けれどその輪郭が全て光でできていることが明白な。

映像資料で見た事のある、魔族に、人類滅亡要素に対するときの聖剣の姿。


「"強制赤外認定"。聖剣の勇者たちに認められる、生涯で一度だけの聖剣覚醒対象の追加」


 それは、宣言だった。

僕がナギを、ミーシャを手にかけないようにする事よりも。

僕が薬師寺アキラに敗北しないようにする事よりも。

僕がリリを助けられない可能性よりも。

今ここで僕を殺すために切り札を切る事を優先した、という。


 それが僕の動揺を引き出し、より殺しやすくするための宣言であることは明白だった。

僕の冷静な部分はその意図をたどり切れていたが、しかしだからこそ、そこまでする父さんの殺意に、二重に動揺が酷くなる。


 震える。

糸剣を持つ手が、その力を緩ませる。

思考が停止する。

視界が歪む。

全力で抵抗せねば、その場に崩れ落ちてしまいそうで。

喉が異様に乾く。

喘ぐように、酸素を求めて口が開いた。


「……死ね」


 殺意の宣言と共に、父さんが地を蹴った。

青光、轟音。

平衡感覚が消え、視界に夜空が映る。

遅れ自分が地面に倒れている事、糸剣が砕かれた事を理解した。

瞬間、咄嗟に糸の操作も含めて横に飛びのく。

追い打ちの聖剣が地面に叩きつけられたのは、その一瞬後だった。


「……チィ!」


 舌打ち、父さんは聖剣を地面から引き抜き、そのまま横凪払いの光波を放つ。

生成した糸剣で打ち払いつつ、動揺を隠せないままに無様な構えを取ってしまう。

光波を追うように疾走してきた父さんが、聖剣を唐竹に。

糸剣で逸らしつつ手放しながら、半回転、新しく生成した糸剣を横凪に振るった。

同時、父さんの切り上げが僕の腹部へと跳ね上がる。

相打ちの形。

殺意に満ちた父さんの目が、僕を貫く。

情況を悟ると同時に僕は左手を手放し、糸手甲を生成しながら聖剣の一撃を受けた。


「……がっ!?」


 衝撃。

全身がグチャグチャになりそうなそれを終えて視界が戻ると同時、腹部の負傷をそのままに父さんの追撃が迫るのが見えた。

内心舌打ち、袈裟に切りかかる一撃を咄嗟に撃ち落そうとし……、ビリ、と痺れ。

聖剣の一撃を受けた左腕と、左側の背中が、引きつる。


 ぎぃぃん、と鈍い音。

不完全な一撃は聖剣を叩き落すことは敵わず、逆に跳ね除けられた。

弾き飛ばされた糸剣、体を泳がせ無防備な僕の前で、父さんの目が細まる。

袈裟から聖剣を打ち上げた姿勢をわずかに落としつつ、剣を引き。

シルエットが、服が、肌が、筋繊維が、その動きを見せつけるように僕に知らせる。

裂帛の突き。


「――っ!!」


 胸に穴をブチ空けようとするそれに、僕はかろうじて生成していた糸で自身を背後に引っ張っていた。

ひゅっ、と。

切っ先が触れるだけだった突きは、僕の胸もとに薄っすらとした傷跡を残して終わる。

姿勢を正しながら糸剣を再生する僕に、父さんは薄く呼吸を整えた。


 完全覚醒した聖剣は、その刀身に運命と魂の力を蓄える。

僕の魂の術式による回復は、魂を参照して肉体を再生成する術。

故に聖剣の刃で魂を切り裂かれてしまえば、自身を回復することはできないのだ。

つまるところ、聖剣で切られれば、僕は自己蘇生できずに死ぬ。


 ……完全覚醒した父さんの位階は、しかし僕よりわずかに下か。

とすれば、僕の精神が完調であれば互角以上に戦えたかもしれないが、残念ながら今の僕は限界近くまで動揺している。

未だに目の前の父さん相手に本気を出していいのか内心悩んでいるし、深く傷つけるような攻撃ができていない。

このままでは、父さんに殺される。

死ぬ。

死ぬ。

……殺して、貰える?


「ユキオさん、負けないで!」


 チセの言葉が、暗い欲望に囚われそうだった僕を引き戻した。

その集中の削がれを見て取ったのだろう、父さんが踏み込んだ、その瞬間だった。

反射的に、辺りに張り巡らせていた糸罠から、糸槍を飛び出させる。

回避しながら迫る父さんに、殆ど反射で作ったレールに沿って雷速移動、背後からその腹部を狙い、糸剣を振るう。


「む」


 父さんもまた、視界から僕が消えると同時に反転、現れた僕の糸剣を聖剣で受けていた。

先の相殺の傷、父さんの脇腹に浅くできた傷跡から、血がにじみ出る。

拮抗は一瞬、糸剣はほどけながら父さんの手首に巻き付こうとし、一瞬遅れその糸が、腕ごと聖剣の光に焼き尽くされる。

その間に僕は糸剣を生成、後退しながら振るっていた。

間合いの外から、刀身の伸びた切っ先が父さんの手首を狙う。

咄嗟に父さんは左手を手放しつつ半身に回避、片手で短く突きを放った。

届かぬはずの間合いに、しかし突きの形で聖剣の光波が放たれる。


「運命転変・水繰り暗渠――水鏡反響」


 しかしそれが光エネルギーであれば、反射ができる術式を僕は知っていた。

返ってくる光波を咄嗟に相殺、父さんの動きが静止した。

その刹那を縫い、僕は再び雷速で踏み込み糸剣を振るっていた。


 金属音。

遅れ、血飛沫が跳ねる音。


「……ぐっ」

「……くっ」


 苦悶の声が、互いに漏れ出る。

父さんは手首に傷を、動脈を傷つけられて血を噴出させ。

僕は肩口に傷を、鎖骨を折られ軽く血を滲ませていた。

舌打ちつつ、父さんの右手……だけではなく、左手にも握られたもう一本の聖剣を睨みつける。


 父さんの後天的な固有術式は"勇者の聖剣"、器物生成系の固有だ。

各地に置いてある聖剣のレプリカは本物と全く変わらない存在で、父さん以外に使いこなせないだけで機能的に全く同一。

当然、咄嗟にもう一本聖剣を生成して、二刀流で戦う事も訳ないということだった。

とは言え普段の一刀ほどの練度はないのだろう、生成していた二本目の聖剣は消去し、再び一刀流に戻る父さん。


 傷は僕の方が深い。

しかし失った血液の量は父さんのほうが多く、消費した体力は父さんの方が上だろう。

位階はほぼ互角だが、父さんの聖剣は位階のブーストが本領と言った所で、僕は強化された父さんと互角以上な上、糸のトリッキーな動作ができる。

故に、戦況は僕有利。

動揺で力を発揮しきれていない事を加味しても、どちらが優勢か問われれば僕となるだろう。

が。


「……私は、負けない」


 執念と言うべきか。

戦いへの、殺し合いの熱意が、大きく異なる。

暗い殺意に満ち満ちたその姿勢に、僕は歯噛みした。


「意味が……分からない」

「説明する必要はない」

「何故僕を、殺そうとするんだ!」

「これから死ぬお前が、知る必要はない」

「答えてくれ!」

「断る。疾く、死ね」


 やはり対話は通じない。

どうにか倒すしかないのか、と糸剣を握る力に手を入れた、その瞬間だった。


「ユキちゃん!」

「兄さん!」

「父さま!」


 三人の、声。

姉妹とアキラとが、その武器を構え父さんを囲んでいた。


「みんな、来てくれたのか!?」

「うん、チセちゃんからの連絡で、アキラちゃんの術式でちょちょっとね」

「ん。アキラ偉い。後でナデナデの刑をしてあげて」

「刑罰扱いなのかい……? いや別に嫌がっている訳とかそういうんじゃないんだけど……」


 三者三様に言うのを聞きつつ、視界の外、糸の索敵範囲でチセがグッと親指を立てるのを感じた。

父さんへの視線を外さないままに、後ろ手に親指を立てて返す。


 対する父さんは、ちらりと空に視線をやった。

遠くからヘリの音、マスコミか秩序隊辺りかどちらかは分からないが、何者かが駆けつけようとしているのだろう。


「……潮時か。この場は、一度預けよう」

「なーに勝手な事言ってるのかな!?」


 姉さんは叫びつつも、その位階の差を感じ取っているのだろう、半歩前に出るだけで飛び出はしない。

代わりに僕が一歩前に出ると同時、ふわ、と父さんが"揺れた"。

そのシルエットが、ぐにゃりと歪むかのように。


「これは!? 皆、攻撃はするな! 空間が歪んでいる!」


 咄嗟に放とうとしていた攻撃を、アキラの焦った様子に止める。

静かな表情のままの父さんに、アキラは悔し気に表情を歪めた。


「……アキラ、お前は知っているか。最近の仕事で、あの太上老君と渡りをつけていてな」

「……馬鹿な、奴が龍門、お前に協力するはずがない!」

「そうだな、これはただの副産物、オマケの貰い物にすぎん。

 目的は私自身との協力ではないし……既に必要のなくなったものだ」


 アキラが顔を歪めるのを尻目に、父さんはじっと僕を見つめた。

数秒、無言のままに視線をチセへとやる。


「……待っていて、くれ」


 その言葉を最後に、父さんは大きくぐにゃりと歪み、その場から消え去った。

残るは、場違いなほどに静かな夜の闇。

僕の荒い呼吸の他、何も聞こえないかのような静けさだった。




*




「じっとしてて」


 ミドリの、小さな手が僕の肩へと伸びる。

その掌に、太陽の光のような、暖かい光が集った。

それはそっと患部に触れると、そこに静かに流れ込んでゆく。


「痛くないからね」

「……」


 汎用の医療術式の最上級と言われる甲級に、さらにミドリは固有を連携させ回復力を高めることに成功していた。

事前に固定されていた骨折の患部から、すっと痛みが、熱が引いてゆく。


「力を抜いて、私に身を任せて」

「…………」


 いつもは甘え上手のミドリは、しかし今日は静かにその手を触れたまま、慈母のような笑みを浮かべていた。

集中のためだろう、薄っすらと汗をかきながらしばらく術式を走らせ……。

少し経ったあたりで、にへ、と表情を崩した。


「ぐへへ私にぜーんぶ何もかも任せていいんだよ鎖骨ペロってもいいよね」

「セクハラ禁止チョップ」

「ぐぇー」


 本当に手打ちなので力が入ってないチョップに、変な悲鳴を上げながらミドリが手を離した。

多分、治療終了の合図という事なのだろう。

軽く動かすが、もうすでに違和感はない。

はだけていた服を戻しつつ、苦笑気味にミドリに視線をやる。


「流石だね、ミドリの治療はやっぱり凄いや」

「……そっか。久しぶりに兄さんの役に立てたから、良かった」

「いつもミドリには頼りっぱなしだから、治療ぐらいは……って思ってたんだけどね。

 まぁ今回はどうしようもなかったけど」


 僕が魂の術式による自己回復を覚えてから、運命と魂の術式の両方の使い手との闘いは、これまで三度。

両方の汎用術式を持つ薬師寺アキラとの闘いは、ミドリと合流する前に敗北し、病院へ。

リリは僕の殺害を目的としておらず、むしろ再生を使わせ僕のリソースは削る方針で居た。

今回の父さんとの闘いが、初めて自己回復不可能な傷を受けて、立っていられた戦いだったのだ。


 何かもの言いたげなミドリに疑問符が浮かぶが、それより先にヒマリ姉が叫んだ。


「あ~、つまり結局分からない! 父さん、どうしてユキちゃんに剣を向けたの!?」

「はい……私から見ても、何が何だか」


 ソファにかけた僕らを尻目に、ヒマリ姉、アキラ、チセの三人はダイニングテーブルについてこれまでの経緯を話していた。

爆発しているヒマリ姉に肩を竦めつつ、ミドリ。


「……治療しながら流し聞きしていたけど、やっぱり分からない。

 いやちょっとホテルから二人で出てきた事には無限に言いたい事あるんだけど、父さんがそうなる理由が分からない」

「いや、はい、その……」


 顔を真っ赤にしながら小さくなるチセに、ミドリはふんすと鼻を鳴らした。

僕も完全な共犯者なので、頬をポリポリとかきながらチセと視線を合わせる。

お互いに顔を赤らめて、視線を背けた。


「うわ……」

「兄さんあとでグーで殴っていい?」


 ミドリは脇腹をもう殴ってるが……。

両手でミドリの拳を遮りつつも、コホンと咳払い。

一人難しい顔をしているアキラに視線を向ける。


「アキラは、何か思いつく事があったかい?

 "記憶"もあるから、僕らが知らない父さんの事も知っているだろうし」

「……あります」


 俯いていた顔を上げ、アキラはチセに視線を向けた。

首をかしげるチセに、アキラは静かに口を開く。


「……その、順番が色々前後してしまいましたが、まずは初めまして。

 二階堂アキラ、と申します。

 ……戸籍上、父さまの……二階堂ユキオの娘として登録していただいています」

「あ、はい、これはどうもご丁寧に。

 こちらこそ初めまして、私は下野間チセと申します。

 ユキオさんの……えへへ、この度、正式に恋人となりました」


 先ほどの話をもう一度告げるチセに、姉妹はプクリと頬を膨らませるも。

アキラは、痛ましいものを見る目で、歯噛みしていた。

どうしたのかと問おうとするのを遮り、アキラが告げる。


「チセさん……いきなりですが、重要な事なので答えてください。

 貴女の誕生日は、いつでしょうか?」

「え? ……えっと、8月8日。しし座です!」

「……あれ? もしかして、母さんの命日?」


 チセが勢いよく言うのに、ポツリとヒマリ姉が呟いた。

まぁ当然僕も知っていたが、わざわざ口に出してチセに伝えてはいなかった。

誕生日を聞いた時は奇妙な符合だとは思ったが、当時は友人の一人でしかなく、それが恋人になったとしても、相手の誕生日が母の命日を被っているという事など言う必要はないだろう。

特段話題になる事もなかったので、言う機会がなかったというべきか。


「チセさんは、確かミドリさんの一つ下、でしたよね?」

「え? うん、そうだよ。だから995年の8月8日生まれ。夜に大変な思いをしたって、母さん言ってたっけ」

「……ん? 年も一緒だから、本当に同じ日に? 母さんが亡くなったのは、夕方……日が落ちる頃だったって、聞いてたけど……」


 言われて、そういえばと気づく。

だから何が、と思いつつも、アキラが顔色を悪くしながら告げた。


「私は……いや、薬師寺アキラは、魂の術式による転生を行うために、魂の汎用術式を用いて多くの人の魂を観測してきました。

 そんな薬師寺アキラが、その転生術式を発動させたのは……受精の瞬間では、ないのです。

 赤子がその胎から誕生した、その瞬間だったのです。

 なぜなら……自然に起きうる魂の流転、その記憶の全てを失う輪廻転生というべきものは……、元となる魂の死からすぐに生まれた赤子に、宿るものなのですから」


 今度は、誰も相槌を打つ余裕はなかった。

静まり返った僕らは、呆然と青白い顔をしたアキラを見つめていた。

瞬間、僕はいつしか夢の中で薬師寺アキラが告げていた言葉を思い出す。

彼は、赤子――後のリリ――が生まれてくるのを、見ながら死んでいった。

受精した瞬間よりも後に命を落としたのだと、そう言っていた。


「私は……薬師寺アキラの記憶を継いでおり、つまり彼の知る二階堂ヒカリの魂の情報も知っています。

 リリの中に居た頃は、直接見る事は叶いませんでしたが……。

 今日。初めて自身の肉体で直接会って、そして気づいたのです。

 下野間チセさん。

 貴女は、二階堂ヒカリの……転生体です」


 呼吸が、止まる。

思考がアキラの言葉を反芻し、ようやく言葉の意味を理解する。

チセが。

二階堂ヒカリ、僕を引き取った母の……父さんの最も大切な人の、転生体。


「尤も、だからと言って普通は何かある訳ではありません。

 薬師寺アキラが術式を行使してでさえ、転生に連れていけたのはその記憶と位階だけで、彼は二階堂リリにも、二階堂アキラにもなれなかった。

 普通の、自然に起こる輪廻転生は……記憶や位階ももちろん、人格も何もかも、何一つ引き継ぐ事はできません。

 ただただ、その魂を観測できるものにとって、同じ魂を持っている事を知る事ができるのみです。

 ……そう、例えば龍門……魂の術式の要素を持つ聖剣に選ばれた、勇者などにとって」


 つまるところ。

チセは、父さんにとって……この世で最も大切な人と、同じ魂を持つ人で。

その隣には、僕が……ホテルから僕らは二人手をつないで出てきて。


「だから……僕を?」


 僕が。

父さんにとって、この世で最も大切な人と、同じ魂を持つ人を……奪ったから?

凍り付くような感覚を覚えた、その瞬間だった。


「ふざけている」


 ミドリが、そう吐き捨てた。

冷たく鋭い視線をさまよわせ、アキラに、チセに、そして……最後には俯き、手元にやった。


「記憶も、人格も受け継いでいない相手が……そんなに大切なの?

 母さん本人が父さんに残した、私たち三人よりも」


 僕は、追って俯いた。

仮に僕が、十年ぐらい先に……そう、リリの転生体と会ったとしよう。

リリが残した忘れ形見ともいえるアキラと比較して、その転生体を愛するような事があるだろうか?

リリの転生体を僕から奪うような立場にあったとして、アキラに殺意を向けるだろうか?

勿論関係性が同一という訳でもないのだろうが……、それでも正直、想像はしづらい。

それは僕がこれまで最も大切にしてきたのが、"ここ"という人ではないあやふやな物だからなのだろうか。


 理屈は判明し、一応の筋は理解した。

しかし共感は、できない。

魂の術式を持つのはこの場で僕とアキラだけ、僕は大切な物の在り方から共感できない。

アキラも口にはしないが、信じられないといった様相から父さんに共感しているようには見えなかった。


「……それだけ、なのか? 他に理由がある、のかも」


 それは、何となく口にしただけの言葉だった。

何か深い意図があって言った訳ではなく、単に父さんの内心がその通りだと思いたくない現実逃避だった。

けれど、アキラは小さく息を呑み、僕を凝視して。

吐き捨てるように、呟いた。


「……気づいたのかも、しれません」

「……何に?」

「……父さまにかけられた、呪いに」


 "呪い"。

薬師寺アキラが最初に発見し、解除を試み。

そしてリリの中に居たアキラがそれを引き継ぎ、生まれなおしたアキラが続け解呪を続けてきたモノ。

僕が知りたくないと、そう逃げ続けている存在。


「聞かないでください」


 アキラは、両手で耳をふさぎ、うずくまった。

ぴょん、と勢いで銀色のツインテールが跳ねる。


「私は……その仕組みを、知ってしまった。

 知らなかった時ならともかく、今は……わ、私の口からその"呪い"を説明させないでください」

「……それは」

「お願いです。他の事なら……父さまの言う事、なんでも聞きますから。

 だから……これだけは、私の口からは……」


 見ればアキラは、震えていた。

僕はそっとソファから立ち上がると、ダイニングチェアに腰かけたアキラの背に回り、そっとその背を撫でつけてやる。

中腰になって軽く抱きしめてやると、アキラは強く僕を抱きしめた。

そのまま、回した手でそっと頭を撫でてやる。


「分かったよ。大丈夫、君の口を無理やりに割らせることなんて、しないさ。

 大丈夫。だいじょぶ、だいじょーぶ」


 なるべくゆっくりとしたリズムで大丈夫と唱えつつ、アキラを撫で続けてやる。

小さく、柔らかく、暖かな塊。

弱弱しく震えるアキラが、必死と言わんばかりの強さで僕に抱き着いている。

薄っすらと、ミルクのような香りが漂っていた。


 中腰の姿勢が辛くなってくる頃までアキラを撫でてやると、落ち着いたようでそっと僕から離れた。

恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているが、そのぐらいの余裕が戻ってきたと言い換えても良いだろう。

コホン、と小さく咳払いをし、アキラ。


「……そ、その。"呪い"については、説明するのに適切な人物がいます。

 薬師寺アキラを含めた勇者パーティーの師匠役として、主に龍門以外の三人に様々な事を教えた者。

 太上老君。

 フェイパオを幼い頃から鍛えた、最高位の仙人。

 ……恐らく龍門が、父さまの呪いに対する解呪者として呼び出そうとした者です」


 太上老君。

三大仙人最強の、仙人界の最強戦力。


「まぁ龍門とは根本的に反りが合わなかったので、アイツが呼び出せるとはあまり思っていなかったのですが……。

 先ほどの話から聞く限り、老子……太上老君を呼び出す事に成功したようです。

 まぁ老子が勤勉に動いている所はあまり想像できないので、これからゆっくり皇国に来るとかそんな所でしょう。

 こちらでも龍門のしていた仕事に探りは入れてみますが……。

 その、おそらくは龍門の次の一手の方が早くなりそうだとは思います」

「……一応聞くけど、僕の"呪い"は父さんへの迎撃に影響が出るような事は、あるかい?」

「ないと思います。

 ……その、詳しく聞かないでほしいのですが、前例があって、父さまと龍門での戦いを阻害するような事にはならないかと。

 内容が複雑なので、龍門の切り札の時のように、父さまを動揺させるために語るのも難しいですし……」


 自信ありげに告げるアキラの言葉に、こちらも静かにうなずく。

他の面々に順に視線をやり、僕に視線が集まっている事を確認したうえで、口を開いた。


「……さて、状況は整理できた。

 父さんは僕を、妻の転生体を奪った者として……殺しに来るだろう。

 説得は、続ける。

 冷静になって、思い直してほしいと言い続ける。

 その上で……どうしようもなければ、倒し、捕縛する」


 これは、どちらかと言えば僕のためでもある。

結局のところ、どんな理由で父さんが僕に殺意を抱いていようと……僕は、父さんを憎むことはできない。

父さんは、僕にとっての"ここ"だから。

既に"ここ"であるリリを手にかけてしまったけれど、その上で加えて父さんを手にかけてしまうような事があれば……。

今でもヘシ折れてしまった僕が、完全に壊れ切ってしまうだろう。

その予感が、僕に殺意の言葉を口にさせなかった。


「だからどうか……みんな、僕に協力してくれ」


「もっちろん!」

「ご褒美はいっぱいいただく」

「頼りにしてくれ、父さま」

「私は応援ぐらいだけど、頑張るよ!」


 口々に返ってくる言葉に胸を打たれつつ、ほっと一息ついた、その瞬間である。

着信音。

携帯端末を取り出すと、画面には福重さんの名前。


「……スピーカーモードで出るね」


 皆が頷いたのと同時、端末をスワイプしてみせた。

途端、慌てた声で福重さんの叫び声が聞こえる。


『ユキオくん!? 今どこだい!?』

「自宅です。姉さんにミドリ、アキラ、チセ……下野間チセという娘も一緒です」

『龍門さんとは一体なにがあったんだ!? あの人、どうかしている! 宣言があったんだ! あの人から、世界中に!』

「福重さん、落ち着いてください。父さんが、何を宣言したっていうんです?」


 数秒、福重さんが黙り込んだ。

電話口越しに、まるで風船が膨らみ、爆発する準備をするかのような、怒りの充満が感じ取れて。


『Codeインフラレッドだ! 新しい人類滅亡要素……龍門さんはユキオ、君を対象として世界中に宣言したんだ!』




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ようやくチセ関連の話が出せてほっとした。

初登場時からそのためのキャラだったので……。

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