06-欺瞞の果てにでも、剣を取れ
その日、雑踏の人々は白いモノが舞い降りるのを見た。
春の日中、暖かな陽気の中に、風に舞いながらゆっくりと降りてくる白い点。
ふわふわと落ちるそれを思わず掌に受けると、すっと冷たい温度を残して、消えてしまう。
「……雪?」
誰かが、まさかと半信半疑に呟いた。
人々が次々に、空を見上げる。
空は晴れて雲一つないというのに、何処からか無数の白い雪が、ゆっくりと舞い降りてきていた。
騒めく雑踏に、無数の雪が深々と降り始め……。
そして、"それ"が始まった。
「あ、え? う、動けない?」
最初に雪を手に受けた男は、手を伸ばした姿勢のまま動けなくなった。
ざわめく人々だが、そも屋外で降ってくる雪を避けきる事など不可能だ。
次々に人は動けなくなり、声を出せなくなり、そしてそのまま凍り付いたかのように固まってしまう。
それは、魂をも凍結させる、運命凍結の低温だった。
物理的な温度ではなく、概念上の低温が人々を襲ってゆく。
人が凍り、屋外に居た犬猫が凍った。
やがてその概念上の寒気は、屋内に居る人々も襲い凍らせた。
街が凍り付き、生命の動きがなくなる。
それは街の外、郊外も同じだった。
魔物の領域では、狼の群れの魔物が小型のリス型魔物に襲い掛かろうとした姿勢のまま、凍り付き固まっていた。
人々から逃れ隠れ潜んでいた魔族達もまた、凍っていた。
辺境の果てで生き残る竜も、仙人界に潜む仙人たちも、その力で抵抗するも、徐々にその冷気に襲われつつあった。
"運命凍結現象"と呼ばれるそれが始まって一時間としないうちに、町が、国が、山川が、国が、大陸が、海が、そして惑星が凍り始めていた。
その凍結に対する抵抗力を持つ物は、僅かながら居た。
位階が高い者は、位階が低い者達に比べ凍り付くのが遅いのだ。
凍結開始からの一時間、位階にして40に満たないものは全て凍り付いてしまったが、それ以上の者達であればどうにかまだ行動を可能としていた。
そんな何もかもが凍り始めた皇都の中、一人何の影響も受けないままで駆け抜ける男が居た。
二階堂、ユキオ。
運命の糸を操る、世界最強の戦士である。
「……リリ」
小さく妹/娘の名を呟き、皇都の凍り付く人々を尻目に駆け回る。
運命の糸で編んだ即席の外套が、その低温をユキオの肉体から遮断する。
その両手から糸を繰り、半径数百メートルの気配を感知し続ける。
本来であれば、見知った気配を追うだけであればもっと広範囲を追えるのだが、ユキオの能力に干渉する運命の雪は、その感知範囲を大きく制限していた。
故に事態を察知してからずっと足を使い、ユキオは皇都中を駆けまわっていた。
そしてようやくの事、その気配を見つけた。
「……ハルカさん!」
匂宮ハルカは公園のベンチに座り込み、自身を抱きしめていた。
ユキオの声に反応するも、眠そうな目でゆっくりと面を上げるような仕草。
明らかに運命凍結の寸前という仕草に、ユキオは内心舌打ちつつもハルカに近づき、腰を下ろす。
両手を肩に乗せ、吐く息が当たりそうな距離で、叫ぶ。
「ハルカさん、リリは!」
「ごめん……なさい、撒かれ、ちゃって……」
焦燥に焼かれる思考の裏、ユキオの冷静な部分が訝し気に目を細める。
匂宮ハルカ、位階40の一流冒険者が、実年齢一歳半肉体年齢十一歳のリリに撒かれる。
明らかな異常事態が、現在起きている何者かによる運命凍結現象と重なり、ユキオの危機感を刺激する。
嫌な想像がユキオの中で生まれようとしたが、彼は頭を振り、その想像を押しとどめた。
情報が少なすぎる。
悪い想像はいくらでもできるが、何も分からないうちにネガティブになったところで益はない。
「子供……足、だし、この近く……だと……」
「……分かった。必ず、リリも、君も助ける。だから、大丈夫さ」
気休めにしかならない言葉に、ユキオは内心自嘲の笑みを浮かべた。
しかし、その気休めにハルカは、安心したとでも言うように微笑みかけ、繋いでいた意識を手放した。
「…………」
ゆっくりと、深呼吸。
ユキオは、内心で渦巻くものをそのまま吐き捨て、ゆっくりと立ち上がった。
再びその場で、糸を展開。
運命の糸を索敵に当て、公園全体を調べまわるが、目当ての人は見つからない。
凍り付いたハルカを見て、数秒思案。
ユキオの"運命の糸"の力を使えば、凍結してしまった人を"解凍"し動かす事は可能だ。
しかし消耗も大きく、また再凍結を防ぐ手立てがある訳でもない。
解凍された人々は再び、運命の雪に凍結させられてしまうだろう。
「……すまない」
頭を下げ、ユキオはハルカをその場に捨て置き、そのまま走り去った。
ユキオは、公園を中心に幾らかの消耗をしつつ、その索敵範囲を広げた。
半径1km、5km、10km。
そこまで広げた時、ユキオの感知網にそれは引っかかった。
「……リリ? 家に戻っていた、のか?」
それはユキオらの自宅、二階堂家の座標に感知された。
リリの気配……にも思えるが、ユキオの感覚が若干の違和感を訴える。
だが、何にせよその気配に会わない理由がない。
ユキオは、雪を避けながら自宅へ向かい、駆けた。
運命を脅かす低温が空から降る状況である、ユキオは上空へ上がっての亜音速飛行は避けて駆けた。
それでも数分で自宅まで辿り着き、門を開け玄関へ。
気配は変わらず、自宅内。
深呼吸ののち、ユキオは玄関のドアを開けた。
「……ただいま」
「おかえり、ユキちゃん。……あの娘は今、ミドリがシャワー浴びさせてる。
ここまで来るのに傘も何もなかったから、普通に濡れてビショビショだったからね。
詳しくは私たちも、何も聞けていない」
頷き、ユキオは着ていた外套を解除した。
ヒマリが残していたコーヒーポットから少し拝借し、暖かいコーヒーを口にしながら待つ。
内心の焦りにトントンと指でテーブルを叩いていると、浴室の方から声。
「にゃああっ!? 何するんだ!?」
「んんん?」
リリの声と思わしきものに、続いてミドリの普段通りの言葉。
呆れたユキオはヒマリと視線を合わせ、微笑みを交わし肩の力を抜いた。
ヒマリもミドリも偶にリリと風呂に入るが、ミドリが時々風呂でリリに悪戯するのは何時もの事だ。
何となく何時ものやり取りに、ユキオは力が抜けてゆくのを感じた。
暫くして、ミドリと少女が脱衣所から出てきた。
術式を使って簡単に洗浄と乾燥をされ、元々着ていたと思わしき服装となった少女。
その見目は、一見リリを瓜二つ。
十一歳前後の血肉、銀の髪に漆黒の瞳、陶器のような白い肌。
しかし服装こそ青を基調としたものから赤に色が変わっているし、髪色は彼女の方が、僅かに薄い。
なによりその表情は、人懐っこいリリに比べると、緊張し固いものに見える。
ゴクリ、と唾を飲み込み、その少女はユキオらに向け、こう告げた。
「始めまして、と、敢えて言おうか。
リリに向け私は、こう名乗り、そして呼ばれていた。
……二階堂、アキラと」
"アキラ"。
その名の意味を知るユキオとヒマリが、僅かに眉を顰める。
ユキオが、先ほど浴室に付き合ったミドリに視線をやると、親指をグッと立ててみせる。
「大丈夫。おっぱいはリリよりちょっと大きかったよ」
「聞いてないけど!?」
「暴露しないでくれるかな姉さま!? あ、ゴメンなさい、つい呼び方……」
思わず突っ込んでから、しゅんとした様子を見せるアキラに、ミドリはちらりとユキオとヒマリに視線をやる。
二人の様子を確かめたうえで、こう告げた。
「裸の付き合いをした仲だし、姉さまでいいよ」
「判定はそこでいいのか……? あ、いえ、ありがとうございます。
……その、もし、よろしければ……ヒマリさんと、ユ……ユキオさんも、そのように呼んでも?」
ユキオとヒマリが共に了承の答えを返すと、ホッとした様子でアキラは安堵のため息を漏らした。
それから、三人の目を順に見据え、続ける。
「……なるべく、正確なお話をしたいと思う。
順を追って、話をさせてくれ……その、父さま」
「……ゆっくりでいい。落ち着いて話をしてくれ」
内心の焦燥を抑え、ユキオが告げる。
頷き、アキラはゆっくりとその口を開いた。
*
「……私は、間違っていた。
リリは……責任をかぶせて殴りつける事のできる先なんて、求めていなかった。
求めていたのは、一緒に生きていかなる時も寄り添える事だった。
それを勘違いして……間違いを、犯してしまった」
それは、懺悔だった。
アキラは、自身で薬師寺アキラの転生体、もしくは記憶を受けついただけの少女とした上で、これまでの全ての経緯を語っていた。
その悲痛と後悔の言葉には、嘘はないように感じられる。
彼女が自覚のない勘違いや記憶違い、間違いをしている可能性は否定できない。
しかし彼女の言葉に秘められた、リリへの家族愛、そしてそれをある種裏切ってしまった後悔の感情は、間違いないのだろう。
故に僕は、彼女の言葉の大部分を信じていた。
薬師寺アキラの感情や経緯には信じがたい部分もあったが、少なくともリリの肉体に生まれなおし、二階堂アキラを名乗るようになってからの言葉には嘘はないだろう。
僕の感覚は、彼女もまた僕と血のつながった家族なのだと看破していた。
転生体云々については何とも言えない所だが、喫緊の問題はリリの事になるので、保留とするべきか。
「……幾つか、確認したい事がある」
「構わないよ、父さま」
「リリは固有術式"運命の赤い糸"に目覚めたと言ったね。
……この運命凍結の雪を降らせているのは……」
「恐らく、リリだ。
理由は思いつかないが……、タイミングからして間違いないだろう」
僕は、目を細めた。
"運命の赤い糸"。
恐らくは僕の"運命の糸"と似たような固有術式で、運命を操作する力を持った術式。
僕もやろうと思えばこの運命凍結現象に似た行動は可能だろうが……、しかしこれほどの広範囲、速度で可能だっただろうか。
とすれば。
「リリの位階は……僕の位階を、超えている?」
「恐らくは。私も、リリが成長した後は僅かに見ただけだから、断言はできないが……。
ひょっとすれば、かつて戦った、魔族の王にも匹敵しうるほどだった」
「…………っ」
ヒマリ姉とミドリとが、息をのむ音。
僕の位階は、世界単独トップと思われる位階161。
父さんやアキラの位階130台を大きく引き離した単独トップであり、聖剣を覚醒させた父さんやかつての魔王を除けば最強の位階である。
リリの目的は今一ハッキリとしないが……、最悪戦いが成立するのが、僕とアキラと父さんの三人ぐらいしか居ないかもしれない。
戦いたい訳じゃあないが、最悪力づくで止めるという方法は、なるべく避けねばならないという事だ。
「この運命凍結現象、最後の最後まで続くとして……どうなると思う?」
「……恐らくこの現象、運命に干渉する術式を持つ者以外は、およそ一週間程度で全て凍結してしまうと思う。
秘境や仙人界のような小異世界も混みで、だ。
……私や龍門も怪しいな。
私の運命の汎用術式では、この運命凍結に対抗しきれるか微妙だ。
龍門の聖剣は運命への干渉力を有するが、具体的な操作や細かい制御がしづらい分、どれほど抵抗できるかは微妙なところだ」
「……やはり、か」
このままこの運命凍結の低温が続くのであれば、生きとし生けるものの殆どが凍り付いてしまうだろう。
そして抵抗力を持つ父さんも、そして微妙なところと見ていたアキラも、やはり凍結してしまう可能性が高いのだという。
であれば。
「最後には、僕とリリの二人きりになる。そういう事かい?」
「……あぁ」
苦み走った顔で言うアキラに、ヒマリ姉にミドリも神妙な顔で俯き、机を睨みつけた。
それが、リリの目的だとでもいうのだろうか?
この世の全てを凍らせて、僕とたった二人になることが?
だが、前後の話が繋がらない。
リリは、自身を血のつながらない人間、薬師寺アキラの手による実験体の一種だと考えていた。
そしてそれを否定され、あの凄絶な光景の果てに生まれた存在なのだと知ってしまった。
それで絶望してしまうのは分かるのだが……、それで僕と二人きり、それ以外の全てを凍らせてしまおうという事になるのだろうか?
あんなにも仲が良かった、ヒマリ姉にミドリを巻き込んで。
「……リリの目的は、分からない。
見つけて聞き出さなければ、どうにもならない、というところか」
「このまま」
出し抜けに、ミドリが告げた。
僕を、アキラを、順にその目をじっと静かに見つめてくる。
明るい空を思わせる、青い瞳が、僕らの内心を透かすようにしながら貫いてきた。
「このまま運命が凍結して、兄さんとリリだけが凍結を免れて……。
そうなると、他の凍った人類はどうなるの?
兄さん曰く、今なら消耗を無視すれば凍結解除は可能って話だけど……」
僕は、口を開こうとして……開けない。
乾ききった口内、唇と唇が貼りついて動こうとしない。
キン、と耳鳴りが始まる。
腹の底に、重い物が澱のようにたまり始めて。
それでも、強引に力を込めて、口を開く。
「……暫く、今から数えて一週間ぐらいは、術者であるリリを説得できれば解凍は可能だろう。
そうでなくとも、その間に僕が運命凍結の術式を理解できれば、大規模解凍も可能になると思う。
……それを、超えてしまったら……」
「凍結は不可逆となり、人類は、絶滅する。
生き残ったたった二人を除いて」
もしも。
それがリリの目的だったとしたら。
ナギが狂気に走り、100万人を殺して、今の世界に絶望を見せようとしたように。
ミーシャが人類を別のものに変え果てて、僕と結ばれる事ができるようになろうとしたように。
薬師寺アキラが一目ぼれした僕を愛する資格を得るため、妻も愛するはずの相手をも犠牲にしようとしたように。
絶望したリリが、僕たち二人以外の人類を滅亡させようとしているのだとすれば。
僕は、改めて辺りを見まわした。
ヒマリ姉は顔色を悪くしつつも、心配そうに僕の事を見つめている。
ミドリは眉間にしわを寄せながら、腕組みし何かを考えてこんでいる。
アキラ、彼女……と呼ぶべきかすら迷うその存在は、後悔と絶望を秘めた目で、震えていて。
二人と……そしてこの場に居ない父さんと、そしてアキラも含めるとして。
この四人と、リリ。
僕は、何を取ればよいのか?
僕は……これまで、どんなに悲痛な選択肢であろうと、"ここ"を取ってきた。
恋する人も、初恋の人も、裏切って"ここ"を選び続けてきた。
けれど"ここ"の人々同士で排他になる時、僕は一体、何を選べばよいのだろうか?
「どう、すれば」
口から、掠れた声が漏れ出た。
ヒマリ姉は、僕のたった一人の姉だ。
綺麗で、人気者で、僕の事を何時も抱きしめてくれて、すぐに撫でてほしいと甘えてきて、僕の事を自分を絶対に裏切らない相手だと信じてくれるような人で。
ミドリは、僕の可愛い妹だ。
可憐で、天才で、僕の事を助けてくれて、何時も僕に甘えて悪戯をして、僕の事をずっとずっと自分と一緒に居てくれるのだと確信しているような人で。
父さんは最近疎遠になってきてしまっているけれど、確かに僕の尊敬する人で。
アキラは、どう扱えばいいのか分からないけれど、僕の本能的な部分はこの娘を僕の家族と捉えていて。
でも、リリだって僕の家族だ。
僕の妹で、娘で、あんなにも凄絶な生まれを経験したのに、それを感じさせないほど愛らしく、元気な子で。
人より早く育つことも、早く大人に見られてしまう事も、嘆くことなく前向きに進める努力家のとても良い子で。
あぁ、だから短い子供時代に多くの経験をさせてあげたくて、色々な所に連れて行って、様々な事をして、あの子の財産にしてあげなくてはならないのに。
なのに。
僕は、その天秤の選択を求められていると言うのだろうか。
「私は……いざという時、父さまに着くよ」
アキラが、出し抜けに言った。
弾かれたようにその顔を見やると、疲れ果てた表情で、けれどその目の光だけが確りと輝きながら、僕を見つめていた。
「私はリリと、約束したんだ。
私は、これからは父さまと共にいるのだと」
うめき声を、上げそうになる。
辞めてくれ。
決断しないでくれ。
天秤を、傾けないでくれ。
嫌だ、助けて、どうして。
吐き出しそうになる弱音を、全霊を込めて噛み潰す。
「ユキちゃんは……私たちの、"ここ"になって」
次いで、ヒマリ姉がそう言った。
隣り合うミドリも頷き、二人が手を取り合い、僕を見つめる。
ヒマリ姉の、窒息しそうな深い青空の瞳。
ミドリの、泳いで行けそうな軽やかな青空の瞳。
「今まで"ここ"のために兄さんが切り捨て続けてきたけど、今度もそうしなきゃいけない理由なんて……ない」
「ユキちゃん抜きだったとしても……戦ってみせるよ」
ぞっとするような、美しく儚い笑みだった。
人間が、いや生き物がして良いとは到底思えないような、透明な笑みで……。
思わず僕は手を伸ばして、二人の取り合った手をつかみ取る。
二人の顔に僅かな赤味が差し、その非現実的な美しさは掻き消え、いつもの可愛らしい二人に戻った。
ほっとしつつも、僕は改めて二人を見つめる。
「無理だ。僕抜きで、この現象を起こすほどのリリに……交渉に出る事すら、難しい」
「……本当にリリが人類を滅ぼそうとしているなら、父さんの聖剣が覚醒するよ」
聖剣。
誰もが仰いだことのある象徴で、誰もが自らの運命を委ねて判定された相手。
人類存続のための光で、僕が……その偽物を編んで手にする、存在。
「父さんの聖剣覚醒は、かつてあの真の魔王を倒した。
……今の父さんは、かつて以上の全盛期を維持できている、って言う。
なら……戦いにならないような、相手ではないよ」
「ま、聖剣が覚醒しない可能性はあるけど……。
その場合、リリは別に人類を滅ぼそうとしている訳じゃあないって事になるしね」
幾度かの改定を経て、現在聖剣による人類存続に対する脅威判定は、十二歳の頃に行われるようになった。
リリは、十一歳相当。
丁度、僕がミーシャに振られて、川渡に汚されたころの年齢。
僕がかつて、制度の前例の一つとして判定をされたのはその一年後……今の制度と同じ、十二歳になった頃だった。
だからか、今のところリリは聖剣による判定は受けておらず……。
彼女が人類を滅ぼし得るかは、誰も知らないままだ。
「でも、薬師寺アキラがそうだったように、自覚の有無は別として、人類を滅ぼすつもりがないとして。
それで皆の話を聞いてくれるかは、別の話だ。
いや……そもそも」
何も決まっていない。
リリが何を求めているかすら分からないのに、僕は一人逃げ出してあの娘に顔を合わせないなんて、できるものか。
実際に"ここ"同士が、天秤の両端にあったとしても。
リリが人類を滅ぼそうとしていたとしても。
リリが別の願望を持っており、結果として"ここ"同士の対立になり得るとしても。
リリの、あの娘の命運を決めようという時に……蚊帳の外でいいはずが、ない。
「僕は、何があっても……リリに、会いに行く」
余計な情報が多くて、混乱してしまったけれど。
それが全てだ。
あの娘は今、絶望的な事実を突き付けられて、衝動的に人を殺めてしまって。
半身とも言うべきもう一人の自分とすれ違って、決裂してしまって。
辛い筈だ。
苦しい筈だ。
ならば僕は……まず駆けつけて、あの娘を助けてやりたい。
抱きしめて、冷えたその心を……温めてやりたい。
「例えリリが、皆と、"ここ"同士で対立してしまうような願望を秘めているのだとしても……」
大好きな人と、大好きな人の命が対立していて。
そんな時、僕は結局"ここ"を選んで、大切な人を殺し続けてきた。
けれど、今度は。
今度こそは。
「リリを……救う」
殺さずに。
絶対に、あの娘を手にかける事なく……救って見せるのだ。
何かを解決するとき、僕は誰かを殺すことでしか解決できない男だったけれど……。
だが、今度こそはやってみせるのだ。
出来る出来ないの話じゃあない、必ず解決してみせるのだ。
「必ずまた……みんなで、"ここ"に集まるんだ」
決意を定め。
僕らは、頷き合った。
*
で。
まずは不測の事態に供え、父さんと合流しようということになった。
父さんの予定について詳細を把握しているのは、ギルド側……中でも高位階で凍結を免れている人間は、討伐隊の上層部という事になるだろう。
ということで、一年半前の薬師寺事件以来の、秩序隊総隊長の荒間シノへの連絡となる。
「また、君から連絡か……。いや助かるんだが……」
という会話から始まった所によると、父さんは運命の雪を見て、速攻でギルドへの帰還を始めたらしい。
「同行しているのは、"歩く旅客機"だ。
最近は、小型の旅客機に変身までできるようになって、複数人を運べるようになっている。
彼女に足になってもらう事としよう」
「……なるほど、それは実に朗報ですね」
ハーネスで固定されたまま時速1000キロで空を運ばれた思い出が、蘇る。
あれがなくなり普通の旅客機同様に寛げるというなら、人間が旅客機に変身できる理不尽は見なかったことにできる僕なのであった。
閑話休題。
「僕らでは、原因となったリリは……物凄い強い力が南方からするのでそちらだろう、としています。
かなり遠いですが……」
「あぁ、こちらでも既に各国の非凍結者で連携して、探知や索敵は行っている。
恐らくは、南極。
生き残っていた衛星写真で、解像度は低いがそれらしき人影も発見することができた」
と、トントン拍子に話が進み、僕らは準備を整えてギルドで合流することに決めた。
通話を追えて、僕が一番に準備を整え、準備できるもの自体が少なかったアキラと二人、姉妹を待つうち。
ふと気になって、僕は問うた。
「そういえば……薬師寺アキラが解除しようとした、僕の"呪い"とは何なんだ?」
テーブルの対面、姿勢よく座っていたアキラは、渋い顔をしてみせた。
数秒、視線を泳がせてから僕へと向き直る。
「正直言って、かなり長い話になる。
内容に全く衝撃を受けるなというのも、無理な話だ。
最悪これからリリと戦わなければいけない今の父さまに告げるのは、気が進まない話だ」
「リリとの対話に、必要な情報ではないんだね?」
アキラは、瞑目して見せた。
腕組みしてしばし思索を巡らせてから、目を開く。
「多分、としか言えないな。
リリが今何を目的としているのか、情けないことに姉の私も明確に追えていない。
だがどちらにせよ、この事実を知ったうえで、父さまがリリを助けることに集中するのは……かなり難しい、と思う」
「分かった。信じるよ」
言って見せると、アキラが難しい顔を作った。
椅子に腰かけた姿勢を改め、コホンと咳払い。
ピンと伸びた背筋のままに、僕を見つめ目を細める。
「父さまにそう信じてもらえるのは嬉しいんだが……。
私は、父さまにとって今日、初対面……であるか、大きな被害を被らせた父親であるはずだ。
なのに、そんなにも簡単に信じてしまっていいのかい?
ここはもうちょっと慎重にだな……」
「君は、リリが姉と認めた相手なんだろう?」
何故か、アキラが固まった。
目がグルグルと回転し、コホンともう一度咳払い。
何かを誤魔化そうとしていそうな仕草に、思わずこちらもジト目で見つめてしまう。
「……私とリリは、互いに双子と認めていた。
まぁ何故かリリは自分を姉だと言い張っていたけれど?
私の方が精神年齢が高いし頭が良いからどう考えても姉だからね。
リリが自分が姉だと言い張るのは、あの娘がお姉ちゃんぶりたがっているだけの微笑ましい話でしかないからね?
それぐらい流してやるのは吝かではないのだけれど、事実と反することを口にし続ける事はいけないじゃあないか。
姉として。
お姉ちゃんとして。
あの娘にはきちんと現実を教えてあげなきゃいけないから、常に私はあの娘に私こそが姉だと告げている訳で……」
うわ、めっちゃ早口だ。
ペラペラと話すアキラを微笑ましく見ているうちに、ふと、視界にヒマリ姉とミドリの二人が入ってきた。
どうやら途中からアキラの自分が姉トークを聞いていたらしく、二人で縦にした人差し指を当て、こっそりとアキラの背後に回る。
二人で視線を合わせ、こくんと頷き。
「ぎゅ~!」「ハグハグ」
「ってうわぁっ!? な、何するんだい!?」
勢いよく抱き着いてきた二人に、アキラが飛び上がりそうな勢いで叫んだ。
微笑ましい物を見る目の僕を前に、きゃいきゃいと賑やかにしてみせる。
「こ、こらっ、私は男性の転生体であると主張している存在なんだぞ!
年頃の女の子が抱き着くなんて、何を考えているんだ!?」
「どう見ても女児じゃないかなぁ……」
「はぁぁぁっ!? どこが!? 私のどこが子供って!?」
「100%小学生、全身からロリの空気が醸し出されている」
「気持ち悪い言い方しないでくれるかなぁ!?」
ワイワイとしている三人をしばし視線で愛でていたが、このあたりで良いだろう。
僕はゴホンと咳払いし、軽く手を打った。
「アキラをからかうのはその辺にして、出発の準備が出来たならそろそろ行こうか」
「「はーい」」
「…………な、納得いかないなぁちょっと……」
プリプリと不満げにするアキラに、思わず苦笑する。
正直この娘が僕の父親、薬師寺アキラの転生した姿だなどと、想像もできない。
事実はどうあれ、この娘に好感を持たないのは僕には難しいし、悪意を疑う気にもなれそうにない。
少なくともリリを救うための仲間であることは間違いなく、その点については疑う余地もない、というのが僕の感想なのであった。
*
「お久しぶりですわ! ユキオさん!」
「ユキオさま、久方ぶりです!」
なんか居た。
金髪青眼と銀髪碧眼、欧州の英雄たちが何故か並び、僕に向けて挨拶をしていた。
連合国の竜の英雄、シャノン・アッシャー。
旧帝国の冬の英雄の娘、ヴィーラ・アントネンコ。
僕との交流がある各国の英雄のうち、皇国に遊びに来る頻度が高い二人である。
ギルドに来て、凍結を免れた上級冒険者に連れられた会議室に、入るなりの声だった。
一瞬固まるが、とりあえず会釈と共に挨拶をしつつ、会議室に入り後ろの面子が入ってこれるようにする。
「げ、ヴィーラちゃんは兎も角デスワも来てるんだ」
「ちゃん付けは辞めてくださいと言ったでしょう、ミドリ……」
「デスワって誰ですわ?」
「今のって自己紹介のつもりだったりする?」
女三人寄れば姦しい、それが四人なら尚更だ。
僕は室内に荒間シノと父さん、歩く旅客機の姿を認め全員が揃った事を確認する。
出来れば父さんに纏めてほしいが、と思いながら視線をやると、父さんはアキラを凝視していた。
目をこすり、信じられない物を見る目で、僕のシャツの裾を掴んで寄っているアキラを見つめている。
それに気づいたアキラが、ビクリと震えて僕を盾に父さんの視線から逃れた。
絶句する、父さん。
……何となく考えている事は分かるが、司会を任せたいのに固まってしまわれると困る。
仕方ない、僕が口火を切るか。
「さぁ、荒間さん、これで全員が集まった筈だ! 情報共有と、作戦会議と行こうじゃないか!」
「あぁ、そうだな……。まずは、君の連れてきたその娘に名乗ってほしいものだが」
と、父さん以外の視線も僕に……否、正確には僕に隠れるアキラに集まった。
僕はヒマリ姉とミドリに視線をやり、こちらに来た彼女らと三人でアキラを囲む。
二人がアキラと両手を繋ぎ、僕は背後からポンと肩に手をやる。
「わ、私は……二階堂、アキラ。
父さま……ユキオさんの娘にして妹で、リリの……双子の姉だ」
「妹ね」
「私が姉だが!?」
ミドリの入れた茶々に、突っ込みを入れるアキラ。
そのやり取りで、凍り付いていた空気が僅かながら温度を取り戻す。
こほん、と咳払い。
「私もまた、妹を……リリを止めに行く。
これでも位階では、通常状態の龍門よりも上だ。
力になれるだろう」
「……彼女に関しては色々と複雑な事情がある。
ただまぁ、人格的には見た目通りの子供だと、僕ら三人は考えているよ」
「…………子供じゃないが……」
眉間にしわを寄せポツリと呟くアキラに、部屋の空気が軟化した。
自分は子供じゃない、という台詞ほど子供っぽいものはなく、逆説、彼女を見目通りの存在と証明することになる。
唯一父さんだけが遠い目をしているが、心中察するとしか言いようがない。
僕も腐れ縁の、例えばソウタと思わしき奴が女児の恰好で小学生女子満載の言動をしていたら、同じような心境になるだろうしな。
何とも言えない気分になりつつ、取り合えずはアキラが受け入れられた状況で僕らは情報交換をする。
位置は南極大陸の、やや内陸。
移動手段は"歩く旅客機"が変身して勤める。
「大体小型の旅客機……まぁセスナより一回りでかいぐらいのサイズに変身できるんで、10人ぐらいは乗せられるっすね。
速度は今までよりちょい落ちるっすけど、気合入れれば最速で時速900キロぐらいは出るんで、こっから南極まで15分ぐらいっすかね?」
「……安全運転でいいからね?」
「なら、30分ぐらいっすね」
とのことで、移動は問題ない。
行き先が南極なので装備は寒冷地仕様、アキラの分は僕がこの場で編んでやり、シャノンにも強請られて簡単な物を編んでやった。
ヴィーラが羨ましそうに見ていたが、故国が冬国である彼女は使い慣れた自前のものが良いだろう。
「ふふん、いーでしょう! ユキオさまに編んでもらった装備!」
「ふふふ、デスワはついでだ、私、私にこそ父さまは編んでくれたんだからな!」
「はいはい……」
胸を張る二人に、呆れながら流すヴィーラ。
アキラはまぁ見た目通りの精神年齢としても、僕と同い年のはずのシャノンで同じ仕草をしているのはどうなんだろうか。
阿呆らしい仕草だが、相手の力を聞いたうえでこれぐらい力の抜けたやり取りができるなら、ヴィーラも含めてむしろ頼りになるとも言えるか。
真の魔王級を前には、位階70を超えるヴィーラですら足手まといになりかねない。
正直、彼女が冬の英雄の娘で、戦場が南極でなければ、彼女はこの場に置いていっただろう。
「……お前、いや、別人と捉えるべきか。
正直複雑だが……君の事は、私の戦友とは別人と捉えよう」
「……そう、か。龍門、君にも私は別人に見えるか」
「全く持ってその通りだな」
父さんはアキラに、ピシャリと言ってのけていた。
どうにか割り切ったようで、少なくとも表向きはアキラ相手に妙な動揺を見せる事はなくなった。
少女アキラの力は、確かに位階135という自己申告に相当するほどだ。
出力としては僕に次ぐ彼女は、一行の中核として戦うことになると考えると、連携に支障が出ないのは喜ばしいことだろう。
まぁ、そう言うことにしておく。
"歩く旅客機"が荒間シノやサポートスタッフらと共に航路の設定を追えるまでの、暫く。
僕らは現地での計画や基本的なフォーメーションを相談していた。
適度にコミュニケーションを取りつつ、互いの実力と能力を共有し、動きの段取りをざっくりと決めてゆく。
リリの"運命の赤い糸"の力が今一分からないので、本当にあっさりとした行動計画しか作れなかったが、そんなものだろう。
早々に決めなければいけないことを決めて、僕らはただただ暇をつぶすに感ける事になった。
「…………」
不安が、胸をよぎる。
リリの内心を予測しきれていないから、出たとこ勝負でしかない。
本当にそうか?
もっと何か、考えられることがあるんじゃあないか?
リリの事を考えて考えて考え抜けば、どんな考えがあったか予想できるんじゃあないか?
それか"運命の赤い糸"の力だって、予想はできるんじゃあないのか?
今この時間を使ってそれを掴む事が出来るんじゃあないのか?
もし、万が一、その掴めたかもしれない事によるほんのちょっとの差でリリを助けられないかもしれなかったら、と考えると。
心に不安が忍び寄ってきて。
吐き気を催すような緊張と、震えるような恐怖とが体の内側から広がってくる。
分かっている。
情報がない現状で無理に頭を働かせるよりも、リラックスして整えたコンディションでリリの前に立つことの方が大事だってことは。
けれど、少しでも暇な時間ができると、頭の中が不安でいっぱいになって、どうしようもなくて。
ふと、気付く。
僕は、大切な人を殺しに行く戦いではなく。
大切な人を救いに行く戦いは、初めてなのだ。
だからこそこんなにも、僕は緊張している。
「……我ながら、どうなってんだ……」
とぼやくと同時。
ぷに、と頬を突かれた。
見ると、ヒマリ姉が微笑みながら、僕を見つめている。
「こら、くらーい顔して。
あんまり怖い顔をしてリリを助けに行ったら、リリ、泣いちゃうんじゃない?」
「それは……僕も泣いちゃうかなぁ」
ちょっと想像してしまって、苦笑する。
よく考えると、リリに険しい顔をしたことは殆どないかもしれない。
強いて言えば、先日の川渡による二階堂家襲来の時ぐらいか。
その時は僕のせいではないだろうとは言え、リリは泣いてしまった訳だ。
そこそこヒマリ姉の言葉に説得力があるので、何とも言えない。
「そうだね、もうちょっと、元気出して頑張るさ」
「うん。お姉ちゃんも……頑張るよ。
最近忘れちゃってたかもだけど、私はユキちゃんのお姉ちゃんなんだからねっ」
どこか陰のある、強がりの笑みだった。
強張った、けれどどこか強さを秘めた笑み。
一緒に立ち上がりたくなるようなそれは、思わず褒めてやりたい心地が心の中に湧いてくるような、そんな感情を沸き上がらせ……。
「あっ、姉さまが父さまとイチャイチャしている!?」
と、目を見開いたアキラの言葉が響いた。
見れば、ショックを受けた様子で僕の事を指さしている。
愕然とした様子で一歩二歩と下がり、震えたまま視線を俯かせてしまった。
想像以上の反応の強さに、困って僕は頭をかいた。
ヒマリ姉に視線をやり、頷き合うと二人でアキラのもとへ歩み寄る。
心配そうにアキラを見やるシャノンとヴィーラを尻目に、膝を折り、アキラの目線に合わせた。
「その、ごめ……、つい、馴れ馴れしく……」
「じゃあ、アキラも出発までイチャイチャしようか」
「え?」
目を瞬くアキラを、さっと腕を伸ばし、抱きかかえる。
膝と腰を抱く、いわゆるお姫様抱っこだ。
赤面しながらパクパクと口を開け閉めし、何も言えない様子のアキラ。
容姿はリリも殆ど同じ訳だが、リリなら赤面しつつもこちらに甘えてきていただろう。
双子の見目だが、それでもやはり彼女たちは違う人間なのだと、改めて知らされる心地だ。
「え? え? え? お、お姫様抱っこ? な、なんで……わ、私なんか……だって……」
混乱するアキラを捨て置き、そのまま近くの椅子に腰かけ、アキラを膝上に乗せてやる。
ニマニマと悪戯な笑みを浮かべるシャノンにミドリ、微笑ましそうな顔をするヴィーラにヒマリ姉。
皆に見つめられて、アキラは顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。
そっと伸ばした手で、腰かけた僕の膝を掴み、背中を僕の腹に押し付ける。
僕は苦笑しつつも、髪を乱さないように軽くアキラの頭を撫でてやった。
「……分からんな」
小さな呟きが、僕の耳朶を震わせる。
見ると父さんが、僕を……いや、僕らのいる方向を、遠い物を見る目でぼんやりと見つめていた。
何が分からないのか、分からないが。
父さんの目は、どこか悲しそうに何かを見つめているような気がして、僕は結局声をかけることなく、静かにアキラを愛でるだけにしたのであった。
作戦前のコミュニケーションは、暫くたつと緩やかな物になってきた。
やがて、皆言葉少なになり、なんとなく静かに待つことになる。
部屋の反対側、航路を決めるべく作業をしていた面子が言葉を止め、静かにこちらを向き、頷く。
「航路の設定ができた。
……出発だ。ギルド前の、発着陸場を使う」
皆で視線を交わし合い、頷き、立ち上がる。
靴裏で冷えた絨毯を蹴り放ち、前に進み始めていった。
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if的な意味で、4章のルート確定ポイントはここ。
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