第35話

 集積された巨大で無自覚な=孤独=が雄吉を使ってまつり上げた小売りの省力化は刻一刻と勢力を拡大していった。スマイルエディットが手掛けた無人店舗が火付け役となり乾燥した社会は便利を煩瑣はんさレスに読み替えてゼロ対面社会に変容しようとしていた。この変容の渦の中心にいた雄吉は自分の中に息づいた相克、即ち拒絶(煩瑣社会への)と受容(綺麗な-孤独-への)の同居をうまく処すことができると思っていたのだが、千鶴の求めを引き出し彼女の占有に軸が遷移しだしたところから均衡を保つ何かが崩れ、受容が拒絶を凌駕りょうがし始めた。彼女の-孤独-を愛したのだ。

 そうなると、彼はゼロ対面社会などどうでもよくなってしまった。信念であったはずの理想社会が彼の手から溢れていく。入れ替わるように空いた理想を埋めた純度の高い-孤独-に溺れた。

 9年いた会社だが雄吉の根は枯れ縮みスマイルエディットの土には張っていなかった。当然である。当初は金科玉条きんかぎょくじょうにしていた広範な人脈をほとんど手放し、機能に徹したはずなのに使命を放擲ほうてきし機能をぶち壊したのだから。彼は千鶴に会いに行くため度々仕事を抜け出した。リーダーの肩書きを捨てプロジェクトから離脱した。異名は似非紳士スノッブから裏切り者トレイターおとしめられた。雄吉に備わった数多あまたの技能、語学力、国際経験、交渉力などに期待していた会社は彼に見切りを付けざるを得なかった。皮肉なことだが、それらの技能は彼が次に理想と掲げた対象には何の効力もなかったのである。

 技能を剥がされた雄吉だったが、千鶴の-孤独-の扉を開けるまで策をろうしつつ待ったのである。彼の求愛をただ暴走と断じるには些か気の毒であるか。

 飛び地から出てこないかと呼びかけた雄吉に、千鶴は返事ができなかった。彼の発露に理解が及んでいなかったわけではないが、彼の本心を見ることができなかったのである。もしかしてそれは17の時にうなされた悪夢の再来ではないのか。

 結局、雄吉はスマイルエディットを辞めた。解雇される前に自分から辞職を申し出た。会社は呆気なく嘱望していた時代の牽引者をてた。彼にもうその価値はないと判断した。すると彼には世俗から桎梏しっこくを受けるしがらみがなくなった。今の彼はそれを憂える境地にない。まっすぐ千鶴を-孤独-ごと愛する刹那を抱きしめた。しかしその状態では千鶴の保留は彼にとって動かぬ時計をにらむに似た悠久の時だった。

 だから待てなかった。自由な体で彼女のもとへ馳せ、彼女を陋屋ろうおくから誘い出した。ジャンボが背後で声を涸らさんばかりに吠え続けていた。

 向かった先は郊外のアウトレットモール。彼女を頭からつま先までラグジュアリーで飾ってやろうと思った。誰のためか、彼女のためではあるまい。だったら彼女の好みを優先したはずだ。身につけたブランドはほとんどが雄吉の好みだった。彼女は雄吉のカンバスだった。そうして仕上げた彼女のアウトフィットに、先に理想をまとった瞳を乗っけて彼はカンバスを満足げに眺めた。その時雄吉は千鶴を本能から強く欲していた。

 すると彼の貪婪どんらん鷲掴わしづかんで千鶴はこう言ったに違いない。


 あなたの(その正常そうな)ひとみは・・・

 だれをみているの?

 どこをみているの?

 なにがみえているの?

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