第39話 簡易冷蔵庫の公開

 この二年で、塩、干物、宗田節、荒節、そして乾燥昆布と海産物は順調に生産され始めた。しかし、いまだに解決していない問題もある。それが鮮魚の流通だ。温度管理もなく五時間近くかけて運ばれてきた魚を食べたいとは思わない。


 羽ペンの羽の部分で鼻先をコチョコチョしながら、どうすれば新鮮で安全な魚を手に入れるか考えていた義行はふと思い出した。


「そういえば、イチゴの子株こかぶって根付いたかな?」

「昨日水やりに行ってきましたが、揺すっても動くことはありませんでしたわ」

「じゃあ回収してくるか。ノノ、シルム、この後の予定は?」

「今日は作物の状態観察とマニュアル作りですわ」

「それなら、午前中に終わらせよう」


 義行たちは納屋から荷車と運搬用の箱を取り出し、イチゴの群生地へと向かった。

 到着して、義行もランナーをつついてみる。


「問題なさそうだな。じゃあ、ランナーを切って箱に詰めていって」


 うまく根付かないものもあると考え八十鉢準備したが、全てうまく根付いてくれた。


 数十分で作業を終わらせ屋敷に戻った。


「どこに保管しますか?」

「直射日光が当たる場所はよくないから、森の入り口辺りに台でも置いて半日陰はんひかげ状態で十月まで保管しよう」


 午前中は、この作業であっという間に過ぎていった。

 昼食後、今後の作付け予定を考えているとクリステインがやってきた。


「魔王さま、申し訳ありません。父がマヨネーズの件で相談したいことがあるそうです。お手数ですが工場まで来ていただけませんか?」


 ニワトリを移動させて三週間近く経ち、孤児院の移転も終わっているので人的な問題ではないはずだ。道具か味の相談だろうと思い、一旦作業を中断して義行はマヨネーズ工場へ向かった。


「なにか問題でもありましたか?」

「いえ、販売の準備が整いましたので、その相談です」

「もうそこまで進んでたんですね」


 思ったより順調のようだ。


「相談というのは、最終的な販売許可と値段です」

「ああ、自由に販売してください。ポーセレン商会の独自開発という形にさえなっていれば問題ありません」


 義行は、という部分を強調して伝えた。


「ちなみに、どのような販売にするんですか?」

「三種類の瓶に量り売りしようと思います。最初はこの小さい瓶で出して、お客の要望を聞きながら大瓶での販売も始めたいと思います」


 価格も適当なところを設定し、二日後の昼から販売開始する事が決定した。

 いよいよマヨネーズの販売が始まる。義行には大ヒットするだろう予感があるのだが、新しい調味料を国民がどう判断するのか楽しみだ。


 しかし、こんな時にかぎって立て続けに急ぎの仕事が入り、義行はマヨネーズ販売の初日に立ち会うことはできなかった。ただ、変な話も聞かないので、問題なかったのだろうと思っていた矢先のことだ。


「魔王さま、申し訳ございません。至急、お知恵を拝借できないでしょうか?」

「どうした、なにか問題でも起きたのか?」

「少々まずい状況になりました。店の方へお願いします」


 義行は急ぎ目の前の書類にサインして、クリステインとポーセレン商会に向かった。


 ちょうど店先では、ポーセレンさんとお客がやり合っている。客の手にはマヨネーズ入りの瓶が握られていた。


「ねえ、どういうこと? 買って三日しか経ってないのに変なにおいがするわよ」


 ポーセレンさんは、「ちょっとよろしいですか」と一言断わって、お客が持つ瓶を受け取りにおいを嗅いでいた。


「確かに、作ったときとにおいが違います」

「腐ってたんじゃないの?」

「いや、それはないと思いますが……」


 義行は気づいた。保存方法を伝えるのを完全に忘れていたことに。

 ただ、今はお客さんの怒りを鎮めるのが先だと思い、義行は威厳のある雰囲気を出しつつ、だが横柄にならないように話しかけた。


「お客様、少々よろしいでしょうか」

「はい。えっ、魔王さま?」

 義行は笑顔を心がける。

「実はそのマヨネーズですが、新商品ということで城の方にも相談があった商品でして、ご説明させていただいてよろしいでしょうか?」

「このにおいの理由を説明いたけますの?」


 他にも二名ほど瓶を持った主婦がいたので話を聴くと、似た内容だったため義行は一緒に説明することにした。


「このマヨネーズですが、保管する場所によって状態が悪くなることがあります。直射日光が当たる場所では劣化して、風味が落ちてしまいます。また、マヨネーズを掬う際、そのスプーンに水分が付着していてマヨネーズに混ざることもよくありません。他にも、蓋の閉まり具合が悪く空気と触れてしまうことも風味を落とす原因になります」


 瓶を持ってきた主婦たちは、昨日、一昨日の行動を思い出しているようだ。


「ごめんなさい。言われてみれば、昨日使ったあと台所のテーブルに置きっぱなしだったわ。日光に当たってたと思う」

「うちは、子供が使ったあと蓋がちゃんと閉まってなかったかも」


 三人とも思い当たることがあるようで、乗り込んできたときの怒気はすっかりなりを潜めていた。


「今回の件、販売時に説明するよう指導するべきところ見落としておりました。ですので、このマヨネーズはこちらで引き取り、代わりのマヨネーズをお渡しいたします。お手数ですが、もしご近所の方でマヨネーズを買われた方がいましたら、今の話をしてあげてください。もちろん、新しいものに交換もいたします」


 三人に新たな瓶を渡してもらい、ポーセレンさんには販売中のマヨネーズを一旦回収してもらった。


「ポーセレンさん、申し訳ありませんでした。私の説明不足です。交換に要したマヨネーズ分は城に請求してください。弁償させてもらいます」

「魔王さま、これは我々の落ち度です。食品を扱うと決めた以上、販売前だけではなく、販売後の保管についても気にかけるべきでした。ですので、交換にかかる費用は全て当店で持ちたいと思います」

「いえ、それはダメです。食糧増産だけを考え、説明が疎かになっていた私の責任です。ですので、城の方へお願いします」


 人によっては、『お前が悪い、責任取れ』と一方的に振舞う者もいるが、この二人は自分の責任だと譲ろうとはしなかった。

 そんな押し問答が繰り返され、最終的に交換された数を見てからと判断しましょうということで決着した。


「このマヨネーズですが、開栓後も常温保存は可能です。ただ、冷暗所での保管がよいでしょうね。さっき説明したように、直射日光や水分の混入を避けることが重要になりますので、なんらかの方法で知らせてもらえますか?」

「ある程度認知されるまでは簡単な説明書きを付けるようにしましょう」


 それを聞いて、義行はこのタイミングで実行することにした。


「では、その説明書に追記は可能でしょうか?」

「なにをでしょう?」

「簡易冷蔵庫の作成方法です」

「冷蔵庫……ですか?」


 クリステインは、冷蔵庫の存在までは父親にも教えていなかったようだ。


父様とうさま。冷蔵庫とは、この夏場でも洞穴や地下の保存庫と同じくらいの温度で食品を保存できる装置のことです」

「そっ、そんな便利なものが?」

「実験を始めて一年ほど経ち、データも取れました。一般公開してもいいかと思っています。この冷蔵庫は、素焼きと釉薬うわぐすりのかかった二つの植木鉢で作れます。ポーセレン商会なら上手く広められるんじゃないかと」


 義行は、その場で冷蔵庫の作り方と原理を説明していった。

 いつの間にか店員たちが集まり、設計図やその作り方を議論している声が聞こえてきた。ここは、専門家に任せるべきと思い、義行はそれ以上の口出しはやめた。


 翌日のクリステインの報告で、次の日の昼の販売から注意書きがつけられたとのことだった。


 そんな事件のあった三日後のことだった。


「魔王さま、ご報告がございます」

「どうかした?」

「マヨネーズに関してですが、あの後二十人ほどの主婦がやってきました。マヨネーズの保管方法を説明すると、全員が思い当たるふしがあるということで納得して帰られました。もちろん、新しいものと交換もしております。そして幸いなことに、体調を崩したという者もおりません」

「そうか、食中毒が一番怖いからな。で、交換したマヨネーズの代金だが幾らになる」

「それについては、うちの賄いで消費しました。ですので、魔王さまから弁償いただく必要はございません」

「しかしな……」

「そしてもう一つの報告ですが、植木鉢の生産が間に合わずに、お客様から苦情が来ております。中には、作って売ってくれという相談が舞い込んでいます。その利益を考えましたら、逆に当家から売り上げの何割かをお支払いすべきではないかとの話も出ています」

「ほほう、冷蔵庫の需要はそこまで高いか」

「予想以上に」


 その後もクリステインと話をしたが、食料品を扱うことの怖さを痛感した義行であった。

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