ホモサピエンスのさらに亜種

水無月はたち

第1話

 のちにできあがった自分への戒めみたいなものだが、取り戻せないものはできるだけ追いかけないよう心がけていた。

 だがその晩、書斎の引き出しから一葉の写真が出てきて、それは妻マリーがひとりで写っているうん十年前のスナップ写真だったのだが、しばし僕はその写真に釘付けにされた。


 その写真には赤いレザーコートを羽織ったマリーが写っていて、彼女の黒髪にはレザーコート以上に鮮やかな赤一色のもみじが、あたかも人工的に造られ位置も緻密に計算し尽くされたものであるかのように不自然に乗っかっていた。はたして風に運ばれ降りてきたのか、或いは彼女が自分で乗っけたのか、のびやかな彼女の微笑みからは推測がつかない。どちらであったとしても彼女の若々しさを引き立てていることにはまったく相違ない。


 確かこれはマリーが友達と飛騨高山に行った時のものだ。旅行から帰って来た彼女から思い出話をたんまりと聞かされた覚えがある。その際この写真も見せられた覚えがある。それが、どうしていまここにあるのかわからない。


 その時分もこれを見ている。だが、今と違ってごくありきたりに眺めていたと思う。それも当然だ。当時はこの写真のマリーにでこぼこを付けた実在がいつも僕の目の前にあったのだから。写真に実物以上の想いを寄せられようはずがない。僕はでこぼこある実在とつきあっていたのだから。


 それがなぜだか時を隔てていまここにある。僕は写真に吸い込まれこの写真の現在の実在のことを頭から切り離していた。でこぼこのある実在は写真よりはるか後方に下がり、写真がでこぼこのある実在を置き去りにしたのだ。要するに、僕は写真の妻に恋をした。

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