第34話

 彼女の求めに応じ二つの醜眼を-孤独-から引っ張り上げようとした。ひとつは彼女のではなく彼の理想に姿を変えた。だがもうひとつは陋屋ろうおくに隠棲する尨毛むくげを元居たところへと帰した。この段違いの結末も雄吉の理想とそう隔たりはなかった。ジャンボを診察台に乗せた時点で彼の役目は終わっていた。それにジャンボの眼がどちらに転ぼうが醜眼の見ていた世界は変わりない。千鶴のそばで彼女の-孤独-を慰めるのがまた彼の-孤独-を慰める在処ありかだったからだ。気持ちは有難いが(有難迷惑か)ジャンボには外見などどうでもよい。ジャンボの無垢な意思は千鶴にも伝わった。だから千鶴はもうジャンボを何処へも連れ出すつもりはなかった。

 千鶴は雄吉に伝えた。

(救ってくれたのはあなただけだ)と。

 そのメッセージは雄吉を震えさせ有頂天にした。

(もういいのか?)

 珍しくたけらず眠っていた尨毛を雄吉は指差した。

(私が間違っていた)

(何を?)

(救うのはあなたではない)

 彼女の言わんとするはその役目は自分だったということだ。

 雄吉は頷いた。焦りや余分な助力や奸計かんけいはあったものの概ね全てが思い通りだった。こうした成功が彼には、全部を開けていた昔と違い、いまは開くところと閉じるところを作っていることに拠るものだと信じた。そうしなければ不純物を濾過ろかできず必要なものを逃してしまう。雄吉の孤独の扉はいつも半開きだった。僥倖ぎょうこうなことにそこに不具な原石を彼の理想に変えて迎え入れることができたのだ。彼が我執に囚われ有頂天になるのも無理もない。

(もっと救える、君を)

 千鶴は雄吉の辿々たどたどしい手話を追っている。彼の手話は表層の意味だけは正しく伝えていた。

(もっと。もっとだ)

 この不完全なる手話にはおそらく(解放する)或いは(飾る)が省かれていた。一方、千鶴の瞳はん所なく空を漂っている。

(だから)

 結局、彼は待てなかった。焦りから自制の効かない率爾そつじを許してしまった。

(そこから出てこないか)

 千鶴の治ったはずの瞳が行き場を失い右に左に揺れていた。

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