ex02-ワールドツアー非英雄譚・後
「どう? このキッシュ、うんまいだろ」
「凄いですね……食感が次々に変わって、とても美味しいです!」
「へっへっへ、美味しそうに食べてくれて、おじさんも嬉しくなっちゃうよ」
と、心の底から嬉しそうに笑みを浮かべるのは、ガスパル・プレオベール。
もうアラフォーだよと出会いがしらに呟いていた猫背の黒髪の壮年の男は、連合国の一員となった、旧共和国の英雄である。
昨年末の戦いではチェインメイルを着て前線に出ていた彼は、今はどこか古びたシャツを羽織った普通のおじさんといった様相である。
気安さを前面に出した彼は、各国首相との会食を終えた僕を連れ出し、街のレストランへと繰り出したのである。
「さっきのは流石に美味しくはあったけどさ? あんなお偉いさんに雁首揃えられて、味分かったかな?」
「あはは、緊張したのは間違いないですが……」
曖昧に笑いつつ、内心のげんなりとしたものを隠す。
人魔大戦当時、魔族は欧州の殆どを焼き払った。
魔族の欧州方面の総指揮官、四死天が一人、"火と破壊"のルビアナ。
その闇の炎は毒に似たもので、魔族には影響がないものの、土地そのものを焼き尽くすような恐るべき炎だったのだという。
辛くも生き残った人々は海を隔てた連合国に集い、魔族達と戦うため臨時政府を立ち上げ剣を手に取ったのだという。
そしてその闇の炎は、本人が死んだ今も欧州の土地を焼き続けており、彼らの故国は人が住めない土地となっているのだとか。
まぁ、僕の知識など教科書を読んだレベルだ。
来訪して数日で何が分かったなどと言う事もできないが……。
やはり連合国にとっては領地にある他国の臨時政府は迷惑極まりなく、軽視されているらしい。
今回出会った各国の首相も、州国の大統領や連合国の女王陛下と比べると、どうしても……質実剛健と言う表現にしておくべき様相だった。
質素であるというよりは、余裕がない、という感じ。
先のシャノンとの"勝負"の情報も、その翌日の会食で知らなかった首相が居たぐらいだ。
"勝負"について翌日にはアリシアからからかいの連絡が来たぐらいだと考えると、各国の扱いの軽さが見て取れる。
故にだろうか、かなり僕にガツガツとした当たりで、正直食事を楽しむまで至らないぐらいの食事会だった。
必至になるのは分かるが、唾を吐き散らすような勢いで強烈に友好を求められても困るし、各国の首相でにらみ合いながら僕の言質を引き出そうとされても困る。
ガスパルさんが時折苦言を呈して調整役になってくれなければ、どうなっていたことか。
此度のワールドツアーの偉い人行脚の中でも、最も肩の凝った食事会であった。
「と、来た来た、ラタトゥイユ。
夏はやっぱりこいつを食べないとなぁ~」
「おお、皇国でも食べた事ありますけど、これが本場のか!」
と、夏野菜の煮込みをモグモグと口にし、パンと交互に食べていると、ガスパルさんが苦笑して見せた。
視線をやると、ああ、と頭をポリポリとかきながら、バツが悪そうに言う。
「いや、キッシュの本場っていやぁ、国内でも北の方でさ。
ラタトゥイユの本場って言えば、南東のパスタの国近くで。
結構遠い地域だったんだよね。
だから本場って言われると、未だにちょっと、違うって感じになっちゃってさぁ……」
「…………」
僕が全力を出せば、欧州に残る炎の共和国分ぐらいは数か月で消せるだろう。
それに加え半年ぐらいか、運命転変を繰り返せば、なんとか人が生きていけるぐらいに土地を回復させることができるかもしれない。
欧州全部と考えれば、まぁ5年から10年ぐらい。
長い事業にはなるが、可能か不可能かというレベルで論じれば恐らく可能だ。
だが現実的かと言う視点で言うと、政治的な軋轢がそれを許さない。
まず最初に炎を消す国をどこにするかで、いったいどれほど揉めることだろうか。
そして一国目の炎を消し終えたあと、土地を正常に戻してから次の国に移動してほしい勢力と、早く自分の国の炎を消してほしい勢力で、必ず激突が起きる。
更に連合国は、可能ならばこのまま各国の臨時政府を有名無実化した後、植民地のような扱いで各国を扱いたいと考えてもおかしくない。
そしてそもそも、僕という戦力を他国に固定することを、皇国が許すか。
皇国が許したところで、僕が家族を置いて欧州に10年以上を費やす事をしたいか、というと。
当然そこまでしたいとは、思わないわけで。
僕は、だから何も言わない。
僕はガスパルの故郷を取り戻す力を持っているが、自分可愛さにそれを行使しない。
そんな人間が慰めを言うほど、中途半端な事はできない。
政治的に口出しする訳にもいかないのは確かだが、それ自体は心の底から助けたいと思ったら無視できる枷でもあるのだから。
ガスパルも、僕から言質を引き出そうと思った訳ではなかったのだろう。
漏れてしまった愚痴に申し訳なさそうな顔をしつつ、ラタトゥイユの攻略にかかる。
暫くの間、食器の奏でる音だけが僕らの間に横たわる。
結局食事を終えるまでの残りの時間は、当たり障りのない会話が数言奏でられるだけだった。
「ヨシッ、次はパスタの国の料理でも食いに行くか。
本格的なピザ窯のある店がこっちにあってだな……」
とはレストランを出たガスパル。
僕も彼も高位階の覚醒者ということで燃費が悪く、一般人が驚くほどよく食う。
今回は様々な店を回ると事前に申し伝えられており、僕も頷きながら彼に従い歩いてゆく。
レンガ造りの道、明るい太陽に照らされ、多くの人々で賑わう臨時政府街。
活気がある人々は、様々な言語でガスパルに親しそうに挨拶をしながら通り過ぎてゆく。
語学に堪能というガスパルは、共和国語以外にも、パスタの国の言葉、帝国語、王国語と様々な言葉を使い分けながら返していた。
驚くのは、皆僕に敬意のような物を払ってゆく所だった。
「……ユキオ、州国では目立たなかったのか。
まぁあそこはアジア人も結構多いから、紛れてもおかしくはないか。
アリシアも普通の恰好してると案外目立たないし。
連合国は、あぁうん殆どシャノンお嬢さんの家から出なかったのね。
メイドまみれだっけ、ちょっと常人離れした発想過ぎて、庶民の俺じゃあついていけねぇや……。
臨時政府区画のこのあたりはまぁ、アジア人が珍しいし、俺と連れ立って歩いていると分かりやすいんだろうよ。
で、態度だったか。
……俺たち欧州の人々にとって、勇者・二階堂龍門は、祖国の仇を討ってくれた英雄だ。
その息子で、更には人類魔族化計画を打ち砕いてくれたユキオ、君もまた、な。
それはそれとして、そんな事態だったなら俺たちも関わるべきだったとか、色々な声はあるけど……。
君に敬意がある事には変わりない。
連合国の奴らは、ちと感想が異なるかもしれないけど……」
内心気分が悪くなりつつも、僕は感謝を受け取り進んでゆく。
僕は、どちらかと言えば魔族共存派という立場だった。
また僕はミーシャの事を、初恋の人を愛しても居た。
あの日僕は、ミーシャに攫われた牢獄の中、立ち上がることなく一人待っていることが正しいのだと、心の底から信じていたのである。
そして僕は、正しさで動かなかった。
間違っていると信じながら欲望を貫き、愛する人をこの手にかけた。
僕が仮にミーシャに道を同じくしていれば、正しいと信じる道を歩むことができていれば。
僕は欧州を焼いたルビアナを配下に着ける事が出来た。
つまり僕は、欧州の燃える続ける大地を容易く浄化することが出来た……のかもしれなかった。
それが今更、助けないと見捨てた人々に英雄視され正しいと褒め称えられるのは……奇妙な気分だった。
皇国の会見やメディアで褒め称えられる地獄のような経験とは、また異なる。
どこかむずがゆく、同時に居心地が悪い感じ。
そんな会話をしながら、歩いて10分ぐらい。
大通りから一つ路地に入った辺りで、叫び声が聞こえた。
「今なんて言った!? 俺たちの祖国の事を、なんて言ったんだ!」
「もう戻れるわけないだろって言ったんだよ! 俺たちは、もう連合国人として生きてくしかないに決まってるだろ! 何夢見てるんだよ!」
見れば酔っぱらった赤ら顔の中年と、素面の若者とが襟をつかみ合い、叫んでいる。
あたりの人々は、それを冷ややかな目で見つめ、我関せずと無視しているようだった。
目を細めるが、僕やガスパルが出るまでもなくすぐに警察が辿り着き、彼らを取り押さえた。
暴れながら聞き取れないようなスラングを吐き続ける二人を、周りは冷ややかな目で見つめている。
ガスパルも悲しそうな顔で頭を降り、呟いた。
「……行こう」
彼に従い、喧騒に背を向け歩き出す。
背後で警察が男らを取り押さえる音を、置き捨てたまま。
「……20年は、長いよなぁ」
ポツリと呟いた。
「俺みたいな年頃のおじさんは、自分の国から負けて逃げ出した記憶が今でもある。
大戦当時は必至で戦っていたけど、なんとか生き延びて、一息付くと、故郷に帰ることができない実感が湧いてきて。
……でも若い奴らは、そもそも祖国に行った事、一度もないんだよな。
あの子達にとっては、ここが……連合国にある臨時政府の元が、祖国なんだ」
僕は、何も言わなかった。
彼らの苦しみを理解できるなんて言えないし、自分の家族を捨て彼らを助けるつもりにもなれない。
身を切って彼らに分け与えたいものが、僕にはないのだ。
それどころか、僕は自分の欲望のために彼らの祖国の大地を見捨てて……、その結果、何故か彼らに褒められている。
初恋の人を手にかけた事を、称賛されて。
何とも言えない後味の悪さを抱えながら、僕はそれを飲み込み静かにガスパルの後を追った。
*
「腹ごなしの階段はどうだ?」
「もうちょっと緩やかな方が、お腹に優しいですね……」
「はは、そりゃ違いない」
と笑いながら先導するガスパルに連れられ、僕は階段を上り続ける。
あの後さらに数店舗ハシゴした僕らは、ガスパルに連れられ海岸近くの高層ビルを昇っていた。
魔族に殺された人々を偲ぶために作られたその施設は、本来エレベーターで昇るものの、一応階段も用意されている。
普段から階段を使っているというガスパルに誘われた訳だが、流石に真夏の腹ごなしの運動にしては少しハードだ。
汗を流しながら、ガスパルに続いてゆく。
「"異邦人"って、知ってるかい?」
「……生憎古典文学にはあまり造詣が深くなく、題名ぐらいなら。
まぁ、"太陽がまぶしかったから"とか言い出されると、ちょっと困りますが」
「ふふ、季節は夏だがそんなこと言い出さないさ」
"異邦人"は所謂不条理を描いた共和国の古典文学だ。
主人公が裁判で殺人の理由を問われた時の答えが"太陽がまぶしかったから"というのは有名で、読んだことのない僕でも知っているぐらいだ。
勿論、この旅行前に調べものをしたから知る事が出来た、という程度だが。
「俺たちは皆、覚醒したときに天から降りてくるかのように、固有術式の名前を知る。
俺の固有術式の名を"異邦人"と決めたのが何処誰か知らんが、流石に文学青年が決めたって訳じゃあなかったみたいでな。
能力も別段文学的って訳じゃあない」
ガスパル・プレオベールの固有術式"異邦人"。
その効果は異空間の操作であり、攻撃を異空間に送ってすり抜ける事が出来たり、相手の肉体を一部異空間に削り取ってやったりと、非常に強力な効果を持つ。
発現当初は文学作品と絡めて揶揄されたり色々と合ったそうだが、実際のところその効果は強力な空間系の術式でしかなかった。
「ただまぁ、じゃあなんでこの固有術式は"異邦人"なんて名前になったんだ?
俺の固有術式にそんなヘンテコな名前をつけて、俺を邪推だの揶揄だのでヘロヘロにさせたのは誰なんだ?
若い頃は特に、そんな事ずーっと思っていたわけだよ。
その嫌な奴の名前って、さ」
先を行くガスパルが、踊り場に辿り着く。
後ろをついていく僕を見返り、視線が合って。
「"運命"って言ったりするのかね」
「…………」
"運命の糸"。
"運命"に干渉する力を持つ、僕。
「ま、もういい年だし、気にならなくなってきたんだけどな」
そう軽く言ってのけ、ガスパルは再び足を進め始めた。
僕もそれに従い、黙ったまま彼の後を追って昇る。
「それでもまぁ、若かったころにずーっと気になってた、今ではそうでもなくなってきた、その答えを知っている……かもしれない子が来たってのはちょっと気になっててな。
ユキオ。
君は、"運命"の事について……知っている事、教えてくれるかな?」
「……まぁ、"運命"が固有術式の名前を決めているかは、知りませんが」
肩を竦める、前を進むガスパル。
僕は溜息をつきながら、靴裏で階段を叩き続ける。
「"運命の糸"は、最初はただの非物質の糸を操ることができるだけの固有術式でした。
その極めた形である"運命転変"を使えるようになるまで、この何処が運命なんだと思いつつも使っていて……。
ある日から使えるようになった"運命転変"は……運命というか、可能性を選択することができます」
「君は、可能性が見えると?」
「見えるというと語弊がありますね。
"運命転変"で感知して変えている"それ"は……。
視覚以外の物で見て、聴覚以外のもので聴いて、嗅覚以外の物で嗅ぎとり、味覚以外の物で味わい、触覚以外の物で感じとる。
その五感以外のもので感覚している"それ"の中の、目的の物を、手に取るイメージで」
「……五感以外の……例えば、魂とかで?」
何気ない言葉に、僕は目を瞬いた。
魂の術式。
ミーシャが多くの死者の魂を集め、そして疑似蘇生に成功した。
僕が目覚め、死んでから復活することが出来た。
アキラが疑似地球に混ぜ込み、そして自身を復活させるために使用した、術式。
それらは操るのに魂を感覚する必要があり、それは確かに五感以外の感覚だ。
けれど。
「……魂の感覚を第六感とするなら。
運命の感覚は、第七感とでも呼びましょうか」
「そりゃまた随分と感覚の数も増えたもんだな……」
「実際、別の感覚器を使っているような気はするんですよ。
何と言われても困りますけど」
魂を感じているのは、自身の魂だろう。
けれど運命を感じているのは、僕の何なのか?
目が映像を捉え、耳が音を捉え、鼻が臭いを捉え、舌が味を捉え、肌が触覚を捉え、魂が魂を捉え。
一体何が運命を捉えているというのだろうか?
これも僕の運命がと言いたいが、何か違うような気がして。
「……ま、目的地についたし話は一端終わりだな」
……そんな会話をしているうちに、僕らは展望室に辿り着いた。
屋根の元、三百六十度をガラス窓で覆われた展望室。
冷房の効いた部屋の中、ひと際人が集まっているのは、大陸側の窓近く。
喪服を来た人々が冥福を祈る、その先の光景は。
「……あれが、今の大陸だよ」
黒い炎に包まれた、大地。
未だ燃え尽きない炎が永遠に大地を焼き続け、地平線まで広がっている。
大地は、起伏を無くしていた。
山河もすべて焼き尽くされ、全ては黒い炎に燃やし尽くされてしまっていて。
「まるで、世界の終わりのような、光景だろ?」
「……はい」
思ったことを言い当てられて、しかしそれに反応する余力すらなく、僕は静かにうなずいた。
見下ろすあたり一面、黒い炎。
かつてはあったはずの山は燃えてなくなり、あらゆる生き物が姿を消した死の大地。
視界の端、渡り鳥の群れが飛んで行く。
すると炎は渡り鳥達を掴もうと、その舌を伸ばし轟、と燃え上る。
炎は渡り鳥の軌跡を辿るようにその舌を伸ばし続け、柱を上げ続ける。
高高度であるが故に渡り鳥達は焼かれなかったものの、一定以下の高度で飛べば燃やし尽くされる地獄のような光景。
「魔族の本拠地だった連邦方面は無事だったらしいが……。
竜国の多くは一度水没し、その過半が底なしの泥沼と化したと聞いてる。
新大陸の方は無限の雷に降られて、今も雷恐怖症の人が殆どになってしまったとか。
かつての暗黒大陸に至っては無数の地殻変動で内陸の様子は分からなくなり、再び暗黒大陸と呼ばれるようになったそうだ」
「……教科書に載っているレベルの知識ぐらいは、ありますが……」
言いつつも、僕は目を細める。
人類は、世界は、魔族に滅ぼされかけた。
それは確かに教科書や記録映像で習ったはずなのだが……、こうやって今も続く地獄のような光景を見ていると、改めて腹に落ちて理解できる。
20年前、人類は、世界は、一度滅びかけた。
遅れて冷静になった理性が、独り言ちる。
なるほど、今回のワールドツアーの要旨は各国との友好というポーズを作るためと考えて居たが……。
それだけでは、ない。
これは"修学旅行"なのだ。
学校行事としてのそれというよりは、文字通りに修めて学ぶための。
滅びかけた、そして今も深い傷跡を残し続ける、世界を知るための。
「知って、何かしてほしいなんて言えるほど、俺は厚顔無恥にはなれねぇけどさ。
でもせめて、知ってほしかったんだ。
俺たちが、何を失ったのか」
「…………」
「そして、俺たちが、何を守って貰えたのか」
言いつつ、ガスパルが振り返る。
釣られて見る連合国側、都市と自然に囲まれた人々の生活圏が見えてきて。
「……ありがと、ユキオ。
あれはお前の親父さんが守ったもので……。
そしてお前が、その誇りを守ったものなんだ」
「…………」
そんなつもりは無くて。
むしろ僕は、彼らの誇りとやらを見捨て、ミーシャと共に歩む事を正しいとさえ信じていて。
けれど僕は、それを口に出さず、じっとその光景を見ていた。
人々の営みを、ただ、ただ。
*
「始めまして、ユキオくん。
ニーナ・アントネンコだ」
「……娘の、ヴィーラと申します」
ペコリ、と銀髪をさらりと流す二人が会釈する。
銀髪ポニーテールに碧眼、不健康そうに目の下に隈を作ったのが、ニーナ・アントネンコ。
旧連邦の生き残りを率い、祖国復興のため戦い続ける英雄。
隣のヴィーラも同じく銀髪ポニーテールに碧眼、しかしこちらは活力に満ちたキラキラと輝く目でこちらを見つめてくる。
「こちらこそ、始めまして。
二階堂ユキオ……ユキオ・二階堂と申します」
こちらも会釈して見せると、跳ねるような勢いで、ヴィーラがピョコンと前に出た。
青を基調とした、丈の短いワンピースがふわりと揺れる。
手にはこちらも青を基調とした、銀の豪奢な刺繍が成されたロンググローブを身に着けていた。
背丈は僕や姉さんより低く、160cm台半ばぐらいか。
薄っすらと頬を桜色に染めて、僕をキラキラの瞳で見つめてくる。
「ユキオさま、私、貴方と会えるのをとても楽しみにしていました!
想像はしていましたが、こうして実際にお会いするとより分かります。
ユキオさま、これほどまでに素晴らしい戦士だとは!
ぜひ、是非私にも一手教授いただけますでしょうか!」
「僕はかまわないけど……」
チラリとニーナを見やると、苦笑しつつも頷いて見せる。
「悪いが、娘に付き合ってくれると助かる。
流石に連合国の闘技場ほどじゃあないが、戦士の訓練に使う広場を使ってくれ」
「ユキオさま、こっち、こっちです!」
ブンブンと手を振りながら、ポニーテールを揺らすヴィーラ。
僕は微笑ましくなりつつも、ニーナに会釈をして彼女についていった。
旧連邦の生き残りを母体とした新連邦は、比較的小規模な国家である。
魔王城と化していた旧連邦の首都は、勇者と魔王との決戦で滅んでしまった。
主に連邦東側は皇国との決戦での都市の破壊が凄まじく、殆ど人の領域が残らない結果となってしまっている。
故に旧連邦における北西側の大都市を首都として国家を運営することになったのである。
とは言え、この都市自体も20年前に多くの損害を受け、今もその傷跡は残っている。
実際に歩いてみても、その印象はさして変わらない。
季節は夏、過ごしやすい気温だが太陽の光が強いのが特徴か。
建築物の多くは少し古めかしく豪奢な作りで、かつてはパステルカラーだったという掠れた色どりの建物が多い。
しかし無事なのは大通りの建物だけで、時折垣間見える裏通りの建物は半壊しているか、取り壊されているかの二択だ。
「……大戦から20年、復興はまだまだと言われています。
私は大戦後の生まれですから、復興と言われてもピンとは来ないのですが」
「そこは僕も分かるかな。
皇国も、僕が物心ついたころにはまだ、鉄道が通っていなかったからなぁ」
「我々新連邦とて、鉄道が通り始めたのは最近ですからね。
どちらかというと、復興というより便利になったなと思うところなのですが」
「分かるなぁ」
大戦後生まれで、住まう都市に大きな傷跡が残る者同士。
僕とヴィーラは共感を呟きながら、都市を進んでゆく。
都市の外れ、城壁を超えて外へ。
広大な草原に広がる道を、僕らは軽い駆け足で駆けてゆく。
軽い駆け足と言っても、時速100キロぐらいはあるのだが。
「そういえば、ユキオさまはシャノンとも先にお会いしたと聞きますが」
「うん。同年代だし、面識があるのか。
……なんていうか、独特な娘だよね」
「……戦士としては、尊敬しています」
含みのある言葉に思わず苦笑を浮かべつつ、暫く進んだあたりに広場が見えてくる。
多くの人々が剣を振るい鍛錬を積んでいる、一定以上の位階の戦士達が集う広場だ。
所謂練兵場の一種になるのだろうか?
僕らを見る戦士達の騒めきを通り過ぎながら、奥まった所にあるひと際大きい広場に辿り着く。
「さて、ユキオさま! 早速胸を貸してくださいませ!」
ブンブンと手を振りながら、ヴィーラが腰の剣を手に取る。
全長70cmぐらいの、取り回しの良い片手剣が、薄っすらと輝く。
それに呼応するように影が現れ、それは瞬く間に円形の片手盾と化して彼女の手に収まった。
先にちらりと、辺りの様子をうかがう。
戦士達は騒めきながら僕らを遠巻きに眺めており、中には幾人か僕に厳しい目を向けている男がいる。
まぁどう見ても美少女のヴィーラだ、慕う異性が居るのはおかしくもなんともないだろう。
とは言え僕としては、普通に彼女の先達として振舞えばそれでよいか。
ヴィーラのスタイルは、片手剣に片手盾という非常にオーソドックスなものだ。
位階は感じ取れる範囲で70近くと、1年半ぐらい前の僕よりずっと強い。
二つ年下と聞いたので、同年代の頃の僕より普通に強いという事だ。
何とも言えない気分になりつつ、こちらも空中に手を翳す。
青光、糸が紡がれ、その剣を完成させる。
全長1メートル程度、両刃の刀身に豪奢な柄、重みのある柄頭。
「これがあの、糸剣……。綺麗……」
ヴィーラは、少しうっとりとした様子で僕の糸剣を見つめる。
なにせ聖剣を模しているのだ、その感想は間違いないだろう。
内心頷きつつも、糸剣を構えヴィーラを見つめる。
「さ、何時でも来ると良い。胸を貸そう」
「……はい!」
頷き、ヴィーラが早速地を蹴った。
丸盾を前にしつつ接近、視界を遮りつつ間合いを侵す。
リーチの長い僕が先に軽く剣を振るう。
定石通り盾の丸みを使って受け流しつつ、ヴィーラは盾の中で準備していた突きを放つ。
僕は糸剣を手放しながら、それを迎え撃つ形となる。
「うんうん」
速度は十分、狙いは僕の目に真っ直ぐで、間合いの把握もしづらい。
殺意の乗った良い突きだと頷きつつ、糸手甲を乗せた左手の甲でサクッと捌く。
体を泳がせるヴィーラ、僕はそのまま体ごと突進し、咄嗟に構えられた盾に向かい体当たり。
同程度の位階に抑えているが、だからこそ体勢と体重の差がモロに出る。
吹っ飛ばされるヴィーラ、その隙に僕は糸剣を再生成しつつ、靴裏から糸罠を生成。
「くっ……!」
待ちの姿勢の僕に、しかしそれを怪しんだのであろうヴィーラが盾を持つ手を僕に向け、氷槍を数本放つ。
僕は姿勢を変えないまま、糸槍を放ち相殺。
ばかりか数で勝る糸槍が、ヴィーラへと向かう。
歯噛み、盾で的確に糸槍を防ぎ、逸らしながら前に進む。
「…………」
一瞬目を細め、僕は射出した糸槍の角度を途中で変え始める。
しかしそれすらもヴィーラは完璧に防ぎ、上手く逸らしながら前に進んだ。
ふむ、と一つ頷き、透明化した糸槍を放つ。
コスパが悪い上火力上限が低いので常用しない物だが、たまに役に立つ技。
盾に向かって真っすぐに放ったそれを、ヴィーラは正面から受け、小さい悲鳴と共に足を止める。
「なるほど、風を読んでいるんじゃなく、その影の盾が内側から透けて見えるのか」
無言で、ヴィーラは再び盾を構え突進を再開する。
距離は一足一刀より少し離れ、そこで停止。
ヴィーラは足を踏み鳴らし、地面から次々に氷柱を生み出す。
反応する糸罠が露わになり、最早残す事もないと僕は正面の糸罠を解除した。
まぁ、側面からヴィーラの足元に辿り着いていた糸罠は、そのままな訳だが。
「きゃっ!?」
短い悲鳴を上げつつ、ヴィーラは足を取られたたらを踏む。
瞬間、僕は彼女の目前に踏み込んでいた。
彼女の目算より少し長い距離を、準備していた糸で引っ張りつつの跳躍で、踏み越えたのである。
大上段に構えた糸剣を、位階70ぐらいの限度に留めて打ち下ろす。
甲高い金属音。
ヴィーラは辛うじて全身を伸ばしたうえで盾で僕の剣を受け、流しつつも全身を撓めて衝撃を逃がし、辛うじて防御に成功する。
滑り落ちる糸剣、姿勢は互いに崩れ、視線だけが交錯する。
しかしそれは刹那よりも短く、僕の背から追い付いた糸針が彼女の額を狙い着弾した。
「あうっ!?」
揺れる頭蓋、伴い彼女の視線が絶える。
その隙、刃をつぶし棒とかした糸剣で、斜め下から打ち上げる形で殴り飛ばす。
大きく吹っ飛ばされ、ゴロゴロと転がりなんとか受け身を取るヴィーラ。
僕は微笑みながら彼女に告げる。
「糸使い相手に、ちょっと周囲の警戒が緩いかな。
実戦なら目を狙ってたよ」
「うぅ……ありがとうございます」
涙目になりつつも、ヴィーラが再び剣盾を構え、僕を油断なく見据える。
敬意と真剣さが全力で伝わってくる、良い目だ。
賓客として持て成すアリシア、言動が謎のお嬢様シャノン、どこか説教染みたガスパル。
彼らに比べ、普通の後輩っぽいヴィーラの相手はシンプルで精神的に心地よいものだ。
僕は難しい事を忘れ、しばしの間後輩を鍛えることに時間を費やすのであった。
*
「それでね、それでね! ユキオさま、バーンって! で、こう、こうだったから!
凄いんです、本当に! 気づいたら私もこう、こんな感じでできるようになって!」
「はいはい、ご飯食べるのも忘れないようにね」
「はーい!」
と、ジェスチャーと指示語塗れの言葉のヴィーラ。
わたわたと両手を振り回しながら、隣で食事をするニーナにキラキラとした目で話す仕草はとても幼く、二つしか年が変わらないとは思えない。
その様相はその日あった楽しかったことを母親に話す娘そのもの。
その楽しかったことの登場人物が目の前の僕でなければ、もう少し他人事として微笑ましく眺められていたのだろうが、流石にこれでは少し恥ずかしい。
食卓に並んだ牛肉と夏野菜の煮込みを口にしつつ、僕は静かに夕食を続けた。
新連邦で僕は、アントネンコ家に宿泊することになった。
父親は10年ほど前に亡くなったそうで、アントネンコ家は母子家庭である。
そこに男一人が追加で寝泊まりするのはどうなのかと思ったが、向こうの言い分では他に選択肢がないそうだ。
海外旅行客向けのホテルぐらいは用意しているが、英雄を迎えるに相応しいような格式のホテルは現状まだ出来ていない。
格式の低いホテルに案内するぐらいならば、超短期間のホームステイと言い張るために家庭生活を体験してもらう、という言い訳を通した方がやり易いとのことだ。
そうは言っても、せめて年頃の娘が居る家庭は避けた方が、という話はしたのだが、僕の頭越しに様々な対話があった末にこの形に落ち着いたらしい。
どうかと思ったのだが、僕に強い不利益があるでもなし、そのまま流されてアントネンコ家に寝泊まりするに至る。
「ねっ? ユキオさま!」
「うん、そうだったね」
結果的には、ヴィーラはあまり異性を感じさせない、愛らしい後輩という感覚になった。
会話していてストレスを感じず、自然に対話できる相手だ。
美しい少女にキラキラとした目で尊敬する先輩戦士と扱われるのは、なんだかんだいってくすぐったさよりも心地よさが勝る。
流石に聖剣と竜が覚醒するような強化が成されたシャノンほどではないが、ヴィーラも叩いただけ伸びる素晴らしい戦士だった。
伸び悩んでいたらしい位階はある程度引き上げられ、その分の尊敬がその目の煌めきに足されていた。
そんな後輩が楽し気にする食卓を共にするのは、楽しくもあり、少し恥ずかしくもあり。
賑やかな食卓を終えて暫くすると、ヴィーラがお先にとシャワーを浴びに行く。
僕が勧められたソファで寛いでいると、すとんと隣に、ニーナが腰かける。
「今日はヴィーラに付き合ってくれたようで、ありがとう。
連合のシャノンに続いて、あの娘も君の教導で随分を腕を上げたようで、感謝するよ」
「こちらこそ、気持ちの良い後輩ができたようで、気分よく指導出来て良かったです」
寒い連邦とは言え、夏は流石に薄着だ。
ニーナもベアトップにホットパンツと、リゾート地のような露出度の高い恰好だ。
隣に座られると、少し目のやり場に困る。
視線を泳がせ、最終的に腰かけた椅子の目の前に……、つまり古びた電源の入っていないテレビの方に目をやった。
反射防止コーティングが成されていないそこには、蛍光灯に照らされた僕とニーナが、ソファに隣り合って座っているのが映し出されている。
す、とニーナが、少し僕に寄ってみせた。
目を細める僕を、じっとニーナが見つめる。
「ユキオ、君は……今回の海外遠征、どういった意味合いか理解しているかい?」
「……友好を深めるため、相互理解を深めるため。
そして最低限、そのポーズを取るため。
そんなところでしょう」
僕は単独で国家を滅ぼすだけの能力を持ち、そしてそれをアキラとの決戦で示してしまった。
ならばその僕と敵対的であるという事は、それだけで政情不安や治安の悪化になりかねない。
だからこそ友好を深めねばならないし、最低限友好になったという儀式を示しポーズを各国が国内に示さねばならない。
そしてまた、各国政府としては、僕の逆鱗がどこにあるのかを知らねばならない。
僕が何に怒り、何を許せないのか、またどの程度政治的な理解があるのかを知らねばならない。
既にある程度は情報収集しているのだろうが、直接国家に招いて観察する方が、その確度を高められる。
少なくとも、誤解から国家破壊級の戦力と決定的決裂を生む事だけは、避けねばならない。
どちらもかなり喫緊の問題だったのだろうが、それでも年末の戦いで僕が負った傷を加味して、夏のバカンスシーズンまで待ったのだろう。
追加の説明を、視線を向けず垂れ流す僕に、ニーナはうんうんと頷きながら、体を横に傾ける。
掌をそっとソファの座面にやり、傾いた体を支える。
人の体温が近づいたのが、なんとなく敏感になった体が、感じ取った。
「確かに、各国の思惑の一つは、間違いなくそれだろう。
だが、どの国にももう一つ思惑があると、そう思わないかい?」
「……共通で、と言われると思いつかないですね」
「……あぁ、臨時政府群は今一統制が取れていないし、ガスパルは消極的ながら反対するだろうからね。
そこ以外での共通、といった所かな」
僕は、思わず目を細め……いや違うな、と頭を振る。
正解が分からないという様子の僕に、苦笑しながらニーナ。
「ユキオ、君の血が欲しいんだよ」
ペロリ、とニーナは唇を舐めた。
真っ赤な舌が、唾液を口唇に塗りつけ、その輝きを少し増した。
「現在世界最強の英雄は、二階堂龍門か、二階堂ユキオ。
その上で二階堂龍門は、妻一筋でね。
この20年間各国に赴いた際、あらゆる誘惑があったそうだが全く効いていない。
私は10年と少し前か、夫子が居るから異性として誘惑するような事はなかったが、連邦の美女美少女にピクリとも反応しなかったのは見ている。
対しユキオ、君は若く、そして特定の異性もいない。
君を誘惑しようとするのは、全く持って不思議ではないと思わないかい?」
「……それは、そうですが」
言いつつ、僕はそっと両目を抑えた。
眼球の中、怒り狂ってピョンピョンと飛び跳ねる、赤と青の魂が居たからである。
静まり給えと内心祈りつつ、深いため息をつく。
「無論、君の……その、傷心については、我々もある程度は知っている。
分かると、理解できるなどとは口が裂けても言えないが……。
事実の表面をなぞる程度には、知っている。
個人的にはだからこそ、適当な異性に溺れるのは悪くないと思うのだがね」
「…………」
僕は、その言葉に対し口を開かない。
両目の中で五月蠅い魂が居るからというのもあるが、それ以上に、口を開けば声を荒げてしまうのだと確信していたからだ。
代わりに溜息をもう一度つき、話題を変えて口にする。
「アリシアさんが、あまりにも近しい距離で過ごしていたのは、そのためだったとしましょう。
ガスパルは言う通り、それに反対して、僕との相互理解を優先したのだとしましょう。
シャノンは、何だったんでしょうか?」
「…………何なんだろうね、あの娘は」
ニーナが遠い目をした。
DESUWA、メイドまみれ、からの勝負。
ある意味メイドまみれというのは僕を誘惑しているような気もするのだが、執事とシャノン本人に眺められながらというのは上級者過ぎる。
実際僕は、シュールすぎる状況に興奮はできなかった。
「まぁ、国家としては君の誘惑を狙ったんじゃないかな……。
シャノンがその思惑をぶち壊していたようだが。
兎も角、私も君を誘惑するように指示されているのだよ」
「……それを、わざわざ説明する理由があると?」
「うん。だって君、裏まで言わないと、未亡人には絶対手を出さないだろう?」
図星を突かれたと言うべきか。
裏まで言われた所で、手は出さないと言うべきか。
胡乱な目つきで見やると、ふふ、と微笑みながらニーナは腰を浮かせ、体を傾けていた分だけ僕に近づける。
真っ直ぐにした体、胸の下で腕組みし、その豊満な乳房を強調して見せた。
僕は視線が吸い込まれそうになるのを耐え、溜息をつく。
「夫を亡くして10年、少しばかり体を持て余していてね。
ふふ、まだまだ私も行けるとは思わないかい?」
「そんなに僕、娘さんに手を出しそうでしたか?」
ニーナの、呼吸が止まった。
静かに目が細まり、静かに吐息が漏れてゆく。
「貴方の上の思惑としては、母子家庭に適齢の男を一人突っ込んでいる訳で……。
"どちらでもよい"という考えなんでしょうね。
その上で、流石に母親としては、娘に手を出されるぐらいならという事なんでしょうが……。
その、僕はそんなにヴィーラに手を出しそうに見えたんでしょうか……」
正直、ちょっとショックだった。
正直に僕を誘惑しようにも、未亡人に手を出しそうにない。
ならばと言っても、汚い裏の事情を伝えてまで僕を誘惑しても、失敗すれば当然僕との友好という第一条件を満たせなくなる。
そう考えればリスクが高いこの誘惑はニーナの独断に近く、国家としてはあわよくばという程度であったのではないか。
そしてニーナは、誘惑して自分の体で満足させねば、この男は娘に手を出しかねないと思ったのだろう。
そこまで僕は、性欲に正直な男だと思われたのだろうか。
割と本気で失礼だし、同時に自分の振る舞いが心配になってきてしまう。
それに先ほどの各国の目的が僕の血というのも、正直話半分というところだろう。
僕の血をそんなに本気で欲しがっているようであれば、もっとやり方があったはずだ。
特に僕が政治家でありその血を狙っていたのであれば、絶対にシャノンに僕の接待はさせないし、ガスパルも接待役にさせないだろう。
接待も観光ではなく、最低限もっと色気のあるバーなどに案内していたはず。
まぁもしかしたらという淡い期待ぐらいはあったのかもしれないが、上限でその程度。
ニーナの言葉は、自国の印象が下がるのを見越して他国をこき下ろしていただけ。
正直この人あまり計り事に向いてないな、と呆れた視線をニーナに向ける。
恥ずかしそうに、ニーナは視線を逸らした。
こちらを子供と侮っていたのだろうが、いくら何でも侮りすぎである。
「……はぁ。帰ろうかなぁ」
思わず、こちらも呟いた。
本気ではないが。
流石にこの行動を持て成しだなんて言われたら、これぐらいの愚痴は許されるだろう。
ニーナが、目を瞬いた。
遅れ顔が引きつり、ブルブルと顔を横に降り始める。
「え、ま、待ってくれ! それは困る!」
「……僕は困りませんが」
「私は困るんだ!」
「知らないですよ……」
半目で睨むと、ニーナは頭を抱えてしまった。
この人、ちょっとポンコツすぎないか?
ニーナ・アントネンコの本質は戦士であり、政治的な能力は父さんとどっこいどっこいだという話は聞いていたが……。
シャノンの事を揶揄していたが、この人も同レベルのポンコツなのではあるまいか。
溜息をつきつつ、疲れ果てた声で告げる。
「まぁ、ヴィーラを悲しませたくはありませんから、今の所はまだ問題を公にする気はありませんが……。
これ以上変な事をやらかさないでくださいよ?」
「わ、わかっ……いや待て、ヴィーラなのか!? やっぱりヴィーラが狙いなのか!?」
「狙ってないですよ……」
「なんで狙わないんだ! あの娘は世界一可愛い私の娘だぞ!?」
頭を抱えながら叫ぶニーナは、気のせいか目がグルグルと回っている気がする。
面倒臭すぎるぞ、この人。
遠い目になって溜息をついていると、ドタドタと足音。
廊下に続くドアが勢いよく開き、見るとシャワーから上がったヴィーラが立っていた。
「母様、大声で何を叫んでいたのですか!?」
湯上りのヴィーラは、その白磁の肌を桜色に染め、しっとりとした汗を浮かせていた。
寝巻は夏らしく薄着の、ショートパンツに半袖のシャツ。
襟元は開き、成長中の胸元が覗けそうにすらなっている。
一瞬見惚れてしまってから目を逸らすと、ガシリと肩を掴まれた。
見返ると、ニーナが目をグルグルさせたまま僕を見つめている。
「待て、今ヴィーラに惚れなかったかキミ!?」
「母様!?」
「惚れてないです……」
「何故私は、憧れの人に出会って初日で、告白もしていないのに振られているんですか!?」
謎の被害を受けているヴィーラには悪いが、はっきり言わないとニーナが面倒臭すぎるのだ。
だがしっかりと告げても聞いているのかいないのか、混乱したニーナが叫び続ける。
「ま、待て、ヴィーラは駄目だ! まだ16なんだぞ!? わ、私の可愛いヴィーラが!?」
「惚れてないです……」
「何度も言われるの、ちょっと辛いんですが……」
「わ、私の方がおっぱいは大きいぞ! こ、こっちにしておけ!」
「嫌です……」
「私は何を見せられているんですか……?」
なぜか僕の手を取り自身の胸に引き寄せようとするニーナを制しつつ、僕は深いため息をつく。
連邦への滞在は二泊三日の予定だ。
どうにか日中は用事を作ってニーナから離れ、明日をやり過ごしてからさっさと帰りたい。
そして暫くは、皇国から出たくはない。
出会った人々には悪いが、用事があるときはどうにか皇国に来てもらう事としよう。
そんな風に思いながら、僕はニーナをあしらいつつ深いため息をついたのであった。
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だらだら書いていた所、閑話の分量が想定の3倍以上になってしまったので、
来週の更新はお休みとさせていただきます。
4章開始は5/1(木)を予定しております。
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