02-夢色ブレイク




 小春日和、と言ってよい天気だった。

春の柔らかい陽光に、時折思い出したかのようにほんのりと拭く風、雲は千々に空にかかり、空の青さは薄く輝くような青さだ。

日差しは日に日に強くなり、春から夏へと季節が入れ替わる前兆を思わせる。

春にナギを、夏にミーシャを手にかけた記憶から、この季節はどうにも苦手に感じてしまう。


「すっごい人ですねー」

「リリ、僕の手を離さないようにね?」

「えへへ、はーい」


 繁華街の駅前広場は、この一年半で活気を増した。

というより、皇都の東側が復旧作業で時間がかかり、西側に人気が集中した、といった所か。

かつてのナギによる斬首結界の100万殺しは、皇都の東側にて行われた。

その際施設の管理情報や責任者などもかなり多くがなくなってしまったので、その整理にかなり手間取ってしまったようなのだ。

結局管理人が不明になってしまった施設なども多々あり、皇都の東側は少し廃れ、西側に活気が集中することになる。


「ふふ、私の手も離さないでくださいね? ユキオさん」

「もちろん、チセの手も離さないとも」


 時刻は11時を少し回ったところ。

右手にリリ、左手にチセと、僕は両手に華という状況だ。

ふわりと、左右の金銀の髪の毛が揺れる。

どちらに視線をやればいいのか迷うような、可憐さと美しさとで引き合うような光景だ。

困りながらもちらりとチセに視線をやると、目が合った。

思わずお互い、微笑みかける。


 チセは二年前の夏に出会ったころからすっかり成長し、少女から女性に変わってゆく最中となっていた。

当時下野間さんに引き合わされた時は僕のファンという感じだったが、ちょくちょく一緒に遊んでいるうちに、すっかり親しくなったものだ。

陽光を受けて輝く金色の髪、透き通るような青い瞳。

顔立ちから幼さは抜けてきているものの、その仕草は天真爛漫と言った感じで妙にアンバランスで、危ういような魅力に満ちた女性となりつつある。


 そんな二人と手を繋ぎながら僕は映画館から吐き出される人波の一員となっていた。

映画館は駅前の広場からほど近く、僕らは抜けてそのまま駅前の広場へと向かう人込みに紛れていた。

 

 僕らは三人、繁華街の映画館へと出掛けていた。

この春にやっているアニメ映画鑑賞を、リリが所望していたのである。

チセにその話を漏らすと彼女も興味があったらしく、参加希望と相成り三人でデートと言う事になったのだ。

ヒマリ姉とミドリから羨まし気な目で見られたが、二人は外せない仕事があるので生憎不参加ということになっている。

普段は少なくともどちらかが付いてくるので、珍しい状況ではあった。


 三人で手を継ぎながら、縦列になったり横並びになったり。

人込みの中を進みながら、次は何処に行こうかと会話が弾む。


「朝も言いましたけど、お昼はモックバーガーがいいです!

 ペコペコセットでね、ピナのフィギュアやってる所なの!

 リリはね、リリはね、ピナよりピピナの方が好きなんだけど、今回はピピナも出ててね!」

「仰せの通りに。チセもいいかな?」

「はい、元々リリちゃんの用事に相乗りさせてもらった所ですし」

「わーい、チセさん大好き!」


 と、飛び上がるような喜びを見せるリリの希望は、ハンバーガーチェーンだ。

チェーン店のハンバーガーは大抵チープながら癖になるような味が多いが、リリの好む所はチェーン店ながら美味しさに拘っている所である。

時折コンテンツ産業とコラボしてオマケのホビーやグッズを用意しており、今回も今日見た映画コンテンツとコラボしている事になる。


 しばらく歩き駅前の広場を抜けて反対側、目当てのハンバーガーチェーンに辿り着く。

リリは注文をしたがるし、僕が席を取って待つと、リリが不満げにする。

なのでチセに席の確保をお願いし、リリとともに並んで注文。

ペコペコセットを注文するリリに並んで、僕もバーガーを幾つか頼む。

先に手渡されたフィギュアに目をキラキラとさせるリリを引き連れ、注文札と引き換えにチセの待つ席に辿り着いた。


「ほわぁ……! 見て、ピピナ!

 映画にも出てたから、兄さまも分かりますよね?」

「……うん、そうだね」


 と、リリが興奮気味に握りしめるのは、青い帽子を被った小さい生き物のフィギュアだ。

普通のマスコットキャラのような外見で、表情ものほほんとした笑みそのものだ。

しかしリリがギミックのボタンを押すと、唇が捲り上がり、歯茎が丸出しになる。

映画内でも、笑顔のまま歯茎が丸出しになるような顔で、チェーンソーを使って敵を滅多切りにしていた。

最近の子供向け映画ってこんな感じのが流行っているのだろうか?

いや、リリが希望するアニメだったので早とちりしていたが、よく考えると客の年齢層が結構高かったので、別に子供向けじゃなかったりするのか?

内心首を傾げつつも、僕は曖昧な笑みでリリの言葉を乗り切った。

するとリリを微笑ましく眺めていたチセが、ぽつりと呟く。


「私は、とらたろうが好きなんですよねぇ」

「とらたろう! 虎狩りのとらたろうですか!」


 誰それ。

チセが見せてくれた携帯端末には、虎柄の被り物をした小さい生き物のイラストが表示されていた。

タバコを口にしているよう見えるが、チセ曰くこれはココアシガレットらしい。


「とらたろうは、原作では13巻以降が出番だから、映画だとまだ出てこないんですよね」

「リリもとらたろう好きです!

 ハードボイルドですし、大虎との死闘が凄かったです!」

「とらたろうは40台のおじさんキャラなんですよね。

 作中でも古強者ポジなんです」


 と、二人が解説してくれるのは良いのだが、全く分からない。

内心の困惑を押し込めつつなんとなく頷いているうちに、注文したハンバーガーが配膳されてほっと一息。

僕は燃費の関係で、大き目のハンバーガーを四個ほど。

二人はハンバーガーを一つづつで、皆でLサイズのポテトフライを突きながらの食事と相成る。


 しばらく映画の感想を話し、言葉が出尽くした辺りで、あ、とリリが小さく声を漏らした。

見れば視線が止まっており、その先をたどると店内のテレビジョンが見えた。

ニュースが流れており、先日皇国に訪問してきたシャノン・アッシャーの話が流れている。


「シャノンさんって、兄さまの友達ですよね?」

「……うん、まぁ、そうかな?」


 思わず視線を遠くにやってしまった。

一年ほど前、僕は海外をぐるりと、幾つかの主要国を回った。

それらの国で出会った各国の英雄たちとは個人的な繋がりがあり、忙しいガスパルさんを除く三人はちょくちょく皇国に遊びに来るのである。

州国のアリシア、連合のシャノン、連邦のヴィーラ。

女性ばかりなのがそこはかとなく背景を感じさせるが、僕としては単純に親しい友人として付き合っている。


 シャノンはこの一年で二回目の皇国訪問で、どちらも公式行事でやってきたので、僕は仕事としても接待で駆り出された。

相変わらず、十人を超えるメイドを引き連れ現れたシャノン。

彼女は今回は、訓練場を掘り返しまくる勢いで剣を振り回し、毎日のように寿司とラーメンを食べまくって帰って行った。


「友達……友達かな? まぁ、友達だと思うよ……」


 げっそりと疲れ果てた日々の事を思い出し、思わず呟いて見せる。

中々面白いお嬢様なので離れた所で見ている分には楽しいのだが、接待として引きまわされると疲労感が凄まじい。

何とも言えない表情をしていると、ぽん、と感触。

見ると隣に座っていたチセが、その手を下ろし、テーブルの下にある僕の膝の上に置いていた。

思わず視線をやると、ニコリと微笑み返される。


「ユキオさん、想像していたより……仲良しなようですね?」

「え? そう、かな?」


 そのまま、チセの手が僕の内股側へ。

思わず目を細めると同時、小さくえい、という掛け声とともに内股をつねられた。

普通に痛い。

目を瞬く僕に、チセがプクリと頬を膨らませて見せる。


「私にももう少し構ってもらえないと、妬いちゃいますよ」

「う、うん……」


 内股に触られた時には思わず性的な物を想像してしまったが、ただの可愛らしい嫉妬だった。

安心と痛みとで涙目になりつつ、なんとなくそのまま見つめ合ってしまう。

チセの青く澄んだ瞳が、次第に潤んできたように感じる。

僕も少し、頬が火照った自覚がある。

そんな風に固まったまま見つめ合って、しばし。

ポツリと呟かれる、リリの言葉。


「……ラブラブなんです?」


「……い、いや!? 私とユキオさんは……まだ、そういうんじゃ!?」

「う、うん。色々とこう、ね!? 準備というかね!?」


 慌てお互いに、口から適当な言葉が飛び出てくる。

そして言葉にしてから、自分が将来的な展望として"そう"であることを話したことに気づき、あ、と呟いた。

遅れて、隣の相手も同様だったことに気付いて、思わずそちらを見ると、また視線が合う。

頬を赤く染めたチセの、その濡れた視線とだ。


「……ラブラブじゃないんです?」


 呆れたようなリリの言葉に、思わず僕もチセも、顔を赤くし俯いてしまった。

無言でそのままハンバーガーにかぶりつき、あるいは飲料のストローに口を付ける。

だから僕らはその時、気付いていなかった。

その時リリが、痛みをこらえるような表情で僕らをからかっていたのを、見る事ができなかったのである。




*




 帰宅したヒマリがリビングに入ると、ユキオは定位置であるソファの真ん中に座っていた。

その膝の上にはリリが、ヒマリに尻を向け、ユキオに抱き着いたままお帰りと挨拶してくる。

呆れながらヒマリは肩を竦めた。


「リリ、またユキちゃんに引っ付いてるの?」

「違います―。兄さまが私を誘引してるんですー。逆ですー」

「はいはい」


 ユキオは呆れた様子でリリに集中しておらず、片手で携帯端末を弄っている。

最近はリリが四六時中くっついて回るので、ユキオは携帯端末でメールを処理することが多くなった。

本人曰く、苦手だった片手でのフリック入力も大分上達したそうだ。

不満げなリリが時折構ってほしそうに悪戯をしようとするが、ユキオがそれを察知するたびにその手がリリの頭へと導かれる。

一撫ででリリの顔がへにゃりと緩み、二撫ででリリの体の力が抜け、三撫ででリリが目を閉じてしまう。

思わず、ヒマリは後方師匠面で胸を張った。


「ふっふっふ……ユキちゃんのナデナデ力は私が育てた!」

「何時の間に姉さんが師匠になったのかな?」


 苦笑しつつの突っ込みにテヘヘと舌を出すと、全くもう、とユキオが呟いてみせる。

その言葉の調子が、あまりにも愛おしさに満ちた物であることに、ヒマリは相好を崩した。

ヒマリは、やはり自分はユキオを愛しているのだと、再確認する。


 しかしユキオからの愛は、どこか性的な物から離れつつあった。

血がつながっていない事、そしてそれでも家族としてあり続ける事が、ユキオからの家族愛をむしろ増していた。

ユキオがヒマリやミドリに性的な視線を向ける事は、大きく減った。

流石に密着して誘惑に近いような事をすればそういった視線も向けられるが、それもすぐにユキオ自ら自制してしまうようなものだ。


 そういった誘惑をした後、ヒマリはユキオに「めっ」と窘められる。

片思いの異性から、性的な誘惑を純粋な親切心から窘められる。

本来それは、嬉しさ半分、虚しさ半分ぐらいで受け取るべきなのだろう。

けれど最近、ヒマリはそういった時、殆ど心の底から喜んでしまう自分が居る事に気付いた。


(それに今の私、リリに少しだけ嫉妬している)


 一切異性として見られず。

けれどべったりとくっついて甘えて、甘やかしてもらえる。

それがどこか、羨ましく感じてしまう。


(リリは……ユキちゃんの妹だけど、妹というだけじゃあない)


 ユキオは対外的にリリを新しい"妹"として扱っている。

実際のところユキオにとってリリは血縁上の妹としても間違いではないのだが、血縁上の表現で言うともう一つの呼び名がある。

リリは、ユキオの"娘"でもある。

逆説、リリにとってユキオは"父親"でもある。


 いつかヒマリは、冗談染みて「ユキちゃんは……ママだった?」と呟いた。

ユキオの実母フェイパオが、ユキオがヒマリの母ヒカリに似ているといい、それに応じての呟きだったわけだが……。

しかしそれは本当に冗談にできる内容だったのだろうか?


 ヒマリはユキオに、無制限に甘えられる相手を求めている。

頑張ったら褒めてもらいたいし、何をしても味方で居てほしい。

そんな事はありえないが、仮にヒマリがユキオを嫌いになったとしても、ユキオには自分を好きで居てほしい。

守ってほしくて、抱きしめてほしくて、悪い事をしたら優しく叱ってほしい。

それは父性というよりも、母性と言ったほうがより近いのではないか。


 ヒマリは、血のつながらない弟に、母親を求めているのではないか?


(……だとしたら)


 ヒマリは、何時かの光景を思い出した。

一昨年の冬、実の両親と決裂したユキオの部屋を夜に訪れようとした日。

気合の入った下着にパジャマ姿で、部屋の前でミドリと鉢合わせて。

ドキドキしながらユキオの部屋の、ドアを開けたその日。


 結局ユキオは直前に、薬師寺アキラに爆殺されており、中に入って目に入ったのはユキオのバラバラ死体だった。

ぶちまけられた胃袋からは夕食のユキオ特製カレーが漏れており、それからヒマリとミドリはカレーが食べられなくなるというトラウマを負うことになったが……。

しかしあの日、ユキオが爆殺されていなければ。

ヒマリとミドリがユキオを誘惑して、成功していたならば。

果たしてどうなっていたのだろうか?


(私は、本当にユキちゃんを受け入れる事ができた?)


 心の底では母性を求めていた相手が、男性として自分に欲望をぶつけようとする姿を見て。

ヒマリは、受け入れることができたのだろうか?

そして求めることはできたのだろうか?

異性として自分を求めるユキオに、自分の母親になってください、と。

ヒマリを異性として求めながらも、ヒマリの母親になってくださいと。


 そう考えると、ヒマリとしてはあの爆殺は、タイミングだけは良かったのでは、と思ってしまう。

無論アキラがユキオを傷つけた事そのものは許せないが、しかし同時にあの告白が成っていれば、ヒマリとユキオとに、決定的な決裂が生まれかねなかった。


「姉さん? こっちに来る?」


 ユキオに言われ、ヒマリははっと気付いた。

ダイニングチェアに腰かけじっとユキオとリリを見ていたのだが、その視線に羨ましいという感情が乗ってしまっていたのかもしれない。

思わず断ろうとして、断りの言葉が、上手く口から出てきてくれない。

もにょもにょと口を動かしてから、小さく頷き、そっとソファに、ユキオの隣に腰かける。

先ほどまでリリの頭を撫でていた手の、その二の腕に抱き着いた。


「ユキちゃん……お姉ちゃんも、ちょっと、撫でて、ほしいぃ……か、な?」

「勿論、大丈夫さ」


 ユキオの空いた手が伸びて、そっとヒマリの頭を撫でる。

厚みのある、硬く、しかし暖かい手。

優しく、しかりしっかりと、ヒマリの頭上をユキオの手が往復する。

それが不意に涙が出そうになるぐらい、嬉しくて。


 ヒマリは、ユキオの事を愛している。

それは間違いなどなく、心の底から確信している。

しかしその愛が異性愛なのか、母性を求めた家族愛なのか、自分でも分からなくなってきた。

ユキオ以外の異性に全く魅力を感じないのは今でも変わらないが、しかしそれはユキオを異性として愛することの証明になりはしない。


 今のヒマリに、それを確かめる術はない。

悩んで、悩んで、悩み続けながら、疲れたらこうやってユキオに撫でてもらう。

そんな風に生きるこの頃が、実のところヒマリは好きだった。

仄暗く、後ろめたく。

けれど自分の心を明かせてきたからか、その分どこか幸せで、満ち足りていたのだった。




*




 カチャと小さな音。

カップをソーサーに置いたアキラは、半目でリリを見つめてきた。


「……何だって?」

「その、リリ……今日、ちょっと胸が痛くて」


 と、今一度リリは言葉を繰り返した。

対しアキラは、難しい顔をして頷いて見せる。

続きの催促ということだろう。


 映画館から帰ってから、日中はユキオに甘え倒したリリは、夕食後早々に自室で横になった。

夢の中、いつものティールームでアキラと出会うが早いか、閉口一番にそう言ったのである。

リリは今日一日を思い出しながら、続ける。


「兄さまとチセさんと、三人で映画を見に行って……。

 楽しかったんですけど、その、ご飯を食べている頃から……なんだか胸が痛くて」

「……なるほど、ね。どんな時に胸が痛かったんだい?」

「……チセさんと、兄さまが……」


 リリの脳裏に、今日一日の外出中の光景が描かれる。

リリがチセと出会ったのは、今日が初めてという訳ではない。

何度か遊んでいたし、その度にリリは可愛がってもらえていた。

けれど、そう、そういえば。

いつもリリと出掛ける時、二階堂姉妹のどちらか一人は付いてきていた。

姉妹が居らず、リリとユキオと、そしてチセの三人だけというのは、初めてだったかもしれない。

だからか。


「ううん、兄さまが、チセさんを……あんな目で、見て」


 熱のこもった目だった。

勿論、ユキオは今日、きちんとチセよりリリを優先していた。

元々リリの用事にチセが相乗りした形であり、だからと前置きし、リリの希望を優先し、なるべくリリの傍に居てくれた。

けれど。


「兄さま、あんな目でリリを見てくれたこと……ないから」


 知っている。

言ってはいけない。

その言葉を口にしてはいけない。


「チセさん……」


 それはあまりにも空しく、惨めで、愚かな台詞だから。

感じたとしても、誰にも言ってはいけないし、独り言だってしてはいけない。

考えてはいけないし、感じてはいけない、悪い事。

そう自覚していても、双子の姉妹相手に、リリはそれを口にしていた。


「ズルい……!」


 言ってしまった。

ズルいのは自分の方じゃないかと、リリは内心独り言ちた。

リリは妹で、ユキオに多くの事で何より優先させておきながら、ただ一つでも他の誰かに感情を向けられたら嫉妬するのは、あまりにも見苦しい。

そう分かっていても、妹にだけはそれを隠せなかった。


「……そう、か」

「……アキラ?」


 震える声が、アキラの口から洩れた。

予想と異なる声色に、リリは俯いていた顔を上げ、視線をやる。

アキラは、痛みをこらえるような表情で、じっとリリを見つめていた。


「ど、どうしたんです? アキラ。

 お腹壊しました? え、えっと、薬? リリが起きて薬飲んだら効きます?」

「……いや、大丈夫。リリは……本当に優しいね」


 儚く微笑みかけ、アキラはじっと目を細めた。

リリと双子の、ほぼ変わらないパーツの顔の筈だが……。

アキラが実際に表情を作ると、リリより冷たく、滑らかで、儚いような印象になるのは不思議だ。

その今にも散りそうな微笑みを見て、どこか居心地悪くリリは座りなおした。


「いや……お姉ちゃんなんだから妹に優しくするのは当然です?」

「姉は私だが……。いや、仮にそうだとしても、当然じゃあない、リリが凄いからできることさ」

「なら、それはヒマリ姉さまとミドリ姉さまがリリに優しかったから、リリも妹に優しくできるようになったのです。

 もちろんリリを褒めてくれていいけど、姉さま方も褒めないとダメですよ?」


 と言うと、アキラは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙った。

思わず、リリは苦笑してしまう。


「アキラは相変わらず姉さま方が苦手ですねぇ。

 結構相性良いと思うんですけど。

 特にミドリ姉さまとは仲良しになれるんじゃないですか?」

「……言うな、そんなことはないだろうさ」


 と薄っすら頬を染めて視線を逸らし、コホンと咳払い。

実際、真面目で皮肉屋でありながら世話焼きなアキラは、ぐーたら好きのミドリとは結構相性が良さそうだ。

なんだかんだと文句を言いながらミドリを世話しているアキラの姿など、目を閉じれば浮かんできそうなぐらいである。

そんな風に思うリリを尻目に、アキラはじっとリリを見つめながら、このように言った。


「……私が、悪者だったら、どうする?」

「…………?」


 リリは首を傾げた。

そのまま視線を宙に彷徨わせて数秒、ポン、と手を打ち生ぬるい視線をアキラに。


「もしかして、寝ている間にリリの体を使えるようになって、こっそりプリンとか食べました?」

「できないし、してないが!? そういうのじゃない!」

「えー。でも悪い事したんですよね?」


 半目になるリリに、アキラは小さくため息。

額を抑えながら頭を振り、呆れ眼でリリを見つめた。


「私が悪者で、リリに見せているような言動に裏があったらどうするって話しだ」

「寄り添います」


 キッパリとリリは告げた。

何故かアキラは、動揺して見せる。

こればかりは即答できる内容だったので、動揺されてリリは内心首をかしげる心地だった。


「悪い事を今しているのであれば、辞めさせます。

 事情があるなら、解決できるよう手伝います。

 良い子になれるように、一緒に頑張ります」

「いや……私がリリに見せている姿が偽物で……、悪い事をしたのに、それを隠している奴だとして……」

「そんな事ないって、リリは知っていますよ?」


 アキラは、狼狽え、言葉を探すように口を開け閉めしてみせた。

それでも言葉を見つからないようで、だからリリは続けて口を開く。


「物心ついた時には、リリとアキラは一緒でしたよね」

「……ああ」

「アキラは、小さい頃はリリより頭が良くて……リリに色んなことを教えてくれましたよね」

「今でもリリより頭が良いけど……」

「リリが癇癪を起こした時は、ずっとリリを夢の中で抱きしめてくれていて、ナデナデしてくれていましたよね」

「……妹に、優しくするのは……」

「当然じゃあ、ない。アキラが凄い子だからできる事、ですよね? いや姉は私ですけど」


 先の言葉をそっくり返され、アキラはむっつりと顔を逸らした。

アキラがリリに何かを隠している事に、リリは当の昔から気づいている。

そしてリリに何かしらの罪悪感らしきものを抱いているのも。

それでもリリは、アキラの善性を信じている。

だからその隠し事を積極的に暴くつもりはなく、アキラが言い出せるようになるまで待つつもりでいた。


「アキラは、もーっとお姉ちゃんに頼っていいんですよ? プリンとか食べたければ言ってください、兄さまにおねだりして、味覚共有のまま食べちゃいます」

「それ、自分が食べたいだけじゃないのかい?」

「要らないの?」

「……要る」


 だからリリは、今日相談したかった胸の痛みについては、胸の奥にしまい込んだ。

代わりに、表情はあまり変わらないのに、不思議と感情が伝わってくる、愛おしい妹を愛でる事に時間を使う。

なにせリリとアキラは、二心同体。

いつも一緒で、離れる時なんてない。

時間はいくらでもあるのだから、後回しでも大丈夫なのだと、リリはそう信じていた。




*




 最近、ヒマリ姉やミドリと仕事をする事は少なくなった。

僕の高速移動技術が上達し、単独で遠方に高速移動できるようになってからは、移動速度の違いが共同作戦のネックになってきたからだ。

僕もどうにかあと一人ぐらいなら連れ歩けるのだが、現地での緊急救助やらを絡めると、できるだけ高速移動可能な人数には余裕を持っておきたい。

ということで、今日も今日とて単独での仕事となる。


「……流石に熱いな」


 白く熱を反射する帽子に、白とグレージュで統一した長袖の通気性の良い服。

ギラギラと輝く太陽が照り付け、乾燥した空気が喉から水分を奪ってゆく。

体のアチコチに砂が入り込んでおり、早く仕事を終えてシャワーを浴びたい。

溜息すらも砂を吸い込みそうで、内心だけに抑えつつも前に進む。

不安定な足場故に、低空に作ったレールを辿って空中散歩しながら進む形だった。


 今日は山陰地方の砂丘が仕事場だった。

東西に二十キロ以上という巨大な砂漠は、歴史上何度かヌシとなる魔物が現れ、その度に面積を広げている事で知られている。

今回はどうもかなり強力な主が現れ、気温変動まで起きているということで僕がお呼ばれすることになったのだ。

普段よりも砂が熱を蓄えやすくなった上に、現れる魔物が強化されたようで現地の対処能力を超えたという事らしい。

外気温、約40℃。

住んでいる昆虫系の魔物たちが超強化され、排除がとても面倒臭い。


 自分の位階をなるべく隠しつつ、敵を避けながら進む事四時間ほど。

どうにか砂漠の中心近くまで、ヌシの魔物に気づかれた様子なく辿り着く。

到着後にしばし休憩をした後、準備を整え両手を広げた。

次の瞬間、膨大な数の青白く光る糸が、地面となる砂と岩に向けて放たれる。


「糸繰り人形……成功っと」


 何をしたかと言えば。

かつて疑似地球の関東の大地を丸ごと支配し土人形にしたように。

この砂漠の砂と岩を、地面深くまで全て支配し完全に操ることに成功したのだ。

必然、地中に居る巨大なヌシも察知できる訳で。


「……出来るだけ、素材は残すか」


 このまま数万トンの砂と岩で圧殺してもいいのだが、それだと素材が台無しだ。

多分ムカデっぽい形のヌシを拘束するに留め、編んだ網でヌシを包む。

続けそのまま圧縮した砂をカッターのように放出。

地面の中から出す事もなく、そのまま大ムカデを輪切りにしてみせた。

暫くバラバラになっても暴れようとしていた大ムカデだが、それも数分も待てば動かなくなる。

僕は零れた血液も含めて編んだ網に集めたうえで、砂土を動かしヌシを引きずり出した。


「……分かってたけど、でっかいなぁ」


 緑色の甲に触覚と牙、焦点の合わない複眼。

とぐろを巻いているので分かりづらいが、そのサイズは全長にして15km以上あるのではないだろうか。

直前に感じていた位階から考えるに、準・旧魔王クラス、位階80-90ぐらい。

ヒマリ姉にミドリなら、一対一でも何とかなるが、安全のため二人で挑んだ方が良いというぐらいか。

この地方の竜銀級は位階60ぐらいなので、命を賭したとしても、勝つのは望み薄だっただろう。


 しかし無銘の大ムカデでこれなのだ、伝説に残るような大ムカデだと、普通に旧魔王クラスはありそうだな。

独り言ちながら大ムカデの遺骸を固定するため、更に糸を追加。

相対位置で運命の糸の疑似支点を生成しながら、思わず呟く。


「確実に被害ゼロで倒すためとはいえ……。移動4時間以上、実働で10分かぁ」


 いや、帰り道もあるので、移動時間はもっと長引きそうか。

強大なヌシであることは事前に分かっていたので、万が一にも逃す事のないよう心掛けた結果がコレである。

砂漠の支配からのヌシ殺害を最短で行うため、ヌシに気付かれないようにしながら砂漠のほぼ中心地まで移動したのが、大きな要因か。

上空の超音速・亜音速機動は割と察知自体はしやすいので、ちんたらと低空を索敵し敵を避けながら飛ぶ必要があり、これだ。


 被害を抑える事は優先すべきで、それについては僕も本心から同意する。

けれどこうして行動に必要だった時間を顧みると、愚痴の一つぐらいは出てきてしまう。

それも灼熱の砂漠を行かねばならなかったと考えると、もう一つため息も出てくることだ。


 まぁ愚痴っていても仕方がない。

支配した砂漠の砂から熱を過剰保有する機能が抜けてゆき、砂中の強化されていた魔物たちが弱体化していくのを感じる。

強化中の魔物討伐に支障が出ていたようで、生息数が少々多い。

数秒思案、素材が勿体ないが二割ぐらい圧殺して間引き、そのまま砂中に死体を捨て置き砂の支配を解除した。


 そのまま、大ムカデの素材を傷つけないよう適度な速度で移動する。

最寄りの処理場に大ムカデの素材をそのまま預け、処理をお願いしてひと段落。

大物の解体に大忙しという処理場の方々に挨拶をし、市街へと移動する。

時間は昼過ぎ、平日のサラリーマンたちが昼休みを終えたころか。


「……カレーにしようかな」


 ここの所、僕は外食でしかカレーを食べられていない。

ヒマリ姉にミドリがカレーにトラウマを負ってしまったので仕方がないのだが、それ故にこうして外食の機会があればカレーを積極的に選んでいる。

携帯端末をポチポチと操作し、近場のカレー屋を調べようとしたときである。

着信。

目を細めつつ、応答する。


「……はい、二階堂ですが」

『福重です。ユキオくん、急で悪いんだが、私と直接会って、少し話す機会を取れないか?』

「急というと、一応仕事は一段落ついて、今日これから空き時間はありますが。

 どれぐらいの時間を取ればよいでしょうか」

『一時間、いや一時間半ぐらいで頼む』


 ふむ、と腕時計に視線を。

そのまま服に指を沿わせるが、やはり何処か砂っぽい。


「さっきまで砂漠に居たので、移動してシャワーを浴びて、昼食を取って……2時半ごろからでいかがでしょう。

 あぁ、ギルドの会議室あたりでいいですかね?」

『いや、それならせめて昼食ぐらいは奢らせてくれ。2時過ぎぐらいにギルドで集合で良いかい?』

「……了解です。では2時に、ギルドの一階待合室で」


 福重さんは後輩とそれなりにきちんとした距離を取る人で、あまり食事を奢ったりという話は聞かない。

それに人生の後輩であっても、収入という意味では流石に僕の方が上だ。

とすると、純粋に僕に厄介ごとの相談になるから、機嫌取りのために奢りたいという可能性が高い訳で。

嫌な予感がしつつも断れず、アポを設定した上で通話を切る。


 深い溜息。

憂鬱な気分になりつつ、駅前のロッカーに辿り着き着替えを回収。

そのまま上空の高速移動で皇都まで戻り、着陸した訓練場の併設シャワーを浴びて、砂まみれの服から着替える。

外回りのスーツ姿のサラリーマンと共に電車で揺られ、ギルドに到着。

時間より早めに着いたのだが、そこには茶色いスーツ姿の福重さんが待っていた。


「久しぶりだね、ユキオくん。まずは元気なようで、何よりだ」

「……えぇ、こちらこそお久しぶりです」


 福重国久。

忍者とも謳われる古強者で、籍こそ冒険者ギルドにあるものの、行政とも深いパイプがあるらしく、政治臭のする案件でも活躍する先達だ。

共闘したのはミーシャの率いる復活した魔王軍との戦いが最後で、大体二年前ということになるか。

それからは僕の力量が随分上がったこともあり、どちらかというと厄介ごとを僕に依頼として持ってくる、という形のかかわり方になっている。


 いつも通りのオールバックに茶色い仕立ての良いスーツ姿で、パッと見で手ぶらのサラリーマンと区別がつきにくい。

強いて言えば、よく見ると靴がブーツであることぐらいか。

そんな彼とミリタリーファッションの僕が平日日中に連れ立って歩くと、いつもながら少し困惑の目で見られる。

この組み合わせ、すれ違う人らには何に見えているんだろうな、と内心なんだか憂鬱になりながら福重さんに案内されたのは、広めの民家に見える家屋だった。

看板も出ておらず、訝し気にしながら福重さんについていくと、玄関をくぐって初めて、そこが料理店であると分かった。


「福重様ですね。いつもお世話になっております。お連れ様と、こちらへどうぞ」


 と、連れられた先は個室だ。

想定よりお高い感じに顔を引きつらせながら、勧められた上座に腰かける。

見目で料理店であると分からず、名乗るまでもなく客を名前で呼び、流れるように個室に連れられる。

一見さんお断りの、紹介制のお店っぽいなぁ……。

メニューが時価になっていて、政治家が密会に使ってそうなやつ。


「普段は和食が多いんだが、ユキオくんなら洋食の方が口に合うだろう?

 話は食事を終えてからだ、コースだから最後まで楽しんでくれ」

「……ははは、そうですね。ありがたくいただきます」


 和食のつもりだと、高級料亭にでも連れていかれたのだろうか。

というか、この後どんな話をされるのだろうか。

嫌な予感がしつつも、流石に美味いコース料理を堪能する。

前菜に始まりスープ、魚料理、肉料理、デザート。

昼食なだけあってフルコースより簡略化されていたが、十分に重厚な料理だった。


 暫くしてから、食後の紅茶を提供した店員が下がり、個室のドアが閉まる。

リラックスしつつも嫌な予感に供え、互いに紅茶を一口。

口を滑らかにした上で、気まずそうに福重さんが、このとおり告げた。


「……川渡キリコから、君に会いたいと連絡があった」


 それは、当時11歳の僕に性的暴行を働いた、元家政婦の名であった。



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