06-何もかも間違えている男




 雲が辺りを駆けてゆく。

水面の波が、ゆっくりと運ばれてゆく。

高度数千メートルという距離が、それらのパッと見の相対速度を低く見せていた。


「いやー、上級冒険者は雑に扱っても良くて楽っすねー!」

「……なるべく丁寧に扱ってくれると嬉しいです……」

「スピード上げていきましょー!」


 耳元で叫ばれ、僕は思わず遠い目になった。

秩序隊の荒間シノとの対話は、なんとか上手くいった。

僕の単独行動の優位性、また集団行動時の爆発の危険性の説得はどうにか響いてくれたようで、僕の単独奇襲を認めてくれたのだ。

そしてそのために用意されたのが、僕を運ぶこの女性。

"歩く旅客機"、本名不詳の固有術式で呼ばれる人である。


 僕をハーネスで固定、ジェット噴射らしきものをする鋼の翼を生やした"旅客機"は、時速1000キロで空を飛行する。

それだけではなく周りに空気抵抗などを感じさせないバリアを張る事ができ、少数の人間や荷物を簡単に運ぶことができるのだ。

単純なスピードは先日の天仙より遅いぐらいだが、人やモノを運ぶ事ができるその有用性から世界中で活躍していると言われる。

今回の対薬師寺基地の設営も、彼女が最初に転移術士を連れ込み、そこから術士が他の転移術士を連れて登録させ、という所からスタートしたそうだ。


「速いのは……嬉しい……んですが……」

「えへへ! 嬉しいっすか!? 私も嬉しいっす、一緒っすねー!」

「……はい」


 僕も数秒ぐらいなら時速1000キロぐらいの速度で移動する事はできるが、他人に拘束されたまま長時間というのは初めてだ。

驚異の事故率ゼロ、旅客機よりリスクが低いというのは聞いている。

しかしそれでも、何の外的遮断もない上空数千メートルを、身動きできずに飛ばされるのはしんどい。

それでも屈託のない笑みを浮かべる、そして僕の命を預かっている"旅客機"にそれを言うのは憚られ、僕は黙り込んでなるべく物を考えないようにした。


 一時間弱。

設営された基地付近に到着し、僕はようやく足を触れた地面に人心地がついていた。

安堵する僕を尻目に、"旅客機"がブンブンと手を振りながら折り返し前に補給しに行く。

僕はそれを見送ってから、単独行動を始めた。

何時もの服装の上に、白い迷彩外套を羽織り、雪の上を行く。

足元には、糸で編んだスノーシューを装備。

所謂現代の"かんじき"で、体重を分散することで雪上を歩きやすくする補助具だ。


 コンパスと太陽を頼りに、しばし何もない雪原の上を行く。

陽光を反射し鏡のように輝く雪原は、シンプルに目に痛い。

刺すような寒さの空気は、恒常発動する耐寒術式を貫通して、芯までくるような寒さを感じさせる。

歩きづらい雪原に苛立ちを感じていたが、こんな事でコンディションを落としても仕方がない。

なるべく無心になるよう意識しつつ、前に進む。


 しばらく進むと、行軍の痕を見つけ、遅れ前方に布陣する軍勢を見つけた。

とりあえず気配を感じようと意識するが、父さん以外は僕よりも格下の気配。

予想はしていたがそんなものかと眉をひそめた所に、上空に映像が現れた。

薬師寺アキラ。

あのねっとりとした話し方をする、僕を爆発させた実父。

思わずピクリと身を固めてしまうが、僕に気づいた様子もなく演説ぶって話し始めた。

暫く対話してから、七つの光を召喚する。


『旧魔王の5体の疑似蘇生体と、最新の魔王にその娘の影だ。前座として、楽しんでいってほしい』


 旧魔王。

父さんより前の、聖剣に選ばれた勇者たちが滅ぼした人類滅亡の要因。

白き竜、ファーブニル、羅刹王、牛魔王、茨木童子の、疑似蘇生体。

そして魔王と……ミーシャ。

影で形作られた白黒の、けれど間違いなく見慣れた、メイド服姿の。

ゴロリと、右目が違和感。

赤い光が、視界を僅かに覆う。


「……分かっているよ、アレは……キミでは、ない」


 僕の中に宿ったミーシャの魂の、無言の抗議だった。

相変わらず僕の魂の術式はそれなりの練度であり、魂だけになった彼女たちの声を聞く事はできない。

だから言いたい事がある時はこんな風に僕の目の中で暴れまわるので、僕の目はよくゴロゴロしたり痒くなったり痛くなったりする。

もうちょっと穏当にやってほしいのだが、僕の実力が足りないせいなのでそこは飲み込むしかないか。


 改めて七体の魔王級の位階を感じ取るが、こちらも僕より格下か。

僕一人でも三体ぐらいなら余裕で受け持てそうだし、最悪七対一でも勝てない相手じゃあないだろう。

とすると、この場は任せてしまっても問題ないだろう。

僕は見つからないよう祈りつつ、気配を消して回り込んで行く。


 横目に戦場を気にしつつ、回り込んで基地の外壁に辿り着く。

古めかしいレンガ造りの建物だが、見れば最新の術式学による結界が貼られている事が分かる。

当然のように塀は高く物理的に侵入しづらいし、結界は硬く、破壊すれば容易く探知されるだろう。

わざとらしく開けられている正面以外からの侵入は難しい。

少し悩んで、僕はそのまま外壁を回り、背面側に回る。

退却用に作られた裏口は閉じられ、侵入を拒んでいるが。

元々開く用途が存在する場所であれば、より可能性的に容易い。


「運命、転変(小)」


 省エネ版の運命転変、誤動作の可能性を誘発し結界を通り抜けて内部に侵入。

恐らくはアキラに気づかれないままに基地内に入る事に成功した。


 裏門から入ってすぐは、退却を考えてだろう、大き目の広場になっている。

僕は身を隠しながら前に進み、アキラの気配がする中央の大きな建物へと進んでいった。

隠密しながら前に進みつつ、手をグッパと開け閉めして調子を確認する。


 ……暫く死んでいた割には、調子は悪くない。

全開にはほど遠いが、対象によるが恐らくあと三回か四回は運命転変を使える。

春先に死ぬ気で一日二回をなんとか成功させた事を想うと、我ながらかなり"運命の糸"の使い方に習熟してきたと言えよう。

ここから先は、最悪、天仙と賢者の二人を相手にすることになる。

緊張と共に精神を研ぎ澄ませながら、僕は中央の建物に侵入してゆく。


 鍵はかかっておらず、普通にドアは開いた。

中に入ると、コンクリ打ちっぱなしのような簡素な床と壁が僕を出迎える。

魔族の趣味だともっと中世風だと思ったが、基地は実用性重視としたのか、それとも破壊した基地から人類がその魔族趣味の内装を取っ払ったのか。

疑問符を捨て置き、僕は警戒しながら前に進んでゆく。


 裏口側の入口を背に、階段を求めて左回りに進む。

真っ直ぐに進んで100mほど、首を傾げた。

見える曲がり角が、思っていたより遠い。

というか、外観からみた時、この建物は横幅で200mぐらいの、前後に長い建物じゃなかっただろうか?


「……試すか」


 呟き、相手の索敵に引っかかるリスクを取って糸を前後に真っ直ぐに放つ。

完全に直線に放つが、どちらも壁に引っかからない。

気づかないような角度で曲がっていた説は、否定される。

伸ばした糸は明らかに片方数百メートルは伸びてゆき、僕は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「薬師寺アキラの固有は"時間の総舵手"……。時間と空間は密接につながっている、か」


 つまるところ、この空間は歪んでいた。

外部からみた時の空間の広さと、中の空間の広さとが、一致していないのである。

外観からざっくりと構造を予想していたのだが、それが無駄になった瞬間であった。

舌打ちしつつ、足を速めて前に進む。


 階段を見つけて上に昇ると、一気に内装が変わっていた。

真っ白な壁に床、窓はなく扉もない一直線の真っ白な空間だ。

左右は広がり十数メートルの太い通路、高さに至っては三十メートルほどある広い空間だ。

床にブーツの踵を下ろせばカツンと硬い音が響く。

そのまま靴を引きずる。

表面はほんのりザラついているらしくグリップは効くが、傷はつかない。

階段を抜けた右手側は壁があるので、仕方なしに左手側に前に進む。


「……そう、来たか」


 人影。

遠目に見えるそれの判別がつく距離になり、僕は糸剣を作り構えた。

数秒、動きがない事を確認してゆっくりと前に進み始める。


 黒猫耳ポニーテールに黒いチーパオ、低い背丈とそれを感じさせない姿勢の良さ。

右目は完治していないようで、眼帯をつけて覆い隠している。

天仙フェイパオ。

僕の実母にして、僕を殺そうと狙っていた女。

何時かと同じように感情的な言葉が来ると考えていたのだが、どうにも静かだ。

その目はじっと僕を見つめるだけで、言葉を発することなくじっと構えを取ったままである。


「……どうしたんだ? 僕を殺しに来たんじゃ、なかったのか?」


 チリ、と感覚。

直感で糸剣を構えるのと同時に衝撃。

遅れ赤い雷が視界を覆い、弾き飛ばされた僕を静かな目で仙術を使ったフェイパオが睨みつける。


「なん、だ?」


 疑問符が口から洩れる、と同時に赤光。

反射的に糸剣を構え防御、したと思った瞬間衝撃で後方に吹き飛ばされる、と同時に赤光。

考えるより速く糸が僕自身を百八十度高速回転させる。

その勢いを乗せた剣でフェイパオの赤雷の拳を薙ぎ払う。


 それは空間に仕掛けられた糸の罠だった。

フェイパオが僕の背後に回ろうと動く際に引っかかる糸が、その力で僕を半回転させフェイパオと向かい合えるように、不可視の糸と空間に設置した疑似滑車で仕掛けを作り設定していたのである。

フェイパオがどれほど僕より速かろうと、そのフェイパオ自身のスピードを利用して同速度で僕自身も自動的に対応できるように仕掛けを作ったのだ。


 しかし、その目に動揺はない。

焦点が合っていないように見えて、何も見えていないのではとさえ思える。

動揺させようとしてむしろこちらの方が動揺しつつも、何とかそれを覆い隠して反撃。


「――シィッ!」


 叫びつつの剣が、硬直し後退が一歩遅れたフェイパオの脇腹を抉る。

血飛沫を落としつつ後退するフェイパオに、糸剣を構えなおしながら、僕は小さく舌打ちする。

先日とはフェイパオの性格が違いすぎる。

それに片目の視力を失ったままなのに、両目が健在だった時とスピードが変わらないのも妙だ。

普通に考えたら反撃を考えスピードを落とすだろうに、その気配がない。

その目に意志の強さは感じず、ダメージのリスクを考えていない。

まるで、自分自身を使い捨てにするかのような動き。


「まさか……疑似蘇生体の一種、なのか?」

「…………」


 無言でフェイパオは拳を構える。

吐き気のする嫌な気分になりつつ、僕は攻撃に備え集中する。


 赤光。

赤光、赤光、赤光、赤光。

後先も防御も考えない連続の高速攻撃。

攻撃そのものは辛うじて防御に成功するが、音速の数倍で駆け抜けるフェイパオの攻撃は当然のようにソニックブームをバラまいてくる。

何度か僕の反撃も突き刺さるが、致命傷にはほど遠い。

周囲の壁床にヒビが入り、そしてついに、僕の恒常防御が抜かれ鼓膜が破れる。


「ぐっ……」


 ぐらりと、床を掴む靴裏の感覚が歪む。

それは、歩行する地震のような存在だった。

それが動くだけで無数の衝撃波が発生し、存在しない地震を壊れた三半規管が捕えて並行感覚が消えてゆく。

屋内の狭い空間だからこそ、その衝撃は更に複雑に絡み合い、僕の平衡感覚を強く攻撃してくる。

衝撃波による揺れと三半規管が誤認した揺れとが、ぐちゃぐちゃに混ざりあう。

超音速の攻撃を防御しながらの回復では間に合わず、ついに僕は床を掴めずに衝撃を受け、空中に放り出される。


「しま……っ!」


 僕の糸罠の空間設置は、正常な空間認識能力があっての事。

三半規管がイカれた今、繊細な罠の設置はできない。

無防備になった僕は、即座に防御を固めることに決定。

全身に分厚い糸の鎧を身にまとうのと、赤光が走るのとは、ほぼ同時だった。


 赤い、ひかり。

全身が、バラバラになりそうな衝撃。

吹っ飛ばされ、背がどこかにぶつかり壁を破壊するのを感じた。

そのまま衝撃が複数回、恐らく壁をぶち抜いてどこかに叩きつけられ、ようやく体が停止する。


「う、ぐ、がはっ……!」


 血反吐をぶちまけながら、震える体で鼓膜を再生、三半規管を正常化する。

なんとか立ち上がり、土煙が上がる中索敵糸を広げつつ糸剣を構える。


 想定外の強さ。

はっきり言って速度に長けるフェイパオは、開けた屋外の方が強いと思っていた。

しかし屋内での戦いだと、今度は反響するソニックブームが重なり合いこちらの感覚を奪ってくるとは、予想外だった。

そしてそれが、片目を失った現在のフェイパオと噛み合った戦場だというのは、何の皮肉か。


 土煙が収まると、ここが先ほど同じ白い通路であることに気づく。

見れば僕は階上に叩きあげられるように天井をぶち抜いてここに飛ばされてきたようだ。

それにすら攻撃されている最中は気づかなかったというのだから、削られていた平衡感覚の大きさが分かるというものだ。


 どうするか、その対策を思いつくよりも早く、視界に赤光が煌めく。

一撃で真っ直ぐ心臓を狙ってきたそれを、糸剣で叩き落し……。

そこで、カチリと何かが噛み合った音が、聞こえたような。

そんな気がした。


「……?」


 遅い。

赤光を伴いながら襲い来るフェイパオの姿が、スローモーションで見えるようになる。

反撃で何処を切れていたのか先ほどまで見えていなかったが、彼女の左腕はもうボロボロで使い物にならないぐらい。

右脇に軽く、頬に深く剣戟の傷が残り、結構な量の出血の痕が垣間見える。

案外ダメージを与えられていたのだとぼんやり思いながら、次ぐ突進しながらの正拳を、半身にかわしつつ切っ先をその喉に向けた。

辛うじてスウェーして回避したフェイパオ。

そのまま地面に倒れつつ跳ね上がるように爪先を蹴り上げてくるので、半歩引きつつ剣を振るいその足を切りつける。

浅く、血飛沫が跳ねる。


「これは……」


 距離を取ってから跳躍、数十メートル上の天井を蹴りながら僕の背面に着地、凄まじい蹴り脚を放つフェイパオ。

僕はフェイパオが天井に向かって跳躍した時点で、既に糸罠を作り始めていた。

咄嗟に作り上げた空中の滑走路に剃って、フェイパオの蹴りがズレて空振った。

その頃には僕の反転が間に合っており、回転しながら振るっていた剣がその喉を狙う。

ボロボロの腕が回転しながら糸剣の側面を叩き弾こうとする。

しかし。


「……いける」


 糸剣は九十度切っ先を組み替えられていた。

それだけならば叩こうとするフェイパオの腕に少し食い込むだけなのだが、その切っ先はチェーンソーと化していた。

細かい刃がその切っ先を回転しており、側面を叩くつもりだったフェイパオの掌の肉を巻き込み食いちぎる。

僕は糸チェーンソーを捨てつつ、一歩踏み込もうと動く。

それよりも速くフェイパオが後退しようとするも、糸チェーンソーは既にその持ち手が解け、あたりの空間にあらかじめ設置された糸を経由して床や壁に固定されていた。

手に食い込んだチェーンソーの予想外の応力に、フェイパオがたたらを踏む。


 踏み込んだ姿勢のまま、空の手を剣を持つ姿勢で振り上げる。

その手が振るわれ終わるより速く、手の中に糸剣が生み出され、生成される切っ先がフェイパオの脇に辿り着き、食い込んだ。

フェイパオの目が、生理反応で見開かれる。


「……終わり、だ」


 全身の筋肉が躍動する。

脇から食い込んだ切っ先が、フェイパオの肉体を切断。

そのまま斜めに切り上げられ、心臓を切り裂きながら鎖骨を辿って切断、脇から反対側の肩口へと切り抜けてゆく。

振りぬいて、一瞬の静謐。

噴水のように血が吹き上がる。

目を見開いたままの顔と、糸チェーンソーが食い込んだままの左腕だけを残し、その下の体が倒れていった。

遅れ、糸チェーンソーが消え、顔と左腕も床に落ちた。


 血と脂の、濃い匂い。

凍り付くような温度に、フェイパオの臓腑から湯気が上がり始める。

自身の呼吸音をBGMに、残心。

終えて、大きく呼吸をし体から緊張を抜いてゆく。


「……これは……僕の、反応速度が、上がっている?」


 掌を、見つめる。

その際の感覚が、"それ"を僕に知らせる。

僕の神経に"運命の糸"が使われていた。

否、それだけではなく、恐らくは……脳髄の一部にさえも。

"運命の糸"。

概念上の物質であり、通常の物理法則を超越した、恐らくは本来の神経系を超える反応速度をもたらしたモノ。


「……僕が全身を再生するとき、そこに僕の肉体はもうなく、僕は1から自分を生成した……」


 それ自体は可能だ。

魂の術式による回復は、魂に含まれた情報を元に物質を生成し、欠損を補うような理屈になっている。

肉体や細胞自体が持っている再生能力の強化もするが、それはあくまで生成した物質との結合をさせるための補助機能に近い。

だから僕は術式によってタンパク質や脂質を合成し、自分を自己再生した。

考えようとする僕自身が既に死んでしたので、死ぬ前に自分の魂と魂が持つリソースに命じる事で、死後に自動発動させる形で。


 だが、余りにも咄嗟で、僕は自己の再生を子細に指定するのではなく、かなりファジーな指定で再生させることになった。

元となる魂の情報に沿っている事は間違いないだろうが。

効率、或いは性能向上のため。

それは完全に同一の物質を生成して利用するのではなく、一部は代替部品である"運命の糸"を使ってしまったのではないだろうか。


「……元々、一部は使っていたが……」


 かつて僕は、自分で自分の首を切断し、アタッチメント化した。

その接合部は運命の糸を使って作られており、つまり僕は自分の神経系を一部"運命の糸"で作り替えていた。

そしてそれは運命転変で都合よく指定した可能性であったが故に完全に動作しており、僕は神経系を"運命の糸"で代替する方法を、自分の魂に記録していたとも言える。

そして、それがかつての強敵であるナギへの対抗手段になったという事も。

……無意識にアキラを強敵と捕らえた僕自身が、過去の経験を元に自己再生をした、とでも言うのだろうか?


「……そしてそれが……超音速級のフェイパオが相手だったから、その速度に慣れてきて感覚が噛み合い、高速思考が使えるようになった……」


 と。

口にしていて、あまりにも都合が良すぎる。

悲しいことに僕の人生を辿ると、僕にとって都合の良い偶然というのは殆どなかった。

それを考えると、これはもしかしてアキラの予想通りだというのだろうか?

敵を強化するのが、本当に?


 疑心暗鬼になりつつある内心に、僕はため息をつき頭を振った。

敵地に単身カチコミを入れてから考える事ではない。

いわば賽は投げられた状態なので、今はこのまま前に進むしかないだろう。


 僕は、フェイパオの頭蓋に近づき、膝を落とす。

見開かれた目と、視線があった。

好きな……僕でいう"ここ"のように大切に思っていただろうアキラに、使い捨てにされた哀れな僕の実母。

はっきり言って僕の敵以外の何物でもない女で、一般人の被害者も出している最低の敵だったのだが……不思議と、心の底からの嫌悪は湧いてこなかった。

その目を見つめ、そっとその瞼を閉じてやった。

数秒、瞑目。

祈る事も他に思いつかず、ただただ死後の安息だけを祈る。


 立ち上がり、一呼吸。

幸い消耗はそこまでではない。

一撃でかいのを貰ってしまったが、まだナギが引き連れる魂は残っているし、序に言えばミーシャが引き連れた魂も幾つか再生エネルギー用として確保しており、余裕がある。

アキラに対する怒りを強めつつ、僕は彼女の遺体に背を向け、走り出した。




*




「SMAAAASH!!」


 咆哮と共に、アリシアは渾身の拳を繰り出した。

拳は目前の巨体、牛魔王のひざ下に激突。

衝撃。

弾ける空気がアリシアの赤いマントをたなびかせ、数千トン以上と見られるその巨体が弾かれていった。


「痛ぇのぉ……このチビィ!」

「ふふ、牛魔王クンと比べれば誰でもそうさ!」


 確かに数メートル後ずさったはずの牛魔王は、しかし然して効いた様子を見せていない。

内心の苦い物を面に出さず、HAHAHAと不敵に笑いながらアリシアはファイティングポーズを取る。


 アリシアの固有術式は、"拳乱豪嘩の士"。

華々しく派手に振舞えば振舞うほど、拳を用いた肉弾戦が強くなる術式。

つまるところ、アリシアはそれをスーパーヒーローっぽく振舞えば強くなる、コスプレ術式なのだと認識している。

人類滅亡の危機に英雄として出陣した今、アリシアの強化率は間違いなくこれまでで最大。

本来の位階に倍する力を発揮し、純粋な性能で言えば目の前の牛魔王と互角のはずだが。


(さすがにちょっとデカすぎるよ! 龍門さんに引き取ってほしかったなぁ!

 ゴジラよりデカいじゃないかコイツ!)


 巨大な質量とは、それ自体も武器となる。

全長約100メートル、体重は推定数千トン以上。

幸いと言っていいのか、彼の術式はその自身の質量を支える恒常術式に殆ど使われているらしく、肉弾戦しかできない。

しかし恐るべき質量はそれだけでも恐ろしい兵器となり、アリシアの渾身の拳でも然して効いているようには見えない。


 牛魔王の名の通り、牛頭とツノを生やした彼は、徒手の戦いを得意とした旧魔王である。

紀元前に二郎真君が、聖剣――ほぼ槍だが、慣用句としてこう呼ばれる――三尖両刃刀を用いて討伐した、人類滅亡の要因であった。

二郎真君がどのように牛魔王を討伐したのかは、事が紀元前が故に記録に残っていない。

これをどうやって倒したんだと内心愚痴りつつ、それを面に出さずに不敵な笑みを浮かべる。


 悪寒。

咄嗟に飛び上がると、アリシアの居た部分に牛魔王の拳が突き刺さり、地面を砕いていた。

積もった雪が砕け地面が見えているのに内心顔を引きつらせつつ、アリシアは笑った。


「HAHAHA、扇風機の親戚にでもなったつもりかい? ブンブン回ってさぁ!」


 そのままアリシアはマントをたなびかせ、空中飛行を開始した。

それっぽいコスプレをしているうちに出来るようになった飛行は、小回りが利くものの速度はそれなりという所か。

きちんとこちらの位置を捕えている牛魔王の視線に悪寒を覚えつつも、次々に襲い来る拳を曲芸飛行で回避する。

幾度か捕まりそうになるも、そのたびに援護の白い光線が飛び交い、危機一髪で回避に成功。

そのまま背面に回り込み、一気に全身に力を込める。


「SMAAAASH!!!」


 渾身の蹴りが、牛魔王の延髄に激突する。

悲鳴を上げながら、牛魔王はヨタヨタと数歩前に。

しかしそこで踏みとどまると、ギロリと怒りの視線をアリシアに向けた。


「結構……やるのぅ。聖剣なしの二郎となら……お前の方が強いかもしれんなぁ、女ぁ」

「……タフだなぁ。プロテイン沢山取ってる?」


 流石に効いているようだが、十分に我慢できるようなダメージだったらしい。

地に足をつけるより攻撃力が下がる空中攻撃だったとはいえ、その程度で済まされてしまうのか。

皮肉気に笑ってやりながら、内心でアリシアは引きつった笑みを浮かべた。


「フン……。しかしこの時代、ワシは正直ロートルじゃの。

 生前とほぼ同じ力が出せるが……。

 これほどまでに準勇者級の輩が多いとはの」

「……ふふふ、お褒めにあずかり光栄だね」


 ちらりと辺りを見やる牛魔王に、アリシアも一瞬意識を周囲にやる。

戦場はおおよそ四か所に別れていた。


 ゴーレムの軍勢と人類軍の戦い。

ここは辛うじて人類軍が優勢だが、他の魔王戦の余波が大きく予断を許さない。

特に旧魔王との戦場に近い地点では、牛魔王の特大パンチだの、白き竜の溶解鉄の吐息やらファーブニルの毒の吐息の余波を、ゴーレムを盾に防ぐ戦場となりつつある。


 アリシアvs牛魔王。

もっとも巨体である牛魔王は味方との連携がしづらく、必然やや離れた戦場での戦いとなる。

最大規模である牛魔王の攻撃が味方に飛ばないよう気を遣う必要もあり、神経に来る戦場である。


 シャノン、ガスパル、ニーナ、ヒマリvs白き竜、ファーブニル。

シャノンは"赫の竜鱗者"を発動し赤竜人化しながら、継承した聖剣を疑似発動しつつ白き竜と。

ガスパルは辛うじてファーブニルの前に立ち、ニーナは後方から弓と杖を用いて主にガスパルを支援。

ヒマリは二体の魔王の間で両方に攻撃を仕掛けて、劣勢の三人をどうにかフォローしている。


 そして最後の戦場。

ミドリは龍門に背を任せて遠距離攻撃で他の戦場を支援。

龍門は恐るべきことにミドリの護衛をしつつ、羅刹王、茨木童子、魔王とミーシャの影の四体の旧魔王級を相手にして優勢を保っていた。


「……今代の勇者は桁違いじゃの。そこそこいい歳なのに、あの強さか。

 魔王とやらも最弱状態でワシらと同程度とかふざけた女じゃと思ったが、それを倒した勇者もイカれとるな」

「困ったことに、そこには同意せざるを得ないかな……」


 思わず遠い目をしてしまうアリシアだが、すぐに気を取り直して拳を構える。

勇者龍門のレベルが数段上なのは今に始まった事ではないし、旧魔王相手に戦う現状それに腐っている暇などない。

それに小さく笑うと、牛魔王もまた拳を握り構えをとった。


「しかしまぁ、死後のワシがまた心躍る殴り合いができるとは、あの痴れ者の言葉に乗って良かったわい!

 満足いくまで戦ってもらうぞ!」

「フフフ、私は州国が誇る星の英雄! かの牛魔王にそこまでラブコールを受けてしまえば、手を取って踊るのもやぶさかではない!」


 アリシアは、内心の澱を押し流し、熱く燃え盛るような笑みを浮かべた。

思考を、熱に浮かす。

術式の性質上、アリシアは冷静になってしまうとむしろ強化率が下がり弱くなってしまう。

アリシアはむしろ地に足つけず、演技に心の底から入って、ふわりと浮かせた思考で戦うのが、一番強い。

興奮に、髪色のごとく白い肌が赤く火照る。

じんわりと浮く汗がアリシアの全身に熱を回す。

燃え盛るような力の奔流と共に、アリシアは再び空を駆けた。




*




 シャノン・アッシャーは、連合盟主国の貴族である。

かつて聖剣と共に白き竜を討った勇者アーサー王の子孫であり、また彼が残した聖剣を疑似的に覚醒させられる力の持ち主だった。

その固有は"赫の竜鱗者"。

赤い竜の力を呼び覚ますそれは、シャノンを竜人化させる。

白いドレスアーマーから覗く四肢は肘・膝近くまで赤い鱗に覆われ、その瞳は縦に割れた金色の瞳孔となり、シャノンは人型の竜と化していた。


「GRYUUUUU!!」

「がぁあぁあぁッ!!」


 白き竜の咆哮の衝撃波を、シャノンの咆哮がかき消す。

膝上のスカートが、風に揺られ囂々とはためいた。

その手に持つ継承聖剣が、呼応するように薄っすらと青白く、輝きを放つ。

赤青の光を残しながら疾駆、竜の爪を掻い潜った聖剣の一撃が竜の腹を抉る。

即座に後退、しかしそこに竜の牙が避けられない速度で迫り……。

同時、白き竜の巨体が大きく吹っ飛ぶ。

ヒマリの拳が、実にあっさりと竜を殴り飛ばしたのである。


「シャノン、後退が迂闊!」

「すみません、助かりましたわ!」


 叫んで返し、深く呼吸。

改めてシャノンは、相対する白き竜を観察する。

鱗のないぬめりのある肌。

その翼はどこか昆虫の物じみた虹色の翼膜で出来ており、最も竜らしくない竜と呼ばれる事さえある。

その腹部、シャノンが竜の腹を裂いた一撃は、既に塞がり始めている。

一方で肩の辺り、飛んできたヒマリが殴りつけた傷は明らかにまだ残っており、動きを見れば一時的に竜の関節可動域が減っているようだ。


(切傷と打撲、再生しやすいのは前者ですが、それにしても……)


 聖剣を疑似覚醒させたシャノンとヒマリの位階差は、僅かにヒマリが上という程度。

しかし自己強化の固有を全開にしているシャノンと、素でそれと同程度の力を持ち更に固有を使いこなすヒマリとでは、明らかにヒマリの方が強い。

ヒマリの"よろずの殴打"は、竜の表皮の防御を無視して内部で炸裂し、強烈なダメージを残していた。


 視界の端では、ガスパルがニーナの援護を受けながらファーブニルに立ち向かう。

チェインメイルの輝きを、ファーブニルの銀の爪が引き裂き……否、すり抜けてゆく。

ガスパルの位階はこの中で最下位、最も弱い基礎能力でありながら、その固有"異邦人"は非常に強力である。

彼は別次元の固有空間を持っており、敵の攻撃を食らう瞬間、自分の体をその空間に避難させ攻撃をすり抜ける事ができるのだ。

それも次元すり抜けは自動発動しており、相手の攻撃を捉えられなくとも効力を発揮する。


 ガスパルの攻撃はさほど効果を為していないが、常にファーブニルの視界を遮る立ち位置を維持。

同時に光学系の術式で味方からは自分が半透明に見えるよう調整しており、相手の視界だけを遮る事に成功している。

攻撃も所謂ハラスメント攻撃としては成立しており、竜の攻撃の合間を狙いその急所を狙って攻撃を仕掛けていた。


 ニーナの固有術式は"冬の帳と歩む者"。

天候、主に雪や風を操る戦場の支配者であり、同時に今の雪に慣れていない多国籍軍では実質固有を封じられたようなものだ。

弓矢と、杖を使った冷気の攻撃で上手くガスパルをフォローしているが、それでも力足りず大きく劣勢。

そも、この二人だけでは火力が足りず、毒の吐息を吐く事を許せば、それだけで全滅しかねない状況だ。


 つまるところ、シャノンもガスパルもニーナも、劣勢。

その戦場を辛うじて成立させているのは、二階堂姉妹によるフォローがあってのことだ。


「あー! 忙しい!」


 叫びながら、二階堂ヒマリが息を大きく吸い込んだファーブニルの顎を、蹴り上げた。

竜の巨体が体ごと弾かれ、口から零れる不完全な毒の吐息の飛沫が飛んだ。

その行先には白き竜がおり、咄嗟にその虹色の羽を広げ、防御の結界を張る。

その隙に、シャノンの聖剣が白き竜の腹部を深く抉った。

ギロリと、白き竜がシャノンを睨みつけるのと同時、二連続の衝撃が響き渡る。

一度目は、ヒマリが飛ばした"殴打"が白き竜の結界を破る衝撃。

二度目は、ヒマリの"殴打"が、結界に張り付いたままだった毒の吐息を、選択的に殴った音。


「GYAAAAA!?」


 一拍遅れ、白き竜の絶叫が響き渡る。

続き、白い閃光が数回煌めく。

白き竜に集中したヒマリをファーブニルの爪が狙おうとしたが、それを遠方のミドリの光線が阻止したのだ。

絶叫する白き竜に、駄目押しとシャノンの聖剣が輝きを増した。


(ここは、押すべき!)


 決意と共に、シャノンは前に疾走。

暴れる竜の爪が彼女を狙うも、それもミドリの光線が撃ち落し、竜が体勢を崩した。

全霊を込めて聖剣を振り上げ、白き竜の前足に叩きつける。


「     !!!!」


 擬音で表現しがたい、奇怪な甲高い悲鳴。

片前足を切り裂かれ暴れる白き竜に、シャノンは姿勢を低くし斜め前に抜けてゆく。

直後襲い来る尻尾は、跳躍し回避。

幾本かのミドリの援護の光線に守られつつ、そのまま走り抜け竜と距離を取ってから改めて正対する。

息を荒くしつつも、胸を張って叫ぶ。


「やーりましたわ! 見たかこのクソカスナメクジトカゲ!!」

「罵倒の種類がスラングすぎる……」


 ヒマリがポツリと呟くが、戦場の轟音にかき消され、当人以外の誰の耳にも届かなかった。

足を一本失った白き竜は、しかしゴロゴロと喉を鳴らしながら、その戦意をまだ失ってはいない。

されど劣勢だった戦場は、徐々に人類側に形勢を傾け始めていた。




*




 そして龍門は、既に勝利の目前だった。


「いや、ちょっと嘘じゃろお前……。影がもう死んでるんじゃが……」

「……これが、今代の勇者……化け物か?」


 冷や汗をかく茨木童子と羅刹王の前、二人と同等の力を持っていた魔王とその娘の影は、その首を落とされ心臓を貫かれ、朽ち果てていた。

その手の正当なる聖剣は、未だその光を完全開放しておらず、未覚醒の状態である。

それはかつて、当時の聖剣の覚醒を見た二人にとっては自明の理であり、同時に最も恐ろしい絶望でもあった。


「強敵と戦えると聞いてあの下郎に従ってやったが……いやちょっと強すぎじゃないか?」

「我が腕も、最早半分以下か。笑うしかない力の差よ」


 茨木童子は血だらけで、羅刹王はその20本の腕の半分以上を無くしている。

対し白いシャツと黒いスーツに黒いトレンチコートをたなびかせた、喪服を思わせる服装の龍門。

その長髪もまた黒く、その髪を束ねる青いリボンと聖剣だけが、白黒の服装に色を差している。

つまるところ返り血一つ浴びないままの彼に、茨木童子と羅刹王は引きつった笑みを浮かべた。


「……四死天の生前と、同程度か。

 未熟だったころ、多くの魔将と同時に相手をした時ならまだしも、旧魔王だけが相手なら容易いな。

 七体一になって初めて、敗北の可能性が出来る程度か」

「いやそれは嘘じゃろ……嘘じゃよな……?」


 絶望のあまり引きつった笑みを浮かべる茨木童子に、単なる独り言だったので然したる感慨も見せず、龍門は改めて聖剣を構えた。

深く息を吸う。

応じて泣きながら後退する茨木童子を無視し、羅刹王に突進。

聖剣に渾身の力を込めて袈裟に振るい、その奇跡に光波を発生させる。

かつて10km先の長谷部ナギにさえ十分な殺傷能力を維持して辿り着いた攻撃は、防御姿勢を取った羅刹王を切断。

先に腕を半分以上落としておいたのが功を奏したのか、完全な絶命まで辿り着かせる。

そのまま超速度で地をかけ、逃げ出そうとする茨木童子に向かい剣を構え。

涙と鼻水を零しながらも、茨木童子が叫ぶ。


「神話再現:一条戻り橋!」


 それはかつて起きた歴史を再現する秘術であった。

かつて茨木童子は、勇者として覚醒した渡辺綱を騙し打ちしようと、か弱い女を演じ一条戻橋の上で彼を襲い山に連れ帰ろうとした。

しかし綱の聖剣髭切にてその腕を切断され、綱の拉致には失敗するも、そのまま逃げ去る事には成功した。

それは神話再現の術式によって、因果を逆転し運命を改変する。


<茨木童子は勇者である二階堂龍門を襲撃し、その腕を切断されるが、そのまま逃げ去る事には成功する>


 そのように因果を組み替えられた事象が効力を発揮しようとして。


「……弱い」


 聖剣が、それを凌駕。

振り下ろされた青白い光が、一太刀でその神話再現術式を破壊。

ガラスが砕け散るような音を残し、砕けた運命が消し飛んで行く。

引きつった笑みを浮かべる茨木童子と、殺意に満ちた龍門の視線とが、絡み合う。

返しの太刀が、硬直した茨木童子のそっ首を、跳ね飛ばした。


 聖剣は、人類存続のための未来の適正をすら当てはめ、あらゆる存在にその貢献度を明らかにする。

それはつまり、聖剣には運命を観測する能力があるということだ。

それでも通常は使い手のスペックが追い付かず、運命のようなあやふやな物に効力を発揮することはできない。

だが、龍門はその剣の腕も凄まじいが、何よりユキオの運命改変能力を何度もその目で見てきた経験があるのだ。

故に運命転変の、同系統下位の能力である神話再現は、容易く切り裂く事が出来た。


「髭切は、かつて骨董品のそれを触ったことがあるので思い入れはあるが……。

 茨木童子の方は、特に何の感慨もなかったな。

 ……さて、次は……牛魔王あたりか?」


 呟きつつ、龍門は剣を振って血振りをしてから、辺りを見回す。

白き竜とファーブニルは、徐々に人類側が押しているが、予断を許さない。

アリシアは牛魔王相手に善戦しているが、なんとか戦線を維持している形に近い。

近づいてくるミドリを白き竜とファーブニルに専念させ、龍門は牛魔王を担当する、そんなところか。

そこまで龍門が思考した所で、急に空に大画面の映像が映し出された。


「何だ? あれは……」

「……薬師寺アキラと、兄さん?」


 それは基地の奥地にあるであろう広間だった。

幾つか壁を取っ払ったのか、一辺50メートルはあろうかという大部屋。

その中心にある豪奢な椅子に、薬師寺アキラは腰かけていた。

対し引きのカメラが捉えるのは、部屋の入口らしきところを開き現れた、ユキオである。


『……数日ぶり。だが個人的には、とても長らく感じたよ』

『……こっちは一日と少しって感じだが。全く待ち遠しい感じはしなかったな』


 ねっとりと粘ついた声のアキラに、冷たい声でユキオが吐き捨てる。

目を細め微笑みを浮かべつつ、アキラはゆっくりと、大きく舌を出し唇を舐めた。

ねちゃりと、粘着質な音が響く。


『ふふ、楽しみだった……君とまた出会える事を思うと、本当に……胸が高鳴るんだ』

『そいつに邪魔だったから、フェイパオを……あの女を切り捨てたのか?』

『あぁ、キチンと遭遇したかい? 魂の術式と死霊術式との合わせ技だったが、どうだったかな?』

『……下種が』


 凍り付いた声、その手に青白い輝きが宿る。

運命の糸が、編み込まれその形を作る。

龍門の手にあるものと酷似した、聖剣の形をした糸剣。

聖剣の偽物と、ユキオが自嘲するそれ。

自身と同じ見目の剣を手に持った彼に、龍門は目を細めた。


『……私は、ユキオ、君が好きだ。愛している』


 出し抜けに、アキラが告白した。

うわぁ、と隣でミドリが引きつった笑みを浮かべた。


『初恋、だ。妻は……アレは、契約結婚で、そういう物ではなかった。

 君を想うと、いつもドキドキして……君の事以外が、考えられなくなってしまう。

 今君にそれを伝えても、十分な気持ちは伝わらないと思うが……、それでも知ってほしかったんだ。

 今の私の、君に対する気持ちを』


 言葉面は、初心な乙女にも似ている。

しかし中年男のねっとりとした声質で、自身の血のつながった息子に告げるその言葉は、それを聴いた戦場の面子全員を絶句させるほどの衝撃に満ちていた。

相対するユキオは、凍り付いた顔面に、僅かながら呆れの色を見せる。


『人を爆死させておいて、何を考えているんだ?』

『あれは、必要なことだった。何よりも、キミに』

『少しDVっぽい言い方で、笑ってしまうな。賢者の賢さとやらは、自分を客観視することはできないのか』


 冷笑と共に、ユキオが腰を低くし糸剣を構えた。

同時、アキラがパチンと指をはじく。

すると一瞬で画面の風景は切り替わり、ユキオとアキラは、辺り一面の草原の上に立っていた。

まるで映像編集でもしてみせたかのような、一瞬の出来事だった。


『……"時間の総舵手"の応用、空間転移か』

『ああ。ここは私の作った、疑似宇宙の中心部……疑似地球だ。

 場所は皇国の皇都西の山中さ。

 もっとも、人類のいない疑似宇宙では自然そのもので、かつ1/10スケールというところだがね』


 映像を見て、龍門は歯噛みする。

宇宙崩壊術式の根本、確かにアキラの気配が感じられていたそこから、その気配が掻き消えていた。

そこが本当に疑似地球とやらかどうかは分からないが、どこかに空間転移したことは間違いないだろう。

さっさと旧魔王を倒してアキラと決着を付けたかったのだが、そうは行かないようだった。


『さぁ、始めようか……。お楽しみの時間だ』

『こっちも、全く心の痛まない敵は久しぶりでね。

 ……久しぶりに、殺す事だけを考えられる』


 かつてナギやミーシャと戦った時に比べ、ユキオの悲壮な決意による凄絶な殺意は薄れている。

しかし、代わりにその殺意の純度というべきものは上がっており、映像越しでも背筋が凍るような、凄まじいプレッシャーが放たれていた。

戦いが始まるの火ぶたを切って落とそうというのに、龍門は我に返る。


「……見ているだけではいかん、私も旧魔王を倒して、合流せねば……」

「ん、とりあえず近くに行って、兄さんの援護の方法を探さないと……」


 と。

二人が旧魔王の殲滅に動こうとした所である。

空から、白い閃光が四つ降り注いだ。

龍門らを囲むように地面に激突した地点から、光が薄れるにつれ四つの人影が生まれる。


「いや~、復活できるって聞いとったけど、マジなんじゃな」

「貴様はまず敵前逃亡を恥じろ……」


 それは、先ほど龍門が消耗させてから順に殺した、旧魔王級の四体。

赤銅色の肌に長い金髪、空色の衣に身を包んだ角の生えた鬼女。

20の腕に武器を持った、全長10メートルはある巨人。

そして黒髪にドレスの女と、メイド服の女性。

茨木童子、羅刹王、そして魔王とその娘の影であった。


「……ミーシャの魂の術式は、同じ魂の術式でなければ、再度の復活は防げない、か」

「本人、疑似地球とやらでドンパチしてる。……ある程度自動化してそう。

 相手のリソースも無限じゃないだろうけど……これは骨が折れる」


 珍しく、ミドリが焦りを顔に浮かべながら呟く。

龍門は兎も角、他の面子は復活し続ける旧魔王に安定して勝ち続けるのは難しい。

絶望的な状況であり、ユキオの援軍に行くどころか、こちらがアキラの軍勢に勝てるかどうかすら怪しいところだ。

龍門は内心舌打ちしつつも、手に持った聖剣を改めて構えなおすのだった。



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