第十三章(後編) 元凶
オレの心の声が通じたわけでもないだろうが、山口は再び憎悪の言葉を発し始めた。
「私が初めて人を呪ったのは、小学生の時だった。宿題を忘れた私をみんなの前で注意した担任の教師を呪ってやったら、一週間後そいつは交通事故に遭って重傷を負った。
その時に気づいたよ。私には特別な力があるってな。
それから私は次々と呪いをかけていった。私を苛めていたグループの奴らは、家が火事になったり親が破産したりして学校から消えた。中学の時に私を振った男は通り魔に刺されて死んだ。高校の時に私を見下していた学年一成績のいい男はノイローゼになって自殺した。全て、私が呪った結果さ。この世に私が呪えない人間はいないんだ。
だけど、どういうわけか、お前の飼い主には呪いが効かない。強力な呪いをかけた御守りを渡しても、あいつが通る道や利用する駅に呪符を貼り付けても、あいつは無傷のままだ。あの女の話を聞く限り、効果は出ているはずなのに、あいつは寸でのところで回避してる。何かがおかしい……何かが……。だけどその悪運もここまでさ。絶対にここで呪い殺してやる。ひひひひひ」
山口の持つ包丁が、闇の中に入っていく。直後、俎板の上の挽き肉に何かが滴り始めた。
匂いで、それが血だとわかった。
「死ね! 早く死ね! 今すぐ死ね!」
呪文のように唱えながら、山口は血を滴らせている。
「オラァ、クソ猫、お前も歌え。死ね、死ね、早く死ね。今すぐ死ね。頼むから死んでくれ。さっさと死ねよオラァ」
十滴以上の血を吸い込んだ挽き肉を、山口はまた叩いたり揉んだりし始める。
「これが、私が高校生の時に作り出した、
次に山口はガスコンロに火を点けて、フライパンを熱し始めた。
その中に、何色かよくわからない液体を入れた。
瞬間、逃げ出したくなるような悪臭が鼻の中に入ってきた。
本当に一旦二階に避難したいくらいだったが、不思議なことに、一分くらい経つと、悪臭は良い匂いに変わっていた。
火を止めたあと、山口はフライパンの中の液体を挽き肉の中に流し込んだ。
「おいクソ猫。今からレクチャーしてやるから、よく聞いておけよ。呪う相手の食べ物の中に、血や髪の毛を入れるのはよくあるやり方だけど、うまくやらないと異変に気づかれる。少量の血や尿なら混ぜても大丈夫だけど、大量に入れると誤魔化せなくなる。特に動物の糞尿を入れるとバレる可能性が高い。
でも呪いの効果を高めるためには、血や糞尿をたくさん混ぜないといけない。長いあいだ、私はもどかしさを感じていた。混ぜる血の量を増やしても異変に気づかれない方法はないかってな。
それで、長い時間を掛けて作り出したのが、このオイルさ。このオイルは熱することで、血と糞尿の匂いや味を完全に消せるようになるんだ。その食べ物本来の旨味を消すことなく、異変に気づかせない。正に魔法のオイルさ」
山口は笑いながら挽き肉をタッパーの中に詰め込んだ。
「この呪肉ハンバーグは、お前の飼い主に食べさせる分だからな。勝手に食べるんじゃないぞ。ああ、私も気を付けないとね。間違って呪肉ハンバーグを食べたら私が呪われちゃうよ。おー怖い怖い。さあて、私と他の四人が食べるちゃんとしたハンバーグを作ろうか」
山口は冷蔵庫から挽き肉や玉葱、卵などを取り出すと、鼻歌を歌いながら料理し始めた。
オレの身体は怒りで震えていた。
こいつ、育美にこんな物を食べさせようとしているのか。
いや、こいつの話だと、以前にも食べさせているようだった。しかも二度も。
許せない。
身体じゅうの血が沸き立つようだった。
怒りのままに、こいつの喉元に噛みつきたい衝動に駆られた。
だが、ぐっと堪えた。
今オレが優先すべきは、こいつが作ったアレを育美に食べさせないようにすること。
これは呪いの力を信じるとか信じないとか、そういう問題ではない。
あんな物、育美に食べさせて堪るか。
山口は、焼く前のハンバーグを次々とタッパーに詰め込み、冷凍庫の中に入れ始めた。
その光景を見て、オレは気づいた。
アレが入っているタッパーと、他の五つのタッパーの形が微妙に違うことに。
区別するためにそうしたのだろうが、オレにとっては幸いだった。この事実を、育美に伝えなくてはいけない。
ただし、相当うまくやらないと、このハンバーグが危険な物だとは伝えられないだろう。育美は山口のことを全く疑っていないのだから。
そう考えると、オレがまずやらないといけないのは、山口が育美にとって危険な存在だと知らせることか……。
料理を終えた山口は、再び二階へと上がっていく。オレも付いていく。
「何だクソ猫。お前も呪いの儀式が見たいのか」
山口は吐き捨てるように言った。
こいつ、まだ何かをするつもりなのか。
ベッドのある部屋に入った山口は、バッグの中から複数の物を取り出した。
ナイフ、黒い布、写真、ライター、小さな紙袋、液体の入った小さな瓶。
山口は、床の上に黒い布を敷いた。その布には記号らしきものが描かれていて、その上に写真を置いた。
よく見ると、その写真には育美が写っていた。山口は、小さな紙袋の中から何かを取り出した。
「おいクソ猫。これが何だかわかるか? これはな、お前の飼い主の髪の毛だよ。ああ汚らしい。本当は触るのも嫌だけど、儀式のためには仕方がない」
山口は髪の毛を写真の上に置くと、何やらぶつぶつと呟き始めた。それはオレの聞いたことのない言葉だった。この国の言葉ではない。わかることはそれだけだ。
ふっと呟きが止まったかと思うと、山口はナイフを持った。
先ほどと同じように、ナイフは闇の中に消えていく。
直後、また血の匂いが漂ってきた。
再び現れたナイフの先端には液体が付いている。
そのナイフを、山口は写真の中の育美に突き刺した。瓶を持ち、何色かよくわからない色の液体を写真に振り撒く。そしてまた山口は何語かわからない言葉を呟き始め、最後はライターで写真を燃やした。
「ひひひひひ」
闇の向こうから、山口の邪悪な笑い声が聞こえてくる。
「これが、私の最も得意とする呪いだ。呪肉ハンバーグを食べた人間は呪いにかかるけど、効果が表れるまでには時間にばらつきがある。私が今かけた呪いは、対象者への災厄を引き寄せるスピードを格段に速める効果があるのさ。 私の今までの経験からすると、あいつは呪肉ハンバーグを食べてから数時間以内に死ぬはずだ。
え? 何? 何でそんな効果抜群の呪いをもっと早く使わなかったのかって? ひひひ。この呪いは、効果が強力な分、反動も強いのさ。前回使った時は、私もかなりのダメージを受けた。だから、余程のことがない限り使わないようにしたのさ。
だけど今回、その余程のことが起きた。お前の飼い主の悪運の強さは認めてやるけど、私のこの呪いからは絶対に逃げられないよ。あいつは必ず数時間以内に死ぬ。ここから帰る時には、お前はひとりぼっちになるのさ。ひひひひひ」
狂ってる。ただただ、狂っている。
後片付けをする山口を見ながら、オレはこれまでを振り返る。
こいつは、S社の就職試験を受けた人間たちに呪いをかけていた。
このあいだの育美たちの会話や、今日のこいつの話から判断すると、こいつに呪われたうちの何人かは怪我や病気等の災難に遭っているようだ。
育美も、短期間に三度も命の危険に遭遇している。
山口は、子供の頃から自分にとって邪魔な人間は排除してきたらしい。呪いをかけられた者は、次々と不幸な目に遭って、その中には命を落とした者もいるようだ。
この話だけを聞くと、とてつもなく恐ろしい。もはや人間ではない別の存在のようにも思える。
だが、それらの災厄が、こいつが呪った結果だという証拠はない。こいつが勝手にそう言っているだけだ。
こいつの話を人間が聞いたら、どう判断するのだろう。
信じる人間と信じない人間、どちらの割合が多いか予想も付かないが、ただの偶然と答える人間は結構いると思う。
誰かの不幸を願っている時に、たまたまその人が災難に遭う。そういう偶然は、世の中に溢れているのではないだろうか。
山口の行為を見て、真相を知った今も、オレは呪いというものに対して半信半疑だ。しかし、山口が元凶だと結論を出すのなら、育美を襲った数々の災難は呪いの力だと認めないといけなくなる。
真実は未だに見えないが、山口が育美を殺そうとしているのは間違いのない事実だ。
それだけで、こいつを倒す理由になると思った。
S社の最終面接が残っているが、その結果次第では、山口は育美を狙い続けるだろう。いつまでも死ななければ、最後は直接的な方法で殺そうとするかもしれない。
呪いの効果の有無に関係なく、山口が危険な存在であることに変わりはないのだ。これ以上育美を狙わせないために、一刻も早く倒す必要がある。
外から、育美の話し声が聞こえてきた。
育美! 早く育美に伝えないと!
一階に下りようとした時、黒い塊がオレの前に立ちはだかり、ぐぐっと近づいてきた。
「おいクソ猫。お前、賢いのが自慢らしいな。そんなに頭が良いなら、飼い主に危険を知らせてみろ。ご主人様、あなたもうすぐ呪い殺されますよってな。ひひひひひ」
突然、【死ぬかもしれない】という言葉が頭に浮かんできた。
なぜその言葉が浮かんだのかはわからない。
こいつに殺されるかもしれないという暗示?
それでもいいと思った。
たとえオレが死んでも、育美を助けられるならそれでいい。
あの日、あの時、育美に助けてもらったから、オレは今ここにいる。今度はオレが命を懸けて育美を助ける番だ。
育美は、オレが守る。
――玄関ドアが開かれ、育美たちが入ってきた。
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