第9話

 マリーの父親よりずっと頭の固いうちの父と母の同意を得られぬまま、僕とマリーは同棲どうせい生活を続けた。僕らだけで結婚式をあげようとも提案してみたが、彼女は祝福を受けない式はあげたくないとこばんだ。婚姻届こんいんとどけも出さなかった。つまり、僕らは内縁ないえんの夫婦として今日まで一緒に暮らしてきたのだ。


 二人に子供がなかったことも、過ぎた昔への郷愁きょうしゅうをかきたてることになったのかもしれない。どこかこの暮らしがさびしかったんだと思う。


 加えて仕事でも孤独な位置に立たされていた。会社での地位は課長だったが、部下や同僚の間に挟まれて言いたいことも言えず彼らの権利主張ばかり聞かされてうんざりしていた。誰も彼も皆、口を開けば自分の不遇ふぐうな境遇をわかってくれと整備された仮装モラル社会にあって自己主張をくる日もくる日も繰り広げた。孤独な僕に何が言えただろう。僕は全方位味方なしだった。


 何より大きく変化していたのは、僕のマリーへの愛だ。自分の親の反対を押し切ってまで一緒になったマリーに、僕はかつての愛の原型を見失っていた。

 そんなことは珍しいことじゃないというだろう。世間でよくある話だし。長年連れ添った夫婦の愛の形が結婚当初そのままであろうはずはない、と僕も思う。

 まれに新婚当初より仲良くなったという夫婦の話も耳にするが、どこに愛を感じているのかよければ教えてもらいたい。それは愛ではなく友情のようなものなんじゃないか? 或いは結婚当初、余程よほど仲が悪かったかだ。いずれにせよ僕たちにはあり得ない。


 いまではマリーの肌に触れることも、愛を語ることも、デートに誘うこともない。仮に僕がなんの前触まえぶれもなく彼女の手をいきなり握ったら、彼女はわめき騒いだすえ110番するに違いない。友どころかたまたま共有不動産に起居ききょしている同居人、いまの僕たちはそんな関係だ。


 ただ誤解を恐れず言うと、僕から別にマリーを嫌いになったわけではない。愛が失せたことと嫌いは別の意味だ。

 嫌いじゃないのに、でも愛を感じられないのに、一緒に暮らすということはどういうことだろう。

 惰性だせいだろう。もうこのままでいいやって心のどこかで思っている。でも、また別のどこかで、昔の感情に戻れる奇跡きせきを望んでいたのかもしれない。そして実際それは起きたんだ。


 翌朝、目が覚めると僕の隣にマリーが、あの頃の若きマリー・・・・・が眠っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る