第三話 虚を夢む 其の参

 叶の影、『ツッキー』が、うごめきながら大きくなり、楓子に迫る。

「避けて!」

「ちょっ…!? 待っ……」

 楓子が咄嗟に手を掲げる。だが、影でできた鎌は楓子の身長を優に超える大きさだ。到底防げない。


 その時…

「つっきー、止まれ!」

 叶が、その赤い瞳でつっきーを睨んだ。

 すると、つっきーは腕と思わしきものをぴたりととめ、叶の足元に戻っていった。


「へ……」

「ご、ごめん、驚かせちゃったよね…?」

 驚いたなんてレベルではない。一歩間違えば死ぬところだった。

「本当にごめん! つっきーは私に近づく人間を攻撃しちゃうから…」

「なにそれこわい…いや、叶は悪くないよ…」

「あ、そうだね! 私のせいじゃないもんね!」

「なんだお前…」


 予想外の反応に楓子は戸惑った。

 叶は半泣きで謝ってきたが、本気で反省している気がしない。

 まぁ、これ以上責めるつもりは楓子にはないが、少し彼女に興味があった。

 今まで、同じように幽霊が見えている人間になんて、あったことがなかったのだ。


「しっかしフー子ちゃん、よく今までカゲロウに襲われても死なずに済んだね…」

「カゲロウ…ってなに…?」

「へ?」


 楓子が聞くと、叶は間の抜けた声を溢した。

「え…なに『へ?』って…こっちが聞きたいんだけど…」

「いや、てっきり知ってるものだと…」

 叶は頭を掻いた。


「フー子ちゃん見えてるんでしょ? 街中にいるカゲロウアイツらのこと」

「あの、赤い目のばけも…」

「あ、ほらいるよ、あそこ!」

 叶は楓子の話を遮り、そう言って鎮守の杜を指差した。


「話は最後まで…ん…?」

 叶が指を向ける先…鎮守の杜の大木の上を、龍のような幽霊が浮遊している。

「な…⁈」

 その龍は、バス二台分ほどの長さに、二メートル弱はあるかという太さを持った巨体だった。

 目が血の塊のように赤い。幽霊達と同じ目。


 だが、楓子もこんなに大きなものを見たのは初めてだった。

「なにあの幽霊…でかすぎでしょ…」

「幽霊じゃなくてカゲロウね。ここ大事だから!」

 叶が人差し指を立てて言った。なんかむかつく。


「あれはここの "夏" を司るカゲロウだよ」

「な、夏…? ってかそれより、なんでアンタがそんなこと知ってるの…」

 楓子が不満そうに聞くと、叶は目を見開いて話し始めた。

「私は見えてる側のフー子ちゃんが呼び名すら知らないことに驚きだよ…てっきりフー子ちゃんも蝋折の家系なのかと…」

「蝋折? なにそれ」


 叶は、「本当に何も知らないんだ…」という目で楓子を見た。ぶっちゃけ殴りたくなった。本日二度目だ。


 だが突如、今度はカバのような幽霊…いや、カゲロウが、叶の背後に立っていた。

 直前まで気づかなかった。こいつも赤い目をしている。


「蝋折ってのは、カゲロウを認識できる力を持つ人間のことだよ。カゲロウは、夏の姿が具現化した妖みたいなものなんだ」

 そう言って説明を再開した叶に、カバは大口を開けて近づいていった。

 すぐには気づくことができなかったが、今理解した。このカゲロウは叶を食べようとしているのだ。


         …まずい。


「う、後ろ!」

「え…?」

 楓子は必死に叫んだが、叶は阿呆っぽい顔のまま、カバに上半身をかぶりつかれた。


「ぎゃああああああ!!!」


 楓子は思いっきり悲鳴をあげた。カバのカゲロウは、叶の体を飲み込もうと、さらに深く叶を咥えようとする。

 叶の体は、すでに六割がカバに咥えられている。


 やるしかない。叶をこのカバから助けないと…!

 だが、カゲロウの倒し方なんて、楓子は知らない。思い出せ座右の銘。こういう時はとにかく…


「おりゃぁぁああ!!」


 渾身のパンチ。楓子は力一杯カバをぶん殴った。………つもりだった。

「おふっ…」

 楓子の拳は、先ほどまでカバの口の中に収まっていた叶の顔面を殴っていた。

 楓子がパンチした瞬間、カバが叶を口から離したのだ。


 楓子の全力右片突きストレートを頬にまともに受け、叶は大きくのげそった。

 叶の体は宙を舞い、そしてコンクリの地面に倒れた。


「ご、ごめん!」

「フー子…ちゃん…」

 謝る楓子の顔を見ながら、叶は何かを成し遂げたような顔を浮かべていた。

「長生き…しろよ…」

 そう言って叶は、ばたりと力なく項垂れた。

「かっ…! 叶ぇっ!!」

 楓子は必死に叶の体を揺すっている。私が思いっきりぶん殴っちゃったから…


         …なんだこの茶番。


「なんだこの茶番」

 叶も楓子と同じことを思ったらしく、全く同じ台詞を言いながら、バタッと起き上がった。


 叶がカバの頭を撫でたところで、楓子は疑問に思った。あれ、こいつって危険なやつなんじゃなくて……?


「そいつ……いや、そのカゲロウ、危なくないの……?」

「うん? ああ、大丈夫だよ。こいつは基本無害だから。多分」

 叶はそう言って笑った。最後の一言が少々気にかかるが、叶にはめちゃくちゃ強い『ツッキー』とやらがいるから、大丈夫だろう。


「あれ……そういえば『ツッキー』って、叶の影なんだよね。カゲロウは夏が姿を持ったものなんじゃないの?」

 楓子はシンプルに疑問を投げかけた。


 その質問に、叶はにこりと笑った。

「うん、カゲロウは夏が形を持ったものだよ。でも、夏そのものの姿っていうよりは、人が持つ夏の思い出とか、感情が形を持ったっていう方が近いかな。まあそれにしても…」

「それにしても…?」

 楓子が興味深そうな顔で問う。


「この子は他のカゲロウとは性質が違うっていうか…」

 叶は言うべきだろうか…という顔を浮かべたあと、思い切った顔で言った。

「つっきーは元々、私のお姉ちゃんの影なんだ」

「えっ…?」

 いきなりの事に、楓子は少々驚いた声を出してしまった。


「夏は、人の心の中にもいるんだよ。それがカゲロウとして姿を現すんだ。その中でもつっきーは特別って言われてて、お姉ちゃんは茨木家では縁起がいい子だって言われてた」

 楓子は叶の顔を見つめ、静かにその話を聞いている。

「でも、お姉ちゃんは九年前に突然いなくなっちゃったんだ。夏が似合う、とっても明るくて優しい人だった。でも、何も言わずに消えたんだ………私その時のこと、なーんにも覚えてなくて」

 叶の表情は、話の内容とは裏腹に邪気のない笑顔だった。不気味なまでに。


「私の目的は、なんとかしてお姉ちゃんを探すこと! 何があってもつっきーがいるしね!」

 叶はそういって儚い笑顔を浮かべた。


「ふふ…それにしても、フー子ちゃんがつっきーに襲われた時は面白かったよぉ…」

 そう呟くと一転、叶は愉快そうな顔で言った。楓子はちょっと可哀想とか思ってしまったが前言撤回した。こいつ一回殴っていいだろうか。


「ってことで、私とつっきーは一心同体!ってわけ」


 それにしても、楓子は驚きの連続で、今日は疑問符ばかりだ。だが何よりも実感したのは…

「疲れる…」

「ん? なんか言った?」

「いや、なんでも…」

 叶と話していると妙に疲れる。数分喋っただけで、カロリーのほとんどを使い果たしたような気分だ。

 だが楓子は、不思議と悪い気持ちはしなかった。


「じゃあ、日も落ちてきたし、そろそろ帰るね」

 叶はそう言って、肩にカバンを掛け直し、立ち上がった。夕日を背景に立っている叶は、どこか人間離れした雰囲気を醸している。


「そうだね、じゃあまた会えたら」

「えぇ? そんなに私に会いたいのぉ?」

「殴るよ?」

「ごめんなさい」

 楓子が拳を作って見せると、叶は「やっべ」と呟きながら、足早に参道を歩きだした。

 だが、叶は何かを思い出したかのように振り返り、楓子のところに戻ってきた。

「忘れてた! 連絡先交換しよ! 楓子ちゃん携帯持ってる?」


 楓子は勢いに気圧されながら、携帯を取り出そうと鞄に手を突っ込んだ。

「持ってるけど…」

「私は今持ってない!」

「なんだお前」

 楓子は半ギレで叶の頬をつねった。

「いぃ、痛い痛い! ごめん嘘冗談!」

 叶が必死にもがきながら楓子から離れた。あんまり叶をいじるとまた『ツッキー』とやらに襲われそうなので、楓子も勘弁してやる事にした。


「ごめんって…ちょっとまってね…」

 叶は謝りながら、肩掛け鞄を開いた。


 楓子は気になったので中を覗いたが、中身を見た瞬間、「げっ」と声が漏れた。

 叶の鞄には、均等な大きさの紙切れが大量に入っていた。

「なにこれきも…」

「ちょっ…! 見ないでよ! てか勝手に見といてきもはひどくない?! 連絡先書いた紙持ち歩いてるだけだよ!」

「いやこんなにいらないでしょ……」

 楓子は久々にドン引いた。流石にこの量は気持ち悪い。


「ま、まあまあ。そういうことでこれ、私の電話の番号ね」

「あ、ありがとう……」

 叶はその中から一枚、紙切れを楓子に渡した。楓子は蔑んだ表情のまま、素早く紙切れをポケットにしまった。


「あ、あはは。気が向いたら掛けるね」

「あ、ありがとう。ふふふ、多分私出ないけど」

 楓子がもう一回殴りかかりそうな構えとったあたりで、叶が「冗談だって!」と命乞いをしてきた。


「ったく…初対面の他人に対してこんなにイライラするものなんだ…」

「え? まじ? ありがとう!」

「褒めてねえよ」

 調子に乗り始めた叶にツッコみ、楓子は踵を返した。


「…もう行く。じゃあね」

「えー? もういっちゃうの?」

 叶は残念そうな声で言った。

 楓子は一瞬足を止めたが、また歩き出した。今夜はHIASOBIが生放送に出るのだ。このままでは永遠に帰れない気がしたので、無理矢理にでも切り上げる事にした。


「またねぇ!」

「うん、また」

 叶の元気な声が参道で響く。楓子は名残惜しさもあったが、そのまま神社を後にした。


 正直勢い任せで、頭がついていけない。


 ほとんどましになった暑さだけが、独り歩く楓子の体に染み込んでいた。

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