第39話

 恐怖と耽淫たんいんに縛られた立ち見客を一人載せて、レイプは続けられた。女は冷たい砂地に背中の皮と骨を擦り付け男の暴発を無抵抗なまま受けた。やがてパントマイム仕掛けの鬼畜シネマの幕が降りた。

 事が済むと、男は傍らの小刀を引き寄せ、陵辱と血にまみれた裸体に突きつけ、去り際に何事かを囁いた。脅されずとも千鶴に救済を求められる人間はこの世に一人としていなかった。彼女には万民が依拠する司法の助けも思いつかなかった。もし男の囁きにこの種の恫喝があったならば全き無用のことだった。

 葉叢はむら桟敷さじきからこの禍事まがごとを畏れながら鑑賞していた男の方は、自分が発掘した鉱石を火事場泥棒に持っていかれたその悔しさよりも、レイプの原生的な(それが非社会的行為と名付けられようとも)胎動に圧倒された。つまり雄吉には、火事場泥棒にも千鶴にも手向ける義侠を持ち合わせていなかったということだ。寧ろ冤罪えんざいを恐れてここから早く退去しなければならないと自衛の思考に染まっていた。であるから、身を屈め、息を潜め、密やかに、しめやかに、速やかに、雄吉はそこから失せるしかなかった。

 後には彼がかねてより独占したいと願ってきた美麗な瞳が、草木そうもくと瞼によってうざったい朝陽を忌避し、お情けなど微塵もない世知辛さに歔欷きょきするに任せていた。

 雄吉は千鶴を-孤独-から解放する、を諦めた。・・・いいや違う、そんな意識的なものではなく千鶴に手が届かなくなったのだ。近づく手段を絶たれた。気づけば彼は、職を失い、衆愚を疎んじ、愛し方を忘れ、自信を喪失し、何もかもすっぽりと世界から隔絶してしまった。社会のせいにしたいが、もともと自分にその真性があったことを彼は今になって気づく。千鶴と接点のない併行する暗闇に彼もまた小さな住処すみかを探さなければならなかった。気鬱に暮れる澱んだ刻を過ごさねばならなかった。

 そこでの無聊ぶりょうな日々、彼の孤独を慰めてくれる遺産イデアポウンで、禍々しい長い題目の記事を目にする。そこにあった「東京埼玉連続強姦致傷事件 犯人逮捕」の見出し。容疑者の名は、蛭間丈助ひるまじょうすけ。記事には既往の重罪とともに容疑者の顔写真が掲載されていた。続くコラムには、性犯罪の再犯率の高さと更生の難しさが論説され、司法の処置の甘さを批判していた。

 フェイクニュースで溢れているサイバー情報ではあるが、雄吉はこの男の犯行のひとつを正常らしき両のまなこで目撃している。その顔に見覚えがある。間違いなくあの日千鶴を陵辱した男だった。雄吉の脳裏で、千鶴とあの男がよく似た眉根を、よく似た唇を、違った性器を、おぞましく交錯させていた。雄吉の枯れた感情が波だった。

 彼の記憶に刻まれていた最後の彼女の像は、右の瞳が大きく外にずれていた・・・・・・・からだ。

 確かめに行かなければ。 ・・・何のために?



 あなたのひとみは・・・

 だれをみているの?

 どこをみているの?

 なにがみえているの?


 雄吉があの陋屋ろうおくを訪れるのは彼の時間では数年の隔たりの感がある。だから彼は刻に励まされここへ足を運べたのだが、実際にはイデアポウンのバッテリーが切れるほどの時間だったかもしれない。その間に彼は何度充電したのか覚えていない。

 初めてここを訪れた時、彼はタバコを求めた。自動販売機にそれがなく苛ついた。いま彼は皮肉にも世間と離別しているのに世間がタバコを捨てる慣習と歩と同じくしている。欲しいものが手に入らぬ苛つきはなかった。だが、千鶴のいる対面販売のガラス窓にまで足を踏み込めなかった。既知情報とはそんな風に人を逡巡させるのを面白がっている。そこにはもう彼を威嚇する尨毛の醜眼もいないのに。生体認証を取らせてもらう役割も大義もない彼には、路傍から家の中を覗き込む程度のれた勇気しかなかった。

 そこで彼はやっと気付いた。自動販売機の明かりが全部消えていることを。毀れた家の壁に「売り物件・・・・」の張り紙のあることを。

 雄吉は暫し黙って張り紙を見つめていた。ふと遠く向かい角の交差点まで眼を凝らすと、其処そこではデータに基づく無駄のない品々が売られている。店員の顔は見えない。其方そちら側から斜め視覚に入るはずの同じ飛び地で売られている此処ここは、無駄なものだったのだろうか。


陋屋ここ、だけならばいいが・・・)

 雄吉は、彼女の外斜視を愛おしく思い浮かべ、手にあった遺産イデアポウンを地面に叩きつけた。




  了

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Yin & Yang 改題 引&用 水無月はたち @iochan620

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