第35話

 僕は往生際の悪い人間だと思う。本妻と離縁して、家も職も失って、ヤングマリーまで手放して、取り戻したいと思う一番が本妻だったとは。

 手元に残る唯一彼女の痕跡にRe:メッセージしようとしている自分に、

(よせよカッコ悪い)

 と、嘲笑ちょうしょうできる冷静さがあればよかったけど、その時の僕は自分の空いたスペースを埋めることしか頭になかった。僕の中のいずれの僕もそれを止めることはできなかった。


“mou modosenai? fukuen…0%?”


 そのくせどこかまだ自分に甘い否定を打ち消せない自分がいた。無論彼女に復縁の可能性が0%だったならば僕の未練に何の意味も持たせない。

 しかしRe:Re: メッセージはあった。奇跡だと思おう。僕達にはまだ何かが残っていたということなんだろう。


“そのタイプ字ムカつくんだけど”

 ムカつかれても僕に回答権が渡されたことは震えるほどに嬉しかった。

“君から始めたことだよ”

 この言い草は不要だった。

“何が言いたいの?”

 それでも返してくれる本妻に僕はすがる思いだった。いまこれを断たれると僕には何も残らない。

“ごめん 僕から始めたことだった”

 先に犯した(であろう)懐古への慕情、その反省をにじませて詫びた。まだ要らぬ自尊心は残っていただろうか?

 何が僕らの(アンニュイとはいえ納まっていた)生活を更地にしたのかと言えば、あの写真が発端ではあるが、僕がヤングマリーを工能知くのうともひと人に出現させてしまったことに起因する。全てはそこからだ。謝るべきは僕からだった。

“何がしたいの?”

 何がしたい? 僕は何がしたいんだろ? そんなのワンセンテンスで表現できないし、たくさんあるようでいまはひとつも思い浮かばない。僕は時に雪崩れているだけだから。

 返事に迷っていると彼女からこんなメッセージが届く。

“けっきょく若いのがいいわけでしょ?”

 No…それは君だろ。ヤング耕太郎の方がいいって言ってんだろ、違う?

 ついヤングマリー相手と錯覚してyesかnoで回答しなければならないと思ってしまったが、相手は曖昧で僕を散々手こずらせてきた実在だ。そんな簡単な二択で片付けられるはずがない。

“よくわからない”

 それが偽らざる答えだ。すると彼女からこんな提案が・・・。

“いっそ4人で暮らす? 2人だけで暮らすよりいいでしょ”

 言わんとすることは理解できたが、いまの暮らしにたぶん満足している彼女がどうしてそんなことを言い出したのかわからなかった。それにそもそも僕の中では計算が合わなかった。本妻の言う4人は、僕がさよならしたヤングマリーを含めてのことだ。僕には足しても3人にしかならない。それとも彼女は、違う部屋でヤングマリーとヤング耕太郎を一緒にでもしたいんだろうか。あり得ない話だが、そうだとすれば滑稽なことだ。3D同士をくっつけるなんて。彼らは互いを認識できない。そしてクロスで互いのパートナーも認識できない。それが4人で暮らすというなら、二世帯、いや違うな、一つ屋根の下、別々の偽装夫婦が同居生活をしているようなものだ。いずれにせよ僕が取り戻したいのはそんなのじゃない。

“それって幸せなのかな?”

 あいだ抜かした気はしたけど、こう尋ねざるを得なかった。

“お互い幸せに暮らすには若さが必要・・・そう思わない?”

 それが僕たちの戻れる条件ならば、一緒に暮らす意味は何なんだろう? それを彼女に質すのが怖くて、僕はただ素直にこう返した。

“僕はいい、若くなくても”

 彼女の意見に反対したのは記憶の及ぶ限り来歴がない。

 でもやっぱり彼女は譲らなかった。

“私はいや、若くなくっちゃ”

 終生ブランドっぽいもの・・・・・・・・・に嫉妬して生きていくことを、僕に迫った瞬間だった。


 僕は道具など一切使わずイリュージョナブルをこの手で壊した。これでマリーとの縁はきっぱりと切れた。手繰り寄せる糸も何もなくなった。

 しかし、僕の中に滞留する嫉妬心は洗わないコーヒーカップのように残滓ざんしが底にこびりついたままいつまでも黒い痕となって消えなかった。

 この世のどこかで昔の僕が存在している。そいつは僕がうっかり手放した面倒な実体のお相手をうんざりすることなく日夜務めている。そう思うと眠れなかった。いっそ他の誰かにアイツからマリーを奪ってもらいたかった。

 僕にはできない。絶対に超えられないラインがある。若い時に自分が駆けたタイムを遥か後年に超えるなんて不可能なのだ。どう足掻あがいても勝ち目がない。この敗北感と僕は死ぬまで付き合わなければならないのか。

 それならいっそもう一度、ヤングマリーを呼び出して彼らとの相似的暮らしで対抗するほうがよかったんだろうか。


 どうやら僕は僕だけが蜜を吸う閉塞的な世界でしか自己欲求を満たせぬ欠陥品・・・らしい。併存する対象があると、心穏やかならず自分の足元を見失うようだ。僕には比較に屈せぬ積み重ねたブランドなんてものもありゃあしないんだ。

 僕は独りぼっちで誰も愛せない男だ。欠陥品のホモサピエンスのさらに亜種・・・・・だ。マリーの実在も虚像も、若いのもそうでないのも愛せなかったんだから。

 そんな僕にマリーが、最後に寄越したメッセージがこれだった。


“ブランドっぽいものにたいそう執着するおひとだから、餞別のつもりでお気に入りのフォト・・・・・・・・・いれておいたの。本当は私達似たもの同士なんだけどね”

 

 彼女たちを愛せなかった僕への報復だったのか、それとも彼女もひとを愛せない亜種だったのか?

 メッセージにはまだつづきがあった。


“もしも、若いのに飽きたなら、続きは、うん十年後ね”


 ……死んでるよ その頃……



 了

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ホモサピエンスのさらに亜種 水無月はたち @iochan620

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