第37話

 決行はさらに遅れた。翌日は未明から驟雨しゅううがアスファルトを打った。男は公園の剪定せんてい免れた樹木の深く茂った葉陰に身を潜め雨滴を凌いだ。そこで夜陰に紛れて女を待ち伏せたが結局女は現れなかった。しかし男は諦めなかった。次の日も夜勤明けの計画を企てた。遅れたお陰でレイプと駆除を履行するに必要な道具を揃えることができた。

 男の利己的な期待は裏切られなかった。千鶴は現れた。一昨日と同じルートで公園に水を汲みにきた。東の空が夜陰を破り明るみを帯び始めた頃だった。男に与えられた時間はそれほどなかった。水を汲み終え人目につきにくい公園小径こみちにさしかかった時、男は千鶴の背後に揺らぎ立っていた。劈頭へきとうの朝陽が男の手にある鋭利な尖頭物の長く伸びた影を怪しく小径に落としていた。もう片方の手には拳銃? ではなくエアガン。しかしただのエアガンではない。ガス圧を強めて威力を増し弾はメタルに変えてある。ここまで改造すれば殺傷能力さえ有る。さらにポケットには催涙スプレー。護身用を犯罪に転用した。

 男の接近にジャンボはいち早く気づいた。殺意を帯びた人間に、ジャンボの平時の防衛本能は彼を野生に返し尚一層闘争的に帰した。振り返りジャンボは男に咆哮ほうこうすると襲いかかってきた。男は改造エアガンを立て続けにジャンボ目掛けて撃ち放った。弾は何発かが深い毛を掻い潜りジャンボの体にめり込んだ。普通の犬ならここで尻尾を巻いて逃げ出すところだが、ジャンボはひるまず男に尚も向かってくる。男はエアガンを捨てて催涙スプレーをポケットから取り出した。接近して来るジャンボの鼻面に浴びせかけた。ジャンボの見えている左眼にこそ効力はあったが、両眼見えずともジャンボの闘争本能はいささかもすぼまず暴漢を咬み殺すだけの力をまだ余していた。ジャンボの太い牙が催涙スプレーを持つ男の左の手房たぶさを捕えた。噛み砕かれる前に男は右手に握っていた尖頭物を一閃振り払った。それは避けようとするジャンボの顔面を撫でた。小刀はジャンボの右眼の上辺りを裂いた。ジャンボの潰れた瞼から鮮血が舞った。屈んだ状態からジャンボは再び男に向かって飛びかかった。仰け反りながら男は小刀を八の字に振り回した。男にとって上手い具合に小刀が勇んだジャンボの前足のどちらかの骨までを切り断った。ジャンボの上体が崩れ落ちた。此処ぞ、とばかり男は躍り出て伏したジャンボの頭に切っ先の照準を定めた。それでもジャンボは牙を剥き男に向かって後脚を蹴った。牙が男を捉えるすんでの所で剣先の方が先にジャンボの頸筋くびすじに届いた。男は小刀の柄に力を込めジャンボの頸筋から腹までを貫いた。ジャンボの猛進が止んだ。継いで弱々しい啼泣ていきゅうが砂地をった。男はこのかまびすしい獣を1秒でも早く鎮まらせたいがため小刀を血塗れた尨毛から引っこ抜いて頭部目掛けて振り下ろし脳天を割った。

ジャンボの一切の生が停止した。

 入れ替わって千鶴のしじまの阿鼻叫喚あびきょうかんが動かぬジャンボの上に降り注いだ。震えは自身への危懼きくではなかった。

 犬の返り血を浴びてジャンパーを汚した兇漢は、刃物を握ったまま千鶴に向き直った。彼にはもう時間がなかった。彼の頭を占拠していたのはこの女をレイプすることだけだった。

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